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ドビュッシーのオーケストラ作品

「ドビュッシーの作品の編曲」も覗いてみてください

(97/11/11掲載)


ドビュッシーの写真

 来年と再来年の春の定期演奏会には「小組曲」、「夜想曲」と、ドビュッシーの作品を続けて演奏する可能性が、極めて濃厚になってきました。そこで、クロード・アシル・ドビュッシー(18621918)についての認識を深めるために、手始めに彼の全てのオーケストラ作品をリストアップしてみました。 

 ここで問題になるのは、はたしてどこまでが「オーケストラ作品」なのかということですが、一応ここではオペラやカンタータのように声楽が入るものは除外してあります。ただし、オーケストラ部分だけ抜き出して演奏される機会のあるものは含めました。それとあとひとつ、主に出版社からの要請で生まれることになったピアノ曲からの編曲物については、ドビュッシー自身が編曲したものや他人の編曲でも作曲者が生前承認したものは入っていますが、死後勝手に作られたものは除きました。
 さて、このリストをご覧になって、みなさんはどんな感想をもたれますか?「編曲者」の欄が空白の、つまり他人の手をわずらわしていない作品が意外と少ないとは思いませんか?
 そうなのです。ドビュッシーが最後のオーケストレーションまで全て自分の手で仕上げたフルサイズのオケのための曲というのは、実は「牧神」、「夜想曲」、「海」、「遊戯」の4曲しか無いのです。(「映像」は第1曲でカプレの手を借りていますし「幻想曲」は改作を考えていたため、生前には出版されていません。) 

Decca 444 386-2
ドビュッシーといえば、「印象派」の創始者として、色彩的な技術を駆使した、管弦楽法の達人と思われています。ところが、実は彼のオーケストレーションに対する態度というのは、驚くほどきまぐれで無頓着な面がみられるのです。時として、自分のピアノ曲をオーケストラに直すのには、過剰とも思えるほどのこだわりをみせることがあったりします。自分で手掛けた「レントよりおそく」などはツィンバロンのカデンツを盛り込んだりして、ドビュッシー本人でなければ出来ないような凝った編曲です。この曲はデュトワ/モントリオール響のCDだったらすぐ手に入りますから、聴いてみて下さい。
 しかし、これは珍しい例で、たいがいの場合はこういった編曲は他の作曲家にまかせてしまうことが多いのです。今度演奏する「小組曲」はそんなケースですね。
 また、オーケストラの曲として構想していた場合でも、ピアノのスケッチまで出来上がった段階で、残りのオーケストレーションの仕事は同僚たちに譲ってしまうということがしばしば行われています。これは、ピアノ譜が完成した時点でもはやオーケストレーションに対する興味を失ってしまったり、特に晩年は山積する実務と健康に対する自信のなさから、時間とエネルギーが不足していたためなのです。
 私の個人的な感想では、ドビュッシーの曲というのは、今まで誰も思いつかなかったような和声と旋法によって、ピアノスケッチの状態でもうすでに十分に色彩的な世界が展開されています。だから、もはやオーケストラに編曲する必要性を感じなくなってしまったとしても無理はないと思えるのですが。
 ※この文は、上記CDの
Calum MacDonald による英文ライナーノーツによって、多くを触発されたことを申し添えます。

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