Top 武江扁額集 浮世絵文献資料館
原本:武江扁額集』斎藤月岑編・文久二年(1862)自序
底本:稀書複製会の影印本・米山堂・大正八年(1919)刊
武江扁額集 斎藤月岑著(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 『武江扁額集』は、江戸の神社仏閣の額堂に掲げられた扁額(横額)を、斎藤月岑が自ら摸写したもの。月岑が収録し
た絵師は浮世絵師に限らないが、本HPでは浮世絵師を主に収録した。ただ酒井抱一、谷文晁、柴田是真、山口素絢と
いった絵師、すなわち浮世絵師ではないが本HPが取り上げている絵師の作品は収録した。
※ 収録しなかった絵師は次の通り
画工未詳(浅草寺観音堂)・菊池容斎(同左)・岸良(同左)・佐竹永海(牛御前社)・大西椿年(赤羽水天宮)
雪仙斎尚徳(上野清水堂)・渡辺南岳(富ヶ岡八幡宮)・素人斎伯喬(護国寺内今宮明神)・月杏斎(浅草寺観音堂)
篁雪(湯島天神)・鈴木芙蓉(浅草寺観音堂)・雲臥(平河天神)・子載(大川端清正公社)・玉燕(神田明神)
南川在富(伝通院大黒堂)・寛一(増上寺境内芙蓉洲弁財天)・淡島椿岳(蔵前八幡宮)・沖一峨(王子稲荷)
隺嶺(三囲稲荷)・高直房(高田感通寺)
※ 「 」は斎藤月岑の額外識語。〝 〟は画中の落款や願主名等の筆記。但し着物や地などに記された朱・黄・金などの
色名は省略した。〈* 〉は本HPによる注記。
※ 判読不能は◎、表記不可は☆で表した。なお判読不能のところや誤読のところ、併せてご教示いただければ幸いです
☆ いっけい はなぶさ 英 一珪
◯『武江扁額集』(29/56コマ)(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
(奉納年未詳。画題記さず。絵柄から「草摺引き」)
落款 〝英一珪筆〟
識語 「京極侯 金毗羅権現社 手水屋に所掛 今なし 幅三尺余」
☆ いっぽう はなぶさ 英 一蜂
◯『武江扁額集』(31/56コマ)(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
(享保十九年(1734)二月奉納。月岑の識語に「趙雲図」とあり)
落款 〝享保十九年二月穀旦〟〝英一蜂敬書〟〝三河町河岸一丁目 願主 美濃屋清四郎〟
識語 「雑司谷鷲明神社に掛る所 趙雲図」
「此図筆太に画きてすこやかの出来也。彩色大かた剥落せり。文久二年十月十三日参詣してこれを摸す」
☆ ぎょくざん いしだ 石田 玉山
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇文政三年(1820)三月奉納(43/56コマ)
(月岑の識語に「為朝図」とあり)
落款 〝文政庚辰晩春 法橋玉山修徳〟
識語 「神田社額堂所掛 為朝図」「三河町三丁目家主中奉納」
「大坂の石田玉山の門人岡田玉山の筆なり。蔀関月が祇園社へ捧たる所の図に拠る所なるよし聞り」
〈斎藤月岑はこの「法橋玉山修徳」を岡田玉山とするが、その弟子の石田玉山が正しい。『原色浮世絵大百科事典』第
二巻「浮世絵師」は文化八年(1811)没となっているが、落款は文政三年三月となっている〉
◇文政五六年(1822~23)頃奉納(52/56コマ)
(画題記さず。絵柄から「新羅三郎義光吹笙之図」とでもすべきか)
落款 〝法橋玉山修徳画〟
識語 「浅艸寺観音堂 文政五六年頃納之 今なし」
〈後三年の役、東国に下る源義光、京より後を追ってきた豊原時秋に笙の秘曲を伝授する場面。出典は『古今著聞集』〉
◇奉納年未詳(40/56コマ)
(画題記さず。月岑の識語から鬼将軍・加藤清正騎馬像)
落款 〝法橋玉山修徳謹画〟
識語 「白金樹木谷覚林寺清正公社所掛 文政七年写 災後今なし」「壬戌十一月朔日再摹」
「右の上なかへ 又此図を縮したる玉山が筆の画袖へ或人蜀山先生の讃を乞ひしと看たり
檎生釜山 帰◎法華 称鬼将軍 烈於◎名 南畝覃〔印章不明〕」
〈「壬戌」は文久二年(1862)〉
☆ きよのぶ とりき 鳥居 清信
◯『武江扁額集』(13/30コマ)(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
(正徳六年(1716)二月奉納。画題を仮に「中村吉兵衛」とする)
落款等 〝絵師〈*以下落剥〉〟〝所願成就 皆令満足〟〝中村吉兵衛〟〝正徳六歳丙申二月吉日〟
識語 「雑司谷稲荷社 鬼子母神境内 横四尺余 嘉永五子初冬縮図」
「俳優中村吉兵衛 諢名(アダナ)二朱判ガ納タル処ナリ。今ヲ去ル事百(空白あり)年ノ昔ナレド、其質
朴オモフベシ、彩色剥落シタルトコロ多シ、絵師ノ名剥落シタレド鳥居何某ナルベシ。此額近キコロ
迄、稲荷社ニ掛テアリシガ、万延中普請ノ後見ヘズ」
〈この扁額については、式亭三馬の文化八年(1811)の記録が残っていて、絵師は元祖鳥居清信とされている。以下参
考までにその記事を引いておく〉
(『式亭雑記』〔続燕石〕①70(式亭三馬記・文化八年(1811)四月一日))
〝(雑司谷鬼子母神)本堂左の方なる稲荷の社【地主神のよし】正面より右の方に、中村吉兵衛が奉納
したりし丹前狂言の額あり、絵師は元祖鳥居清信の筆、
(三馬の模写絵に〝正徳六歳丙申五月五日 鳥居清信〔清信の印〕〟〝願主中村吉兵衛〟とあり)
中村吉兵衛は、正徳の頃、上上吉の位付にて、だうけ形の上手なり、異名を二朱判吉兵衛と呼びて、
後年役者を廃て、たいこもちとなりしよし、今の世にいふ江戸神ミといふものいなるべし、
(「大尽舞」のこと及び歌詞あり、中略)〟
〈実は三馬と月岑の記事には相違がある。奉納の月日が、三馬は五月五日、月岑は二月吉日。なぜ食い違っているのか
は分からない。しかし両者の図柄は全く同じ。したがって嘉永五年(1852)に見たとき落剥していた絵師名は鳥居清信
ということになる。二朱判吉兵衛は役者としては道化方、後年役者をやめ太鼓持ちとして名を知られた人。また享保
の頃、江戸の吉原で流行した「大尽舞」の創始者としても名を残している。「丹前狂言」の丹前とは花道からの出る
ときの独特な歩き方をいうようであるが、この中村吉兵衛が演ずる具体的な狂言名はなんであろうか。大小と編み笠
という図柄から不破伴左衛門のようにも思えるのだが〉
☆ けいさい 蕙斎(北尾政美)
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇文政二年(1819)奉納(17/56コマ)(18/56コマ)
(月岑の識語に「江戸名所一覧図」とあり)
落款 〝蕙斎筆〔印章「紹真」〕〟
識語 「神田明神社額堂所掲、江戸名所一覧図扁額、竪六尺余、横弐間、桐板」
「江戸一覧図ハ黄華山が画きて梓に上せし花洛一覧図に傚ひて、文化中、蕙斎鍬形紹真始て江戸一覧図
をあらはし梓に上せて公布し、続て銅板の再図【横六寸計有】を鐫せしめたり、其後文政の始、神田
社額堂建立の頃、左の図を画て掲る所にして、左に縮図せる如きの物にあらず、神祠仏宇大方残る事
なく◎◎◎覧のさま、大路の更加駢闐のさまにいたる迄、其頃の趣をあらはし、上野隅田川には桜を
ゑがき、瀧の川には紅葉を画けり。両国橋畔納涼の躰、其余◎時◎景致をもうつしなせり。頗る一奇
観といふべし。惜哉、三十余年の星霜を歴て分明ならざるもの多し 月岑識」
〈鍬形蕙斎が倣ったという黄華山(京都の画人・横山華山)の「花洛一覧図」は文化五年(1808)刊。蕙斎の江戸一覧
図は三種あるという、文化年間の木板画と銅版画、そして文政の始めの扁額である。この扁額の制作年代は、『武江
年表』に神田明神社の額堂の建立は文政二年(1819)の夏とあるから、その時のものである)竪1.8m×横3.6mであ
るから随分大きい額である。月岑の識語の判読が心許ない。取り敢えず「大路の更加駢闐のさま」と読んではみたが、
「駢闐(ベンテン)」の方は「人馬が盛んに群れ行くさま」で意味が通るが、「更加」の方は意味不明である。◎は判読
できなかったところ。ご教示いただければ幸いです。なお参考までに黄華山画「花洛一覧図」を引いておく〉
「花洛一覧図」黄華山画(早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」)
◇文政年間(1818~1830)奉納(32/56コマ)
(画題記さず。絵柄は「稲穂に蜻蛉」)
落款 〝蕙斎筆〟
識語 「神田社額堂 文政◎◎奉納」「幅一間」
武江扁額集(稲穂に蜻蛉)左図 蕙斎筆
☆ しゅうちょう はるかわ 春川 秀蝶
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇延享四年(1747)五月奉納。画題は「洛陽祇園会山鉾略図」(39/56コマ)
落款 〝洛陽祇園会山鉾略図 安永八亥年 文化二丑年 絵師春川秀蝶〟
〝延享四年丁卯五月吉日〟〝桜田久保町願主 つちや幸助〟
識語 「愛宕社額堂所掲。細図にて見事にてありしが(数字空白)中(数字空白)の火天に罹りて今な
し」「安永と文化の年号ハ粉色を以てあらためしなり」「文政中縮図之」
〈「安永八亥年(1779) 文化二丑年(1805) 絵師春川秀蝶」と月岑の識語「安永と文化の年号ハ粉色を以てあらためし
なり」の意味が今ひとつ分からない。またこの年代と延享四年と違う年代が一図に同居しているのはどういうことな
のだろうか。不審はまだある、文化二年の絵師春川秀蝶が五十八年も前に奉納された「洛陽祇園会山鉾略図」を画い
たとは思えないことである〉
☆ すうぎょう たちばな 橘 嵩暁
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
(寛政五年十月十二日奉納。月岑の識語に「清正公韓人ヲ捕フル図」とあり)
落款 〝旭雄斎橘嵩暁満喜図之〟
〝寛政五癸巳歳 十月十有二日 願主 羊遊斎 原久米次郎 更山(花押)〟
識語 「堀の内妙法寺額堂 清正公韓人ヲ捕フル図ナリ」「嘉永五子年写之」
「羊遊斎ハ神田鍛治町一丁目住、蒔絵師の高手也」
〈『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」に橘嵩暁の名は出ていないが、参考までに載せた〉
武江扁額集「清正公韓人ヲ捕フル図」橘嵩暁図(23/56コマ)
☆ すうけい こう 高 嵩渓
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇享和三年(1803)七月奉納(8/56コマ)
(画題記さず。ただ月岑の『武江年表』享和三年(1803)七月の記事には「猩々舞の図」とある)
落款 〝享和三年癸亥七月穀旦 高嵩渓 藤原信宜図〟
識語 「右、同〈*「浅草寺観音堂所掛」〉」「藤原信宜」「睡雲子」〈月岑の識語は落款の印章〉
◇文化六年(1809)六月奉納(38/56コマ)
(画題記さず。絵柄は弁慶、安宅の関にて勧進帳を読み上げる場面)
落款 〝文化己巳林鐘 高嵩渓謹図〟
識語 「柳島法性寺妙見堂 横◎◎◎額ナリ、人物丈一尺余モアルベシ」
「戌 十一月二日冬至謁祠摹之」
「弁慶ヨリ番兵ノ◎◎意味◎◎愚筆ニ写シ得ザレバ、ソノ形ノミヲアラハセリ」
〈「文化己巳林鐘」は文化六年六月。「戌」は文久二年(1862)〉
☆ すうこく こう 高 嵩谷
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇天明七年(1787)五月奉納(7/56コマ)
(画題記さず。ただ月岑の『武江年表』天明七年五月の記事には「頼政猪早太鵺退治の図」とある。い
わゆる「源三位頼政鵺退治」である)
落款 〝天明七丁未夏五月穀旦 屠龍翁高嵩谷藤原一雄敬画〟
識語 「浅草寺観音堂所掛」「嘉永五年子秋写之」
「石塚豊芥の話に、北尾蕙斎、此額を見て、頼政の右乃手、少々短きとて、嵩谷に告ければ、よく見出
したりとて、うべなはれけるとぞ」
「嚮に文鳳堂が弆蔵せる細井氏の絵馬文車といへる随筆を見たりしが、此額の評判を載せたり、惜ひ哉、
うつさずしてかへしたり。他日ふたゝひ借得てしるし願ふべし」
〈石塚豊芥子は蔵書家・雑学者。月岑とは親密な交友関係があり、月岑の『増補浮世絵類考』は豊芥子の所蔵する渓斎
英泉の『無名翁随筆(続浮世絵類考)』を基に増補してなったものである。この額は嵩谷五十八歳の天明七年(1787)
に奉納されたもの、この北尾政美とのエピソードはその頃、政美二十四歳頃のものであろう。嵩谷は親子ほども年齢
差のある政美の指摘を認め受け入れたのである。文鳳堂は江戸の書肆で山城屋忠兵衛。「細井氏の絵馬文車」は国学
者・細井貞雄の『文車集』であろうか〉
〈この「頼政猪早太鵺退治の図」について東随舎なる人物は次のように批評している〉
画難坊、絵を論ずる事(『古今雑談思出草紙』(天保十三(1842)序)所収)
◇奉納年未詳。画題記さず。図柄から牛若丸と弁慶の図(15/56コマ)
落款 〝楽只斎 高嵩谷筆〟
識語 「三囲稲荷社拝殿」
☆ すうとう こう 高 嵩濤
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇奉納年未詳。画題記さず。絵柄は奴と若衆の踊り(20/56コマ)
落款 〝嵩濤筆〔印章「◯」〕〟〝願主 浜野屋喜十郎〟
識語 「柳島妙見堂の額」「嘉永五子年縮図」
☆ せきえん とりやま 鳥山 石燕
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇天明年間(1781~1789)の奉納。画題記さず。絵柄は草摺引き(35/56コマ)
落款 〝鳥山石燕豊房画〟
識語 「湯島天満宮」「天明ノ頃也。文久癸亥ノ災ニ罹リテ今ナシ」
〈「文久癸亥ノ災」とは、『武江年表』によれば、文久三年(1863)三月十六日の火災〉
☆ ぜしん しばた 柴田 是真
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇天保末年奉納(月岑の識語に「綱の伯母」とあり)(22/56コマ)
落款 〝是真〟
識語 「王子稲荷額堂 柴田是真筆 天保中〈「末」の添え書き〉掲之 嘉永五子年三月写之」
「綱の伯母」
〈渡辺綱によって片腕を切り落とされた一条戻橋の鬼女、綱の伯母になりすまして奪い返す場面〉
◇奉納年未詳(月岑の識語に「遍昭図」とあり)(48/56コマ)
落款 〝是真〟
識語 「大川端細川侯御◎清正公社 額堂」「遍昭図」
「幅一間 柴田是真筆 壬戌十月廿四日◎◎摸之」
〈「名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花 われ落ちにきと 人にかたるな」いわゆる「僧正遍昭落馬図」である〉
☆ せっせん 雪仙
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇文政五年(1822)五月奉納。画題記さず。絵柄は絵馬(33/56コマ)
落款 〝文政五壬子(ママ)歳 五月吉祥日〟〝雪仙筆〟
識語 「神田社額堂」「竪六尺余、幅九尺計」「文久二年戌 冬写之」
〈文政五年は壬午。この雪仙、浮世絵を画いたかは分からないが、参考までに載せた〉
☆ せったん はせがわ 長谷川 雪旦
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇天保十三年(1842)奉納(画題記さず。月岑識語に「土佐坊 弁慶」とあり)(36/56コマ)
落款 〝長谷川法眼雪旦宗秀六十五歳画〟
識語 「湯島天満宮 弁慶 土佐坊 天保中納る所也」「文久二壬戌冬縮図之」
〈弁慶が土佐坊昌俊を義経の堀川館に連行する場面か。雪旦六十五歳は天保十三年(1842)にあたる〉
〈『斎藤月岑日記』に〝十月廿二日、湯しまへ参る、額うつす〟とあり。2010/11/22追記〉
◇奉納年未詳 画題記さず。絵柄未詳(37/56コマ)
落款 〝長谷川法眼雪旦〔印章不明〕〟〝◎◎◎◎敬白〟
識語 「湯島天満宮 ◎◎ 文久三ノ災後ナシ」
☆ そけん やまぐち 山口 素絢
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
(奉納年未詳。月岑の識語から画題を「大原女の図」とする)
落款 〝平安 素絢〟 画中に〝高就〟
識語 「三囲稲荷祠額堂」「嘉永五年縮図之」
「上田晩菴子云、オハラメハ脚半ノハキヤウニ差別アリ、向ニテ合タルハ〈*数文字分空白〉也。後ニテ
合タルハ〈*数文字空白〉とぞ」
「山斎素絢筆にて見事なり。素絢、字ハ伯陵、俗称山口武次郎、京師ノ人ナリ」
〈画中の〝高就〟の意味がよく分からない。上田晩菴は『江戸名所図会』の跋を書いた上田兼憲。大原女の脚絆の結び
方の記事、空白部分には、向い合わせに結ぶのが「大原女」、後ろにするのが「白川女」などと入るか〉
武江扁額集「大原女の図」素絢画(16/56コマ)
☆ ぶんちょう たに 谷 文晁
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇文政四年(1821)九月奉納。月岑の識語に「河津股野相撲之図」とあり(19/56コマ)
落款 〝文晁筆〟〝文政四年辛巳九月穀旦 上州屋藤八敬具〟
識語 「神田社額堂所掛、河津股野相撲之図 谷文晁筆」「竪五尺余、巾弐尺余」
「嘉永五子年縮図之」
「此図は鶴ヶ岡若宮八幡宮の宝前の懸る所の図をそのまゝにうつされし也。但し鶴ヶ岡に掲る所は寛永年
中也」
「願主上州屋藤八は三河町三丁目裏町の◎◎◎にて、文政中額堂新建の時〈*「翌年」の添え書き〉さゝ
げたるなり」
「按るに、寛永中、鎌倉鶴ヶ岡若宮八幡の社へかくる所のうつし也」
☆ ほういつ さかい 酒井 抱一
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇文化十一年(1814)三月奉納 画題記さず。絵柄は犬二匹(28/56コマ)
落款 〝抱一揮真筆〔印章「文詮」〕〟
〝文化十一年甲戌三月吉祥日 願主 八百屋善四郎〟
識語 「西新井大師堂額 横壹間余 嘉永五年縮図」
〈蜀山人、文化十二年三月の詠に〝詩は五山役者は杜若傾はかの芸者はおかつ料理八百善〟という狂歌がある。当時全
盛を誇ったものを詠み込んだものだが、この八百善の主人がこの扁額の願主。山谷の料亭。本HP「浮世絵事典」の
「流行」及び「八百善」を参照のこと。狂歌は『大田南畝全集』第十九巻「書簡」p279〉
◇文政年間(1818~1830)の奉納 画題記さず。絵柄は花卉(21/56コマ)
落款 〝抱一揮真〟〝◎◎ 師現鴬浦筆〟〝抱和筆〟〝孤村筆〟
識語 「屏風坂下稲荷社」「文政の頃納る所也」「嘉永五子年縮図」
〈師匠・酒井抱一とその門人が寄せ書きした花卉図〉
☆ ほくれい 北嶺
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇天保十三年(1742)奉納。月岑の識語に「予譲図」とあり(13/56コマ)
落款 〝函館 北嶺 江貫謹筆〟
識語 「同〈*「浅草寺観音堂所掛」〉豫譲図 天保十三寅年納」「文久二戌年縮図」
〈『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」、北嶺の項に「予譲刺衣の図」の画題で、この額のカラー写真が出て
いる。ただ解説には「天保十二年奉納」とあり、月岑の十三年(1842)とは一年食い違う。出典は『蒙求』「予譲呑炭」〉
☆ もりかず いずみ 泉 守一
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇享和二年(1802)奉納。画題記さず。絵柄は駆け馬に鞭(35/56コマ)
落款 〝寿香亭藤原守一〟〝奉納〟〝享和二壬戌歳三日〟
識語 「本郷真光寺天満宮 壬戌写之」〈「壬戌」は文久二年(1862)〉
☆ りゅうえん 龍淵
◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇弘化四年(1847)五月奉納。画題記さず。図柄から常盤御前の大和行を画いた「雪中常盤図」(13/56コマ
落款 〝弘化四丁未仲夏写 長雲斎龍淵〟
識語 「同〈*「浅草寺観音堂所掛」〉」「嘉永五子年縮図」
「龍淵ハ浮世絵師にて始〈*数文字空白〉といひし人也」