国際POPs廃絶プロジェクト コバラムのゼロ・ウェイスト運動の事例研究 入手可能な最良の技術と代替物質に目を向けた 革新的な廃棄物管理プログラム ニトゥヤナンド・ジャヤルマン (インド公益慈善基金 Thanal(サナル)訳注1) 情報源:International POPs Elimination Project Case study of Zero Waste Kovalam: A progressive waste management programme with focus on the best available technology options and material substitution by Nityanand Jayaraman, Thanal http://thanaluser.web.aplus.net/sitebuildercontent/sitebuilderfiles/zwkprofile-new.pdf 訳:安間 武、野口知美 (化学物質問題市民研究会) http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/ 全訳完了:2008年4月26日 このページへのリンク: http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/basel/Thanal/zero_waste_Kovalam_2005.html http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/basel/Zero_Waste_Kovalam_master.html 内 容 謝辞 ![]() エグゼクティブ・サマリー 序文 コバラム-観光事業のあと 焼却禁止 草の根グローバリゼーション ゼロ・ウェイスト-基本に取り組む サナルのゼロ・ウェイスト・ロードマップ 問題を理解する 賛成と反対 ゼロ・ウェイストを実施する 生計を生み出す 資源を取り戻す 食物から燃料へ・・・食物へ ![]() 資金的持続性 ![]() ゼロ・ウェイストの歩み ![]() 国際POPs廃絶プロジェクトについて 謝辞
ゼロ・ウェイスト・コバラムはお互いの励ましがあってこそ可能でした。私たちは、相手を発奮させ、そして相手から発奮させられました。私たちの感謝は、最初にそして最大にコバラムの女性たちと子どもたちに向けられます。彼らの創造性、受容性そして根気が、私たちを励まし活動を継続させてくれました。特にパイオニア紙製品ユニット(Pioneer Paper Bag Unit)の女性たちのことを述べたいと思います。彼女たちは機会をとらえてホテルにおいて独占的であったプラスチック袋を打ち破った企業ユニットを立上げた先駆者でありました。 ひとりの有能な官僚は100人の活動家に値すると我々の仲間内では言っています。私たちはそれを1人ではなく少なくとも3人のそのような官僚を見つけたのだから幸運でした。ゼロ・ウェイスト・コバラムの生みの親として条件づくリを行った元観光局長ベヌ(V. Venu)博士の功績を挙げたいと思います。またベヌ博士の後任であるアルケシュ・クマール・シャーマ氏は、ベヌ博士の展望を共有し、理解したことが実際に実施されるようにしてくれました。そして、元観光局書記官 T.バラクリシュマン氏は扉を開けプログラムの実施が容易になるようにしてくれました。 パット・コストナー氏とポール・コーネット博士は、共通の意識の基礎を作り、私たちのためにゴミと有毒物質の科学を解き明かしてくれた精神的指導者でした。アン・レオナルド氏、フォン・フェルナンデス氏、マニー・カロンゾ氏は常に私たちを後押しし、やさしいことばで私たち励まし、ほとんど全てについて私たちを信じてくれました。他の誰でもない彼らこそがインドの片隅でなされたこの仕事の結果を大きな絵として見ています。 バークレーのエコロジーセンターは、私たちが学ぶべき重要な時にゼロ・ウェイスト奨学生を受け入れ、私たちを支援してくれました。私たちの同僚シブはバークレー訪問後、英語で話すことの自信が増し、経験を積んで帰ってきました。 コバラム・ホテル・レストラン協会(KHRA)会長 G. スディーシュ・クマール氏と事務局長 P.ナタラジャン氏は、インドで初めて試みられることとなったゼロ・ウェイストを信じ、この将来を見通した計画について財政的、人的及び倫理的支援をしてくれたことについて賞賛されなくてはなりません。その賭けは彼らのビジネスにとってリスクの高いものでした。しかし彼らは、それを支持し、見通す勇気を持っていました。 ルフス・ダニエル氏(バンガノール・パンチャーヤト代表)及び J.L. ビヌ氏(バンガノール・グラマ・パンチャーヤト常任委員会議長)がゼロ・ウェイスト・プログラムが自治体政府内に根付くことを私たちに示してくれたことに特に感謝したいと思います。 メディアは非常に協力的でした。なかでもヒンドゥー・デイリーの不断のフォローアップと詳細な視点は特別に賞賛する価値があります。ヒンドゥー・デイリーのスタッフ記者であるアニル・クリシュナン氏に特に感謝します。 そして、最後に私たちの後援者であるグローバル・グリーン助成基金(GGF)、湾岸地域助成(AID Bay Area)、新世界基金(New World Foundation)、ガイア小基金(GAIA Mini Grants)、その他のニューデリーのメディア、地域レベル開発に関するケララ研究プログラム(KRPLLD)、及び貴重な支援をしてくださった私たちの全ての友人に感謝の意を表したいと思います。 エグゼクティブ・サマリー
1999年、ケララ州観光局はゴミ危機に対応するために焼却炉の建設を提案した時に、住民や環境団体はその提案に反対した。焼却炉建設の提案は棚上げとなったが、ゴミ問題はそのままであった。ゴミを25km離れた場所にトラックで運ぶことが計画された。その時に、単にゴミ問題に対応するだけでなく、当局、産業、及び一般の人々の”ゴミ(garbage)は廃棄物(waste)である”という誤った考えを変えさせるために、ゼロ・ウェイスト・コバラム運動が生まれた。(訳注3) 社会活動家が使う用語の中では、”廃棄物(wastes)”という言葉は既に”不用物(discards)”という言葉で置き換えられていたが、それはゴミをひとつの形で又はその他の形にして安全に回収できる資源(resources)と、そのように回収できない又はどのような形の回収であってもそれを行えば広範な環境問題を引き起こすであろう持続可能ではない廃棄物(wastes)とに区別するためであった。 支配的な考え方は、”廃棄物(wastes)”が発生した後に焼却するか埋めるか投棄しようとすることであった。この考え方は廃棄物発生を防止するための措置を考慮していない。”ゼロ・ウェイスト”と呼ばれる果敢な考え方は、”廃棄物”の発生をもたらす物質を代替し経済を変えることによって、この問題に対処しようとするものである。ゼロ・ウェイストは技術的な解決を超えるものである。それは、製品設計の時点においてすら考慮されることが求められる社会的及び倫理的な基準を中心に据えるものである。
これを実現するために、この運動は二つの計画をもって始められた。
センターを通じて仕事を強化統合することで、このプログラムは三つの新たな要素を範囲に加えた。
(訳:安間 武) 序 文
スリハリは狼狽していたようだ。この年、ムタッカドゥー(Muttakkadu)初等小学校では、彼のいる5年生のクラスの授業は終了し、年度末恒例の卒業式を生徒と教師が一緒に開催することになっていた。長年の間、プラスチック製のコップで飲み物を出すのもまた恒例となっていた。しかし、スリハリはこれを拒否し、プラスチック製のコップは利用できる状態にはないと教師に言った。学校には紙コップを買うお金がないと教師が説明すると、スリハリは自分の貯金で紙コップを買うことを提案した。 彼は1キロ近く歩き、母親のラサ・クマリ(L. Latha Kumari)がハウスキーパーとして働いているゼロ・ウェイスト・センターまでやって来た。彼の経験から、ゼロ・ウェイスト・センターが自分のジレンマに対する答を持っているであろうということは分かっていた。スリハリは、センターの"有毒物質のない世界の子ども達(Children for a Toxic-Free World)"運動に2003年8月から参加している。ここでプラスチックの危険性について学び、毒物のない世界が可能であることを知った。スリハリは、ゼロ・ウェイストの家の出である。母親のラサは、仕事中に学んだことに触発され、ゼロ・ウェイスを家で実践している。使い捨てのものは紙コップでさえも、この家に持ち込むのが難しいことが分かるであろう。 コバラムのゼロ・ウェイスト・センターの影響を直接受けた人は、スリハリとラサ以外に著者も含めて何百人もいる。コバラムのセンターのもたらした変化の多くは定量化できるが、より重要な変化は定量化できない。それは、心の変化や緩やかな態度の変更であり、これらは永続的な人間関係を構築するプロセスにおいて、精査された情報を信頼という媒介を通じて伝えたときにのみ起こり得る。 初めはコバラムのビーチリゾートのゴミ焼却炉に対する闘いであったが、現在は経済復興、創造性、効率的な物質使用及びローカリゼーションのための社会運動になってきている。この運動における「ゼロ・ウェイスト」の定義は、既成概念の枠を超えている-再生利用及び資源回収の手法・技術や、拡大生産者責任及び物質代替といった先駆的な概念さえも超えている。コバラム運動は、心を変化させるというはるかに難しい問題に取り組み、無計画な観光事業の影響を受けたコミュニティや経済を再建するにあたり人々を団結させることによって、「ゼロ・ウェイスト」における「コミュニティ」の要素を強調することを選択した。 ゼロ・ウェイスト・コバラムの倫理におけるガンジーの影響は、明らかである。質素を重視しない多くの西欧モデルとは違って、コバラム運動は贅沢な要請よりも基本的なニーズを優先しようとしている。コバラムにおいて、質素な文化と本質的に娯楽または贅沢志向の観光経済とのためらいがちな融合を見るのは、興味深いことである。 この報告書は、同様の冒険的事業に従事している、もしくは従事することを考慮している人々のために、継続中のゼロ・ウェイスト・コバラム運動の成果と欠点を捉えようと試みている。この報告書はまた、闘いに疲れた活動家たちのためのものでもある-新鮮な空気を吹き込み、希望的観測を漂わせ、何か上手くいくような片鱗を窺わせるものである。 「神の恵みの国」と言うと厚かましく思われるかもしれないが、ケララ州は自らをそのように表現している。この表現は、ある意味真実である-心地よい緑や丘陵、僻地、蛇行河川の色合い、そして黄金の砂のビーチが境界をなし、洋々と広がる海は、ケララ州に実際、天国のような雰囲気を与えている。 コバラムは、神の恵みの国の首都であるトリバンドラムからたった12キロのところにある。三日月形の4つのビーチ、安全な海水浴場、穏やかな浜辺の波、優美なココヤシ-コバラムがのどかな漁村でいられるのは、ゴアの観光客が混雑を感じているこの時代、残りわずかとなってしまった。 コバラムの経済は、観光事業が発展する以前は多様であった。漁業及び漁業関連事業、水田耕作、コイアやコプラ、ヤシぶき、ヤシの樹液の採取を含むヤシ・ココナツ産業-全人口のほとんどが第一次産業及び関連する二次産業に従事していた。 自給自足率は高い。水は豊富にあり、開放井戸や池、湖、小川から手に入れることができる。各家庭や地元の起業家施設からの廃棄物は、ほとんどが有機的性質を持っている。こうした廃棄物は自作農場内で堆肥化させるか、畑に直接施すか、焼却する。 1970年代初め、インド政府観光局とインド観光開発公社はコバラムを観光に開放するための暫定措置を取った。1980年代にブームが始まり、それに伴って違反建築が急増した。観光局もパンチャーヤト(最小の行政単位の地方自治体)も、自分たちの身に何が起こったのか分からなかった、もしくは自分たちが良いと思ったものを制限したくなかった。数年のうちに、海岸沿いの土地には違法な掘っ建て小屋や場違いなホテル建築があちこちにできた。 1991年、インド政府は沿岸規制地区(CRZ)に対し、生態学的に影響を受けやすい陸と海の境界面を保護するよう通告した。この通告に従って、コバラム海岸地域には最高水準の保護が与えられ、CRZ Iとして指定された。新たに建築することや地下水を引くこと、廃棄物を投棄することは、満潮線から200メートル以内の地域において禁止された。1993年、CRZへの通告とは関係なしに、地方当局と観光局はホテル、レストラン、商店、住宅など67の違反建築を取り壊した。 2番目のブームは1995年に始まり、チャーター便観光客-この年に到着し始めた-を宿泊させる部屋の需要が増加することが予想されたために、違反建築や商業施設が再び急増することになった。それと同時に、観光局もリゾート地、車道や歩道の建設、照明や水の供給インフラ整備に対してより一層注目し始めるようになった。 (訳:野口知美) コバラム-観光事業のあと
レストランやホテルは、下水用に浄化槽を設置した。そのため、特に山麓の丘陵地帯や低平地で地下水汚染が拡大した。クスィラ・クラム(Kuthira Kulam)という淡水池は汚染されたため、放棄せざるを得なかった。同じような時期、開放井戸は廃棄されるか、飲用以外の用途に制限されていた。池はバイコル・クラム(Vaikol Kulam)だけがコンクリートの壁で保護されており、現在も使用され続けている。 ごく最近まで、観光事業の最盛期はずっと、コバラムには下水や家庭、商業施設、ホテルからの廃棄物を処理するインフラが存在しなかった。観光局はビーチ清掃サービス以外、ほとんど何も提供しなかった。 その結果、コバラムのいたるところで富める者も貧しい者も、官も民も、ゴミを初めは村の隠れた地域で投棄または焼却していたが、のちに公然と行うようになった。 1980年代中盤まで、インドでは使い捨てプラスチックは全く一般的なものではなかった。家庭に入り込んだプラスチックは大事にされ、台所戸棚の特別な場所に隠し込まれて、必要に応じて取り出されていた。インド経済が1990年代初めに自由化されたあと、ゴミの構成が激的に変わった。有機性廃棄物が圧倒的に主流であったインドのゴミに、使い捨てプラスチックの量の増大が見られ始めた。コバラムのような場所では、このような変化がなおさら顕著であった。 地元の水質に対する観光客の信頼が低下したため、ボトル入り飲料水の売り上げが上昇した。数年の間に、小さい池や数多くの小川がプラスチックゴミ、特にペットボトルを溜め込む不潔な場所に変わった。メインビーチの海に突き出た岩群のくぼみは、ゴミを焼くのにまさに好ましい場所であった。 (訳:野口知美) 焼却禁止
1990年代後半までに、ゴミ問題は重要な割合を占めるようになっていた。コバラム観光情報センターの職員がある研究者に語ったところによると、コバラムでは毎日30トン以上のゴミが発生しているそうである-男性、女性、子ども、観光客、移住労働者は1人当たり7.5キロというあり得ない量のゴミを出していることになる。インドにおける1日1人当たりのゴミ発生量は、0.5キロ以下である。日本でさえも、1人当たりのゴミ発生量は1.5キロ以下である。増大するゴミ問題が一層ひどくなったのは、廃棄物の量や性質、出所に関して信頼できるデータが全くなかったからである。 増大するゴミの山は、公衆衛生上危険であるうえに、沿岸の村の美しさを損なっていた。それだけでなく、観光局はビジンジャム・パンチャーヤトに廃棄物関連の費用として年間250万ルピー($58,000 約600万円)を支払っていたが、何の変化も見られなかった。ゴミの収集・撤去はその場しのぎであり、収集されたゴミはコバラムへ向かう途中の道端や疑うことを知らない農家の畑に捨てられることになった。 外国人観光客の訪問数が減少し始めた。金の卵を産むガチョウが汚れた巣を飛び立つ準備を整えたのだ。 観光業界と政府がまっさきに考えた問題は、「ゴミの処理をどうしようか?どうしたらゴミをなくすことができるのか?」であった。最初の提案は、焼却しようというものであった。1999年、ケララ州観光局は4つの主要な観光目的地に焼却炉を設置する計画を発表したが、これにはコバラムが1日30トンのゴミを焼却する焼却炉を受け入れることも含まれていた。 直前の年、グリーンピースと国際POPs廃絶ネットワーク(IPEN)は会議を開催し、残留性有機汚染物質(POPs)の危険性やUNEP主導のストックホルム条約(POPs条約)によってPOPs排出を抑制する世界的対策について強調した。ストックホルム条約の対象とするPOPsは炭素系化学物質であり、その分子構造の一部には塩素も含まれている。こうした化学物質は全て環境の中に残留し、生物の組織内に蓄積する傾向があり、全世界に拡散する。 ティルバナンタプラムを拠点としたボランティア組織であるサナルは、1986年から子どもたちのための自然理解プログラムを実施しており、1998年にはグリーンピースの開催するPOPs南アジアワークショップに参加した。この会議では、POPsの危険性やPOPs排出を抑制する世界的対策が強調された。POPsは、毒性が強く命を脅かす性質を持つ化学物質である。ワークショップの中で、また国際的な活動家たちと交流する中でサナルが学んだことは、焼却炉の危険性や、増大するゴミ問題をその場しのぎで解決する術を見つけようと必死になっている工業国の中で疑わしい技術が入り込む余地を探しているという事実であった。 コバラムに焼却炉を設置する提案に対して、地元の人々は討論の場で声高に反対した。これとは別に、1999年、サナルやグリーンピース、バンガロールを拠点としたイクウェイションズなどの組織連合は環境上の理由を挙げて、提案を断念するよう観光局に促した。コミュニティの努力が功を奏し、ケララ州観光局は焼却炉設置の提案を棚上げにした。 事実を話すと、焼却炉設置の危機を回避するための努力は、控えめなものであった。市民が焼却炉設置に反対したことと同じくらい、観光局の実権を握る役人が親切で将来を考慮していたことが、提案の否決にあたって重要であった。当時観光局長であったベヌ(V.Venu)博士は、焼却炉を設置する提案を直ちに棚上げにした。しかし、ゴミ危機は取り組まれないままとなり、1日7〜8トンのゴミを25キロ離れたゴミ処理施設までトラックで運ぶ計画が持ち上がった。 コバラムのこの問題に対する永久的な解決策が見出されない限り、ゴミはいずれかの場所で環境やコミュニティを脅かすであろうということを、サナルははっきりと理解した。 (訳:野口知美) 草の根グローバリゼーション
インドの反有害物質活動家は、同じ考え方を持った環境正義活動家や公益専門家の緩やかな世界的ネットワークに深く関連していた。自治体・医療・有害廃棄物の処理の仕方に関する進歩的な概念がインドの環境活動家の間では既に一般的になっていたのは、ニューヨークのゴミ専門家のポール・コネット(Paul Connett)博士や医療廃棄物コンサルタントのグレン・マクレエ(Glenn McRae)や有害物質専門家のパット・コスナー(Pat Costner)といった見識の高い講演者が各地を講演して回ったおかげである。 社会活動家が使う用語の中では、"廃棄物(wastes)"という言葉は既に"不用物(discards)"という言葉で置き換えられていたが、それはゴミをひとつの形で又はその他の形にして安全に回収できる資源(resources)と、そのように回収できない又はどのような形の回収であってもそれを行えば広範な環境問題を引き起こすであろう持続可能ではない廃棄物(wastes)とに区別するためであった。 進歩的な不用物管理の慣行に従えば、廃棄物をなくし回収を最大限に行わなければならなかった。埋め立て、焼却炉、フィルター・集塵器などの汚染防止装置は皆、パイプ末端での調整-問題を意図的に引き起こした後それを緩和しようとする愚かな試み-であった。 支配的な考え方は、"廃棄物(wastes)"が発生した後に焼却するか埋めるか投棄しようとすることであった。この考え方は廃棄物発生を防止するための措置を考慮していない。"リデュース・リユース・リサイクル"の考え方は支配的な考え方に比べて進歩的であったが、持続可能ではない物質の使用に対していまだ異議を唱えていなかった。さらに危険なのは、"リサイクル"が持続可能ではない物質の使用を正当化するためのグリーンウォッシュ用語(訳注)に成り下がり、こうした物質のライフサイクルの1つ以上の段階において環境に受け入れがたい重荷を負わせることであった。 "ゼロ・ウェイスト"と呼ばれる果敢な考え方は、"廃棄物"の発生をもたらす物質を代替し経済を変えることによって、この問題に対処しようとするものである。 コバラムでは、ゴミ問題に対処しようという観光業界の必死の思いと進歩的な概念を使用しようという観光局の意欲が相まって、ゼロ・ウェイスト・コバラムのきっかけを作った。この運動について正式に発表されたのは、上述した緩やかな世界的ネットワークの正式な連合体である反焼却世界連合(GAIA)がヨハネスブルグで2000年12月に初会合を開催したときである。 GAIAは、世界中の町や都市の状況との関連性を鑑みて、サナルのゼロ・ウェイスト・コバラム運動を支援することを決定した。 (訳:野口知美) 訳注:「グリーンウォッシュ」用語解説 グリーンとホワイトウォッシュ(安価な塗料。転じて「ごまかす」という意味)を合わせた造語。お粗末な環境配慮をごまかすために、企業が打つ広告キャンペーンを批判して、1990年代初めに環境保護活動家が使い始めたことば。 出典:環境取り組みを後退させる欺瞞的な「グリーンウォッシュ」 http://www.sustainability.com/downloads_public/articles/Nikkei_Greenwashing.pdf ゼロ・ウェイスト-基本に取り組む
反焼却専門家のポール・コネット(Paul Connett)博士は、正しい質問をすることが正しい答えにたどり着く唯一の道であることを聴衆に思い起こさせる傾向がある。ゼロ・ウエィスト・コバラムの発足は、正しい質問と正しい答えを求めて多くの人々が熟慮を重ねてきたことなどが土台となっている。 ペットボトルの廃棄物問題への取り組みについて熟慮を重ねてきたことが、よい例である。コバラムには、観光客の捨てたペットボトルが散乱していた。地元の水は汚染されているか、さもなくば飲用に適していなかったので、ほとんどの観光客はペットボトルの水を選んでいた。ペットボトルは使い捨てされ、ゴミの山になった。解決法を求めて取捨選択が行われたため、さまざまな措置、例えば回収後投棄、回収後リサイクル、製造業者への返還など、多くの進展が見られた。 ペットボトル危機の実際の解決法は、ペットボトルを処理することではなく、地下水を浄化することにあった。もし地元の水がきれいだったら、ペットボトルの水は必要なくなるだろう。プラスチック廃棄物の危機に対処するために、ゼロ・ウェイスト原則に従ってペットボトルのリサイクルではなく、下水設備の修繕に投資することが求められるであろう。 これと同様の措置には、コバラムのホテルでプラスチックの洗濯物袋が使用されている問題に取り組むというものがあった。ゼロ・ウェイストの措置によって、地元で手作りされた紙袋が大量生産されたプラスチックの洗濯袋に取って代わった。その結果、プラスチックが排除されたほか、代替品が地元の仕事を生み出し、コミュニティ内に資金をとどめたのである。 このように、ゼロ・ウェイストは技術的な措置を超えるものである。その中核にある一連の社会的・倫理的基準は、製品設計段階であっても考慮することが求められている。 サナルは、製造及び物質の使用により生ずる経済・環境・健康への影響を評価するための基本的問題について概説している。
サナルのゼロ・ウェイスト・ロードマップ
コバラムでのゼロ・ウェイストの進展は、環境的な闘いとして描かれたり、理解されたりはしなかった。常に、人々の心を掴み、ライフスタイルを改め、事業の行われ方を再考するための政治的な闘いであった。コバラムでの決定を左右するさまざまな大物や彼らの既得権益、ゴミ・観光事業・ゼロ・ウェイストに対する彼らの態度を十分理解することが、ゼロ・ウェイスト進展の成功の鍵であると見なされていた。 (訳:野口知美) 問題を理解する
2001年2月、ゼロ・ウェイスト・コバラムはコバラムのさまざまな種類のゴミの量・性質・出所を推定するために、予備調査を開始した。同時に、研究チームはコバラムで操業するさまざまな利害関係団体の分析及び、観光事業、廃棄物問題そして解決法としてのゼロ・ウェイストに対する彼らの態度の分析を開始した。 サナルのメンバーであるシブ K. ナイル(Shibu K. Nair)は、調査研究の調整に関する総合的な責任を任されていた。以前は懐疑と敵意が特にホテル経営者の間に蔓延していた、とシブは振り返る。サナルがこの問題に関して先導的な役割を担っていることは明らかであったが、ゴミを除去する責任をサナルが引き受けるというような印象を与えたくなかった。 最初の一歩は、ただ受け入れられることであった。シブを好むか否かは別問題である。シブの考えでは、彼が行き来するのを見慣れることが正しい方向への第一歩であった。シブの根気強さは報われた。数ヶ月のうちに、彼はコバラムのゴミの種類及び量を知っただけでなく、誰が「主役」であり、誰が敵や味方になりそうかということも分かった。 「初めの頃、歩くのに30分かかるところであれば、数ヵ月後には2時間かかることになった。知り合った人たちに話しかけるために、10フィートごとに立ち止まらなければならなかった。こうした展開は関係を強固にしていくため、望ましいことであった」とシブは言う。 2月から7月の間に、さまざまなパンチャーヤトのメンバーとの公式及び非公式の交流が数多く行われた。コバラム全体に広がるゴミ投棄場あるいは焼却場についての調査で明らかになったことは、それらのほとんどがムッタカッド(Muttakkad)、バザムトン(Vazhamuttom)、ベラー(Vellar)-全てベンガノール(Venganoor)パンチャーヤトの村-にあるということであった。コバラムは、ビジンジャム(Vizhinjam)パンチャーヤト内の数多くの区のひとつである。ビジンジャム(Vizhinjam)はかなりの歳入をコバラムから得ていたが、コバラムの(廃棄物)責任は全て隣りのベンガノール(Venganoor)パンチャーヤトに押し付けられていたようである。 こうした情報は、のちにビジンジャム(Vizhinjam)パンチャーヤトが協力を拒みゼロ・ウェイストの努力を妨害しようとしたときに、サナルにとって大いに役立つことが判明することになった。 (訳:野口知美) 賛成と反対
2001年7月、最多期及び最少期のゴミ発生に関する一次データを生成するために、包括的な廃棄物調査が開始された。コバラム区域の562の商業施設のうち、計171の商業施設が調査対象になった。これとは別に、態度に関する調査も開始された。 全ての利害関係団体が参加する最初の会合が、2001年11月に開催された。「ゼロ・ウェイスト・コバラムに向けて」と題する能力共有の会議において、廃棄物調査の結果が発表された。サナルやグリーンピース、ケララ州観光局、ケララ州ホテル・レストラン協会(コバラム)が共同で開催したワークショップには、選出されたパンチャーヤトのメンバーや女性の自助グループ、商業組合、宗教指導者、ボランティア組織、職人、芸術家、政府の役人などが参加した。
ホテル経営者は非常に懐疑的であったが、切羽詰まっていたために試みることを厭わなかった。選出された地方自治体の役人は、反対もしくは中立の姿勢を取っていた。観光局は中立であったが、ベヌ(Venu)博士の作った流れに従い、ゼロ・ウェイスト計画に対する支援を慎重に行った。当時コバラム区域のメンバーであったラサ・スガダーン(Latha Sugadhan)率いる女性の自助グループなど少数の者たちだけが、ゼロ・ウエィストによって与えられるチャンスを理解していた。 対立点は明確になってきた。コバラムはビジンジャム(Vizhinjam)パンチャーヤトにあるが、このパンチャーヤトが障害になろうとしていた。ベンガノール(Venganoor)パンチャーヤトの理解を得られる可能性は、高かった[「無駄な努力?」と題する囲み記事参照]。ホテル経営者は改善プロセスが継続的に見られる限り協力し、女性グループは重要な協力者になると思われた。 下の表は、さまざまな利害関係団体の態度が時を経ていかに変化してきたかを示してている。
政治的プロセスの第2段階は、常に反対者の話を聞ける状態を保ちながらも、支持基盤を強化していくことに関係していた。 2001年11月の会合において、少数ではあるが合意による結論に至ったことがあった‐バイオガス工場は生物分解性廃棄物のための実行可能な選択肢になり得るということ、キャリーバッグなど使い捨てのプラスチック製品を段階的に廃止するために措置を講じる必要があること、である。幸先は悪くない。 女性団体は、プラスチックのような持続不可能な物質に取って代わる、環境にやさしい地元資源を利用して製品を作る訓練を受けることに興味を示した。 (訳:野口知美) ゼロ・ウェイストを実施する
ゼロ・ウェイスト・プログラムがコバラムでうまく立ち上がるためには、いくつかのことが早急に実現される必要があった。このプログラムの実施によりゴミがなくなるということが目に見える必要があり、その実施方法はゴミを発生させる人々やこの問題を解決しようとする人々に経済的な動機を与える必要があった。 このプログラムの実施はふたつの構想をもって開始された。
ゼロ・ウェイスト・コバラムの方式は簡単である。
キャンペーンの進捗は達成するべく設定したふたつの優先目標、すなわち廃棄物の削減と安全な生業の生成とよく一致している。 (訳:安間 武) 生計を生み出す
![]() 2002年から2005年までの間、ゼロ・ウェイスト・コバラムはベンガノール(Venganoor)及びビジンジャム(Vizhinjam)パンチャーヤト内で160近くの仕事を生み出した。約115の仕事によって起業家が得た月収はささやかであったが、農業部門の45の生計手段によってもたらされた恩恵はより長期的なものであった。 2002年1月に生計プログラムが始まり、ゼロ・ウェイスト・コバラムの物質代替プログラムの一環として生計を生み出すことができないか、ベンガノール(Venganoor)及びビジンジャム(Vizhinjam)パンチャーヤトの女性たちと話し合いが行われた。この話し合いには約100人の女性が出席した。彼女たちの興味関心に勇気づけられて、紙袋、仕立て屋の廃棄物からできた布袋、麻袋、竹製品を作る訓練プログラムが2002年3月に開催された。7日にわたるこのプログラムには、380人以上が参加した。 続く数年の間に、ヤシ殻製品・粘土製品・テラコッタの設計及び製作、仕立て屋の廃棄物を利用したパッチワーク、無毒農業に関する訓練プログラムがさらに何回か行われた。市場販売支援やマーケティング訓練は限られた期間、起業家に確実に与えられたが、その期間内に起業家はプロジェクト提案の作成や経理、業務計画、市場発見に関して自立してできるようになることが期待されていた。 実際のところ、ゼロ・ウェイスト・コバラムの訓練プログラムはひとつ残らず効果を上げたようだ。紙袋を作る訓練の結果、先駆者紙袋ユニット(Pioneer Paper Bag Unit)で11人の女性が採用されることになった(「先駆者たち」の囲み記事参照)。 無毒農業の訓練により、新たに少なくとも45の有機栽培農家が生まれた。ゼロ・ウェイストのスタッフであるニギタ(N.L.Nigita)も3人の女性とともに、有機農産物を使用して作られた加工食品を市場で売るためにニギタ企業(Nigita Enterprises)を興した。ニギタによれば、有機農業イニシアティブは興味深い成果を上げた。そのひとつは、近隣の子どもたちが自分たちは野菜好きだと新発見していることである。「パビトラ(Pavitra)(ニギタの家の近くに住む子ども)は野菜を食べようとしなかったのだが、今では『ニギタ姉さんの家の野菜をちょうだい』と言ってくる」と、ニギタは誇らしげに言う。 ホテル管理ケータリング技術研究所(IHMCT)は、ピクルスを250グラム入りの瓶で購入していたが、現在はその大半をニギタ企業から購入している。そうすることによって、資金がコミュニティ内にとどまるだけでなく、包装廃棄物の減少にもつながる。120もの容器に入れて供給されていたものが、現在ではひとつの容器に納まっている。ニギタ企業にとっては、ホテル管理ケータリング技術研究所(IHMCT)が毎月購入する30キログラムのピクルスから3000ルピー以上の利益を得ることにつながっている。 ヤシ殻の工芸品を製作する集中コースが行われたことにより、2つの企業体が生まれた-ヤシ工芸(Palm Craft)とクラシック(Classic)である。 前者は、プログラムの開始された年に数ヶ月間操業していたが、まもなく閉鎖された。この企業体を乗っ取り、女性起業家を政治的・行政的管理の下に置くことをもくろんでいた地元議員に、サナルも女性起業家もかつがれた。誰も利益を得ることはなかった。この企業体の操業が不可能であることに気づいてから、サナルは距離を置き、女性起業家は見切りをつけた。 ゼロ・ウェイスト・コバラムの専門的知識及び技術は、他の非政府活動においても利用され始めた。インドとヨーロッパ協働のNGOであるSISPは、ゼロ・ウェイスト・センターでヤシ殻・紙製品を製作する有給訓練に取り組み、自分たちの資金で製作ユニットを設立した。 仕立て屋の廃棄物を利用して実用品や芸術品を作る訓練が行われた結果、ビズマヤ・パッチワーク・ユニット(Vismaya Patchwork Unit)が設立された。2004年6月にメダー・ガングリ(Medha Ganguly)が始めたプログラムにより、6人の若い女性の人生は変化することになった。普通の女性を芸術家にすることを目的としたこのプログラムにはパッチワーク・ウイメンズ・ライブズ(Patchworking Women's Lives)という示唆に富む名称がつけられ、仕立て屋の廃棄物を利用した実用品や芸術品が生み出されることになった。ビズマヤ・パッチワーク・ユニットは、初めは懐疑的であった人々によって設立された。
「パッチワークの訓練は、不思議な新体験だった。私たちは廃棄物を使って作業することに疑問を持ち、さまざまな布切れを縫い合わせるなんて馬鹿げたことだと思った。市場があるとは思えなかった。高価な服が売れる世界で、布くずで作られたものを買いに行こうとする人がいるのだろうかと思った」と、あるVismayaの少女はグループインタビューで答えている。「しかし今、私たちの製品をアメリカ、ドイツ、フィリピン、日本、イギリスの顧客が買い求めてくれている」 退屈でやる気のなさそうに見える少女たちをVismayaグループは、ゼロ・ウェイスト・センターに設けられたグループの中で最も活動的な少女たちに変貌させた。「現在、彼女たちは非常に精力的だ。作業計画や予算を作成し、自分たちの収入でミシンの購入まで行ったのだ」と、サナルの共同設立者であるJayakumarは言う。 (訳:野口知美) 資源を取り戻す
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コバラムの個人企業の46%はこの過程で明らかに強い関心を示し、夏だけ海岸線の施設を借りて商売する残りの個人企業よりも協力的であった。ケララ・ホテル・レストラン協会(HRA) の会長スドヒーシュ・クマール(G. Sudheesh Kumar explains)が述べるように”100会員のうち、積極的に協力したのはわずか25会員だけである。それは、ほとんどのホテルとレストランは施設を借りて営業しているからである。彼らはこの土地の者ではない。彼らを参加させるのは非常に難しい。彼らは下水や廃棄物管理の処理を行うことに関心がない。彼らのある者は、彼らの施設から廃棄物を他人が収集することすら許可しない。”スドヒーシュはまた、コバラムで、将来展望があり環境にやさしい施設、ホテル・シーフェースを経営している。 コバラムの資源回収プログラムは、二つの要素からなっている。非生物分解性物のための資源回収パークと生物分解性物のためのバイオ・ガス施設である。資源回収パークは非生物分解性物が再使用可物能物、リサイクル可能物、修理可能物、及び廃棄物に分別し、さらにその後の販売あるいは再使用のための保管場所である。 資源回収パーク(RRPs)は個人施設内で発生する不要物に対してはうまくいったが、海岸や共有地に散乱するゴミについては面倒を見る者はいなかった。2004年、ゼロ・ウェイスト・コバラムは初めて海浜クリーンアップ(清掃)を実施した。さらにその後、7回以上のクリーンアップを実施し、1万個以上のペット・ボトルを回収した。 ”海浜クリーンアップは長期的にはやりたくないことであった。しかしこのことは、問題点を目に見えるものにするためのひとつの手段として重要であると考えている。海浜クリーンアップには、それぞれ数十人の、時には数百人の人々が参加した。このクリーンアップは人々の意識を高めるための、さらにはゴミを散乱させその後で掃除するのはムダなことであると我々のことを見ている人々にその意義知ってもらうための一時であった。 (訳:安間 武) 食物から燃料へ
![]() バイオガス工場は、ゼロ・ウェイスト・コバラムの資源回収プログラムの中で最高位を享受している。資源回収プログラムの成功は、廃棄物の分別を普及させることができるかどうかにかかっていた。 コバラムの問題を分析したところ、このリゾート地にある会社の61%がいかなる種類の分別も守っていなかったことが示唆された。しかしながら、90%近くの会社が廃棄物は燃やされるべきではないと感じており、全ての会社が投棄はやめるべきだということに同意していた。 コバラム・ホテル・レストラン協会(KHRA)のいくつかの大企業の受容力を鑑みて、サナルは生物分解性廃棄物を転用するために、こうした大企業に努力を傾注することを決定した。2001年に行われた調査によれば、ピークの時期には毎日6.7トン以上の生物分解性不用物が排出され、そのうちの4トンが100のホテルやレストランから排出されていたという。こうした施設の約54%は、廃棄物を管理するための土地を持っていたことが判明した。 想定されたのは、個別施設や共用もしくは集団施設であった。2001年にこの計画が作成中であったとき、コバラムには3つのバイオガス施設があり、そのうちの1つだけ‐シーフェイス(Seaface)ホテルにある‐が機能していた。このタイプ‐ディーナバンドゥー(Deenabandhu)プロトタイプ‐は、コバラムに適したモデルとして採用された。 バイオガス工場設立に至るまでの準備作業には、廃棄物の出所での分別に関するホテルやレストランの職員訓練も含まれていた。含水及び乾燥廃棄物のための2瓶法を導入し、専任の操業者が設立された各々のバイオガス工場を管理するための訓練を受けた。 ホテル管理ケータリング技術研究所(IHMCT)は、モデルプロジェクトを実施する場所として特定された。この決定が促された理由は、IHMCTの所長であるモハンティ氏(B.N.Mohanty)が支援を約束したことと、このプログラムの実施によってホテル管理を学ぶ者たちにゴミ管理を直接体験するというまれな機会が提供されることにあった。 その施設は2003年2月に運用が開始され、小さな問題にぶち当たった。古い習慣や考え方を変える必要があった。人々は廃棄物の分別に慣れるまでに時間がかかったが、ゴミから発生したガスを台所で使うことを快く受け入れるまでには、さらに長い時間がかかった。「廃棄物を分別することによって参加するということに学生たちが抵抗している問題は全て、モハンティ氏の努力によって解決された」と、ゼロ・ウェイストの調整役であるシブ・ナイル(Shibu Nair)とサナルのシリダール(R.Sridhar)は記している。 バイオガス工場は、毎日300キロ近くの生物分解性廃棄物を転用している。ホテル管理ケータリング技術研究所にとって、それは月に5000ルピー(120ドル)の貯金となった。これとは別に、資源回収場で非生物分解性不用物が分類・保管されているが、それは操業を開始した年に12,000ルピー以上をもたらした。 ホテル管理ケータリング技術研究所の成功に勇気づけられ、ゼロ・ウェイスト・プログラムによって、さらに2つのユニットが設立された‐サムドラ・ホテルにひとつ、もうひとつはライトハウス・ビーチ近くの500キロ/日のバイオガスユニットで、ビーチにある15のレストランとホテルのために設立された。双方とも、それぞれの受益者により報酬を受けていた。サムドラ・ホテルの工場はホテルのボイラーに接続しており、ライトハウス・ビーチのユニットはビーチフロントの電灯に電力を供給する2.5キロワットの発電機に接続している。 バイコル・クラム(Vaikol Kulam)の共用バイオガス施設のための新たな提案は、工場が爆発の危険を意味しているという理由で、ビジンジャム(Vizhinjam)パンチャーヤトにより反対された。けれども、パンチャーヤトの反対は覆された。KHRAとゼロ・ウェイスト・コバラムは地方自治体の反対を重んじて、代わりの場所を探すことに決定したのである。 その他、広々とした構内を持つ3つのホテルは、独自に自分たちのバイオガス工場を設立した。ホテルの1つは、非生物分解性不用物を回収するために本格的なユニットの設立までも行った。 (訳:野口知美) 資金的持続性
![]() サナルのゼロ・ウェイスト・コバラム・プログラムのようなモデルが再生可能であるかどうかは、どのような財政的コミットメントが必要かということや、そうした資金がどのようなところから生み出される可能性があるかということに大きくかかっている。 ゼロ・ウェイスト・コバラムは国際的なつながりを利用して好ましい効果を生んだが、特にコミュニティやいずれかの利害関係団体に直接恩恵をもたらすプログラムにおいて、そのプログラムが地域の貢献といった実質的要素を持つことを確保するために配慮してきた。ゼロ・ウェイスト・コバラムは資金を募り、調査したり、技術を特定したり、バイオガス普及などの長期的支援の継続を促進したりするために費用を支払うことにしていた。しかし、バイオガス工場の設立やその管理のための費用は支払おうとしなかった。これは、受益者の貢献があったからであろう。同様に、ゼロ・ウェイスト・コバラムは物質代替・起業プログラムで女性自助グループに訓練を施すことはしても、訓練費用はこうした活動のために地方自治体が蓄えておいた資金から回収しようとしていた。 政府筋から資金を回収する機会は、5年前でさえも多くはなかった。しかし、それ以来、インドの地方自治体は自治体固体廃棄物令(Municipal Solid Waste Rules)によって、ゴミの管理において重要な役割を与えられるようになった。「1999年のときとは状況が違うため、われわれは資金を求めて外国へ行った」と、ジャヤクマール(Jayakumar)は説明する。「しかし、今はもう要領を学んだ。われわれは現在、利害関係のあるパンチャーヤトに対し訓練費用として貧困緩和のための予算を利用することを勧めたり、起業家に対し資本金のために特定の銀行と話をすることを勧めたりしている。ゼロ・ウェイストの場合と同じように、今、活動のさまざまな構成要素を分別し、それぞれの構成要素のスポンサーを見つけている」 (訳:野口知美) ゼロ・ウェイスト・コバラムの歩み
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(訳:安間 武) (続く)
(訳:安間 武) 訳注1:サナル(Thanal)
訳注2:ケララ州コバラム
From Wikipedia, the free encyclopedia http://en.wikipedia.org/wiki/Kovalam 訳注3:ゼロ・ウェイスト・コバラム http://www.zerowastekovalam.org/index.htm 訳注4:関連情報 The Hindu, Feb 13, 2008 / UNDP adopts zero waste Kovalam model http://www.hindu.com/2008/02/13/stories/2008021354140600.htm |