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(09/11/27作成)

(09/12/8掲載)


OVPP (英・略:One Voice per Part
 世の中には、ある特定のサークルの中でしか通用しない言葉がたくさんありますね。部外者にとってはなんの意味も持たないそんな言葉たちの中で、特に英語のアルファベットを用いた「三文字熟語」や「四文字熟語」などは、その分野の仲間内以外の人には全く理解不能、おそらく彼らは一生使うこともないようなものが目白押しです。ですから、そんな全く別の世界で用いられている「略語」を脈絡なく並べたとしたら、それらを同時に理解できる人などは本当に限られてしまいます。例えば、「OHP」と「PVC」と「VCO」が、それぞれなんの略語なのか、全てを正確に答えられる人っていますか?
 正解は、「OverHead Projector」(事務用語)、「PolyVinyl Chloride」(化学用語)、「Voltage Controlled Oscillator」(シンセサイザー用語)。これだけの「異業種」を一人の人間がカバーするのはちょっと大変です。

 そこで、この「OVPP」です。「OECD」とか「OPEC」でしたら、よく新聞を賑わしていますから大抵の人は知っていることでしょう。しかし、「OVPP」などという言葉が新聞に載ることはまずありません。これこそ究極の「部外者以外は知ることのない」言葉、したがって、この言葉が含まれる文章では、「オレは、誰も知らない言葉を使ってるんだぜ」という優越感が、行間からにじみ出ていることが多いものです。

 「One Voice per Part」、直訳すれば「パートごとに一人の声」ということになるのでしょうか、それは、もっぱらクラシック音楽、それも合唱関係という、極めて限られた世界の中でしか通用しない言葉です。文字通り、これはそれぞれのパートを一人ずつで歌う、という状況を指し示す概念です。楽譜に「ソプラノ1、ソプラノ2,アルト、テノール、バス」という指定があれば、それを5人の歌手がそれぞれ別のパートを歌ったときに、この概念が当てはまります。
 ただ、実際にはある特定の作曲家の作品に於いてのみこの「OVPP」という言葉が使われる、というところが非常に重要なポイントです。その作曲家とは、ヨーハン・ゼバスティアン・バッハ、いわゆる「大バッハ」です。彼の作品の中では、教会で演奏されるために作られた声楽を伴う曲が大きな位置を占めています。「カンタータ」、「受難曲」、あるいは「ミサ曲」などがそのような曲です。オーケストラの伴奏によって、それらの曲ではある時はソリストがレシタティーヴォやアリアを歌い、ある時は合唱がコラール(賛美歌)などを歌うという形で、演奏が進行していきます。その時に、ソリストと合唱団がどのようになっているかイメージしてみましょうか。例えばベートーヴェンの「第9」などを考えてみると、ソリストは4人、そして、少なくとも50人以上、多いときには何百人もの合唱団がオーケストラの後方に並んでいるはずです。ただ、バッハの場合、実際に教会で歌っていた合唱団の人数というものはそんなに多くはなかったということは、詳細な研究の結果分かっていますから、それよりは少人数、場合によってはそれぞれのパートが3人ぐらいのこともあったのでは、と言われています。いずれにしても、それぞれのパートは複数の人が歌う、というのが、普通のやり方だとされていました。

 ところが、このような「常識」を覆すような事件が、1980年代の初頭に勃発します。アメリカの音楽学者、ジョシュア・リフキンという人が、バッハの「ロ短調ミサ」BWV232の演奏形態について、「バッハは、この曲の合唱は、ソリストがそれぞれのパートを一人ずつで歌うように作っていたはずだ」という、当時としては信じられないような説を学会で発表したのです。この曲が演奏されたときのパート譜等を詳細に検討した結果、合唱の部分は「合唱団」が歌っていたのではなく、ソリストたちが歌っていたことが明らかになった、と言うのです。彼は、それを単なる学問的な主張に終わらせることはなく、実際にその形態で「ロ短調ミサ」のコンサートを開催、さらにそれを録音してLPCD(これがリリースされたのは、まさにCDが発表された直後でした)を作り、全世界に向けて実際の「音」として発表したのです。
ジョシュア・リフキン指揮 バッハ・アンサンブル(NONESUCH:82/1録音)

 これはまさにセンセーションな出来事として受け止められ、賛成、反対の両陣営を巻き込んで、熱い議論が戦わされたはずです。しかし、当初はいかにも突飛な発想のように受け止められていたものの、特にオリジナル楽器を演奏する団体や指揮者を中心に一つの可能性として挑戦する人が次第に現れるようになってきました。それから30年近く経った現在では、もはやこの考えは確固たるものとしての地位を獲得しているようにも見られます。「1パート1人」とまでは行かなくても、「1パート1〜2人」という団体まで含めると、とりあえず手元にはこれだけの「OVPP」に従った録音がありました。

 オリジナル楽器系の演奏家の場合は、今やほとんどこの形態で演奏するのが当たり前、といった様相を呈していますね。ただ、モダン、オリジナルを問わず、この曲の合唱パートは「合唱」で歌うにはあまりに難しすぎるのでは、という箇所が多々あることを、常々感じていました。最大の難所は、「ニケア信教」の6曲目、「Et resurrexit」の74小節目から始まるバスのパートでしょう。合唱で歌っているもの(→音源)と、ソロで歌っているもの(→音源)を比べてみて下さい。大人数で歌うのにはちょっと現実的ではないパッセージのようには思われないでしょうか。実は、「OVPP」などという言葉が生まれるはるか前、1960年に録音されたロバート・ショーの演奏(RCA)を聴くと、この部分は「一人で」歌わせています。この卓越した合唱指揮者は、感覚的にこの部分が「合唱」には馴染まないことが分かっていたのでしょうか。
 最近では「ロ短調ミサ」に限らず、「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」、さらにはカンタータまでも、「1パート1人」に近い編成で演奏されることが多くなっています。「ロ短調」ではそのように必然性が感じられるものの、他の曲については何がなんでも一人で歌うということには、それほどの意味は見いだせないのが、正直な思いです。

 いずれにしても、そのような広がりまで持つようになったこの演奏形態を端的にあらわした「OVPP」という「四文字熟語」を最初に案出したのは、そんな動きが活発化した1990年代の半ばごろ、インターネットのメーリングリストの中でこの言葉を使ったスティーヴン・ラングレイ・ガイという人物だ、と、ものの本には書いてあります。この言葉は、決して「創始者」のリフキンが用いたものではなかったことは、注意しておく必要があるのではないでしょうか。


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