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(05/5/18作成)

(05/6/7掲載)


テイク(英)Take 
 生きていく上では全く必要のない無駄な知識を披露している「まちがい音楽用語辞典」です(どこかで聞いたフレーズ)。さて、ジャンルを問わず合唱が好きな私ですが、TAKE6というお気に入りのコーラスグループがあります。この名前、「タケロク」と、まんまで呼んでいた人がいましたが、もちろん「テイク・シックス」というのが正しい呼び方。彼らはブラック・ミュージックの範疇で語られることもありますが、基本的な出発点はジャズ、その志が、この名前にも現れています。つまり、この元ネタは、「テイク・ファイブTAKE 5」という、デイヴ・ブルーベック・クヮルテットのサックス奏者ポール・デスモンドが書いたジャズ史上に残る名曲。それに対するリスペクトを込めて、6人編成であるこのア・カペラグループが、自らをこのように命名したといわれているのです。
 この元ネタの「テイク・ファイブ」の方は、ご存じのように5拍子という変拍子を使っているために付けられたタイトルではあるのですが、同時に、いかにもミュージシャンらしい遊びも込められています。それは、この「テイク」という言葉が、レコーディングなどの時に用いられる専門用語でもあるからなのです。つまり、テープレコーダー(最近ではテープを使わないデジタル録音が主流になっていますから、これは実際の機材ではなく「録音」という概念を指し示すものだと受け取って下さい)をスタートさせてから止めるまでの1回分の録音のことを「テイク」と言うのです。通常スタジオなどでレコーディングを行うときには、1回で終わらせてしまうことはまず考えられず、同じ部分を何回も繰り返して録音、その中で一番良いものを選んだり、場合によってはそれぞれの良い部分だけをつなぎ合わせて完成品を作り上げるということが行われます。その際に、それぞれの「テイク」を識別するために、「テイク1」、「テイク2」というように順番に名前が付けられます。つまり、「テイク5」というのは、「5番目のテイク」という意味を持っているのです。もしかしたら、この曲を作ったときにはまだタイトル付いていなかったものが、たまたま5番目のテイクが良い出来だったので、「5拍子」との符合に感激して、そのまま正式なタイトルになってしまったのかもしれませんね。

 この「テイク」という概念は、そもそもは映画の分野で用いられていたものでした。カメラを回し始めてから止めるまでの1回分に撮影されたものが「テイク」と呼ばれていたのです。監督は、満足のいく映像が得られるまで、同じシーンを何回も撮影します。その時に「テイク」の識別に使われるのが、いわゆる「カチンコ」と呼ばれる道具、ここに「シーン」と「テイク」をチョークやマーカーで書き込んで、フィルムの頭の部分に撮影しておくのです。ボードの上が拍子木のようになっているのは、同時録音の場合、これで「カチン!」と音を出しておけば、あとで音声と映像をシンクロさせるときに役立つからです。

 レコードの録音に、話を戻しましょう。スタジオで録音する場合は、一つの演奏について複数の「テイク」が取られるのは当たり前のことですが、これがライブ録音になると、そうはいきません。何しろ「生」の演奏は1回しか行われないのですから、録音も1回こっきり、まさに「テイク1」が全ての世界になってきます。確かにそのような、歴史的に価値のある演奏を録音したものは数限りなく商品化されており、それはまさに一度限りの記録としての重みを与えてくれるものです。多少の演奏上の傷や、演奏以外のノイズが入っていても、それは確かな臨場感として、容認されるものなのです。
 ところが、最近では録音経費の節減という見地から、わざわざスタジオで録音セッションを組むのではなく、通常の演奏会をそのまま録音して商品としてのCDやDVDを作るという手法が盛んに取られるようになってきました。お客さんを前にして完成された姿の演奏が披露されるのですから、それをそのまま録音してしまえば、スタジオでリハーサルを行う手間も省けるという、非常に効率の良い仕事になるわけです。ただ、やはり商品ですから、突発的な事故や、耳障りな会場ノイズなどは出来ればないに越したことはありません。そこで考え出されたのが、ライブ録音でも複数の「テイク」を確保するという手法です。1度だけの演奏会とは言っても、本番の前には殆ど総練習(ゲネラル・プローベ、GP)という、本番と変わらないテンションでの通しの演奏を行いますから、その「テイク」を取っておけば、最低2種類の「テイク」は得られることになります。これには、本番の演奏のあとには必ず入る「拍手」という壮大な「ノイズ」を、その部分だけGPのテイクを差し替えて、全く消し去ることも出来るという効用も備わっています。中には、同じ演奏会を数回連続して行うこともありますから、その場合は編集に必要な「テイク」はもっと多く得られるということになります。この手法は、もはやオーケストラやオペラなどでは完全に日常化した録音方法になっているようです。かつて、ジョン・カルショーが行っていたような、スタジオで手間暇かけて理想的な演奏を作り上げるという作業は、完璧に過去のものとなってしまったのでしょうか。

 そんな、複数のテイクを用いて、見事に本番のミスを修正した例を、2、3ご紹介してみましょう。まずは、あのベルリン・フィルが毎年大晦日に開催している「ジルヴェスター・コンサート」です。これは、その模様が全世界に「生」放送されていて、日本でもそれをリアルタイムに見ることが出来るという、ウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」と並ぶクラシック界の大イベントなのですが、「それ」が起きたのは19991231日のことでした。この年のコンサートは1900年代の最後を飾る年の大晦日ということで、「グランド・フィナーレ」と名付けられ、ベートーヴェンからシェーンベルクまでの作品の、「最後の」部分だけが演奏されるという、とんでもない企画が遂行されていたのでした。その中に、ドヴォルジャークの交響曲第8番の「第4楽章」がありました。この曲にはフルートが大活躍をする場面が数多くありますが、とりわけこの楽章の大ソロは、とても目を引く華やかなものです。これを吹いたのが、当時このオーケストラの首席フルート奏者だったエマニュエル・パユでした。普段は完全無欠の演奏を誇るパユですが、この日はさすがに「全世界同時中継」ということで緊張したのでしょうか、そのソロをものの見事に失敗してしまったのです。もちろん、それは、このテレビを見ていた「全世界」の人々の耳にもしっかり届いたことでしょう。しかし、後にこのコンサートの模様がDVDになって発売になったときには(ジェネオン/PIBC-1061 廃盤)この部分は見事に傷のないものになっていたのです。実はこのコンサート、「大晦日の」とは言っていますが、実際にはその前日1230日にも全く同じものが演奏されているのです。そちらもしっかり記録(確か音声だけだったと思いますが)してあったため、失敗していない「テイク」が存在していました。かくして、その部分を差し替え、全く傷のない完璧な演奏が出来上がったというわけです。しかし、製品としては傷のないものになったところで、フルート奏者の心に残った傷は、そう簡単には癒されることはなかったのでしょうか、しばらくして、彼はこのポストを去ることになるのです(2002年にはまた復帰、花形プレーヤーとして大活躍をしていることはご存じの通りです)。

 もう一つは、日本での例。1990年9月7日、NHK交響楽団の定期公演Cチクルス初日の会場となったNHKホールには、ただならぬ緊張感が漂っていました。なにしろ、1985年の第11回ショパンコンクールでセンセーショナルなウィナーとなった、あのスタニスラフ・ブーニンがラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に初めて挑戦するというのですから。満員の聴衆の見守る中、外山雄三指揮のN響をバックにしたピアニストは、しかし、必ずしも万全のコンディションではなかったようです。いまひとつオケとしっくりいっていないなと思っていたら、とうとうやってくれました。第3楽章最後の盛り上がりの直前の3連符が続くところで、突然音が分からなくなって「手探り」を始めてしまったのです。バックの木管も混乱の極み、演奏は完全に崩壊してしまいました。当時は、N響の定期公演は全て生放送されていましたから、この模様はやはりしっかりと全国のお茶の間に届いたのでした。後日、「N響アワー」でこの演奏がON AIRされた時には、問題の箇所の音声は2日目の「テイク」に差し替えられていました。もちろん、そのままでは画像と尺が合わなくなるので、なんと第2楽章の最後の絵がはめ込まれるという、おまけ付き。これで、何も知らないでいたら、ミスのない立派な演奏に見えるわけです。ちなみに、ブーニンは今日に至るまで、この曲のレコーディングは行っていません。


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