講演録
化学物質問題市民研究会主催 特別講演会 森田昌敏さん(環境ホルモン学会・会長) 環境ホルモン問題は今どうなっているのか? 2006年6月10日(土) 午後1:30〜3:30 ECOとしま・多目的ホール 多数のご参加、ありがとうございました。
2006年6月10日 講演録
環境ホルモン問題の現状と課題 日本内分泌撹乱化学物質学会会長 森田昌敏さん (文責 化学物質問題市民研究会) ■我々の社会の現状は? 我々の社会がどうなっているのかという話から始めます。1970年にローマクラブが出した「成長の限界」で、資源エネルギーの枯渇、人口増と食料供給不足、そして環境汚染が加わって、2050年に人類は破局点に至ると予測されたことは、多少の時間の幅はあっても、ほぼその通りに進んでいます。最大の課題である地球温暖化への対策にしても、エネルギー資源の転換を行えば、それが別の問題を引き起こす可能性もあります。地球の総人口はまだ増大していますが、一方で日本を含む多くの先進国や中進国で、再生産力が極端に低くなってきています。その原因の一つとして環境ホルモン問題が提起されていると思われます。 人的資源の問題は、人口だけでなく、知能の低下という問題もあります。アメリカで環境ホルモン問題の主要な関心は、知能の発達への影響という側面におかれています。知能の低下は、社会的負担の増大や、国力の低下を招きます。ある種の汚染物質が知能発達に影響することは分かっていますが、それと現在私達の社会に起きている現象との関連はまだ科学的には明らかになっていません。 化学物質汚染の問題は、古くからのものと、新しいものがあります。重金属のような古くから問題とされたものも、新しい見地から見直しが必要となっています。発ガン物質についても、もっと厳しく考えなければならなくなっています。新しい汚染としては、環境ホルモン、その他の有機ハロゲン系化合物、ナノテク材料、新しい金属(レアメタル)、農薬の非農薬的使用(家庭内など)などが挙げられます。自動車では、ディーゼル排ガスのナノ粒子の作用が問題となっています。ブレーキのアスベストは、90年代半ばに切り替えられました。 化学物質に関わる法律体系は各省庁にまたがって膨大なものですが、発生源サイド(生産サイド)からみてコントロールする傾向が強く、日常生活の中で総体として化学物質を受けている側からみて不十分ではないかという気がします。それぞれの役所が規制値を決めても、受けて側の人から見た安全が完全には担保されていない可能性があります。例えば、一つの農薬の基準が守られていても、人は総体として何百もの物質を浴びているという現実の中で、果たして大丈夫なのかという危惧が残ります。 ■科学的予見には限界 1970年代前半に『沈黙の春』や『複合汚染』、公害問題に代表される第一次化学物質ブームがありました。このときに現在の環境関連法規の原型ができましたが、先送りされた課題があって、それが現在の問題として顕在化しています。第二期は1990年代から2000年代初にかけてです。発ガン性物質は前進をみたのですが、ダイオキシン、環境ホルモン問題が出てきました。子どもの健康、複合汚染効果、化学物質過敏症などの新たな疾病などの課題が残されています。 化学物質の総数は2,470万種で、年150万種が増えています。産業利用されているのは10万種で、年1,500種の増加です。そのうち規制されているのは数千だけで、問題となる物質はその十倍はあります。 被害が起きてから規制するというのではなく、予防的に対策をとるには、汚染が警戒レベルを超えた段階で対策をとるのがいいのですが、警戒レベルの線をどこに引くかは、安全を強く求める側と、生産者などのコストや利益/損失などとのせめぎあいとなります。 化学物質問題は、それを便利に使っている私達の生活の反映として根本的対策がとれず、常に問題であり続けます。リスクの科学が未成熟で、危険を予知できないことに問題があります。安全性や有害性の科学的証明というのは永遠の課題です。科学的予見に限界があるなかで、予防原則をどのように運営できるか、どこかで政策的判断をしなければなりません。 アスベスト対策では、中皮腫は全部救済の対象となっていますが、中皮腫にしてもどれくらいがアスベスト由来かは、科学的には分かっていません。政治的判断による対策です。肺ガンは、アスベストが原因であるかどうかは、判断が困難であり、救済を求めることは容易ではありません。 ■環境ホルモンの悪影響 環境ホルモンは、生殖系、脳神経系、免疫系に悪影響を与えます。脳神経系には、脳の性分化や知能の発達の遅れに影響しています。環境省のSPEED'98では、『奪われし未来』やWWFのリストをベースにリストアップしました。分類すると、有機塩素系(POPs物質が多い)、芳香族工業化化合物、農薬(殺虫剤系が多い)、重金属、その他、などになります。 環境影響の例として、有機スズによるイボニシ貝のインポセックスを挙げます。いくつかの貝類の生産が落ち込んでいます。鉛の毒性も、子どもの知能への影響から再評価されています。PCBによって鳥の卵の殻ができなくなることも実験から確かめられ、産卵機能が低下することも明らかになっています。 人の出生力低下は、主要には女性の晩婚化があり、それに加えて多様な原因が考えられます。不妊カップルは、以前は10組に1組だったのに対し、最近は7組に1組に増えています。性比については、セベソのダイオキシン汚染では、女児の割合が増加しました。ビスフェノールAを取り扱う職場の労働者の子供に女児が多いというので調べましたが、統計的に有意といえるだけの数の事例が集まりませんでした。メカニズムは簡単には分からないとしても、このような統計だけでもきちんと調べる必要があります。 ■ビスフェノールAとフタル酸の問題 ビスフェノールAの低用量問題とは、毒性が非常に弱いといわれたビスフェノールAがごく少ない量で作用するということが、フォン・サールによって提起されたものです。様々な追試によって、低用量でなんらかの作用が起こるということははっきりしてきました。現在は、その作用が人に対して悪影響があるかどうかが、議論となっています。 規制値を決める時に使う「無作用量」という言葉と、「無毒性量」という言葉があって、ここにグレーゾーンが存在します。無毒性といっても、生化学的な反応の累積が、長い時間積み重なるとなんらかの有害性をもつのでは、という学者もいます。 フタル酸エステルの生殖系への影響も、科学的知見は着実に蓄積されてきています。それをどう評価するのかというのが問題です。フタル酸エステルは、毒性は低いのですが、大量に生産されて、環境中どこでも検出されますし、かなり多量に摂取する機会もあると思われます。体内で分解して反男性ホルモン作用を示します。 反男性ホルモン的な影響があるという疫学論文もでてきています。疫学的結果は人への影響を直接みているという点で、無視すべきではない事態です。ヨーロッパ議会は子ども用玩具への使用中止を決議しましたが、むしろ妊娠中の女性への規制の方が必要かもしれません。フタル酸エステルについては、ちょうどアスベストの80年代の議論が思い出されます。 私達はMRIで測れる脳の変化から環境ホルモンの作用を観察できないかという実験をしています。脳梁という右脳・左脳を結びつける器官は、女性の方が発達しているので、脳の性分化をそれによって観察できないかという実験です。 ■複合影響と合計評価、総量規制 複合効果というのは、汚染物質についての現在の最大の課題の一つです。現在の政策は、無作用量をもとに上流にあたる発生源で規制していますが、規制値以下の物質が数十あったときに、それだけで下流部の受け手の人や野生生物は大丈夫かという危惧があります。規制の仕組みが、受け手を中心に設定されていないのです。蓄積されてきている研究成果を見ると、例えば環境ホルモンのように、メカニズムが共通の物質は、合計で評価する必要はあると思います。天然のホルモン物質の作用が90%あると、そこに人工のものを10%足すだけで、何かが起きる可能性があり、その場合、総量で規制する必要も出てきます。 対策としては、東京都が子どもの健康影響を考えた鉛対策のガイドラインを作っています。貿易がらみでは、欧州でプレイステーションが輸入禁止になったように、日本の企業が外圧型で自主規制をするよう迫られています。 ■法的規制までには20年かかる? 環境ホルモンの最近の動きの一つとして、臭素系難燃剤の体内蓄積や、フッ素系化合物の蓄積が問題となり、一部物質は使用中止や生産中止にいたりました。 環境ホルモンの問題は、提起されて時間が経つにつれてマスコミにも登場しなくなり、市民の間で忘れられた感がありますが、現在の生命科学の最大課題の一つです。発ガン性物質の問題が提起されてから、科学的知見が集積され、産業界も合意して、法的規制の枠組みができるまで20から25年かかったことを考えると、環境ホルモンも20年後には政策的に動いているでしょう。政治状況によっては、もっと短縮するか、あるいはもっと時間がかかるかもしれません。いずれにしても、科学的知見をしっかりと蓄積していく必要があります。環境省の姿勢も、担当者に左右されることもあります。 質疑応答 Q 缶コーヒーの内側にビスフェノールAが使われている。最近内股の男性が増えている。日本の自動車メーカーは、欧州へはノンアスベストの車を輸出しているが、国内では対応していない。 A 男性の女性化を示唆するものはたくさんあるが、それとビスフェノールAとの因果関係を証明するのは非常にむずかしい。ビスフェノールAの暴露量は最近急激に減っている。ブレーキ中のアスベストは代替化されている。ただし、代替のアンチモン化合物の大気濃度が増えていることをどう考えるか。ヨーロッパ市場とのダブルスタンダードの問題だが、今はヨーロッパの基準がグロバールスタンダードとなって、それが遅れて日本に波及する。日本の環境省にも、日本が世界を牽引するような政策をとるべきで、それが日本の経済的利益にもなると考えている役人もいる。 Q XY染色体をもっていて、外見は女の子という例があると考えるが、そういう調査はされているか? 最近、環境ホルモンはウソだといっている人たちがいるが、学会長としてどう考えるか? A 性比のゆがみが発生する仕組みはよく分かっていない。来年9月のダイオキシン国際会議でこのあたりの議論をしたいと思っている。環境ホルモンへの批判的意見に適切な反論をしていないのでは、という指摘だが、学会としては学問的でない議論への参加は避けている。学会は生物系の研究者が多いが、批判の多くは、生物学や毒性学の科学的な議論ではなく、政策選択の問題として展開されている。議論の場を考えてやらないとかみ合わない。 Q 神栖市のヒ素汚染で、汚染土壌を焼却場で焼く試験をしようとしている。焼いたらヒ素はどうなるのか。処理の最良の方法は? A 無機ヒ素化合物はセメントで固めると融合して溶出しないが、神栖市の例は、ジフェニールヒ酸という特殊な化合物で、アルカリにあうと溶け出す。汚染の全体像はまだ完全には分かっていない。井戸の水が農業用水にも使われて土壌汚染が広がった。とりあえず高濃度の土壌の対策をしようということで、それには焼却して無機化して管理型処分場で保管するのが考えられる一番安全な方法だ。そのための焼却試験をしている。ヒ素焼却は実績もあるし、回収装置もあるので、飛散の恐れはない。 Q 発ガン物質の問題は解決したかのように発言されたが、納得がいかない。EPAで発ガン性の試験を、動物実験からもっとベーシックなメカニズムに落としてやることになったが、望ましい動きなのかどうか? A 発ガン物質については、70年から80年代に試験方法を含めた科学的知見が集積され、規制の中にこのコンセプトが入り始めたということをお話した。これで終わりということではなく、厳しい規制を設定する仕組みができたということだ。官庁も、部署によって同じ物質を発ガン物質としたり、しなかったりで、まだ混乱がある。IARCのリストの40種も、アルコールやニッケルをどう考えればいいか。日常的に出回っているものをどうするのか、暴露量も考えないと対策をとれない。毒性学では、動物愛護の見地もあり、動物実験から細胞レベルの試験へとアプローチが変わりつつある。 Q 有機リン中毒で過敏症を発症した。子供たちも、学校でアスベスト除去工事をして天井を張り替えたため学校へ行けなくなった。家でプレイステーションをやっていて、奇声を発する。私もそれがある部屋では、筋肉が硬直する。有機リンと同じような物質が使われているのか? 医療器具にも反応するので、過敏症の人は医療も受けられず、医者も認識がない。 A 化学物質過敏症については、存在するというコンセンサスは学者の間でできつつあるが、臨床例がまだ整理されていない。原因物質との関係があいまいで定義づけがむずかしい。MRIで脳内血流の変化として診断できないか研究をしている途中だ。免疫系よりは、脳神経系が強く関与している問題である可能性が強い。いろいろな化学物質に囲まれている生活からは、なかなかそれを避けるための解決策は出ないが、暴露を減らすことと、そのための科学的知見と技を蓄積していくこと、これをやっていくしかない。 (まとめ 花岡邦明) |