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(08/7/29掲載)

[アンタールの初稿と第2稿の比較] | [曲目解説](PDF)


稿と版 (英:version and edition 独:Fassung und Ausgabe

 今年、2008年は、ロシアの作曲家リムスキー・コルサコフの没後100年という記念の年にあたっています。そこで、仙台ニューフィルの客演指揮者新田ユリさんはそれにちなんだ曲ということで、選曲にあたって彼の2番目の交響曲「アンタール」をご所望されました。しかし、そのような提案を受けても、そんな珍しい曲は誰も聴いたことすらありません。検討にあたっては、技術委員の一人が見つけた音源をみんなで聴いて、やっと曲の概要を知るといったありさまでした。
 それでも、めでたくその曲は演奏会の曲目に決定し、楽譜も配られて練習が始まります。と、そのうちに不思議なことが起こりました。参考のためにCDを買って聴いてみたところ、楽譜とは全然違っている、という人が現れたのです。同じタイトルなのに、第1楽章の後半などは、全く別の曲だ、と。
 もうすでにお気づきと思いますが、これはCDと楽譜が別の「稿」によるものだったことにより起こったことなのです。作曲家によっては、一度書き上げた楽譜をさまざまの事情で書き直すことが良くあります。リムスキー・コルサコフの場合も、この曲についてはなんと4種類もの楽譜を作っているのです。そのように、同じ曲でも作曲家の気まぐれのために生まれてしまった何種類かの楽譜を区別するために使われるのが「稿(こう)」という言葉です。英語では「version」、ドイツ語では「Fassung」です。日本語で「バージョン」という場合より、狭い意味として使われるような気がしませんか?いずれにせよ、作られた順番に「第1稿」、「第2稿」・・と呼ばれたり、作られた年代を頭に付けて「1875年稿」などと呼ばれたりします。「アンタール」の場合は、次のようになります。
第1稿(初稿) 1868年(1949年に出版)
第2稿     1875年(1880年に出版)
第3稿     1897年(1913年に出版)
第4稿     1903年(1903年に出版)
 今回ニューフィルが演奏するために用意したのは、指揮者の指定による「第2稿」の楽譜でした。しかし、渡されたKALMUS版のパート譜にはそんな表記はありませんでしたから、その時入手しやすかったCDが、たまたまスヴェトラーノフの録音によるものだったりすると、そこからは楽譜とは全く異なる音が聞こえてくることになってしまいます。このCDには「1876年版」などという訳の分からない表記があるので混乱してしまいますが(「1876年」というのは「第2稿」が初演された年)、この演奏は明らかに「第3稿」の楽譜を使ったものなのですから。

 「第1稿」に関しては、今のところCDは出ていないので、実際の音を聴くことは不可能です。しかし、他の稿のものはすべて聴くことが出来ます。これらを聴き比べると、「第2稿」と「第3稿」の間ではかなり大きな違いがあることが分かります。第1楽章の最初からいきなり弦楽器の終わりの音が「第2稿」では伸ばすようになっているものが「第3稿」ではスッパリ切れていたりと、はっきり違っているのが聴き取れます。そのあとに出てくるフルートソロも、音が違っていますし。そして、後半は全く別の音楽になっています。第2楽章は、細かいリズムが変わっている上に、キーが半音高く(嬰ハ短調がニ短調に)なっています。第3楽章では、最初のテーマのリズムが違います。フィナーレでは、ソロの楽器が異なるなど、オーケストレーションが各所で違っています。ところが、なぜか「第3稿」より後に出来たはずの「第4稿」では、その違いがなくなって、逆に「第2稿」とほとんど変わらない(第1楽章の91小節の後に1小節挿入されているのと、第2楽章のテーマのアウフタクトが四分音符なのは、「第3稿」を踏襲しています)形に戻ってしまっているのです。これはいったいどういうことなのでしょうか。
 そうなってしまったのには、事情があります。作曲家は「第3稿」が出来た時点で、今まで出版されていた「第2稿」に代わって新しい楽譜を出版したかったのですが、出版社がそれに難色を示します。当時の楽譜印刷は、銅板を掘ったものが原版となっていましたから、それをまるまる掘り直すのには多くの手間と経費がかかります。それを避けるために、簡単な修正で済むように、必要最小限の改訂を求めたのです。仕方なく、作曲家は「第2稿」のほんのわずかの部分だけを改訂したもの(「第4稿」)を、出版することを余儀なくされるのです。本当の意味での改訂稿である「第3稿」が出版されたのは、彼が亡くなった後のことでした。つまり、この曲の場合、出版に関しては「第2稿」→「第4稿」→「第3稿」→「第1稿」という順番になっているのです。

 そのように、改訂の課程が必ずしも時系列に沿ったものではない場合もままあります。例えばJ・S・バッハの「ヨハネ受難曲」などもそんな複雑な「稿」の履歴を持ったものです。その詳細はこちらでご覧になって下さい。

 ちなみに、現在出回っているCDでは、圧倒的に「第2稿」による演奏が多くなっています。しかし、それは実際に音を聴いてみて初めて分かることで、先ほどのスヴェトラーノフ盤に見られるように、その演奏がどの稿によっているものかという表記は、まさに混乱の極みです。
 例えば、キタエンコ盤(CHANDOS)などは、このサイトでも堂々と「1897年稿」つまり「第3稿」と表記されていますが、音は第2稿です。また、現在ではおそらく唯一の「第4稿」による演奏だと思われるヤルヴィ盤(DG)のライナーノーツでは、その演奏が「第3稿」だというような記述が見られます。もちろん、ネット通販のサイトのコメントなどもまちがいだらけ、マゼール盤(TELARC)などは、珍しい「第3稿」だというのでわざわざ取り寄せてみたら、ただの「第2稿」でした(タイトルにジャケットを使ったので、元は取れてます)。

 作曲者自身が残した「稿」をもとに印刷された物が、「版(はん)」です。英語では「edition」、ドイツ語では「Ausgabe」ですね。多くの場合、出版者の名前を付けて呼ばれます。ただ、意外に思われるかもしれませんが、作曲者が書いた楽譜と全く同じ物がそのまま印刷されることはほとんどありません。なにしろ、例えばベートーヴェンの書いた楽譜などは、そもそもがひどい悪筆の上に、何度も何度も書き直した跡が残っていますから、それを読み取るだけでも大変な苦労を伴います。シューベルトあたりも、アクセントとディミヌエンドが非常に紛らわしい書き方になっていますから、長い間本当はアクセントだったものがディミヌエンドで印刷されていたという楽譜が横行していたものです。しかも、そんな状況は、なにも昔の作曲家だけに限った問題ではありません。つい最近まで活躍していた世界的な作曲家武満徹の楽譜でさえ、きちんと検証すると現在の印刷譜には多くのまちがいが見つかるというほどなのですから。
 そんなことでは具合が悪いのは、誰にでも分かる理屈でしょう。したがって、あくまで作曲者の意図をきちんと伝える楽譜を作るための努力もなされることになります。自筆稿のみならず、あらゆる資料を比較検討して、その中で最も正しいと思えるものを選び出すという気の遠くなるような作業の果てに生まれたものが、「批判校訂版(クリティカル・エディション)」と呼ばれるものです。
 しかし、多くの資料を基に客観的な視点で「正しい」楽譜を作ろうとしても、そこは人間のやることですから多少の主観が入ることは避けられません。その結果、同じ「批判校訂版」と謳われているものでも、校訂にあたった人によって異なる楽譜が出来上がってしまうということも起こりうるのです。実際に、例えばベートーヴェンの交響曲では今までにおそらく4つ程度の出版社から「批判校訂版」が刊行されましたが、それぞれは細かいところで何ヶ所も異なっているのですからね。
ペータース版 1980年代頃に、旧東ドイツで作られた批判校訂版です。校訂者はペーター・ギュルケとペーター・ハウシルトです。クルト・マズアとゲヴァントハウス管が、この版の全曲録音を行っていました。ギュルケの校訂による「5番」では、第3楽章でのトリオの反復を巡って論議を呼びました。現在では絶版となっています。

ヘンレ版 1995年にアルミン・ラープの校訂で「1番」と「2番」が出版されたきりです。最近では、ブライトコプフ社のカタログに掲載されています。

ベーレンライター版 1996年(「9番」)から2000年(「7番)」にかけて刊行された、ジョナサン・デル・マーによる批判校訂版です。この版を使ったとされるCDも続出し、一つのブームのようになったものです。

ブライココプフ版 「ブライトコプフ」といえば、かつては「今まで使われていたいい加減な版」という印象が強かったものですが、クライヴ・ブラウンと以前ペータース版に携わっていたハウシルトによって、1994年の「7番」(ハウシルト)を皮切りに新たな批判校訂版を出版し始めました。2005年の「9番」(ハウシルト)の刊行によって、現在ではすべての交響曲が旧版からこの版に置き換わっています。もっとも、「置き換わった」と言ってもそれはあくまで出版社のカタログの中の話、世界中のオーケストラのライブラリーがこの「新版」に置き換わるのは、まだまだ先のこと、もしかしたら、永遠にそんな日は来ないのかもしれません。


ドヴォルジャーク


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