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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ ぎょくほう いしだ 石田 玉峰
浮世絵師名一覧
〔?~一説文化8年(1811)没〕
(石田玉山(岡田玉山二代)の前名)
※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」国文学研究資料館
◯「岡田玉山の系譜 : 石田玉山、二代岡田玉山修徳の伝記をめぐって」
(『浮世絵芸術』180号 国際浮世絵学会会誌 2020年刊)
〝文化三年から五年にかけての時期に初代玉山が亡くなると、岡田玉山の系譜は大きな転換の時期を迎え たことが推測される。石田玉峰が玉山の系譜を継承し、石田玉峰から石田玉山へ、さらに文化十年に法 橋となって二代岡田玉山を襲名する〟
〈同論文には、石田玉山(岡田玉山修徳)が初代岡田玉山の伜であることを示す史料が引用されている〉
☆ 天明元年(安永十年・1781)
◯「日本古典籍総合目録」
(天明元年刊)
◇往来物
石田玉峯画
『女今川教訓状』一巻 石田玉峯画
〈この石田玉峯、文化年間の玉山二世の玉峯と同人とも思えないが、取りあえず載せておく〉
☆ 文化四年(1807)
◯「読本年表」
〔目録DB〕(文化四年刊)
石田蓼華画
『安達原』石田蓼華(玉山二世)画 文亭箕山作 ☆ 文化五年(1808)
◯「百人一首年表」
(文化五年刊)
玉峯画
『女要大成小倉麓』色摺口絵・挿絵 大坂
〔跡見8〕〔目録DB〕
玉峯画 耕耘堂蔵板 文化五年刊
〈〔跡見〕奥付欠、版元名は画像の見返し。画工名は〔目録DB〕の書誌による〉
☆ 文化六年(1808)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(文化六年刊)
石田玉峰画
『小笠原諸礼大全』二巻 石玉峯画 法橋玉山著 河内屋茂兵衛板 ☆ 文化七年(1810)
◯「読本年表」
〔目録DB〕(文化七年刊)
石田玉峯画
『長我部物語』玉峯画 手塚兎月作 『葦牙草紙』 石田玉峯画 鉄格子波丸作 ☆ 文化九年(1812)
◯「読本年表」
〔目録DB〕(文化九年刊)
石田玉峰画
『清正真伝記』玉山・玉峰画 若林葛満作 ☆ 文化十年(1813)
◯「読本年表」
〔目録DB〕(文化十年刊)
石田玉山画
『則定仁勇伝』初編 石田玉山画 此君亭仙蛾作 ☆ 文政六年(1823)
◯「読本年表」
〔目録DB〕(文政六年刊)
石田玉峯画
『画本室之八島』石田玉峯画 中聖人晦所(武内確斎)作
☆ 没後資料
◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序) (「法橋玉山」の項) 〝(菅原実記二編のさし画、石田玉峯とあり。考るに二代目玉山の筆に似たり。思ふに二代目玉山の先名 なるべし)二代目法橋、岡田玉山修徳、文政の頃、神田紺屋町に住せしが、或日家を出て其行衛を知ら ず。尚友に続て上手なり。絵本芦芽草紙のさし画あり。神田明神の社に為朝の額、瘡守いなり社に三保 の谷景清の図、浅草観音堂に新羅三郎の図等を画る額あり〟 ◯『京摂戯作者考』〔続燕石〕①337(木村黙老著・成立年未詳) (「浮世絵師」の項。名前のみ、記述なし) ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪233(竜田舎秋錦編・慶応四年成立) 〝元祖玉山の高弟也。清正真伝記の跋を証とす。絵本蘆茅双紙・菅原実記〟 ◯『浮世絵師便覧』p232(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝玉峯(ホウ) 大坂の人、一世玉山の子か、石田氏、読本多し、◯享和〟 ◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(上79/110コマ) 〝石田玉峯 初代玉山の男とも高弟ともいふ。大坂の人で蓼華斎と号し、作画期は文化文政頃である〟 ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝玉峯 一世玉山の子、大阪の人、石田氏、後に玉山を襲ふ〟 ◯『浮世絵師伝』p47(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)〟 〝玉峰 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文化 大阪の人、石田氏、蓼華斎と号す、玉峰は二代玉山の前名なりといひ、又、別人とする説もあり。(二 代玉山の項参照)〟 △『増訂浮世絵』p191(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝石田玉峯 初代玉山門人、大坂の人、蓼華斎と号した。文化文政の間に行はる。絵本数種を作る。絵本蘆芽草紙、 絵本宝の八島、菅原実記等世に知らる〟
◯「日本古典籍総合目録」
(国文学研究資料館)
(玉峰名の作品)
作品数:6点 画号他:玉峯・玉峰・石田玉峰・石田玉峯 分 野:読本4・往来物2 成立年:天明1年(1点)文化5・7・9年(4点)文政6年(1点)
〈天明元年刊は『女今川教訓状』。これと同じ題名の往来物が「往来物DB」にあり、それには寛政元年刊、蓼華斎玉 峰・下河辺拾水画となっている〉