(05/8/18作成)

(05/9/13掲載)

[ジュスマイヤー版] [ジュスマイヤー版のCD]


Anton Armstrong/
St Olaf Choir and Orchestra
AVIE/AV 0047
(Rec.2004/5)
 モーツァルトの「レクイエム」を最初に補筆完成し、現在ではもっとも需要のある「版」を作り上げたことで音楽史に名を残したフランツ・クサヴァ・ジュスマイヤーは、彼自身の手になる「レクイエム」を2曲も作っていたことが、最近発売になったこのCDのライナーノーツによって明らかになっています。その「発見」の経緯を、プロデューサーであるマルコム・ブルーノは、このように記しています。
 2002年の秋に、ジュスマイヤーが長期間学んだ場であるオーストリアのリンツ近郊、クレムスミュンスターにあるベネディクト修道院で、ジュスマイヤーの2番目のレクイエムの写本を発見した(より簡略な形の「第1番」は、1786年に、やはりここで作られている)。作曲家の生前に演奏された形跡はなく、正確な作曲年代や、どんな目的で作られたものかも、明らかではない。しかし、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」や「魔笛」といったモーツァルトの曲との類似点があることから、1791年以降に作られたことは推測できる。
 自筆稿ではなく「写本」というのが微妙なところですが、とりあえずはこのブルーノさんの話は本当のことだということにして、この「世界初録音」となる「ジュスマイヤーのレクイエム」を聴いてみることにしましょう。その前に、この録音ではすでにこのプロデューサーの手によってある種の「改竄」が加えられていることも明記しておかなければならないでしょう。彼が行った措置は、次の3点です。
1.楽器編成はヴィオラのない弦楽合奏と通奏低音、それにナチュラル・ホルンだが、そのナチュラル・ホルンを「バセット・ホルン」に置き換えた。
2.各楽章で、3分の1から半分に及ぶカットを行った。
3.「Sequenz」を2つに分け、その間に「Offertorium」を挟みこんだ。
 特に、2.や3.のような、音楽の根幹に関わる改変を行ったのには、彼なりの理由がありました。まずこの曲で特徴的なのは、テキストがラテン語ではなく、それをドイツ語に訳したもの、しかもそれがかなり自由に韻を踏んだ「歌」の形に直されているということです(例えば「Dies irae」は「Am Tags des Zorns」となります)。そして、どの楽章も有節歌曲、つまり「1番」、「2番」といった同じ形の短い「歌」の繰り返しになっているのです。そうなってくると、この曲のテキストの場合「Sequenz」では同じメロディーの「歌」を8回も繰り返し聴かなければならないことになります。それではあまりに冗漫だということで、ブルーノはそれを半分カットし、さらに前後に分けるということで、演奏会での鑑賞に堪えるものにしたというのです。
 改変される前の曲順、それぞれの楽章の節(歌の回数)は、次のようになります。
Praeludium オーケストラだけ
Zum Eingang 3節
Zur Sequenz 8節
Zum Offertorium 5節
Zum Sanctus und Benedictus 4節
Zum Agnus und Kommun 3節
Postludium オーケストラだけ

 そんな「予備知識」を持った上で、聴いてみましょう。曲の構成を見た時に予想できたことですが、この曲からは、いわゆる「レクイエム」から想像される、多くの場面を持つ起伏に富んだ音楽を聴くことは出来ません。ここにあるのは、まるで民謡のようなシンプルな「歌」の繰り返しなのです。
 その「歌」のテイストは、どの楽章をとってみても全く同じものに感じられます。そう、そこには、あの「モーツァルト」の「Benedictus」、あるいは「Lacrimosa」の後半と極めて共通性を持つ世界が広がっているのです。それは、18世紀末のウィーンの香りがあふれている音楽、もちろんモーツァルトその人の中にも確かに存在していた音楽には違いありません。
 モーツァルトのレクイエムの中で、「Sanctus」や「Benedictus」などは、ジュスマイヤーが自らの裁量で「作曲」したというのは紛れもない事実です。ですから、そこに不純なものを認めたモーンダーあたりは、この部分を丸ごとカットするという思い切ったことも行ったのでしょう。しかし、例えば「Benedictus」の持つある種優雅なたたずまいは、モーツァルトを始めとするこの時代の作曲者の表現の一つの「型」を見事に作品にしたものだとは感じられませんか?だからこそ、それがモーツァルトのオリジナルの中にあっても特に違和感を抱かれることはなかったのでしょう。
 モーツァルトのレクイエムの中でジュスマイヤーが担当したパートは、彼の感性とスキルで充分にその存在を主張できるものでした。しかし、一つの「ミサ曲」を作りあげるためには、それだけではない、もっと他の才能も必要になってくる、そんなことが、このアルバムを聴くとまざまざと分かってきます。もちろん、それにはこのブルーノさんの「発見」したものが間違いなくジュスマイヤーのものである、という前提は欠かせませんが。