思いだすこと
         


                         昭和38年入学  チェロ 吉村 彰雄(理)




 昭和61年卒の中西さんから投稿依頼のメールをいただき、ホームページを見て、もうすっかり古い古い世代なのを再認識いたしました。とりとめもなく、昔昔の、部員数が今の1/4くらいのころについて書いてみようと思います。手許に当時の写真がないので、間違いがあるかもしれません。指揮者、コンサートマスターなど演奏会そのものについては、他の方にお願いします。


 大学に入学したのは積雪1.8 mの豪雪の年で、入試は香林坊近くの旧四高講堂で受けました。高校では音楽ではなく工芸を選択し、部活でもしつこく粘土をこねていました。大学では、入学式を待たずに美術部に入りました。同じサークル棟(石川門から入って先の学食の2階)のオーケストラに入ったのは少し遅れてでした。オーケストラが自分にはとても新鮮に思えたから入ったと思います。中学のころ、母の友人の役 所勤めのおばさんに連れられて行ったスポーツセンターでの労音の演奏会(東京フィルかなにか)で、屋根に降る雨の音と一緒に聴いたとき、合奏特に低音はすごいなと ただあこがれた覚えがあります。チェロは弾けないし、楽譜も読めないし、部員としてはなにか落ち着かない日々だったように思います。春の合宿はだいたいどちらも鶴 来の白山公民館で、懐かしいところですが古い木造だったからもうとっくにないことでしょう。どんないきさつだったか、和田先輩のチェロをゆずってもらいました。和田先輩の下宿で、なんでもこなせた中野先輩、同級のコントラバスの小宮山さん(のち団長)らと麻雀した写真があったと思います。小宮山さんとホルンの米田薫先輩(昭 38, 39団長)は同じ下宿でした。団体活動のクラブの性格上か、美術部よりオーケストラの演奏会練習、演奏旅行などの方が印象が強いようです。3年の定演(26回)のベートーベンの8番、その前のバッハの3台のチェンバロ(ピアノ)協奏曲などが懐か しい。オケラ (オケのことです)のすぐ向かいの部室の合唱団に高校の2年先輩の中田 薫さんがいました。観光会館での音研との演奏会(25回)に賛助出演されたと思いますが、NHKに就職され、そのしぶい?ニュースを聴くたびに、当時を思い出したものです。大先輩のコントラバスの小幡さん、ビオラの鈴木さん、オーボエの川崎さんなど も熱心に練習にきてくれました。団長はだいたい3年生でしたが、米田先輩、ファゴットの山ノ井先輩など大学院生も現役のように活動していました。お昼の休みや空いた時間は、だいたいどちらかの部室で過ごし、休みでも日に一回は顔を出しました。 フルートの高木先輩は、国鉄に勤務され北陸トンネルでの事故処理で苦労されたよう です。


 秋の芸交祭(主に北陸三大学の文化系クラブ交歓会)では展覧会と演奏会が重なるしで、2足のわらじを履いて本当にどうなることかと思いました。3年になったころには、もう12月の定演まででやめようと内心で決めていました。ビオラの雑賀先輩 (元団長)は”吉村は入ってきた頃は続かずにすぐ辞めると思っていたが、もう辞めない”と、言われるのをどうかなと聞いていた覚えがあります。クラブを辞めようかと いう人には、続けるよう勧めていました。新入生だったチェロの寺田さんの朝練習につきあったり、精いっぱいしたつもりでした。定演が終わり、私は活動を終えました。同級の井上さんはじめ、特にチェロの人たちには勝手さから迷惑をかけたことと 思います。寺田さんと同級のコントラバスの鵜飼さん(のち団長)が卯辰山の下宿の屋根が台風で飛び、うちに下宿していました。私が遅くに帰ると、母は連中と賭けない麻雀をしていて、私は部屋のすみでご飯を食べたことがしょっちゅうでした。部屋のすみでは、孫崎さんがバイオリンをよく磨いていましたし、管の神田さん、折坂さん、早川さんなどもいましたが、麻雀しない人も集まっていたのでどちらだったか覚えていません。うちで新年会をしたこともあるけどそれは、鵜飼さんや寺田さんの入学前のことと思う。クラブ中退にも拘わらず、こうしておつきあいできるのはありがたいこと で、修士2年のときには少し弾かせてもらった気もします。


 当時はチェロを布カバーかソフトケースに入れて運ぶのが普通でしたが、川原さんは大事にしていたのをエレベーターの人混みに押され壊してしまったという記憶があり ます。ハードケースも買ったけど、もうしまい込んだままです。十年以上前、娘がピアノを習っていた頃発表会でちょっと一緒に弾いたくらいです。でも、オーケストラ でチェロを弾いてよかったと思います。雑賀先輩は大阪の小松製作所に勤められ、市民オケに誘ってくださいましたが、なかなかそんなゆとりはなくて果たしていません。最近、札幌の三岸好太郎展案内のカード、オーケストラを見つけ、本棚にピンア ップしました。


 ものずきにも、楽器に触れずに演奏できる原始電子楽器のテルミンを、去年オークシ ョンで手に入れました。合同宿舎にはスペースがないので、車に積んでいます。車で 使っているAC電源で外で練習できるわけですが、未だそのままの状態です。カザルスが演奏しているカタロニヤ民謡の鳥の歌は、もういろんな楽器、合唱隊などで演奏されていますが、いつの日か金沢の古い家(築100年)で弾けるように、なんとか身体 をもたしたいと思っています。

 



 最終更新 2003/6/9