Top 浮世絵文献資料館浮世絵師総覧 ☆ とみのぶ かせんてい 花川亭 富信浮世絵師名一覧 〔未詳 一説文政六年〕 (歌川国富初代参照) 別称 一陽斎 ☆ 文政十三年(1830) ◯『【継子於梅/乞兮粂吉】庭訓塵劫記』上中下、三冊(文政十三年七月刊) 上、表紙裏に 〝文政十三庚寅秋新刻〟 中、表紙裏の署名〝一陽斎富信画 〟 下、表紙裏の署名〝一陽斎富信画〟 奥付 〝江戸 華街桜山人作 同花川亭富信画 国富改 板元 東都馬喰町二丁目 西村与八 東都甚左衛門町 柴谷文七〟〈文政十一年(1828)八月に建立された初代歌川豊国の筆塚には、二代目豊国社中の筆頭に国富の名が見え、富信の名は 見えない。それが文化十三年秋出版の人情本『庭訓塵劫記』の奥付には「花川亭富信画 国富改」とある。そうする と、国富から富信への改名時期は、文政十一年八月以降、文政十三年秋七月以前ということになる。また花川亭富信 の他に一陽斎富信と称したことがこれで分かる。上記の筆塚は本HPの初代歌川豊国の項でも、歌川国富でも参照で きる〉
『庭訓塵劫記』 花川亭富信画 国富改 (早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」) ☆ 天保二年(1831) ◯「絵暦」(旅籠屋・外神田仲町坂野屋平五郎の年礼姿を画いた引き札)天保三年正月配付 署名「花川亭富信画」(早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」) 〈従者二人の半纏の襟に、大の月2,6,8,10,11,12・小の月1,3,4,5,7,9の漢数字あり〉 ☆ 没後資料 ◯『浮世絵師便覧』p210(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝歌川風、◯花川亭と号す、◯嘉永〟 ◯『日本美術画家人名詳伝』補遺(樋口文山編 赤志忠雅堂 明治二十七年(1894)一月刊)(国立国会図書館デジタルコレクション) 〝花川亭富春 歌川風を画く 嘉永頃の人〟〈富信の誤記か〉 ◯『鑑定必携日本画人伝』巻之二【ト】北村佳逸編 細川清助 明治二十八年(1895)四月刊 京都版)(国立国会図書館デジタルコレクション) 〝富信 歌川ノ風アリテ、浮世ヲ筆セリ、嘉永六年没ス〟〈花川亭と思われるが判然としない。また没年の典拠も不明〉 ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)(国立国会図書館デジタルコレクション) (95/103コマ) 〝花川亭富信【年時不詳の人】嘉永年間の人なるべし〟 ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー) 〝富信 宮川氏歟、歌川風、花川亭と号す、嘉永頃〟 ◯『浮世絵師伝』p130(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝富信 【生】 【歿】 【画系】二代豊国門人 【作画期】文政~嘉永 初め国富といひ、文政年間に富信と改む、別に花川亭と号せり〟◯「日本古典籍総合目録」 (国文学研究資料館) 作品数:1点 画号他:花川亭富信・歌川国富一世 分 類:人情本1 成立年:文政13年〈一点は人情本『庭訓塵劫記』華街桜山人作〉