ピコ通信/第148号
発行日2010年12月23日
発行化学物質問題市民研究会
e-mailsyasuma@tc4.so-net.ne.jp
URLhttp://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

目次

  1. 12月4日 化学物質問題市民研究会主催 NGO国際水銀シンポジウム 水俣病と世界の水銀問題 水俣から学び、強い水銀条約とする−上
  2. 水俣から学ぶ−50年の歴史から 原田正純先生(元熊本学園大学教授)(文責 化学物質問題市民研究会)
  3. 世界水銀条約に向けての水俣病被害者/支援者の声明 2010 年12 月4 日(発表:佐藤スエミさん/水俣病被害者互助会)
  4. 香料シンポジウムの記録/ 香料の健康影響 各務原ワークショップ(岐阜県)
  5. 海外情報:C&EN 2010年10月7日 ナノ粒子 食物網に入り込む
  6. 海外情報:欧州環境事務局(EEB)プレスリリース 2010年11月23日 世界のNGO連合 適切なナノ定義を求める
  7. お知らせ・編集後記


12月4日 化学物質問題市民研究会主催
NGO国際水銀シンポジウム
水俣病と世界の水銀問題
水俣から学び、強い水銀条約とする−上


■はじめに
 国連環境計画(UNEP)は、水銀条約を2013年に締結し、そのために5回の政府間交渉会合(INC)を開催することを決定しています。第1回政府間交渉会合(INC1)は本年6月にストックホルムで開催され、当研究会もNGOとして積極的に参加しました。第2回会合(INC2)は 1月24〜28日に幕張で開催され、各国政府、国際機関、世界のNGOsの代表が参加します。

■水俣と水銀条約
 水俣の悲劇を経験した日本でこのような会議が開催されるにあたり 世界のNGOsは、水俣の被害者や支援者らに水銀条約策定のプロセスに参加してもらうことが重要であると考えています。
 水俣の悲劇は、日本だけの問題としてではなく、世界中の人々によって共有されなくてはならず、その経験は水銀条約にきちんと織り込み、このような悲劇を二度と起こさない強い水銀条約にすることによってこそ、長い苦難の闘いを続けている被害者やその支援者に敬意を示すことができると考えているからです。

■シンポジウムの開催
 当研究会は日本の市民/メディアに水俣病と水銀条約だけでなく、この二つが密接に関連していることについても理解を深めていただくために、国際NGOの連合体であるZMWG/EEB及びIPENの支援を得て、水俣病に長らく取り組んでこられた原田正純先生、水俣病患者の佐藤英樹さんと佐藤スエミさん、支援者の谷洋一さん、そして、化学物質問題に取り組む国際POPs廃絶ネットワーク(IPEN)のジョー・ディガンギ博士とバン・トクシックスのリチャード・グティエレスさんを招聘して、「NGO国際水銀シンポジウム」を12月4日に東京で開催しました。
 このシンポジウムは、化学物質、廃棄物、環境、自然保護、電磁波、化学物質過敏症、労働、人権、脱グローバリゼーション、消費者などの問題や市民科学、大学ゼミ、環境問題に取り組む企業など59団体と52個人の賛同を得て開催され、シンポジウムは160人の参加者という大盛況でした。

▼シンポジウムの内容
 シンポジウムは、はじめに、第1部 「水俣病から学ぶ」、第2部 「世界の水銀問題」 という構成になっており、次のようなプログラムで行なわれました。

はじめに
  • 「開会挨拶」:藤原寿和(化学物質問題市民研究会代表)
  • 「日本の水銀問題と水銀条約の概要」:安間 武(化学物質問題市民研究会)
第一部 水俣病から学ぶ
  • 「水俣病被害者の闘いと今後の課題」:谷 洋一さん(水俣病協働センター理事)
  • 「水俣病被害者の報告」:佐藤英樹さん(水俣病被害者互助会会長)
  • 「世界水銀条約に向けての水俣病被害者/支援援者の声明」:佐藤スエミさん(水俣病被害者互助会)
  • 「水俣から学ぶ−50年の歴史から」:原田正純先生(元熊本学園大学教授) 質疑応答
第二部 世界の水銀問題
  • 「水銀:世界の問題とNGOの活動」:ジョセフ・ディガンギ博士(米)(国際POPs廃絶ネットワーク(IPEN)上席科学顧問)
  • 「途上国における小規模金採鉱について:フィリピンの事例」:リチャード・グティエレスさん(比)(バン・トクシックス代表)
  • 質疑応答
閉会
  • 「まとめと閉会の挨拶」:安間 武 (化学物質問題市民研究会)

 各講師による発表内容は、非常に感銘深いものであり、可能な限り記録として残し、多くの方々に読んでいただくために、講演録をピコ通信又は当研究会のウェブで公表する予定です。本号では原田正純先生の講演の概要と、「世界水銀条約に向けての水俣病被害者/支援援者の声明」を紹介します。 (安間 武)


水俣から学ぶ−50年の歴史から
原田正純先生(元熊本学園大学教授)

(文責 化学物質問題市民研究会)

■公害の原点の意味
 水俣病は公害の原点と言われますが、うちの大学の学生に何が原点なのかと聞いても、なかなかうまく答えられない。被害が深刻であった、被害が広範であった、あるいはまだ解決していないとか、それは全部当たっている。けれども、公害の原点と言われている最大の問題は、人類史上初めて環境汚染によって集団食中毒が起こったということです。これは案外知られていない。人類は火を焚き始めた時から一酸化炭素中毒のように、中毒とはつきあってきたのですが、環境汚染、しかも食物連鎖を通した中毒というのは、人類史上初めてなのです。そういう意味で水俣病はすごい意味があるのです。 それから、胎盤が赤ちゃんを守ってくれたから、その種は生き延びてきたわけです。ところがそのルールが無視された。胎盤をすいすい通って毒物が行ってしまった、ということが特徴です。少なくともこの二つの点において、水俣病というのは公害の原点といわれる重大な事件なのです。

■水俣病は突然起きたわけではない
 水俣病は、ある日突然起こるわけではない。その前に、様々な自然界の異変はあったわけです。例えば魚がいなくなったという時に、あの高度成長の時代、魚と人間とどっちが大事か、鳥と人間とどっちが大事かという議論が50年前にはあったのですが、鳥がいない、あるいは魚が住めないような環境に人間が生きているというつながりがあるわけです。
 水俣病でも、正式に発見される2年半前に猫が死んでしまったということが新聞記事になっています。しかし、新聞記者は面白おかしく書いているわけです。もしこの時、この記者が現地に入っていたら、もしかしたら水俣病の発見者になったかもしれない。

■自然の中で生きる人たちが被害者
 これが、正式発見第一号の患者さんの家です。現在もあります。これで分かるように、当たり前のことですが、環境汚染によって被害を受けるのは、自然の中で自然とともに生きている人たち、そういう人たちが真っ先に影響を受ける。そういうことを、ひじょうに具体的に私たちに示してくれているわけです。この家は、満ち潮の時は縁側から魚が釣れるくらいに、自然の中にぴったりと住んでいた人たちです。
 3歳と5歳の子どもさんが発病したのですが、5歳で発病したお姉さんの方はもう亡くなりましたが、3歳で発病したこの子は現在も生きています。しかし、この前総理大臣が来ましたが、家の前を車で通ったのでしょうが、その家の中に50何年も言葉を失って、自分のことはなにもできずに、オムツをしたままの小児水俣病の患者がいるなんて、思いもしなかったでしょうね。国道のちょっと奥にこの子はいるわけです。
 もう危ないと言われたことが何遍もあります。だけどその度にこの子は命を盛り返す。生命力が強いのでしょう。私は、少なくともこの子が生きている限り、水俣病に終わりはないと思っています。そういう意味では、この子は一日でも長く生きていてもらいたいと思っています。

■1956年5月1日は正式発見日
 この子たちも含めて、水俣病が正式に発見されたのは、1956年の5月1日です。なぜこの日かというと、医者は伝染病の疑いがある時には、保健所に届け出なければなりません。皮肉なことに、チッソの付属病院の小児科と院長が伝染病を疑って保健所に届け出た。この日が5月1日なのです。
 私たちも昔、5月1日を水俣デーにしようと提案したこともあったのですが、そのころは無視されていました。何年か前から5月1日が水俣デーになった。しかし、私は1回も参加したことはない。それは当時の患者さんたちが、この会には参加しないからです。患者さんたちが参加しない以上、私は参加しません。今年は初めて総理大臣が来ましたが、マスコミばかりで大変だった。
 子どもたちが次々発病したので、5月1日に発見されたわけです。そして、熊本大学の医学部が研究を始めるのは少し遅れます。最初は現地の医師会、あるいは私立病院、チッソの付属病院、保健所がいっしょになって調査を始めて、これは大変な事件だということで熊大に要請したのが、その年の8月くらいになります。そういうことで水俣病がだんだん広がっていきます。

■ハンター=ラッセル症候群の症状
 医学的なことでは、よくハンター=ラッセルという言葉が出てきます。イギリスの医者が有機水銀中毒の報告をしているのです。その報告を見つけたことが、水俣病の原因を明らかにする糸口になりました。
 ハンター、ラッセルさんは、有機水銀農薬を作っている工場の労働者が有機水銀中毒になった、その時の症状を報告した。その症状が水俣病の症状と一致することに気がつくことによって、水俣病の原因が明らかになっていったという経過です。これは臨床症状だけではなくて、亡くなった方の脳の症状も含めてハンター=ラッセル症候群と私たちは呼んでいるわけです。感覚を司る中枢神経と、運動のバランスを司る中枢神経と、視覚、聴覚を司る中枢神経が特徴的にやられるということです。

■毒は薄めれば毒ではなくなる?
 チッソの水俣工場で流した水銀が海に流れたわけです。当時の企業の考え方は、工場の中は自分のところだけれど、外はよそのうちと考えていたと思うのですが、水俣病から見れば、ここ(排水口)からが始まりです。チッソから見ればここからは外ですが。 今も水俣に行けばこの排水溝を見ることができます。それは水俣湾を汚染して、さらにその外の不知火海を汚染していったのです。
 私も学生時代に、希釈放流法というのを習いました。毒は薄めて流しなさい。毒は薄めれば毒ではなくなるという理屈です。これは一面では事実です。しかし自然界というのは必ず両面あるわけです。薄めるという働きもある代わりに、薄いものを濃縮するという働きも同時に持っているのです。ところが、私たちは近代化の過程で、人間にとって都合のいい方だけを優先してきた。これは水俣病が人類に向けて発信している教訓の一つです。
 海は広いな大きいなということで、毒は薄めて捨てなさい、毒は薄めれば毒ではなくなる。確かに不知火海は広いですから、薄まったわけです。しかし、海にはたくさんの人たちが生活の拠点として暮らしていたのです。

■50年前の漁村の暮らしを理解しない役人
 最近環境省のお役人たちと話をしていたら、そんなにみんな魚を食べたろうかと言うんですね。50年前に、ここの人たちが魚以外に何を食べたでしょうか。お店もコンビニもなかった。それを分からずに、みんなが魚を食べて、みんな同じ症状を訴えている、それは疑問だと言うんですよ。みんな同じものを食ったら同じ症状を訴えるというのはあたり前じゃないですか。50年前の暮らし、ここは典型的な漁村ですから、田んぼがない。当時は芋畑だったのです。芋を食べて魚を食べるしかなかったのです。そういう暮らしがあって水俣病があったということを理解しないと、ワッと車で来て、みんな魚を食ったろうか、魚が嫌いな人はいなかったのか、という変なことを言う。これは、学生を連れて行ったある日の食卓ですが、この中で海からとれていないのは、キュウリとビールくらいです。要するに海のものしか食べていなかった。

■原因と原因物質を一緒くたにしてしまう
 有機水銀中毒であることを明らかにするために、ヘドロの中から水銀が出てきたとか、魚から水銀が出てきた、猫に与えると水俣病になるとか、人間のからだからも髪の毛や血液、あるいは亡くなった方の臓器からも水銀が高く出てきたということで、完璧なくらいに熊本大学の医学部が、水俣病は水銀中毒であるということを証明したわけです。ここで問題なのが、原因と原因物質(病因)を一緒くたにしたことです。
 当時の医学部の先生は騙されたわけです。原因が分からないじゃないかと、一生懸命動物実験をしたのですが、原因は魚だと分かっていたわけです。分からなかったのは、魚の中の原因物質なのです。
 例えば、疫学者の津田敏秀先生がよく言うのですが、仕出し弁当で食中毒になったら、原因はといったら仕出し弁当です。しかし仕出し弁当の中の刺身なのかてんぷらなのかは分からないといって仕出し弁当を売り続けることはあり得ないです。それと同じようなことを水俣ではやってしまった。だから、原因が分からないということで熊大の医学班は必死になって水俣病が有機水銀中毒であることを追いかけた。そのために2年半以上かかった。この2年半というのはひじょうに大きかったのです。

■入口に"来るな"と張り紙
 50年前にもなりますが、そのころ私が水俣に行くと、入口に"来るな"という張り紙がしてあるのです。新聞記者も、熊大の先生も来るなと。要するに調査を拒否された。あるいは診察を拒否された。最初は理解できなかったのです。大学病院にいると、患者さんは頭を下げて来る。そして何時間も待たされて、最後はありがとうございましたと言って帰る。だから、こちらから出かけてやるのだから、感謝くらいされるんじゃないかと思っているわけです。
 当時私たちは何も知らないし、背景が分からない。それにはいろいろな理由があったのです。一つはマスコミが来てまた新聞に出たり、ニュースになったりしたら、また魚が売れなくなる、みんなに迷惑がかかるから来るなと言うわけです。しかし、この人たちはもう魚を獲れる状態じゃない。周りの人たちだって、魚を獲っても誰も買ってくれない状況です。その中でそれがどういうことか、大学を出たばかりの私には理解できなかった。

■胎児性水俣病の子たちに出会う
 そうしてうろちょろしている時に、あるお母さんに、二人のお子さんがいて縁側で遊んでいた。同じ症状があったから、お母さんに、「二人とも水俣病ですね」と言ったら、「お兄ちゃんは水俣病だけれど、下の子は違う」と言うのです。私は「えっ、どうして?」と聞いたところ、「お兄ちゃんは魚を食べたから水俣病だ。下の子は魚を食べていないから水俣病ではない」と言うのです。私が納得すると、お母さんは「私は納得しているわけじゃない。先生がそう言っているんじゃないか」と言って、ずいぶん怒られた。
 ご主人も水俣病で亡くなっておられたし、お兄ちゃんは小児水俣病。お母さんは魚を食べたけれど、「私が症状が軽いのは、この子がお腹の中で水銀を吸い取ってくれて、それで私は軽いんです」と言った。当時の医学の教科書には、胎盤は赤ちゃんを守ってくれている、だからお母さんが大病で倒れても、お腹の中の赤ちゃんは、そんなに大きな影響は受けないと書かれていたのです。また、それは事実でした。胎盤が赤ちゃんを守ってくれたからこそ、生き物はこの地球上に存在し続けているのでしょう。もし胎盤が毒物をすいすいと通していたら、その種は絶えていたはずです。
 私は、お母さんの言ったことに気がつかなかったのです。ところがお母さんは、体感として、経験として、私が食べた水銀がこの子に行ったに違いない、と言えるわけです。
 最初は、素人が何を言っているかと思ったけれど、お母さんがあまりに熱心に隣の村に行ってみなさいと言うので行ったら、これは1962年くらいの写真ですが、こんな小さな集落に、10人の小児水俣病と7人の魚を食べないけれど発症した人たちがいたのです。
 若いから、もしこの問題を解決したら手柄になると思いました。けれど、大学に帰って、意気揚々と、こういうのを発見したと言ったら、みんな知っていたのです。私が発見したわけじゃない。ただ、どうやって、人類史上初めて、胎盤を通る中毒が起こったかということを証明するか、みんな攻めあぐねていた。なぜ失敗したかというと、みんな動物実験で証明しようとした。ところが、まず妊娠している猫を捕まえるのが大変です。捕まえて水銀をやっても、赤ちゃんにいくのは至難の業です。

■"みんな同じ症状"がヒントに
 私は動物実験では成功しないと思って、現地に行って患者さんを診て、何かいい知恵がないかと通った。何か目処があって行ったのではなく、ただ行ったのです。
 その時また怒られた。怒られるのはいいことです。「先生、何をもたもたしているんだ」と。魚も売れなくて貧しいから、お母さんたちは日当が二百何十円の日雇いに行っていた。ところが私が呼び出すと、お母さんがついてこなければならない。1日分の日当がふいになる。「しょっちゅう呼び出されて今度は行くまいと思うけれど、ひょっとしたら今度は結論が出るかもしれないと思って毎回連れてくるけど、先生は、患者を診るだけで何も結論を出してくれない」と言って、こっぴどく怒られた。
 実は、世界に例がないので迷っているという話をしたら、「何考えているんですか。みんな同じでしょうが」と言われた。この"みんな同じ"というのがヒントになったのです。足の動きまでが同じ形、同じ症状だと言うのです。
 当時の患者さんの家、漁師が魚を獲っても誰も買ってくれなくなったら、どうなるかということです。今から50年以上前だから、あくる日から大変なんです。ふすまはボロボロです。こんなボロボロの家に人が住んでいるとは思えなかった。そうしたら、こういう重症な患者さんがいた。この子はもう亡くなったのですが。そういうショックの連続です。

■胎児性水俣病が認められる
 この子が一番重症で、亡くなってこの子が解剖されて、その時に胎盤を通った中毒だということが証明された。その時やっと私の研究が活かされた。私は患者さんしか診ていませんから、この子たちが同じ症状だから同じ原因だろう、という結論しか出せない。
 その子たちの一人が亡くなって、解剖で胎盤を通った有機水銀中毒だということが分かって、同じ症状だから同じ原因だというまとめが出されて、この年、私が発表して1カ月経たないうちに緊急の審査会が開かれて、この子たち当時16人が胎児性水俣病だとなったのです。
 呼び出されて、えらい先生がずらっととり囲んで、お前の意見を言えと言われて、かちかちかちに緊張して、言いたいことだけ言って帰ってきた。お陰でその時、胎児性水俣病が認められた。そのあと漁村に入ったら、お母さんたちから、「お陰さまで認定されました、補償金が出ました」と言われたんです。「よかったね、いくら?」と訊いたら、3万円と言うのです。
 私は月3万円とずっと思っていました。裁判が起こって世の中のことを少し知って、ようやく見舞金のことを知りました。年に3万円と知って、誰が決めたんだと怒ったけれど。大人が当時年10万円、お母さんたちは汽車賃を5万円くださいと要求したのに、チッソは3万円に値切ったのです。医者というのは、そんなもので、本当に知らないというのは怖いことです。
 その後、胎児性患者を探して、千葉にいると聞いたら飛んで行って、幸いなことに全国に支援の人がいて情報をくれる。関西では宇治や大阪、関東では千葉、旅費を自分で出して行くくらいの大切な人たちです。人類が未だ経験したことのない、胎盤を通った中毒の人たちです。
 どこの出身か集計したのがこの地図です。向こう岸の御所浦島、獅子島は一人だけですが、これは調べてないからです。外国で発表すると、こちらはなぜいないのか、魚を食べないのか、と聞かれます。誰も調べていない。本当に恥ずかしい話です。

■いくつも大きな間違いをした
 50年以上水俣に関わりましたが、いくつも大きな間違いをしている。臍の緒を集めて水銀を量りました。私は1ppm以上が胎児性水俣病の条件だと考えたのです。当時の胎児性の患者さんを診て、臍の緒を量るとだいたい1ppmあったわけです。環境省とやりあったけれど、意外とすんなり認められて、小児の臍の緒の水銀値が認定基準に入りました。しかし1.0 ppmだった。けれども、考えてみたらとんでもないことです。0でなければならない。胎盤の中にメチル水銀があること自体が問題じゃないですか。
 もう一つの間違いは、胎児性を重症患者に限って考えたことです。ハンター=ラッセル症候群を、胎児性にそのまま持ち込んでしまったということが過ちだった。その間違いを誰が指摘してくれるか。専門家はなかなか自分の間違いに気がつかない。私もこの時、無理やり基準に押し込んだ。
 水俣病であると、あの地域の中で診断されることは大変なことです。私は医者だから、診断をすることは、その地域の中でどういう意味をもつかということまであまり思いを巡らせないことが多かった。ところが、診断されるということ自体がひじょうな差別を伴ったのです。

■新潟水俣病
 新潟では、昭和電工が同じように水銀を流した。裁判で2回ほど聞きに行きました。昭和電工側が、同じ工場なのになぜチッソに調査に行かなかったのかと追及されていた。昭和電工は、「いや、行きました。サーキュレーターという水銀除去装置を見せられたが、あれは世論対策でつけているので、効果がないとチッソの幹部が言ったので、わが社は効果のないものはやりませんでした」と言うのです。そういうことをやって、新潟でも堂々と流していた。
 新潟は胎児性水俣病の子が生まれるというので、赤ちゃんを産ませないで、堕した。その時のリストに77人います。77人一人ひとりどうしたかは分かりません。5人だけ分かっている中では2人は堕した。1人は堕したうえに避妊手術までしている。あとの2人は産まないようにしたとか。そういうことで胎児性は1人しか生まれなかった。水俣と違って一人しかいないから診断がつかないというのです。だからわざわざ熊本まで、お父さんがおんぶして診断に連れて来られました。そこからまた私と新潟のつながりができる。この子ですが、今でも元気でメールをくれたりします。
 水俣病が公害の原点であると言われるのは、事件が大規模であった、悲惨であった、行政が怠慢であった、企業の対応とかいろいろあるでしょう。しかし、私たちの立場から公害の原点と一番言っているのは、こういう食物連鎖を通じて起こった中毒というのは、人類史上初めての体験だったという、この一点なのです。熊本でも、干潟はもったいない、埋め立てて宅地か農地にしたほうがいいと、じゃんじゃん埋め立ててしまったのですが、名もない、人間の役に立たないような生物しかいない干潟の生き物の命と私たちの命がつながっていたことを、水俣病は私たちに教えているわけです。

■海外の水銀汚染被害例
 外国ではどうかというと、アメリカで起きた事件があります。水銀で消毒した種麦を豚の餌にして、それを食べた。だから環境汚染ではないが、食物連鎖ではある。現場に行ったのですが、近くに原爆実験場がいくつかあって、爆弾に注意と看板にあるような所を車で走って行くというすごい所でした。豚を食べたお母さんが妊娠していて、重症の胎児性が生まれた。 胎児性は、熊本以外は新潟、あとはイラクとスウェーデンに1例ずつ、アメリカに1例報告されている。だから、いかに水俣の胎児性のかたは人類の宝なのかということです。世界中でこれだけしかいない。他にいたとしても、報告されているのはこれだけなのです。
 カナダの汚染源は、パルプ工場に併設された苛性ソーダの工場から水銀が流れて、環境汚染をした。そこには先住民の人たちがいた。その人たちが水俣と同じように湖の魚をとって、あるいは獣を追いかけて、暮らしているのです。私はそこでは水俣病が発生していると思っています。カナダ政府は認めません。ところが、補償金は払っている。その基準は水俣病の基準なのです。認めているじゃないかと言っても、汚染は認める、健康障害がある人たちがいることも認める。彼らが生活に困っているから生活援助をしているのであって、補償しているのではないと言うのです。

■水俣病の基準が世界の基準とされる
 しかし、その基準は水俣病の基準そのものなのです。私は水俣のことをやって手一杯で、世界のことは関係ないと思っていたのですが、そうではない。私たちが水俣のことをきちんとできないから、それが悪い意味で輸出されている。
 これはブラジルのアマゾンです。この汚染源は、金を採る時に、水銀を飛ばして採っているものですから、労働者は水銀中毒になる。これは職業病で、水俣病ではない。ところが、飛んだ水銀は流れていって魚に蓄積する。すると、下流にはその魚をたくさん食べている人たちがいる。この人たちの髪の毛を測ったのですが、もう危険水域です。
 ブラジルのパラ大学から来てくれと言われて、自費で行きました。ブラジルも、もうすでに水俣病が出ていると信じています。最初は、水銀を扱っている人が水銀を吸うことで職業病になる。それが大気、水、土を汚染して、それが有機化して魚介類に蓄積される。魚介類を食べた人が水銀に汚染される。次は水俣病が発生するのです。

■何をもって水俣病とするか
 この時、水俣病は何かということが問題になるわけです。何をもって水俣病とするか。当時私たちが間違っていたように、これが水俣病だ、これが胎児性だと世界に公表したことは、水俣病の氷山の一角にでしかなかった。それが世界の水俣病の基準になったわけです。だから、カナダやブラジルで患者が出ても、それは水俣病ではないとされる。その罪は、その責任は、水俣病と関わった私たちの責任というのは大変大きい、重いと思っています。
 何を水俣病とするか、今環境省とやりあっているのは、感覚障害だけで水俣病というのかということが議論になっている。確かに大人に関しては、氷山のかなり下まできた。それはまだ世界では認知されていないで、氷山のもっと上を見ている。それは、日本がそうやったからです。
 しかし、日本において基準をもう少し下げようという動きはある。あるけれど、それを水俣病とは呼ばない。呼べば、世界中にいっぱい水俣病が出てきてしまう。だから、必死になって守っている部分があるわけです。それはそれで大変な問題です。しかし、最高裁からは何回も、この基準は理屈に合わないじゃないかと、医学は怒られている。

■佐藤さんたちが提起した胎児性の問題
 佐藤さんたちが提起した問題というのは、また別なのです。胎児性の問題は、まだ手がついていないのです。私たちはいくつか間違えた。見ればすぐに分かるような脳性まひ型の胎児性の患者さんを掲げて、環境を大事にしないとこういう胎児性が生まれますよとキャンペーンをした。それはひじょうに重い事実です。
 しかしそのことが世界中に広まったばかりに、第二世代で、胎内で汚染を受けた脳性まひ型ではない人たちは、長い間、半世紀も私たちは無視していたのです。その突破口の一つが、佐藤さんたちの裁判なのです。これこそまさに、胎児に及ぼす水銀の影響はこういうものだという異議申し立てをしているのです。だから、医学的にも大変意義があることなのです。 そういう意味で佐藤さんたちの裁判は、全体から見ればほんの一部ですが、そのもつ意味を理解していただきたい。そのことが、世界への大きな発信になるわけです。
 世界の水銀汚染のレベルは、我々がかつて言っていた胎児性のような症状が出てくるレベルだとは思いません。しかし、お腹の中でもっと微量での曝露、あるいは長期にわたる曝露でどういう影響を及ぼしたかということが問題になっている。佐藤さんたちは、見た目だけではなんでもなさそうに見えますが、実はそうではないのです。そういう意味で、どうか、この裁判に注目していただければありがたいと思います。(了)



2010 年12 月4 日
世界水銀条約に向けての水俣病被害者/支援者の声明
発表:佐藤スエミさん/水俣病被害者互助会

 水俣病事件は、公式確認から54 年が経過している。1956 年4 月、水俣湾に面する小さな漁村の2 人の姉妹の発病に始まる水俣病事件は、未だに解決していない。1959 年末には79 人に過ぎなかった被害者の数は、被害補償要求の闘いの中、加害企業チッソの責任、被害拡大を防止する努力を怠った日本国政府、熊本県の責任を追及する粘り強い闘いによって、今や5万人を超える被害者が名乗り出る状況になった。しかし、これも被害の全体像の一部にしか過ぎない。未だ差別や偏見を恐れて名乗り出ることのできない人、すでに亡くなった人など、数十万人の被害者がいることがようやく明らかになりつつある。

 メチル水銀の汚染は、不知火海沿岸住民全体及び生態系に深刻な影響を与えていることが50余年を経て、ようやく認識され始めている。残念ながら、当初、このような被害を招いていることへの認識は加害者の側にも、被害者の側にもなかった。メチル水銀汚染の恐ろしさの認識は極めて不十分だった。

 現在も、加害責任を検証し、被害の全容を解明しようとする姿勢は、加害企業チッソはもちろんのこと、国、熊本県にもないに等しい。その場しのぎの「解決策」「紛争処理策」のくり返しが続いてきた50 余年であった。そのことが、新潟で第2 の水俣病事件を引き起こし、日本全国で第3、第4 の水俣病事件へと繋がってきた。日本全国には、チッソと同じように水銀を使用し、アセトアルデヒド生産をおこなってきた企業による工場が7か所、塩ビモノマー工場も6 か所、水銀法電解ソーダ工場は49 か所あった。

 1970 年代まで、水銀が日本全国で野放しに使用されていた。1973 年5 月に報道された有明海沿岸の第3水俣病事件が引き金となり、水銀使用工場の総点検がなされ、水銀使用が抑制されてきたとはいえ、対策は遅すぎた。被害の事実を検証し、その全容を解明する作業は未だおこなわれていない。ましてや、世界においては、水銀が危険な物質との認識が十分ではない中、例えば、小規模金採鉱での水銀使用や、様々な製品中での水銀使用が未だに続いている現状に、私たち被害者は憂慮の思いでいっぱいである。

 日本では、水俣病事件はまだ完全には解決していない中、国連環境計画(UNEP)は世界の水銀被害をなくすために水銀条約を2013 年に制定することを決定し、そのための第2 回政府間交渉会合(INC2)が2011 年1 月に日本で開かれることに、私たちは大きな期待を込めている。真に水俣病の教訓を生かした水銀条約が全世界で合意され、実効あるものとなることを切に望む。同時に、日本政府には、水俣病事件の加害責任の検証と被害の全容解明を実施して水俣病事件を真に解決に導くとともに、水俣の被害を二度と起こさない強い水銀条約づくりに積極的な役割を果たすことを強く要望する。

以上
水俣病互助会
水俣病被害者互助会
NPO 法人 水俣病協働センター


香料シンポジウムの記録/ 香料の健康影響
各務原ワークショップ(岐阜県)


2010年8月11日に岐阜県各務原市(かがみはらし)で開かれた、香料に関する小シンポジウムの記録を紹介します。
主催の"各務原ワークショップ"は、元医科大学医学部の渡部和男先生のもとに市民が集まり、月1回、農薬や化学物質などについて情報収集やその検討を重ねている集まりです。
本シンポジウムでは、渡部先生の「香料の健康影響」論文
http://www.maroon.dti.ne.jp/bandaikw/archiv/chemicals_in_general/fragrance_and_health.pdf を参考にして、会員が分担して発表しました。(編集部)

■はじめに
 香料の好みは個人差が大きく、万人に向くというものはない。毒性も報告されているが、研究はほとんど進んでいない。また、表示も"香料"としてしか表示されておらず、市民には情報がない。

■化粧品の定義・成分表示
 化粧品は薬事法で定義されている。「人体に対する作用が緩和なもの」とされているが、人体に悪影響を及ぼしているという報告がある。しかし、化粧品による影響は軽いものが多いため、病院に行かない人が多いが、相当多数の人が悪影響を受けているとの報告がある。ナポリでの研究(Di Giovanni et al. 2006)では、女性の26.5% は化粧品でトラブルがあったが、男性では17.4% であった。95.9% が皮膚に起こったトラブルであったが、全身への悪影響は4.1% を占めた。皮膚反応で灼熱感(36.2%)やかゆみ(32.9%)などが多かった。全身症状では、頭痛(40.3%)が最も多く、吐き気(24.2%)がそれに次いだ。悪影響が高い頻度なので、化粧品による影響は系統的に報告し、情報を集め、評価する必要があると述べている。

■香料の代謝・体内分布・蓄積
 ムスク(編集注)が人体から高濃度で検出されている。高齢者ほど高く検出されるが、それは、高齢者の生活習慣や皮膚の老化、ドライスキンのためにパーソナルケア製品(スキンケア、ヘアケア、口内衛生のための化粧品、医薬品、雑貨などを指す)を多用するためではないかと考えられた。
 また、合成ムスクが母乳からも検出されている。Lingnell et al. (2008) は、初産女性の母乳中のニトロムスク2 種類(ムスクキシレン、ムスクケトン)および多環式ムスク5 種(ガラクソライド, トナライド, セレストライド, トラセオライド、ガラクソライド)を分析した。最も高い中央濃度はトナライドで、次いでムスクキシレンで見られた。
 妊娠中に香水をしばしば用いる母親には高い母乳中ガラクソライド濃度があり、高いトナライド濃度であった母親は着香洗濯洗剤を使っていた。このことは、着香製品が母親と乳児の重要なムスク被ばく源であることを示している。

■香料とアレルギー
 香料の環境中での挙動や毒性については、ほとんど分かっていない。これまで、研究対象とされて来なかったからである。

▼接触皮膚炎
 香料は、アレルゲンとして作用する。香料が、皮膚への刺激を高めることが知られている。
 ベルガモットオイルによる、ひどい日焼けの皮膚炎もある。接触性の皮膚炎、じんましんがあり、即時型じんましんにより、アナフィラキシーショックを起こす可能性もある。
 香料がアレルゲンとして作用していることが多いため、検査用の香料ミックスが販売されている。接触性皮膚炎のパッチテストの試料がある。
 香料によるアレルギー性接触皮膚炎は、欧州では人口の1% に起こっている。日本では、1〜2% である。  化学合成された香料だけでなく、天然の香料でもアレルギーは起こる。ラベンダーオイルやイランイランオイル、ジャスミンアブソリュート、カナンガオイル、白檀オイルなどの陽性率が高く、要注意である。最近、ラベンダーオイルのアレルギー陽性率が高くなってきたのは、アロマテラピーの流行によるものではないかといわれている。
 香料は、時には重症皮膚炎を招き、死亡に至る場合もある。オーデコロンをスプレーし、紅斑と中毒性上皮壊死を起こして、最後に死亡した例がある。
 また、香料に直接接触しなくても、空気中の香料によってアレルギーが起きる。接触皮膚炎という言葉から、香料に直接接触するイメージがあるが、空気中の物質によっても刺激やアレルギーによる皮膚炎が生じる。

▼ぜん息と香料
 ぜん息患者数が、近年、急増している。ぜん息患者は、香料などを避けるように勧められている。香料は、ぜん息を誘発したり、悪化させることがあるからである。
 臭いが、ぜん息を悪化させるかどうかの強制呼気量測定をした結果、臭いはぜん息悪化を招く重大な原因であると報告されている。
 また、天然の香料であっても、ぜん息に影響を及ぼす。ぜん息や鼻炎患者へのアンケートの結果、花や、カバノキで、ぜん息や鼻炎が誘発されると答えた患者が、79% にも上った。花では、ヒナギク類、ヒヤシンス、ユリ、スズランが多かった。 香料によるぜん息発作誘導のメカニズムは、よく分かっていない。通常のアレルギーとは関係がない場合があるとする見解がある。
 香料は、一部の人の眼や気道に症状を起こすことが知られている。香料によるこの症状は、アトピーとの関連がなく、IgE(外部抗原に対して人体内にできる抗体)が仲介するアレルギーとは異なると考えられている。香料に対する好塩基球の反応性亢進が、香水に影響を受ける患者にみられている。
 また、アレルギーや気道閉塞がない患者でも香料の影響が調べられている。臭いが分からないように鼻をふさいで、香料の影響が調べられた。その結果、気道過敏性やぜん息が、気管支閉塞なしに香水によって引き起こされることがわかった。この過敏性は、臭覚によって起こるのではなく、気道や眼を通じた三叉神経反射によって誘導されているのだろうと、研究者は考えた。活性炭入りマスクに予防効果がないことも分かった。
 ヘアスプレーの香料によって、気道機能亢進者は、最大呼気量が減少する。
 職場のネコのトイレ用の砂に添加された香料が原因で、喘息を悪化した事例も報告されている。

■変異原性(DNAに傷をつける。生殖により、子孫に受け継がれる)  香料自体が変異原性を持つ場合があるが、さらに他の物質の変異原性を高めることもある。
 多くの香料が、サルモネラ菌で変異原性を示すとされているが、特に合成ムスクに顕著で、生体外異物を排出するトランスポーターを阻害する性質があり、毒性を発揮する可能性がある。
 天然に由来する化学物質は安全であると誤解されているが、ローズマリー、月桂樹、マジョラムの香気成分の1つであるテルぺネオールは、変異原性を示したと報告されている。ローズマリー、ベイリーフ(月桂樹)は肉料理に家庭でよく使われ、その他マジョラムも、前述2種と共に調合スパイスに広く含まれている。

■発がん性(DNAが傷つく)
 香料の発がん性は、よく検討されていない。しかし、一部の香料には発がん性があり、また一部は他の化学物質の発がん性を高める。
 ベンゾフェノン(アリルケトン)は、光重合開始剤や香料として用いられるが、小動物実験により、尿細管腫、単核球白血病の発生、また、肝細胞肉腫、嗅上皮の異型性、組織球肉腫の増加が見られた。
 クマリンは、天然に存在する重要な化合物の基本的構造を持ち、香水、化粧品、その他、また食品フレーバーとして使われている。実験により、多様な発がん性(尿細管腺腫、肺胞、細気管支の腺種とがん、肝細胞線種)があり、前胃の扁平細胞乳頭腫もわずかに増加するという結果を示した。
 ベンジルアルデヒドは、食品、飲料、医薬品、香水、石鹸、色素製造に使われるが、一部に発がん性の証拠が確認された。 d−リモネンは、柑橘類の果皮に含まれ、香りを構成する物質である。肝臓の尿細管過形成や腺腫、腺がん発生率増加が認められた。
 アリルイソバレレートは合成香料で、1950年から広く使われている。石けん・洗剤、クリーム、香水、非アルコール飲料、アイスクリーム、ゼラチン等に広く使われている。この物質は、造血器の新生物を発生させた。
 ムスクケトンは、化粧品に用いられる典型的な合成化合物である。水中や堆積物、魚等の中に見られ、人間の脂肪組織、母乳中から検出される。ムスク類は、遺伝毒性を強める物質であることが知られ、ムスクケトン被ばくは、人間が発がん物質による害を受け易くし、ひいては、生体異物を排出する能力を阻害する。

■香料の残留・汚染
 合成ムスクは、パーソナルケア製品や家庭用製品に添加されている。合成ムスクはまた分解されにくく、下水処理場でも処理できず、河川や海、空気中に排出される。アパートや幼稚園でも検出されており、化学物質に対する感受性の高い子どもや病人へは、強い影響が考えられる。

■香料の規制
 日本では、製品に何種類使用しても、「香料」としか記載義務がない。ヨーロッパでは、21種類の香料成分の記載が必要である。
 日本のみでなく世界的に香料製品の規制はゆるく、香料自体および製品を作るために使用するフタル酸や防腐剤などの添加物による人体や環境への影響が懸念されている。

■提言
 香料にはよい効果もあり、香料を利用した製品の関連企業により、その効果は広く情報が提供されている。しかし、負の側面の情報は提供されていない。香料には健康への悪影響がありうる。香料には心地よく感じるのと逆の作用もあり、香料による不快感を訴える人たちもいる。
 香料は、例え安全な化学物質のみが使用されていたとしても、臭いを好ましいと感じる人々の場でのみ使用すべき化学物質である。使用を法的に直ちに規制されなくとも、公共の場などで使用するのは自粛すべきである。

(注) ムスクは、雄のジャコウジカの腹部にある香嚢から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種。ワシントン条約により商業目的の取引は原則として禁止された。そのため、現在、香料用途としては合成香料である合成ムスクが用いられている。



化学物質問題市民研究会
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