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刃物野菜。
そんな、カラヤン/グロッツ/ベルリン・フィルという3者によるモーツァルトのコンピレーションが、サブスクでアルバムとなっていました。なんでも、カラヤンは、1964年から1972年までのザルツブルク音楽祭の間に、彼の別荘のあるスイスのサン・モリッツにベルリン・フィルの団員を連れて行って、そこでコンサートや録音を行っていたそうなのですね。その中で、1971年8月にサン・モリッツの教会でグロッツによって録音されたものが、このアルバムには収録されています。 実際に録音されたのは、ここで聴けるフルートとハープのための協奏曲(ゴールウェイとヘルミス)、フルート協奏曲第1番(ブラウ)、管楽器のための合奏協奏曲(シュタインス、シュタール、ブラウン、ハウプトマン)の他に、オーボエ協奏曲(ローター・コッホ)、クラリネット協奏曲(カール・ライスター)、ファゴット協奏曲(ギュンター・ピースク)です。 これらの曲は、カップリングを変えて何度もリリースされてるのでしょうが、今回のアートワークは、最初の2曲が入っているLPのものです。 そして、今回は、おまけ、でしょうか、その前の年の9月に、ベルリンのイエス・キリスト教会で行われたモーツァルトの後期交響曲集の録音の中の、「41番」の終楽章が入っています。 まずは、もう何回も聴いているゴールウェイ(とヘルミス)による「フルートとハープのための協奏曲」です。今までは、なんたってもの凄いゴールウェイのソロに驚いていただけでしたが、今回はオーケストラもきちんと聴いてみました。それほどの大きな編成ではないようですが、弦楽器の音はとてもふくよかに聴こえて来るのは、やはり録音のせいなのでしょうか。とにかく「官能的」と言っても構わないようなソフトでゴージャスな響きは、まさにカラヤンの求めていたサウンドなのでしょうね。 そして、そんなサウンドよりもはるかに存在感を誇っているのが、ゴールウェイのフルートです。もう一音一音に生き生きとしたビブラートがかかっている上に、極上の音色には圧倒されます。さらには、低音の響きの充実度がものすごいことになっていますから、もう全音域に渡って音が響き渡っています。ですから、本来ならハープとのデュエットも楽しめる曲なのでしょうが、ここのハープは完全なわき役になっています。 それに続くのが、もう一人のベルリン・フィルの首席フルート奏者のアンドレアス・ブラウのソロによる、ト長調の協奏曲です。彼は、ゴールウェイと同じ時期、1969年にベルリン・フィルに入団していますが、ゴールウェイよりも10歳年下で、まだ「若造」という感じだったのでしょうね。その演奏は、端正ではありますが、存在感と言ったらゴールウェイの足元にも及びません。それが端的に表れているのが、この曲の第2楽章です。この楽章だけ、オーケストラの2人のオーボエ奏者がフルートに持ち替えて演奏するようになっているのですが、現代ではここはフルート奏者が吹いています。そこでのフルートがゴールウェイだったのですよ。ここでは、まずオーケストラのフルートがテーマを吹いているのですが、その後に出てくるソリストの同じフレーズが、もう、なんとも情けなく聴こえてしまいます。 「おまけ」では、ブラウがフルートを吹いていました。それは、十分に存在感がある演奏ですので、そういう場ではこの人も何の問題もないのでしょうね(どんなもんだい)」。 Album Artwork © Parlophone Records Limited |
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彼は、現在はリヨン国立歌劇場のオーケストラの首席奏者ですが、一時期、そこを離れて、アメリカのロスアンジェルス・フィルの首席奏者を務めていたこともありました。結局数年後にリヨンに戻ることになるのですが、その理由が彼の病気だったのですね。以前も書きましたが、彼は慢性の腎臓炎で、腎移植が必要でしたが、アメリカよりもフランスの方が早く手術が受けられるということで、前の職場に戻ったのですね。そして、現在は手術も終わり、元気になって幅広い活動を続けているのだそうです。なんたって、大事なのは体ですね。 今回は、タイトルの通り、ラヴェルの曲を演奏しているアルバムです。とは言っても、ラヴェルには最初からフルートのために作られた「ソナタ」のようなものはありません。でも、彼はフルートという楽器には愛情があったようで、彼のオーケストラの作品では、その楽器が大活躍しています。最も有名なのは、「ダフニスとクロエ」の最後近くに出てくる、長大なソロでしょう。このソロは、アマチュアのオーケストラでも、フルーティストが「吹かせてちょうだい」と頼みたくなるような、一生に一度は吹いてみたい音楽ですからね。 ボーディマンも、もう、小さな時からラヴェルの音楽にはずっと惹かれていたそうですね。その「ラヴェル愛」の結晶と言えるのが、このアルバムです。彼は、そんなラヴェルの音楽を、ぜひ自分の楽器で聴いてほしい、という情熱から、この企画を実現させたのです。それは、フルートとピアノだけで、ラヴェルのオーケストラ曲を演奏する、という企てでした。 そもそも、ラヴェルのオーケストラ曲は、もともとはピアノ曲だったものを自らオーケストレーションを施したものが多いですから、その楽器編成には一理あります。最初に演奏された「道化師の朝の歌」も、そのようなものですから、何の違和感もなく味わえました。何よりも、彼のフルートの音が、とても粒立ちがよく、軽やかですから、このリズミカルな曲にはぴったりです。さらに、細かい音符をダブルタンギングで演奏する時の切れ味のよさは、ちょっと他に人にはまねのできないほどの精密さがありますから、圧倒されます。 そして、その次に聴こえて来るのが、なんと、「ダフニスとクロエ」の第2組曲を、丸ごと、この編成で演奏するという、おそらくこれまでに誰もやったことがないはずの荒業への挑戦です。 そうなってくると、曲の冒頭はまずは細かいフルートの音で攻めてくるはずだな、と思っていると、そこではフルートはなくて、ピアノで、その夜明けのきらめきを完璧に描写していました。そして、フルートの出番は、しばらく経ってからの鳥の鳴き声、という、かっこよさです。これだけで、十分にこの曲の世界を味わうことができるほどの、センスの良さですね。もちろん、その後のピッコロ・ソロも、フルートで演奏しています。そして、その「夜明け」の部分の最後にまた出てくる冒頭の細かい音符の部分で、ここぞ、とばかりにフルートが本来のきらめきを与えてくれます。 「パントマイム」では、当然、あの大ソロになるのですが、大オーケストラではなく、ピアノだけのバックでこれを演奏するのはほとんどストレスがないのでしょうか、なんの力みもない、軽やかなソロが聴こえてきました。そして、この部分の最後を締めるアルトフルートのパートも、朗々とした低音で吹いていました。 そして、最後の「全員の踊り」の部分では、もうアクロバットのような細かい高音のフレーズを一気に吹ききってくれます。そして、本当に、あのオーケストラのトゥッティの迫力を、フルートとピアノだけで作り上げたのですから、もう信じられないほどの世界が見えました。機会があれば、ぜひご一聴を。 CD Artwork c Aparté, a label of Little Tribeca |
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でも、それと同じ内容の音源が、サブスクでもリリースされましたので、そちらを聴いてみました。カラヤンが指揮をしたシュトラウスの「こうもり」全曲です。DECCAレーベルによって録音されたのは1960年。この頃のカラヤンは、自身のアルバムのアメリカでの販売に興味を持っていましたが、このレーベルはアメリカのRCAとの間に提携関係があったので、何枚かのアルバムを作ることになったようですね。ですから、いずれもプロデューサーがジョン・カルショウ、エンジニアがゴードン・パリー、そしてオーケストラがウィーン・フィルという、あのワーグナーの「指環」の最初のステレオ全曲録音を成し遂げたチームによって作られたものですが、最初からRCAレーベルでリリースされたものもありますからね。たとえば、「カルメン」とか。 ですから、その時代の一連のDECCA盤は録音も卓越したもので、よく耳にしていました。なんたって、「ツァラ」が「2001年」のサントラに使われていたぐらいですからね。 ただ、この「こうもり」は、序曲だけはよく聴いていましたが、その全曲はおそらくまだ聴いたことはなかったはずです。ここには、ちょっとした「お遊び」があって、このオペレッタの第2幕の最後の部分に、原曲にはない「ガラ・パフォーマンス」のパートが入っているのですよ。その噂は聞いたことがあって、その中の、例えばビルギット・ニルソンが歌っている、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の中のナンバー「踊りあかそう」などは、どこかで聴いたような気がします。 この「ガラ・パフォーマンス」が加えられた経緯については、カルショウ自身の著書「Putting the Record Straight」で詳しく語られています。余談ですが、このタイトルはそのままだと「記録を正す」という意味で、おそらくカルショウが当時の仕事の詳細を「正しく」記録したのだ、という意味が込められていて、そこに、「レコード」というその仕事の内容を絡ませたダブルミーニングをもったものなのだ、と思っています。それを「レコードはまっすぐに」というアホなタイトルに訳してしまった翻訳家には、憤りを禁じ得ません。 いずれにしても、その内容は、DECCAのお偉いさんからの指示で、なにか特別な魅力を持ったアルバムを作ることになったため、そこに「ガラ」を挿入したというのですね。ただ、そこでは、DECCAとRCAで起用できる大歌手を集めなければいけませんが、彼らをすぐにウィーンに集めることは不可能だったので、それぞれの都合の良い土地で、都合の良いオーケストラと指揮者によって録音し、その音源を最終的に編集する、という方法を取ったのだそうです。もしかしたら、オケの部分は前もって録音してあったとか(それは「ガラオケ」)。ですから、公式には、この部分にカラヤンとウィーン・フィルは関与してはいないということになっています。この部分は、まずはパーティ客の拍手と歓声で始まり、そこにオルロフスキー役のレジーナ・レズニクが登場して、出演者を紹介する、という趣向になっています。 このアルバムが最初に発売されたときは、「ガラあり」と「ガラなし」の2種類のバージョンがあったのだそうです。ただ、しばらくすると「ガラ」のおまけは外されるようになったようですね。そして、CD時代には、また「ガラ」が復活しています。 ただ、今聴いてみると、やはりその部分のバックのオーケストラの録音は、それまでのものに比べると明らかにしょぼく聴こえますね。まあ、それでいいんですよ。改めてニルソンの歌を聴いてみると、完全にミュージカル歌手になり切っていますからね。それが、最後の音だけオペラティックなハイ・ヴォイスになる、というのが、いいですね。 SACD Artwork © Decca Music Group Limited |
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おとといのおやぢに会える、か。
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