グリーンピース 2014年11月22日
ボパール大惨事
1984年12月3日から30年

情報源:Greenpeace, 22 November 2014
BHOPAL DISASTER 3rd DECEMBER 1984 ... 30 YEARS ON
Posted by Wilf MOUND
http://www.greenpeace.org.uk/groups/bristol/blog/
bhopal-disaster-3rd-december-1984-30-years


訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2014年12月1日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/kaigai/kaigai_14/
141122_Greenpeace_Bhopa_Disaster_30_years_on.html

ボパール災害:30年後も苦しみは続く

 ボパール大惨事は、”史上最悪の産業事故”であると言われている(The Bhopal Medical Appeal 2014)。事故で、又は負傷及び有毒ガスへの暴露の後に最終的には2万5,00人が死んでいる。12万人の人々が治る希望もなくひどく深刻な苦難に陥っているが(The Bhopal Medical Appeal 2014)、そのことはメディアにより出版されたり取り上げられることはほとんどない。

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マディヤ・プラデーシュ州
 ボパールは中部インドにあるマディヤ・プラデーシュ州の州都であるが、またユニオン・カーバイドの製造プラントのひとつの本拠地でもある。この化学会社は農薬、不凍剤 及びその他の化学製品をボパールの中心で製造している(Union Carbide Corporation 2012)。

 大惨事は1984年12月3日の深夜に発生した。工場内のひとつの欠陥バルブが爆発を引き起こし、メチルイソシアニド、ホスゲン、シアン化水素、一酸化炭素、及び塩化水素を含む有毒ガスの雲を深夜の大気に放出した。雲は速やかに最も近い家が400ヤード離れた所にある市部に向かって広がった(The Bhopal Medical Appeal 2014)。人々は家がガス室になり、街路を充満したので、家から逃げ出した。人々は絶命する前に、ガスによって目は腫れあり、口からあわが吹きだし、ひどい咳が出た。逃げ出した医者もとどまった医者も、治療方法もこれらのガスの解毒方法も知らなかった。同様にユニオン・カーバイドもガスの影響についての知識がないと表明し、したがって解決策がなく、その無責任さを示した。生存者の豚もまたガスで被害を受けて死んだので、彼らの生計も破壊された。自治体の作業者らは、軍隊が出動して処理をするまでの最初の3日間にトラックに1万5千の死体を積み込んだと主張した(The Bhopal Medical Appeal 2014)。保安及び緊急アラームは事故当夜、オフにされていた。オンにしていればユニオン・カーバイドはこの事故全体を回避することができたはずであり、健康と安全、および彼らの製品の有害影響を無視していたことを示しており、彼らはこの事故についての責任を取らなかった。

 ガスへの暴露は、うつ病、がん、白血病、生理不順、精神病、目のかすみ、呼吸困難のような多くの疾病を引き起こし、毎日200人の人々が保健所を訪れており、このガス漏洩による長期的な影響が現在も続いている(Bhopali The Movie 2011))。30年後の現在でも毎日1人が死亡している。ガスに被ばくした全ての女性の半分は自然流産し、また出産を迎えた女性が生んだ赤ちゃんは非常に損なわれており、人間として認識することは難しく(Guardian 2008)、事故後の死産率は30%であった(The Health Site 2013)。このことは、その地域の女性たちに出産することを恐れさせ、彼らが政府の病院に助けを求めて訪れても、彼らは打たれ、追い払われ、おびえさせられ、孤立させられた。

 このプラントからの化学物質は地域の水供給系に漏れ出し、地下水を含んで水源を汚染し、その結果、作物を汚染している。このことは、疾病の更なる増加をもたらし、例えば、がん発症率は3倍になり、周囲の地域の女性について115%増加した(IBN Live 2011)。しかし、インド最高裁判所は2012年に、マディヤ・プラデーシュ州に対してボパール地域の飲料水を浄化するために3か月の期限を与えたにもかかわらず、彼らは30年間、汚染水を飲まされてきた(The Hindu 2012)。

 アメリカの多国籍企業であるダウ社は2001年位ユニオン・カーバイドを買収し、ユニオン・カーバイドの債務を取得したので、汚染者負担原則の下にボパールの問題を解決する義務が移行した。しかし、ダウ社はそれを実施するのかと問われたときに、”我々は、これが我々の責任であるとは感じていない”と述べた(Guardian 2008)。ダウ社は、事故に対するどのような責任も否定し続け、裁判所の召喚を無視してきたが、2013年の裁判所の決定はダウ社に対して回答し、措置をとるよう要求した(Amnesty International 2013)。

 5,000人のボパールの人々はユニオン・カーバイドとインド政府の間の裁判で一家族当たり2,000ドル(約22万円)の補償金を得ているが(The Christian Science Monitor 1987)、この金額は医療費に充てるにはあまりにも低すぎ、食費に使わざるを得ない。

 インド政府は複雑な状況にある。彼らは経済成長を望むがまた、彼らの市民も保護しなくてはならない。しかし、インドは自身の宇宙計画を持っているのだから、インド経済は現在十分大きく、ダウ社の10億ドル(約1,100億円)の投資を拒否をし、インド国内での活動を排除できるはずである。このことは、期待されるビジネスの品質についてのメッセージであるだけでなく、外国の多国籍企業(MNC)により継続的に搾取されている多くの人々を保護し、その安全を確実にするものである。

 もしこの事故が経済的先進国(MEDC)で起きたなら、状況は大きく異なっていたであろう。第一に、この災害はより厳格な安全・環境法のために決して起きなかったであろう。起きたとしても、それらの法に従い、全ての被害者らはよく保障され、医療介護を与えられ、工場は浄化され、そして工場はおそらく閉鎖されたであろう。しかし経済的発展途上国では緩い規制が普通であり、そのようなことは受け入れられないであろう。

 しかしボパールの人たちは現在、いくらかの医療費を受けているので希望がある。2004年、ボパールの女性、ラシダ・ビーとチャンパ・デビ・シュンクラは、彼女らの活動とボパールにおける正義のためのキャンペーンに対して共同でゴールドマン環境賞を受賞した(The Goldman Environmental Prize 2004)。彼らの賞金125,000ドル(約1,400万円)をもって、被害を受けた子どもたちを助けるために、チンガリ・子どもセンターを開設した。物理的及び言語障害療法、基礎教育、技術訓練、そして他の子どもたちと会うために、毎日250人の子どもたちがこのセンターを訪れた(The Bhopal Medical Appeal 2014)このことは子どもたちに社会性を育むだけでなく、彼らの障害に対して物理的に支援した。

 同様に、サンバブナ診療所が1896年に開設され、35,000人に無料で医療救済し(The Bhopal Medical Appeal 2014)、糖尿病、ぜんそく皮膚病、生理不順などの治療を行っている。アスピリンは既に汚染物質にむしばまれた人々の体を激しく乱すので、薬草療法がしばしば用いられている。したがって同診療所は自身の薬草園を持っており、薬草を自前で栽培することで製造コストを低く抑えている。チンガリとサンバブナは、ボパール地域で無料の医療が受けられる唯一の場所であり、医療費を払えない人々に医療を受けさせ、そこの人々にとって活力と価値のある場所となっている。

 本来、ボパール大惨事は起きてはならなかった。会社による緩い安全・環境措置は、経済的発展途上国における操業に許容されるべきではなく、災害救済と補償は、被害を受けた全ての人々に常に実施されるべきである。ダウ社は、ボパールの人々、活動家、NGOs、そして最高裁判所により、ボパールを浄化し、彼らの関連会社の過去に責任を持つよう圧力をかけられている。医療費をカバーする完全な補償は極めて重要であり、疾病と異常出産のレベル上昇がまだ止まらないなら、地域のより健康な将来のために水供給は浄化されなくてはならない。ボパールは、”史上最悪の産業事故”であり、30年の痛みの後にも、地域が活動し繁栄し続けるために解決される必要がある。



化学物質問題市民研究会
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