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(08/11/6掲載)


プロセニアム (英:proscenium
 8年ぐらい前に流行ったステーキの焼き方(それは、「ミレニアム」・・・いや、ステーキの焼き方ではではなかったような)、ではありません。
 「プロセニアム」というのは、劇場で舞台と客席を隔てる部分のことを呼ぶ時に使われる言葉です。言ってみれば、舞台の額縁のようなものですね。劇場の舞台の両端には、出演者が待機したり舞台装置が置いてあったりしますし、上の方は吹き抜けになっていて、そこに緞帳やカーテン、あるいは舞台装置などがつり下げられています。そのようなものをお客さんの目に触れさせないための目隠しのような働きをしているものなのです。そのように舞台の三方を覆っているので、「プロセニアム・アーチ」と呼ばれることもあります。

 演劇やオペラなどを上演することを目的とした「劇場」と、オーケストラなどの音楽の演奏を目的とした「音楽ホール」の両方の機能を満たすために設計された「多目的ホール」という建築物は、長い間日本のホールの主流となっていました。まずは「劇場」として使うわけですから、プロセニアムは不可欠のものとなります。ただ、そのままだと音楽を演奏するときには音が上に抜けてしまうので、それをきちんと客席に届けるためにステージのまわりには「反響板」が設置されます。そして、天井はプロセニアムに向かってなだらかに下がっていき、反響版と連続しているような形を取ることになります。これで、「音楽ホール」としての特性が確保できることになるのでしょう。こんな、プロセニアムと天井が一体化した(このあたりに設置されて、場内のPAとして用いられる大きなスピーカーは「プロセニアム・スピーカー」と呼ばれていますね)不思議な意匠の内面を持つ建物は、長い間「ホール」の一つのスタンダードとなっていました。

 そのような「多目的ホール」は、確かにどのような用途にも使えるものですからホールの運営面ではありがたいものです。しかし現実には、例えば残響時間の設定などでは、用途によって大きく異なってくるのは当然のことです。クラシック音楽の生演奏では、音を響かせるための豊かな残響が必要ですが、演劇などではあまり残響が多いと台詞が不明瞭にしか聞こえなくなってしまいます。ですから、音響的な設計は、どうしても折衷的なものにならざるを得なくなり、音楽ホールとして使う時には必ずしも充分な特性を備えたものになってはいないというのが、このタイプのホールの欠点だったのです。
 しかし、最近になって、そのような制約にとらわれない音楽専用ホールが建設されるようになってきました。PAを使わずに「生の音」を美しく響かせることを最優先に設計されたホールが、なぜか、全国いたるところに作られるようになったのです。その際にお手本となったのが、例えばウィーンのムジークフェライン・ザールとかアムステルダムのコンセルトヘボウといった、長い歴史を誇る外国のホールでした。それらは、別に科学的な音響設計などに頼って造られたものではないのですが、なぜか非常に美しい響きを持っていました。おそらく、長い音楽文化の中で経験的に培われたノウハウが結集された「職人」の魂が、そこには宿っていたのでしょう。そのような良い響きを生み出す要因を探ってみると、それらのホールは、ステージと客席を含めた空間が、まるで大きな直方体の箱のような形をしていたのです。それは、どの壁面をとってみても長方形という、ちょうど靴の箱のような形をしていたことから、「シュー・ボックス」と呼ばれていました。

 「シュー・ボックス」のホールには、したがってステージと客席を隔てるプロセニアムは存在していません。天井は客席からステージまで平らにつながっています。そして、ステージ上の音は、天井や壁面にそのまま反射して、豊かな残響を産むことになるのです。ちなみに、「音楽ホール」としては、1963年にベルリン・フィルの本拠地として造られたフィルハーモニーで初めて採用された「ワインヤード型」のホールの存在も見逃せません。こちらにもプロセニアムは存在せず、ステージのまわりを取り囲むように客席が配置されています。

 ところで、かつて、「多目的ホール」として建設されたホールが、シュー・ボックスタイプの「音楽ホール」として生まれ変わる、ということが、最近ありました。それは、1957年に造られた「東北大学川内記念講堂」という建物です。もともとはその大学の創立50周年を記念して造られたもので、もちろん当時の趨勢であったプロセニアムを持つ多目的ホールでした。
 それから50年を経て、その大学が100周年を迎えたときに、このホールの外観はそのままに、内部だけを音楽ホールに作り替えるという大工事が行われました。その大学のある仙台市には、不思議なことに1000人以上のお客さんを収容できるような音楽ホールは一つもありませんでした。ですから、そのような需要の間隙を縫うような意味も、この改装にはあったのです。

 200810月にこけら落としの運びとなったそのホールは、正式の名称を「東北大学百周年記念会館」と改め、同時に公募により「川内萩ホール」という愛称も持つことになりました。

 左が昔の「記念講堂」、右が新しい「萩ホール」です。このように、プロセニアムを持っていたホールは、全く別の形のシュー・ボックスとして生まれ変わりました。その変更のポイントは、まず扇形となっていたホールの客席を、左右の壁を内側に移動して長方形とすることでした。赤線が昔の客席、青線が現在の客席です。狭くした部分のスペースは、下の写真のようにバルコニー席となっています。

 そして、もう一つのポイントは、プロセニアムを取り払い、天井をステージの上までほぼ平らにしたということです。赤線が新しい天井とステージです。おそらくこれが、最大の難工事となったことでしょう。

 こうして出来上がった新しいホールは、ステージも格段に広くなり、合唱付きのオーケストラでも楽々と演奏できるスペースを持っています。ホール内の響きは、たっぷりとした残響にもかかわらず、決して元の音が邪魔されるようなことはなく、とても柔らかで美しいものです。それは、今まで仙台市には全くなかった真の意味でのコンサートホールの誕生を予感させるものでした。


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