Top 『鼠璞十種』浮世絵文献資料館 鼠璞十種 あ行☆ いっちょう はなぶさ 英 一蝶 ◯『読老庵日礼』中132(老樗軒著・文化年間末記) (「三十六歌仙」の項) 〝勢州山田久保町一志正住太夫の家に、英一蝶著色の三十六歌仙の色紙あり。十八枚は多賀潮湖の款字あ り。又十八枚は英一蝶の款字あり。此三十六歌仙は、一蝶流罪にて島にありける時、十八枚を写して、 帰島祈祷の為に写して、御師正住太郎におくる所なり。跡(ママ)の十八枚は、赦に遇ひて後、江戸に還り 写するところと云ふ。余、甲戌夏伊勢に遊び、目撃するところ也。英一蝶と称す事は、帰島以後の事な るべし。江戸著聞集【馬文耕著】多賀潮湖、英一蝶といひけるは、島にながされて後、年をへて、ある あした草花に蝶のとまりしを見て居けるとき、赦免の舟来りしかば、これより英一蝶とあらためしとい ふ〟〈「甲戌」は文化十一年。伊勢の御師、正住太夫家と多賀潮湖と英一蝶との関係はどのようなものであったのか〉 ◯『続道聴塗説』中334(大郷信斎著・文政十二年記) (「己丑漫録 第一編」) 〝白雨滑稽 此程途中俄に白雨に遇ければ、爰こそ古歌の場所よと、急ぎ路傍なる陋居に立入て、しばし茶煙を喫し ける内に、青天となりぬ。其床に掛たる一幅を見れば、北嵩といふ画士が、英一蝶の図を模写せし雨や どりの上に「いそがずばぬれまじ物を夕立の跡より晴るゝ堪忍の虹、東都滑稽作者六十五翁立川談州楼 焉馬」と題せり。余が今日の心境と符号せし事、一奇といふべし〟〈立川焉馬の六十五才は文化四年に当たる〉 ◯『新吉原細見記考』上66(加藤雀庵著・天保十四年記) (「女達磨」の項) 〝三養雑記に、女達磨といふは、新吉原中近江屋の抱半太夫といふ遊女の詞によりて、英一蝶が半身の達 磨を傾城の貌に絵きたるが、世上にはやりて、扇、うちは、多葉粉入、柱かくしなどにかきて、女達磨 といひけるとかや。栢筵が、その画の讃に「そもさんか、是こなさんはたて」と詞書して、「九年母も 粋よりいでしあまみかな」といふ句をしけるとぞ〟〈「三養雑記」(山崎美成著、天保十一年成立)は「日本随筆大成」二期六巻所収〉 ☆ おうきょ まるやま 円山 応挙 ◯『橘窓自語』上224(橋本経亮著・寛政年間記) 〝天明回禄以前まで、あるやごとなきわたりの御殿の襖障子及天井の絵、狩野永徳がかける画、そら飛雁 の間といふあり。襖障子にはあしに雁をかき、さて雁の飛立いきほひなるかたもあり。天井に、雁の空 とぶと下よりむかひみるさまに、雁の腹つばさのうらをかきたりける故に、空とぶ雁の間といふよし、 藤井維済といふ人物語せり。近世丸山応挙など、孔雀の飛さまを巧にかけりしかど、こゝにはいまだい たらず、むかしより巧なる画様あるものなり〟 ◯『反古のうらがき』中85(鈴木桃野著・嘉永三年記) 〝大雅堂、文晁、応挙ナドノ画ハ偽シ易シ。椿山ノ画ニ至テハ、天真爛漫ニ企及スベカラズ。夫サヘ近時 偽物オビタヾシクアリテ、庸凡ハミナアザムカルヽ也。予鑑裁ニ暗シトイヘドモ、椿山ノ画ニ至ツテハ、 暗中模索スルモ失ハジ〟