TopPage  Back


(07/9/16作成)

(07/9/23掲載)

[ 改訂版(「のだめ」ネタ1) | 劇伴(「のだめ」ネタ2) | 人名(「のだめ」ネタ4)]


誤訳(英:mistranslation

 外国語を日本語に直したり、その逆に日本語を外国語に訳したりという翻訳の作業は、なかなか大変な仕事です。どんなに注意していても人間のやることですから間違えないわけはありません。さらに、専門分野に疎い人が翻訳を行うこともあるわけですから、笑うに笑えない間違いも生じてきます。映画の日本語字幕などは、その最たるもの、これは実際に元の言葉が流れていますから、誤訳を探すのは1つの楽しみでもあります。その分野(「映画」ではなく「誤訳」)でつとに有名な○田奈津子さんなどは、あの「アマデウス」の中で、「death mass」という言葉を「デスマスク」と訳していたそうです。もちろん、これは「死者のためのミサ=レクイエム」が正しい訳ですね。

 最近、イギリスDECCAの録音プロデューサーだったジョン・カルショーという人が書いた「Ring Resounding」という本の日本語訳が出版されました。
 カルショーという人は、上演するのに4日を要するというワーグナーの大作オペラ「ニーベルングの指環」全曲を、世界で初めてスタジオでステレオで録音した人です(実は、ライブでのステレオ録音はそれ以前にも存在していましたが、それが発売されたのは2006年のことでした)。1958年の「ラインの黄金」で始まり、1965年の「ワルキューレ」で完了したその録音の様子の一部始終を綴り、1967年に出版したものが、この本なのです。
 実は、この本の日本語訳は、すでに1968年に黒田恭一氏によって訳されたものが出ていました。
 ただ、こちらの方はいちおう音楽之友社から出版されたものなのですが、普通に書店で販売されたものではなかったために、今では幻の書籍となっています。つまり、これはその年に発売された、その「ニーベルングの指環」全曲のLPレコードの国内盤ボックスに同梱されたものだったのです。それは、「指環」のそれぞれの曲がまず別々の箱に入っており(「ラインの黄金」は3枚組、「ワルキューレ」と「ジークフリート」は5枚組、「神々の黄昏」は7枚組)、その他にDECCAが制作したライトモチーフを解説した3枚組LPの日本語吹き替え版が一箱、そこに分厚い解説と対訳が入り、さらにこの本が一緒に入っていたという、最近の「初回限定特典付きDVDボックス」など足元にも及ばない豪華なパッケージでした。そもそもその「ボックス」からして本革張り、文字通り永久保存版ともいうべきものだったのです。買ったはいいけど、まるで米俵のように重いものでしたから、それを家へ持ち帰るのには大変な思いをしたものです。

 今回、40年ぶりに山崎浩太郎氏によって新たに訳されたものは、外見がそのボックスのような分厚いのものであったことにびっくりしました。全部で474ページ、「旧訳」が358ページでしたから、いかに「厚く」なっているかが分かります。

 その原因は活字の大きさでした。およそ1.5倍に大きくなり、印刷も凸版からオフセットに変わっていますので、とても読みやすくなっています。しかし、新旧を比べてみると、まったく反対の言い回しに変わっているようなところも見受けられます。それは、最初のページからすでに現れています。
旧(黒田):
最初私たちは、「指環」の全曲を録音するなどという大それた考えはもちあわせていなかった。たとえ私たちのうちの何人かがそれを夢見ていたとしても、そんなことが起ころうとは、期待さえしていなかったのである。

新(山崎):
私たちが《指環》全曲をレコード化するという雄大な構想を明らかにしたのは、今回が初めてではなかった。それどころか、私たちのうちの何人かは以前からそれを夢みていたのだが、本当に実現するとは思っていなかった。
 どうです。意味が全く逆になってしまっていますね。原文を読んでいないのでなんとも言えませんが、どうやら訳の正しさに関しては新訳の方に分があるようです。というのも、ここに序文を寄せている黒田氏自身が誤訳を認めているのみならず、旧訳の作業に費やした時間が1ヶ月しかなかったことを告白しているのですから。たったそれだけの時間で良心的な翻訳など出来るはずもありません。しかし、山崎氏の訳は、特にこの文章の後半など、日本語としてはあまり美しくない出来ですね。

 話は変わりますが、あの人気マンガ「のだめカンタービレ」に英語版が存在していたことを最近知りました。これは2005年にすでにアメリカの出版社から出版されていたものです。翻訳はDavid and Eriko Walshとありますから、おそらくご夫婦でしょうか。奥さんは日系人なのかもしれませんね。

 そしてもう一つ、今年になって、こちらはオリジナルと同じ講談社から「バイリンガル版」というものが発売されました。

 タイトルの通り、吹き出しの中は全て英訳されていますが、そのまわりの空白(その分、本全体が一回り大きくなっています)に元の日本語がそのまま書いてありますから、いわば対訳、それこそ「英語の勉強」にもなるという優れものです。ただ、そこで用いられている英訳が、「英語版」のものとはまったく異なるものであるために、当然ながらそれぞれを比べてみるという楽しみも生まれてくることになります。さっきの「指環」とは違って、原文もしっかりありますから、どちらがより正しいかもしっかり判断できますし。

 ということで、軽い気持ちで比較してみたのですが、正直これほどの違いがあるとは思いませんでした。「バイリンガル版」を訳しているのは日本人のようですが、いかにも学校で教えるような「直訳」っぽい堅苦しさがあるのです。それに比べると「英語版」はかなり会話になじむ「意訳」になっています。その結果、「英語版」の方が圧倒的に滑らかな英語に直っているな、という感じなのです。例えば、最初の方に登場するこの「ハリセン先生」のセリフを比較してみて下さい。
オリジナル 英語版 バイリンガル版
 日本語特有の「敬語」も、かなり忠実に取り入れています。そのためにわざわざ2ページを費やして、「-san」と「-sama」の違いとか、「Sempai」(これって、敬語なんですね)とはどういうものなのかを説明しているのです。ですから、「千秋せんぱ〜いっ」は、「Chiaki-sempai!」となるわけで、「バイリンガル版」での「Chiaki!」は大きく水をあけられることになってしまいました。
オリジナル 英語版 バイリンガル版
 しかし、残念なことに、「英語版」には決定的な「誤訳」がありました。千秋の担当教官が変わることになって、先ほどの「ハリセン先生」に言及しているこの場面をご覧下さい。
オリジナル 英語版 バイリンガル版
 英語版では「ハリセン」を、「puffer fish」と訳しているのです。これを見た時には一瞬何のことだか分かりませんでしたが、辞書を引いたらなんと「ハリセンボン」ですって。訳者の1人、おそらく日系人のErikoさんは、こんな関西ローカルの単語はご存じなかったのでしょうね。

 ちなみに、こちらで取り上げた楽譜に関しては、「バイリンガル版」では新しいものを採用していましたが、「英語版」は古いままでした。

 TopPage  Back

Enquete