ニヴフ語抱合再論

              シンポジウム「サハリンの言語世界」札幌2008.08.06

                                                        

1. ソ連科学アカデミー言語部会の論争

 ソ連科学アカデミー言語部会レニングラード支部では1954年から1966年にいたる10数年に及んでニヴフ語の抱合に関する論争がつづけられた。その詳細は同言語部会機関誌『言語学の諸問題』Вопросы Языкознания(以下ВЯと略)に順次公表された。レニングラード支部の研究部会で行われた討論の概要もこれらの論文やその注記に紹介されているので、論争の大要は次の論文で十分に把握できる

(P1):Panfilov,V.Z.(1954), K voprosu ob inkorporirovanii --- na materialax nivxskogo qzyka.

       VQ 54-6

(K1):Krejnovih,E.A.(1958), Ob inkorporirovanii v nivxskom qzyke. VQ 58-6

(P2):Panfilov,V.Z.(1960), Problema slova i "inkorporirovanii" v nivxskom qzyke. VQ 60-6

(K2):Krejnovih,E.A.(1966), Ob inkorporirovanii i primykanie v nivxskom qzyke. VQ 66-3

(P3):Panfilov,V.Z.(1966), K tipologiheskoj xarakteristike nivxskogo qzyka. VQ 66-5

 但し、行頭括弧内は引用便宜上の記号、 行末の VQ Voprosy Qzykoznannq、その後の数字は発行年と号数を表す。

 

また、金子亨「ニヴフ語抱合論争」『千葉大学ユーラシア言語文化論集』(略称 CES 第2号 1999 (pp. 1-50) はこの論争の大要を紹介したものだが、今から見ると、論点の摘出が不十分であるだけでなく、ニヴフ語の表記にも問題がある。以下では、この論文が指摘できなかったいくつかの論点をあげて、ニヴフ語の語構成とこの問題を巡る形態・統語法の技術についてひとつの見方を提示したい。

なお、ニヴフ語の言語資料は原則として上の5論文と故プフタさんの次の著(サッポロ堂書店で入手可能)に限った。

(MN): Puxta, M.N., Nivxsko-russkij razgovornik i tematiheskij slovarь. ELPR 2002 A2-017

 

1.1. 論争の成果

  論争の第1の成果は、ソ連科学アカデミー言語部会の関心をこの古アジア諸語のひとつに大きく向けたことにあった。当時マル批判後のソ連言語学界はメシチャニノフを筆頭に既にコーカサスの諸言語に関する研究で優れた成果をあげていたが、アジアの諸言語についての研究は特にボゴラスの物故(1936)後は十分な問題を提起するには至っていなかった。そのような状況で二人のニヴフ語研究者がこの言語の構造の中心的な問題について論争を始めたのであるから、それは当時の言語学会にとって耳目をそばだてるに十分な事態であった。

 論争の第2の成果は実質的なもので、それはヴフ語の句構造、とりわけ動詞句と名詞句の構造が論議され、その基本的な形式が明らかにされたことである。ここでは語頭子音交替の動因となる語構成と統語構造、連体修飾構造と補語関係との並行性、項構造のニヴフ的な特性など個別に論議すべき問題がいくつも提起された。しかしこれらの重要な論点はそれぞれ別に論じるとして、ここでは抱合に関わる問題に限って次のいくついかの点を指摘するにとどめる。

 まず抱合の概念に関して(P2) 1960-6はソ連言語学会の慣行的規定として次の特性をあげた:

 

(1) a. 抱合要素は語ではなく、語基である、

   b. 抱合体は全体として合成語と見なされる、

   c. 抱合要素はそれぞれ本来の意味を保持する、

   d. 抱合要素は統語関係を保持する。

 

これらは論争の過程で大方に承認されてきたものである。しかし 結論的な論文 (K2) 1966-3 ではニヴフ語およびチュクチ語、コリャーク語などの動詞構造について次の2点が新たに提起された。

 

 (2) a. 自由形式・拘束形式の対とそれぞれのパラダイムが存在する、

  b. 接頭的な前枠−主要素−接尾的な後枠の枠構造が抱合複合体を構成する。

 

 ニヴフ語抱合の例として、(K1) 1958-6 が抱合的動詞構造体としてあげたものの中で絶対格の直接補語を元にするものが圧倒的に多い。以下の例の被抱合要素ももともとは絶対格の他動詞補語由来であるという。(以下のニヴフ語の表記はもともと増補キリル表記、ここではそれをIPAに変換した):

 

 (3) a. nJi   tHiftJ-rHivdJ (私はベンチに腰掛ける)

      1sg bench=ABS-sit=FIN (rHivdJirHptJ tHvidJ

   b. nJi    tJagoÄe    tuxke  pH-«k«n-kHimdJ (私はナイフと斧とを自分の兄に渡した)

   1sg  knife=COM ax=COM REFL-brother give=FIN kHimdJimGdJximdJ

    c. nJi  huxt hur-xrodJ (私は長衣をそこに掛けた)

     1sg  robe=ABS there-hang=FIN hurxrodJ

 

  上の例ではいずれもいわゆる深層格では普通は場所格や相手格として表される項が抱合されている点に注意したい。またこの論争では、抱合された要素、もともと他動詞の直接補語であった名詞的要素が他動詞に前接してハイフンで結んで示されるのが慣例であった。

 

1.2. 論争の欠陥 

 この論争は終始ニヴフ語が抱合的であるか膠着的であるかという問をめぐって行われた。Panfilovはニヴフ語が膠着的言語であると主張し、動詞の項と連体名詞句の要素が自立的に付加されて他動詞句や連体句が出来ていることを証明しようとした。一方でKreynovichはこれら二つの言語構造に関して抱合的語構成が見られることをさまざまな現象をあげて論証しようとした。しかし抱合と膠着がはたして語構成技術の二者択一的な対立であるかという問は論争の過程で一度も立てられたことがなかった。この対立が論点とされたのがPanfilovの第一論文(P1) 1953であって、この論文が議論の対象としたのはKreynovichの20年前に書かれた次の著作2点であって、そこでは抱合という用語も概念もまだ使われてはいなかった:

 

 Krejnovih,E.A., Nivxskij (gilqkskij) qzyk. in:"Qzyk i pis;mmennost; narodov Severa" AH 1934

     ----           Fonetika nivxskogo (gilqkskogo) qzyka. UHPEDGIZ 1937

 

これらの著作でKreynovichは一貫して抱合inkorporirovanieではなく総合(統合とも言う)sintetizm=synthetismという用語と概念によってニヴフ語の構造を記述しようとしていた。この総合が抱合にすり替えられたのはPanfilovの第一論文 (P1. 1954, p. 13, line 33)だった。Kreynovich1958以降の論文でも何故かこのすり替えに抗議することなく、総合現象を抱合として扱い、いわば売られた喧嘩を買う結果になった。そのためにKreynovichの結論的な論文(K2. 1966)では、上にあげた (2b) のように、動詞複合体の枠のなかの前接要素だけを抱合の定義の加えるという修正を提案している。こうして総合の枠の中に抱合を位置づけることによって抱合対膠着というPanfilovの理論的錯誤を救う結果にさえなったと見られる

 この10年に及ぶ抱合対膠着論争では当時スターリン『言語学の諸問題』のほとぼり未ださめやらぬソ連言語学会でなお党派的な論議が展開されていたのだが、思えば、その頃「西側」にいたわれわれは初期生成理論や古典的類型論の論議に熱中していたものだった。そのような国際的な言語論争の時期に、ソ連ではこの理論的錯誤に基づく議論が大手を振ってまかり通っていたのであって、改めて驚くほかはない。政治的理由による学問の孤立と立ち後れのひとつの典型例である。

 

2. ニヴフ語の動詞語幹接頭

2.1. 代名詞的要素の接頭

 高橋1942はその11項「接頭詞」(p. 26) で「接頭詞は接頭人称代名詞(tS', n', pi, i)のみである」と述べている。例文は無く、括弧内の人称代名詞のうち再帰の pi の形は疑わしい。しかし動詞・名詞に接頭する要素が人称代名詞だけであるという指摘は一考に値する。Puxta 2002からこの例を拾うと次のようである(文末の数字はPuxta 2002の文番号、また (CT) Savel;eva/Taksami 1970を示す):

 

(4) a. tHa      nJl«Zit          habe (1412)(わたしを通り過ぎないでください(=必ずお立ち寄りください))

   PROHIB 1sg-l«Zi-PART ha-IMP=PL  l«Zir bidJ  通り過ぎる(CT)

   b. ni   cim«n«dJra. (1305)(私があなたに(つくって)あげる)

    1sg 2sg-im«-FUT-FIN-AFFIRM im«dJ(つくって)あげる, im«hdJ/kHidJ/ximdJ  (CT)

   c. ecpo d«f      «rk       pH «lÄdJ la ? (1104)(売店もう開いている?)

    shop house already  REFL-«lÄ-FIN-INTER j«lÄ-dJ 開ける / «lÄ-dJ  (CT)

 

ここで問題がふたつある。一つは形態論上の、いま一つは統語的な問題であって、それをK2 1966 の論議に引き当てて整理すると次のようにまとめられる:

 

(5) a. 動詞に接頭した nJ-, c-, pH-は自立形式ではなく、拘束形式である。(それぞれの自立的代名詞は

   nJi, ci/tJi, pHi, ifである。)

     b. それらは、統語的に解釈すれば、いずれも後続動詞の直接補語(((論争の用語でprqmoe dopolnennie

   である。

  但し、上記高橋の括弧内の (..,i) は上例の (4c) j-«lÄ-dJ /«lÄ-dJ の、及び下の(7a,b,c) ような場合を指

  すと思われる。この他動詞接頭辞の問題は後に触れる。この内 (5a) は上の抱合の規定 (1a), (2a)

  対応する。また(5b)(1d)の特殊化である。

 

 この二点は一つの語構成規則に一般化できる。すなわち:

 

(6) a. {VP  x + Vt- } → {V-} 但し、Vt は他動詞、xは任意の代名詞の拘束形式、{ } は語彙的単位を

   示す。

  b. ことば化すれば、「任意の代名詞の拘束形式と他動詞(語幹)を接合すると動詞(語幹)ができる」

   となる。ここで V は他動詞であるかどうかは下で触れるように決まらない。

 

  三人称の接頭辞については問題が多い。K1 1958 は3人称代名詞的な要素 j-, i-, /-(まま)が古い他動詞に接頭し明示的直接補語と交替するとして、次のような対をあげる:

 

(7) a. nJi jardJ (私養った): nJi qan-ardJ (私犬養った)

   b. nJi iÄdJ (私捕った): nJi co-xudJ(私魚捕った)

   c. nJi /vdJ  (私たないてた): nJi tJago-vodJ (私マキリたないてた)

 

ただPuxtaさんの資料に次のような例がある:

 

(8) pHahky      p«xkit       /nan«dJ         fora (420)(窓はペンキできれにしなければね)

  window-pl color-INSTR /-paint-FUT-FIN let^us (pHahky は絶対格目的補語、/-と呼応)

 

人称接頭ではこのような呼応関係をもつ統語関係(3人称接頭辞が外置きの絶対格目的語と共存する)が可能なようである。だとすると、ニヴフ語の項計算には条件を付さなければならなくなろう。また3人称接頭可能な動詞の種類も特定しなければならない。いずれも今後の検討課題である。

 

2.2. 名詞接頭

 構造 (6a) xに裸の名詞が入ることもある。この位置はもともと絶対格を要求するから、本来は明示的な格標識はつかない。典型的にはco-N«NdJ(漁する:co  Na-N«NdJ(猟する:Na 獣)のような場合である。Puxta 2002には次のような例がある:

 

(9) a. niax          pHiÄret                        NaN«Nguve! (1403)(私を連れて猟に行かせてよ)

   1sg=CAUSEE REFL-accompany-PART beast-take-CAUSE-IMP=PL

     b. cr«rX mu xl«da (602) (岸辺に舟を着けよう)versus

     shore-DIR ship approach-FINAL

  c. tur xr« urdJra. mxl«dJda (605) (この岸辺がいい。舟付けしよう)

      this shore good-FIN-AFFIRM. ship' approach-FIN-FINAL

 

 特に((9c)では(9b)の舟muの語幹母音の脱落によって縮約されて動詞に前接している。この類は生産的である。Panfilov 1965, vol.2.§3-§17はこの種の例を多くあげている。例えば、cx«v-n«dJ (熊祭する)の前接cx«f  熊は日用語ではタブーであるが、合成語で生き残ったもので、この類の典型である。

このことから次のことが言える:

 

(10) (6a) {VP  x + Vt- } xは代名詞拘束形だけではなく、名詞絶対格語幹かその略形であり得る。そこ

  でxXに置き換える。Xは名詞絶対格語幹を含めた範疇を指す。すなわち

  (6a') {VP  X + Vt- }{V-}

 

2.3. 動詞語幹接頭

 出動副詞が動詞語幹に接頭することがある。rHadJidJ(どこに置く< rHadJidJcidJ)、  hudJidJ(ここに置く<hudJidJ, hudJ/ h«dJ=ここにある)など(Panfilov 1965,§15。接頭した動詞語幹は合成語主要部動詞の直接補語と見なせるので、 (6a') {VP  X + Vt- } Xであり得る。

 しかしこの構造条件を満足させるような動詞語幹接頭はなかなか見つからない。もっとも動詞語幹かそれの加工形がXに入ることもある。例えば viigerdJ (行きたくない、vii-vidJ(行く)+gerdJkerdJ(拒む))、oZij  molodJ (435)(起きたくない<oZdJ 起きる+molodJ いやだ)などがある(ここで動詞語幹につく-i(j) は動詞語幹延長辞のひとつ)。

これと紛らわしいものに次のような例がある:

 

(11) a. kaskaziya, ci rJatX vi-jvi-dJ-Na? (1101)(こんにちわ、あんたどこへ行くところ?)

     well-APP 2sg where-DIR go-DUR-INTER

    b. ninjaq nj-Ä4armaja, uNryt vi-n«-tэ (ちょっと 待って。すぐ行くから)

   a^little me-waite,  together go-FUT-CANVASS(勧誘)

 

しかしこの-jvi-はいわゆる継続相のアスペクト接辞である。これは (11b) vi-n«-dJ(行く<未来>)の-n«- と同様に、動詞語幹に接辞が直結した場合であって、これらの接辞結合は、vii-ger-dJ  などの動詞語幹の前接とは別である。

 つまり、抱合の構造テンプレート (6a') X に動詞語幹またはその変化形(+i/j)が入ることもある。しかしその例は多くはない。それには語彙的制約とある種の形態変化があるらしい。

 

2.4. 動詞重畳

 Puxta 2002に次のような例がある:

 

(12) tHa   mu        sorXcorGuya! (舟をゆらゆらさせちゃだめだぞ)

  PROHIB shi=ABS shake-shake-CAUSE-IMP

 

 ここから他動詞の重畳がやはり他動詞で直接補語を統語的にとることが分かる。これが原則であるなら、他動詞重畳接頭要素は (6a') のように動詞の項が変わり得るという条件を満足しない。他の重畳の例にも反例を見ることはできないので、ニヴフ語では同一の動詞語幹が抱合要素になるとは言えない、つまり動詞重畳は抱合の結果であるとは言えない。

 しかし動詞重畳は、第一要素が語幹の接頭であるので、全体が合成動詞であることに変わりない。第2要素の語頭子音交替が単純に音韻的条件に基づく連濁ではなく、語構成と統語構造などの文法関係によるならば(白石英才2006他の諸論文参照)、ニヴフ語の重畳は抱合のテンプレートを利用しながら、(6a') のルールにはずれていることになる。

 

3. ニヴフ語の抱合と膠着

3.1. 動詞語幹接頭と抱合

 ニヴフ語には(6a')のような接頭構造類型がある。もしこの語構成内部構造類型を抱合と呼ぶならば、ニヴフ語の抱合はMartin Baker 19881996が考えたような無差別な疑似変形操作による造語ではなく、厳格に(6a')の構造規制を濾過した慣用的造語だけがそれに属することになる。すなわち、被接頭要素は名詞類と動詞の拘束形式だけ、接頭要素は他動詞だけであり、他動詞の項の変化を伴うこともある。

 

3.2. 動詞語幹接尾と膠着

 ニヴフ語の動詞語幹にはいくつもの種類の接辞が重なって付く。接辞には右にも左にも開いたもの、左だけに開いたものなどあるが、どれも拘束形態素である。一例をあげる:

 

(13)  ci  maNgo-qarH  ja:rH   lax          pH-«rHp-Ä«t-ku-rHa-dJ-Na?Panfilov1965, p.78)

   you  strong-COND why  black cloud REFL-hide-CON-CAUS-HAB-FIN-QU

     (お前、強いのなら、どうして黒雲に自分を隠してしまってばかりいるんだ?)

 

このような文末の5形態素連続は決して珍しくない。一般に動詞語幹の右に展開する形態素連続は次のようである:

 

(14)  Vstem-Ä«t(CONCL)-iv(u/i)(DUR)-gu(CAUS)-n«(FUT)/-in«(INTEND)-x«/ ta (ITER/HAB)

     -dJ (FIN) -gu/-ku(PL) -ra(AFFIRM)/-Na(QU)

     但し、 : concatenation, / : disjunctive selection,: category boundary for final markers

     (cf. KANEKO 2005, p. 9)

 

各形態素の属性、機能、パラダイム、順列についてはまだ分からないことがいくつもある。これらについては論を改める。しかし少なくとも以上の論議と (14) の接辞連鎖をみる限りでも、動詞語幹の右に連なる接尾辞の連続が典型的に膠着的である点に注意したい。

 以上からニヴフ語では他動詞への名詞語幹相当拘束形式の接頭だけが抱合的で、接尾辞の連鎖が膠着的であることが分かる。この文法的技術は、Panfilovが考えていたようには、互いに矛盾することはなく、共存できる。一方で、抱合と膠着が結合しても、それだけでこのような語構成を直ちに総合的、いわんや複総合的と言うわけにはいかない。ことをはっきりさせるためには、まず総合的という語構成の技術を再度明確に定義しなければならない。このための手懸かりとなるのは、Sapir が名著『言語』の「言語構造類型」の章で「総合性」と「技術」を二本立てにして形態素連鎖のための文法操作の類型を分析していることである。彼はここで抱合を配置していない。それを複合語に含めたからであろう。彼は一貫して抱合を語形成技術と見なしてきたが、その見方が正しいとすれば、それは彼の言う「総合性」(分析的、総合的、複総合的という形態素結合類型)とは別の捉え方をすべきであろう。この問題もいずれ論を改める。

 それにつけても、かつてのレニングラードでの論争は多くの資料的かつ理論的な点についてはかなりの寄与をしたことは確かであるが、思えば、畢竟、見当違いの論争であった。

 

 

ニヴフ語抱合再論註

口頭発表論文(予稿集に掲載)に最小の訂正を加え、そこでは触れなかった問題を注記の形で以下にまとめて補遺とする。

 

1:この論争には尾ひれがついている。それは論争終結後18年を経てジューコヴァ氏が下のような論文を同じく『言語学の諸問題』に掲載したからであるが、氏は専門のコリャーク語の例によってニヴフ語とは異なった現象を提示したにすぎない。彼女のこの論文にはかつての論争がpolysynthesisincorporationとを混同したという理論的誤謬について気づいているふしもない。総じて、この論文は議論を深めたのではなく、抱合に関する問題についての彼女の無理解を示したに過ぎないように思われる。

 Жукова.В.З.(1984). Инкорпоративный комплекс как слово-сочитание а языках чукот-камчатской группы.   

  ВЯ 1864-6

 

2:この論争は、ニヴフ語の本格的研究の開始を告げるものとさえ言えるので、多くの論点はそれぞれに新鮮で注目に値した。そのなかで今日的研究状況からみても未だに注意すべきものをいくつか取り出してみる。

2. .語頭子音交替の規則が提案された(P1)。この詳細は金子1999(CES2), pp.6-7, 38にあるので繰り返さない。パンフィーロフは語頭子音交替をサンディー規則と考えているので、この交替の原因については十分な記述をしていると思われない。しかしここではこの詳細も割愛して、論議のさらなる出発点を白石英才氏の学位論文、特に第4章に求めたい:

 Topics in Nivkh Phonology.Proefschrift. Rijksuniversiteit Groningen 2006(Groningen Dissertations in Linguistics  

 61)

2.2. 抱合に関わってニヴフ語の動詞複合体verbal complex, converbsの構造が随所で問題になった。それは単純化すると次の1aの構造をもつ。 X 1b の右の[ ]内のどれかである。それぞれ1例だけを1cにあげる:

1)a. [V Vst -(Suf)n -X V-]

   ここで(Vst:動詞語根、(Suf)n : 可能な接辞連続、X:派生接辞)

 b.  X =  φ

           -ij(語幹延長接辞)

  .        FIN (= dJ/-tJ(定形接辞))

           PART (=-t/-r(副動詞接辞))

 c. i) pHr«u urdJÄuda (勉強できるようになるんだよ)<pHr«u(「勉強する」語幹 Puxta 516

    ii) ozij gerdJ oz+ij:語幹oz-(起きる)+ -ij(語幹延長接辞)(起きたくない)Puxta 435

    iii) kapusta taftJ sidJ (キャベツを塩漬けする) Puxta 912

    iv) purdoX vij-n«-t t«NzdJra (ハバロフスクへ行く(+未来接辞)計画です)Puxta 1204

 ニヴフ語における動詞複合体については別に詳しく論じるつもりである。

2.3. 動詞の項特性について注目すべき論議があった。とりわけP2でいくつかの動詞がロシア語的な見方とは違って絶対格の項をとることが指摘された。その典型例は本文の例文(3a, b, c)であるが、それを再録してさらに増補する:

(3) a. nJi   tHiftJ-rHivdJ (私はベンチに腰掛ける)

      1sg bench=ABS-sit=FIN (rHivdJirHptJ tHvidJ

   b. nJi    tJagoÄe    tuxke  pH-«k«n-kHimdJ (私はナイフと斧を自分の兄に渡した)

   1sg  knife=COM ax=COM REFL-brother give=FIN kHimdJimGdJximdJ

    c. nJi  huxt hur-xrodJ (私は長衣をそこに掛けた)

     1sg  robe=ABS there-hang=FIN hurxrodJ

ここで(3c)hur-は副詞であるとSavel;eva/Taksami1970 は言う。だとすると、これは副詞抱合とみるべき例である。他に用例を見ないので、この抱合が生産的だとはまだ言えない。またhur- 派生的で動詞hu-dJ(ここである)の副動詞形と見ることもできる。

増補分:

 (3) d. nJi    tJago   pH-«k«n-kHimdJ (私はナイフを自分の兄に渡した)(K2から

    e. nJi taqi-xrodJ (私はトバ掛けに掛けた)(K2から

    f. nJi  haXckuqHrobuin  oq xrodJ 衣紋掛けにマントを掛けた)Savel;eva/Taksami1970

      эGrodJ の項

      haXckuqHrobuin haXc-kuqHrof-uin (着物−掛け場−へ)

(3b,d)はともに3項動詞kHimdJimydJ(与える)が受益者を抱合して対象を絶対格で前置きしている例である。(3b)では対象に共格がつく。この格は他の振舞いからも格接辞ではなく副助詞的な機能をもつと考えるべきだろう。ここで3項動詞の受益者が対象と同様に絶対格扱いで被抱合要素になることに注意したい。(3c,e,f)を比べると、(3f)が全ての項を明示した文、(3c)は場所を指示して、(3e)が場所を特定して対象(干物用の魚)を暗示する文である。被抱合項はいずれも場所の表示である。それは位置格 -uin として明示されることもある(3f)。一方、対象は明示されるか含意されたりして抱合されることはい。深層格を考慮するとこのように解釈されるが、抱合された場所要素は形態的にφ語尾である。抱合という文法操作にとって必要なのはまさにこの条件であろうと考えられる。

 

3:Panfilovの第一論文 (P1. 1954, p. 13, line 33Krejnovich 1934, 1937の統合sintetizm=synthetismを抱合inkorporirovanie=incorporationにすり替えたことがこの論争のそもそもの原因になっているように思われる。このすり替えが多分に政治的意図によるかどうかは勘ぐりになってしまうので避けるとしても、Panfilovがこの概念を混同しているらしいのはやはり解せない。一般に、抱合とは統語要素を取り込んで合成語を形成する形態・統語な語形成操作の一つではあるが、その操作は(複)総合技術(poly)synthesisの限られた一つに過ぎない(Sapirの諸論文、特にSapir 1920, p.120ff.参照)。抱合の操作を行うにあたって何をどう操作するかは言語によって違っていて、言語ごとに個別の特性をもつ。ニヴフ語の抱合は大変に限定的な要素を動詞に前接して複合動詞を作る操作であって、この操作を持つことをもってニヴフ語が総合的言語類型に属するとはとうてい主張することは出来ない。一方で膠着的agglutinative(池上二良先生は「接合的」という用語を推奨するが、原意はやはり「膠」に基づく)というのは語幹に接辞や倚辞を貼り合わせていく複合語形成の技術であって、これに対立するのは孤立語連鎖、内部屈折、接辞結合である。どこを見ても抱合が膠着と対立関係にある文法的操作であるとは思えない。Panfilovの問そのものが筋違いであり、木によりて魚を求めるの類である。一方でKrejnovichは抱合が膠着と共存してどうしていけないかと開き直ることもしていない。これも彼の学識を考えると解せない反応であった。

ちなみに、イテリメン語はチュクチ語やコリャーク語と一緒にチュコト・カムチャトカ語族に編入される習慣であるが、どの言語も高度に複総合的polysyntheticで複雑な語形成技術を利用する。しかしこれらの中でイテリメン語だけは抱合を持たない。この言語はpolysynthetic且つ非incorporativeである。また日本語は広範囲に抱合操作を利用している。しかし膠着的である。これらの事実は抱合という操作が総合性・膠着性とは別の文法操作であることを示している。

 

K2は不定三人称接辞 i-/j-/э- の接頭についていくつかの重要な問題を指摘した。第一に、これらの接辞が古い他動詞に接頭して項を1分減らす。例えば例文(7)のようである。つまり(7a)では jardJ (養った): qan ardJ (犬を養った)のようにj- がつくと目的語がなくなる、つまり項が減る。これら接頭辞が項を一つ減らすから、2項動詞は1項動詞に3項動詞を2項動詞に変える。一般にどの動詞も特定の種類の項をいくつか支配する。多くの言語で動詞ごとにいわゆる必須項が定まっていて、その規定を外すと非文になる。この必須項実現に関する適確性の程度は言語によって違っていて、ドイツ語では厳しい。代名詞化が必須になる。アイヌ語でも項は文の適格性と深く関わって、項のやりとりに関する計算が充当接辞など多くの文法現象に関係している。中川裕の諸論文が随所で指摘しているとおりである。ところがPuxta2003はつぎのような文をあげている(再録):

(8) pHahky      p«xkit       /nan«dJ         fora (420)(窓はペンキできれにしなければね)

  window-pl color-INSTR /-paint-FUT-FIN let=us (pHahky 窓の複数は絶対格目的補語、/-と呼応)

ここでは接頭辞/- が項を減らしていない。その意味でpHahky は冗長 redundant である。しかしこの文は適確であるので、これら不定代名詞接頭辞は厳格な項計算に関わらないのかもしれない。要調査項目のひとつである。これに関連して、ニヴフ語には v-/o-/u- の相互代名詞的前接辞がある。k2には次のような例がある。副動詞の前に「手」を表す名詞が重畳して、それに前接辞がつくという解釈の難しい文である:

    oGlagu u-dym-rum-vot lэrdJ(子供達はお互い(の)手をとりあって遊んだ)

 子ども-PL REC---持つ-PART 遊ぶ-FIN

 

5:K2では古い動詞にはこれらの不定代名詞接頭があるというが、どのように古く、どの動詞が古いかは語っていない。確かに基礎的な動詞にこの傾向は見られるが、特定する必要がある。また方言間の差異も調べなければならない。後の問題は北西方言語と南東方言のどちらが古いかという未解決の問題

にも関わる。

 

6:PanfilovはこのX に入る名詞に共格と複数接辞が付き得ることをあげて、これが拘束形式ではなく自由形式であると言い、従ってこの構造が抱合ではないと主張する。しかしこの二つの接辞は格標識ではない。副助詞的な用法をもつのかもしれない。また先に触れたように、この論争の論文では動詞句内部の要素をすべてハイフンでつないで、例えば次のkHu-gHo以下を動詞句全体をひとまとめる習慣であったが、この表記法も論争を混乱させた。ここではハイフンを外しておいた。例:

    a. hoÄat men kHu-gHo pundJ-gHo bod vidJ-Äu (そのとき人々は矢と弓とをもって出かけた)

     then  they arrow-COM bow-COM hold-PART went-PL

  b. hoÄat if rajudJ-Äu urudox qHaudJra (そのとき彼は詩を読まなかった)

      then he poem-PL read-DAT do^not

 

7:(14) の接尾辞がいくつも連なって現れることは稀である。だいたい2〜3接尾辞が結合するだけで、無理に結合すれば相互に意味的な矛盾が起きてしまうケースもある(結果相と習慣相など)。また接尾辞接合の順序にもまだ問題がある。これについてはこの論文を増補した英文論文(CES11掲載予定)で論じるつもりである。

また(14) の左端の Vstemの更に左がこの論文で問題にした抱合要素((6a')X)の立つ位置である。このようにX^ Vstem......全体の連鎖がニヴフ語の抱合を含む動詞複合体を形成する。

 

参考文献

Baker, M.C. (1988), Incorporation, Chicago Univ. Pr.

Baker, M.C. (1996), The Polysynthesis Parameter. Oxford Univ. Pr.

金子亨(1999)「ニヴフ語抱合論争」『千葉大学ユーラシア言語文化論集』CES 2

KANEKO, T. (2005), Nivkh Time Expressions 2, CES 8

Krejnovih,E.A. (1934). Nivxskij (gilqkskij) qzyk.in:"Qzyk i pis;mmennost; narodov Severa" AH

Krejnovih,E.A. (1937, Fonetika nivxskogo (gilqkskogo) qzyka. UHPEDGIZ

Krejnovih,E.A.(1958), Ob inkoroporirovanin v nivxskom qzyke. VQ 58-6 (K1)

Krejnovih,E.A.(1966), Ob inkoroporirovanin i primykanie v nivxskom qzyke. VQ 66-3 (K2)

Panfilov,V.Z.(1954), K voprosu ob inkoroporirovanin-na materialax nivxskogo qzyka. VQ 54-6 (P1)

Panfilov,V.Z.(1960), Problema slova i "inkoroporirovanin" v nivxskom qzyke. VQ 60-6 (P2):

Panfilov,V.Z.(1966), K tipologiheskoj xarakteristike nivxskogo qzyka. VQ 66-5 (P3):

Panfilof,V.Z.(I : 1961, II : 1965), Grammatika nivxskogo qzyka, AH CCCP

Puxta, M.N.2002 , Nivxsko-russkij razgovornik i tematiheskij slovarь. ELPR A2-017 (MN):

Sapir, L.(1921), Language.An introduction to the study of language.Harvest Book (and other publs)

Savel;eva,V.I./H.M.Taksami (1970) : Nivxsko-Russkij Slovar;. Изд-во Советская Энциклопедия

白石英才 (2006)Topics in Nivkh Phonology. Groningen Dissertation Linguistics 61. Rijksuniversiteit Groningen

高橋盛孝 (1942) :『樺太ギリヤク語』大東亜語学叢刊 朝日新聞社昭和17年

 

         Nivkh incorporation revisited (resumé)

 

In CES (=Journal of Chiba University Eurasian Society) No.2 (1999) pp. 1-50 I summarized the discussion on Nivkh incorporation in the years 1954-1966 at the Soviet Academy Leningrad Division which was carried out in form of a rather personal dispute between E. A. Krejnovich and V. Z. Panfilov. Krejnovich described the main grammatical structures of Nivkh language with the claim that it makes use of the grammatical operation of incorporation to form verbal compounds, while Panfilov insisted that Nivkh belongs to agglutinative structure types without incorporation because all kinds of verbal arguments preceding verb stem are independent nominal phrases. However, it seems to have prevailed in the whole process of discussion a kind of theoretical misunderstanding that the grammatical operation of incorporation would be in opposition to the language type of agglutination and constitute an element of (poly-)synthesis. And this misunderstanding has not been overcome during the whole discussion perhaps because of the miserable international isolation of Soviet linguistics.

In ten years' discussion it has become clear that this language has, in fact, a specific affixation type which can be regarded as incorporation. First, on the left side of the transitive verb stem there can stand only one bound morpheme which is attached to the verb stem to make a verbal compound. The prefixation to transitive verbs is thereby limited to one nominal/nominalized bound morpheme which is irrelevant where it comes from. We can formulate the template of the incorporation structure of this language as follows:

(6a')  {VP  X + Vt- }  {V-}

 where X: a bound form of nominal/nominalized categories, Vt-: a transitive verb in bound form open to the  right, V-: a bound verb form open to the right, it is, in principle, intransitive, { }: marks a lexical category.

Here, we have one problem open: the compound is intransitive in most cases. But there are some cases that it takes a direct object which correlates to the prefixed bound pronominals. This seems to disturb the arity calculus of the argument structure of this langauge. Second, as Panfilov insisted, between X and Vt- there can occur at least two types of particles: comitative -x« and plural suffix gu/ku/... He regards this as the crucial evidence for the agglutinative concatenation of noun phrases governed by the verb, namely the evidence against incorporative hypothesis. However, he overlooks here the possible structural difference between incorporative compounding and syntactic argument arrangement.

Anyway, the verbal complexes of Nivkh have in principle a long chain of bound morphemes like the following:

 

(14) Vstem -Ä«t(CONCL)-iv(u/i)(DUR)-gu(CAUS)-n«(FUT)/-in«(INTEND)-x«/ ta

   -dJ (FIN) -gu/-ku(PL) -ra(AFFIRM)/-Na(QU)

     where : concatenation, / : disjunctive selection,: category boundary for final markers (cf. KANEKO, T.,

     Nivkh Time Expressions 2, p. 9 in CES 8 (2005)

 

 This morpheme chain shows a clearly agglutinative suffix concatenation. And it is important for our issue that on the lefr side of Vstem there can occur only one bound item, namely a nominal/nominalized argument morphologically derived from transitive object. This means that Nivkh language makes use of an incorporative operation to make a compounding verbal form (6a') above. Therefore, we have to conclude that this language, belonging to agglutinative structure types, utilizes this grammatical operation in a very restricted way. In short, Nivkh belongs to agglutinative language type with incorporation. This understanding of the problem is not in opposition as was supposed in the discussion in Leningrad a half century ago; we think that the incorporation is nothing but a grammatical operation of word formation which is, in principle, indifferent to language structure types.


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