ピコ通信/第6号
発行日1999年2月20日
発行化学物質問題市民研究会
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廃棄物問題市民活動センター内
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目次

  1. 連続講座第U期(1999年度)のスケジュール決定
  2. 第T期・後期連続講座第5回−シンポジウム「どうなる!日本の化学物質法制度」/立川涼さん(高知大学長)の基調講演から
  3. ホルモン撹乱、京都会議で新たな知見が続出/前号の続き
  4. 海外情報/欧州連合 環境ホルモン行動計画策定へ
  5. 特定化学物質の環境への排出量等の把握及び管理の促進に関する法律案(仮称)/平成11年1月 環境庁・通商産業省
  6. 事務局から
  7. 化学物質問題の動き(99年1月)
  8. 編集後記

2.後期連続講座 第5回−シンポジウム「どうなる!日本の化学物質法制度」
  立川涼さん(高知大学長)の基調講演から

99年1月30日 立川涼さん(高知大学長)の基調講演の概要を研究会でまとめました。

化学物質全体をどう受けとめるのか
 化学物質の問題は個別にではなく全体でとらえなければならない、その背景みたいなことをお話したいと思います。
 焼却というごみ対策からダイオキシンが発生したことは象徴的です。大量に化学物質を使ってきたことへの警告かもしれません。今までの延長線上で21世紀を語ることはできません。新しい社会経済システム、新しいライフスタイルを考えなければいけない時にきています。
 化学物質は生産活動や雇用だけでなく私たちの生活のあらゆる面を支えているので、そこから逃げるわけにはいきません。社会のあり方や文化にも影響を及ぼしています。フロン一つをとっても、それを使った冷蔵技術によって農業生産から食生活まで変わったし、情報機器もエアコン技術なしでは考えられません。
 学問的には1800万、商業的には10万くらいの化学物質があり、その総体は巨大技術、社会制度の一部といってもいいものです。それは、さまざまな悲劇を生みだしてもきましたが、対応は個別的に終始してきました。個別ではなく総体としての化学物質の問題に真正面から取り組んで、どうつきあっていくのか、どう安全に使いこなすのか、考えなければいけない時代にきています。

毒性問題に満点の答えはない
 人類の歴史は300万年ですが、産業革命の原材料はすべて天然の物でしたし、化学物質の使用が拡大したのはここ50年くらいのものです。ほんの一瞬といってもいいですが、そのスピードの激烈さはいかに強調しても追いつきません。急速な展開の中で、充分に配慮しながら使用してきたとはいえないわけです。
 一番の問題は毒性、安全性ですが、一つ解決しても、思いもよらない別の毒性の問題が出てくるというように、終わりがありません。科学は毒性問題について満点の答えを出したことはありません。科学だけではなく、社会問題であって、社会で答えを出すべきです。
 有機塩素系化合物を例にとると、非常に安定な結合で、非常に酸化されている、だから体内でエネルギーにならない、分解されない、それで特に問題となっています。毒性は時代とともに変わります。DDTは殺虫という毒性を期待してつくられたものだから、汚染のないようにそれなりの配慮がされました。PCBは毒性を目的としていないので、毒性がわかるまで時間がかかったし、これで安全をチェックするべき物質が拡大したわけです。
 ダイオキシンは不純物であり、二次的生成物なので、これで主目的の物質だけでなく、そこまでの安全性チェックの配慮が必要となりました。これは現実には非常にむずかしいことですが。さらにフロンは、地表で使う限りは人畜無害の安全なものです。しかし分解しないために上空に上がってオゾンを破壊します。考えてもみなかった、ちがう次元の毒性です。これからもまたちがった次元の毒性が出てくると考える方が当然だと思います。
 安全や毒性のレベルというのは科学や技術ではなく、社会的な概念です。時代と場所によって評価はいくらでもちがってきます。ノーベル賞が与えられたDDTも、今では基本的に否定されています。農薬などは、日本では安全でも、途上国では安全に使用する環境制度が整っていないので、被害を起こしてしまうということもあります。
 なお、熱帯の発展途上国で経済が発展し、化学物質の使用量が増えることは新たな問題を引き起こします。ここでは蒸発しやすくて、空気中へ移行する率が高いので、気流にのって地球全体に広がりやすいのです。

おそまつな日本の行政
 今日の本題の化学物質法制度については、私は素人なので、化学物質にずっとかかわってきた者として感じたことを申しあげます。
 日本の行政は量・質ともに非常に厳しい状態にあります。アメリカのEPA職員は2万人、日本の環境庁は千人です。行財政改革の中で人員削減が言われていますが、機械的な議論は問題です。日本では教育とか環境とかでみるかぎり、まるで人数がいません。縦割り行政のまま人数を減らし税金を減らすのではなく、どこに税金と人を使うべきか、公や民の役割分担をはっきり仕分けすることが本来の行財政改革です。
 行政の体質も、どちらを向いて仕事をしているかが問題です。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を受けてケネディ大統領がすぐに専門家に対策をとらせました。『奪われし未来』を受けてクリントンがすぐに対応して6つの法律をつくりました。国民の将来を左右るすような問題に対してはたいへんに感度がよろしい。日本とは彼我の差が非常に大きいといわざるをえません。
 また日本の行政には専門家がいません。2、3年で人事異動するので、属人主義に陥り、組織に情報・ノウハウが蓄積されません。過去から学ぶこともできず、責任の継続もありません。専門家がいないために、企業情報にたよってしまいます。ごみ処理の技術などは、企業による小規模な試験だけではなく、自治体による長期試験運転をしてみないと技術が完成しないので、そのことは必要ですが、まだ完成もしていない技術をすばらしいものだといって行政がとびついてしまうという現状は、税金の無駄使いになりかねません。
 縦割りの中で補助金行政が行なわれているので、経費を節約するという方向づけがなされません。住民が節水しようと努力するほど水道料金が上がるという仕組みになっています。 行政に緊張感をもって仕事をしてもらうためには情報公開が必要です。しかし日本にはそれ以前の問題があって、意志決定過程やほんとうに大事なことは文書化されていないし、公的文書を保存するという義務や習慣もありません。環境庁が引っ越す時に文書の3分の2を個々の判断で捨てさせたという話があります。そのため環境庁が出した文書が本庁になくて、残っていないかと私のところにも聞いてくる始末です。

市民の学ぶ義務
 どこに突破口があるかというと、NPOだと思います。今のような多元化価値社会ではトップダウンでものごとを動かしていくことは無理です。市民の側から政策化していく、ボトムアップというより、主権在民からいえば真のトップダウンでやっていくしかありません。そのためには市民が勉強することが必要です。
 今はインターネットなどで市民が専門家なみの情報を得ることができます。ゴア副大統領が『奪われし未来』の序文で、「市民には知る権利があるのと同時に学ぶ義務がある」と言っています。日本人は、知らせろというわりには知っても行動しません。知識を得るだけで終わりというのは日本の教育のせいです。ここで問題なのは、日本人が真の意味での政治的、社会的訓練を受けていないということです。過保護で、社会的成熟度が欠けています。そういう重い荷物をしょいながらも、私たち一人ひとりが問題を真正面から受け止めて、突破していく以外に展望はないだろうと思います。

化学物質問題市民研究会
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