リムスキー=バルサミコス。

(25/5/12-25/5/31)

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5月30日

BRAHMS
Complete Symphonies
John Eliot Gardiner/
Royal Concertgebouw Orchestra
DG/4863519


最近は、なんとも理解不能な行動で世のクラシック・ファンを失望させているジョン・エリオット・ガーディナーですが、そんな「奇行」が始まるちょっと前、まだ、思慮分別のある大人だった頃に完成された、彼にとっては2回目となるブラームスの交響曲ツィクルスの録音がリリースされました。
1回目のものは、2007年から2008年にかけて、彼の手兵だったオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークとの演奏が録音され、彼自身のレーベルであるSDGからリリースされていましたね。今回のレーベルはDG、詳しいことは知りませんが、ここは彼が以前所属していたレーベルで、バッハのカンタータを録音しているときに自分のやりたいことが出来ないとして、飛び出してしまったところですよね。その結果、SDGを作ることになったのですから、彼にとっては因縁のレーベルということなのでしょうが、すんなりこんなアルバムが出てしまうというのは、なかなか興味深いですね。
そして、オーケストラがコンセルトヘボウというのも、とてもユニークです。もちろん、ガーディナーはまさに「大指揮者」ですから、コンセルトヘボウはもちろん、世界中の名だたるオーケストラを相手に指揮をしています。あのウィーン・フィルとも、メンデルスゾーンの「イタリア交響曲」の「第2稿」などという珍しい曲を録音していましたからね。それも、DGレーベルで。ただ、コンセルトヘボウと録音してアルバムまで出したのは、初めてのことだったのではないでしょうか。
これは、例によってコンサートのライブ録音を編集したものなのでしょう。「1番」は2021年の9月、「2番」と「3番」は2022年の5月、「4番」は2023年1月と、作曲された順番に足掛け3年を費やしてツィクルスを作るっす
それらを、2007-8年の録音と比較してみると、それぞれの演奏時間はほぼ同じですから、テンポなどはほとんど変わっていないようですね。さらに、コンセルトヘボウはもちろんモダン・オーケストラですが、弦楽器には、おそらく前の録音の時のピリオド・オーケストラのように、あまりビブラートをかけないような指示が出されていたような感じがうかがえます。
実際、この録音と同じタイミングで録画されたと思われる映像がたくさんアップされていますが、「3番」の第3楽章の有名なテーマを奏でるチェロ奏者たちは、完全にノン・ビブラートで演奏していましたね。
ただ、他の部分では、普通にビブラートをかけていたり、一部の人しかかけていなかったりとなっていたので、割とアバウトな指示だったのではないか、という気はします。
基本的に、演奏のスタイルはSDGのものとは変わっていないようです。その中で大きく変わっているのが、なんと言ってもモダン楽器による木管楽器の音色やフレージングでしょう。特に、フルートは、例えば「4番」の終楽章の大ソロなどは、全くの別物でした。この曲が作られたころは、すでに現代のものと同じベームによる楽器は出来ていたはずなので、もしかしたらSDG盤ではその頃の楽器を使っていたのかもしれませんが、それ以降この楽器は大幅に改良されているので、ここで聴くものは明らかに表現力が違います。奏者による違いもあるでしょうけどね。
その奏者、音を聴いた時は間違いなくエミリー・バイノンだと思ったのですが、映像を見ると別の人でしたね。もう一人の首席のマッコールでもありませんから、エキストラだったのでしょうか。
たとえばこの楽章だと、冒頭のパッサカリアの提示などはかなり速いテンポで軽やかに進んでいきます。そして、その語り口がとてもリズミック、まるでメンデルスゾーンの音楽のような浮き立つ情感が感じられるのですね。ブラームスでそんな思いになったのは初めてのことでした。
それが、先ほどのフルート・ソロの部分になると、テンポをぐっと落として、とても深い表現で迫りますから、その対比がたまりません。
これは、「1番」の冒頭のような、重々しいイメージのある部分でも、とても清涼感がありますから、どれをとっても新鮮なブラームスが味わえます。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH


5月28日

Tempus loquendi.../Neue Musik für Flöte Vol.1
Christiane Hellmann(Fl)
CADENZA/CAD800 904


1996年にリリースされていたこんなアルバムが、サブスクで聴けるようになっていました。クリスティアーネ・ヘルマンというフルーティストが、フルート・ソロのための現代曲を録音したものです。
彼女は、1958年にベルリンで生まれ、ハンブルクの音楽大学を卒業後、1984年から1991年まではベルリン放送交響楽団(現在のベルリン・ドイツ交響楽団)のフルート/ピッコロ奏者を務めます。それ以降は、教師として活躍、日本の大学でもレッスンを行っていたこともあるようですね。
このアルバムは「Vol.1」となっていますが、このレーベルからVol.2以降がリリースされた形跡はありません。ただ、2003年には、自主製作で「Klangflug: Musik Des 20. Jahrhunderts Für Solo-Flöte(n)」というタイトルのCDが出ています。
今のところ確認できる彼女のアルバムは、この2点だけです。いずれも、演奏されているのは同時代の作曲家のソロ・ピースだけです。
このCADENZA盤で演奏されている曲は、全部で7曲、そのうちの4曲が日本の作曲家の作品です。福島和夫が2曲、武満徹が2曲ですね。
福島和夫は1930年生まれで、2023年までご存命でした。ただ、早い時期に作曲活動をやめてしまったので、作品は多くありません。その中で、ここで演奏されている「冥(めい)」という1962年に作られた曲は、今ではフルーティストのレパートリーとして有で、例えばドビュッシーの「シランクス」とか、ヴァレーズの「Density 21.5」などといった無伴奏曲と同格に扱われています。半音の半分の音程、「四分音」が使われていますね。
手元に楽譜があったので、それを見ながら聴いていると、ヘルマンにはこういう現代曲を演奏するのには必須の「フラッター・タンギング」が苦手なのではないか、という気がしてきました。この曲の中では、たびたびその奏法が要求されているのですが、例えば、
こういう、高音から始まるフラッター・タンギングの部分が、全く聴こえないのですよ。
同じ福島和夫の作品でも、1969年の「春讃(しゅんさん)」になると、記譜法が全く別のものになっています。
普通の五線紙は使われておらず、音の高さと運指だけが指定されていて、音の長さは横線であらわされています。テンポの指定もありません。ですから、これはもはやお手本というものは存在しない、個々の演奏家のセンスがもろに出てくる作品ですね。一度に複数の音を出すという「重音」の技法も要求されますが、彼女はその部分のキレが悪いような。
武満徹の曲は、1971年の「ヴァイス(声)」と、1989年の「巡りーイサム・ノグチの追憶に―」の2曲です。彼の場合は、作曲の技法が福島とは反対のベクトルで進んでいて、後期になるほどシンプルなものに変わっていきます。ですから、「巡り」では、しっかりした武満節のメロディが聴こえてきますから、この演奏でも安心できます。
ただ、「ヴォイス」の方は、そのタイトル通りにフルートを演奏しながら「声」を出さなければいけません。それは、きちんとしたフランス語や英語のフレーズを朗読するというものなのですが、ここではそれがほとんど聴こえてきません。
残りの3曲のうちで有名なのは、ルチアーノ・ベリオの「セクエンツァ」でしょう。とても高度な演奏技術が必要ですが、彼女の演奏では、やはりフラッター・タンギングはかなり怪しげなところがあります。それと、1つの音符を細かく4回続けるという指示のところでは、3回しかやっていないように聴こえます。
あとの2曲は、初めて聴いた曲で、もちろん楽譜も持っていません。この中で最も年上のドイツの作曲家、ベルント・アロイス・ツィンマーマンは、このアルバムのタイトルの「Tempus loquendi, pezzi ellittici」という、ラテン語で「話す時間、楕円形のかけら」という意味の曲が演奏されています。これは、普通のフルートの他にアルトフルートとバスフルートを持ち替えるようになっていて、ちょっと珍しいサウンドが楽しめます。バスフルートが良く鳴ってますね。
そして、1945年生まれのイタリアの作曲家、ルカ・ロンバルディの「Schattenspiel(影絵)」という曲も、バスフルートのための曲です。こちらも、その楽器の響きと、今度はちゃんと一緒に声を出しているのも楽しめます。

CD Artwork © Bayer-Records


5月26日

FLÛTE PASSION
BOLLING /Suite No. 2 for Flute and Jazz Piano Trio
Nadia Labrie(Fl)
Jonathan Turgeon(Pf)
Dominic Girard(Cb)
Bernard Riche(Drums)
ATMA00722056475525


少し前にこちらで聴いていたカナダのフルーティスト、ナディア・ラブリの、新しいアルバムです。以前はANALEKTAというレーベルから「FLÛTE PASSION」というシリーズのCDを出していたんですね。
そして、レーベルがATMAに変わった現在も、彼女はその「FLÛTE PASSION」3部作を製作中です。それは、クロード・ボリングの作品集です。
そのClaude Bollingの日本語表記は、「クロード・ボラン」と「クロード・ボリング」の2種類があるようですね。基本的にジャズ・ピアニストの方ですが、映画音楽もたくさん作っていて、あの「ボルサリーノ」のテーマのような、だれでも知っている音楽も作っています。さらに、このようなクラシックのジャンルでの作品もありますね。
色々調べているうちに、彼のことを「ムッシュー・ボリング」と呼んでいた映像が見つかったので、これからは「ボリング」という表記に改めることにします。
そして、ラブリは、すでにボリングの「ジャズ組曲第1番」はリリース済みで、これは第2弾、そして、もう1曲、「ピクニック組曲」も、すでにリリースが決まっています。こちらはもう少ししたらデジタル・リリースされますが、その時点で3枚のパッケージのCDボックスをフィジカル・リリースするのだそうです。
ポリングは、かつては「レクイエム」で有名モーリス・デュリュフレから、クラシック音楽を学んでいました。その後、デューク・エリントンの弟子となって、ジャズの道を歩んでいくと同時に、映画音楽などのジャンルへも進出して大成功を収めることになるのです。
ボリングが作ったクラシックのフルートのための作品は3曲あります。それらは、全て、あのジャン=ピエール・ランパルというレジェンドのために作られていました。ランパルは、1972年にテレビで、ボリングと、クラシックのピアニストジャン=ベルナール・ポミエが、ボリングが作った「2人のピアニストのためのソナタ」を演奏しているのを聴いて、ボリングに連絡を取り、「ジャズは好きだけど、弾き方がわからない。ジャズ・ミュージシャンと一緒に演奏してみたい」と言ったのだそうです。
それに答えて1973年に作られたのが、いわゆる「ジャズ組曲」でした。正確なタイトルは、「フルートとジャズ・ピアノ・トリオのための組曲」です。つまり、これは「ジャズの組曲」ではなく、あくまで、クラシックの「フルート」と、ジャズの「ピアノ・トリオ(ピアノ、ベース、ドラムス)」が一緒に演奏する「組曲」なのですね。実際、その中では、例えば多くの「舞曲」を集めたバッハの「組曲」と同じような精神が貫かれています。「フーガ」なども登場しますからね。
そして、それがボリングとランパルたちによってCBSで録音され、そのLPが1975年にリリースされると、それはたちまちヒットチャートを駆け上がり、大ヒットとなったのだそうです。ですから、ボリングはこのジャンルに確かな手ごたえを感じ、多くのクラシックのビッグネームとの共演を重ねることになるのですね。
余談ですが、このジャケットのアートワークは、そのままスコアの表紙に使われています。
ランパルとの「組曲」も、1986年に「2番」が録音され、翌年に、今度はCDでリリースされます。
その間の1980年にリリースされたのが、ギターのアレクサンドラ・ラゴヤが加わった「ピクニック組曲」です。名古屋でも演奏されたのでしょうか。
今回「組曲第2番」を演奏しているラブリは、とことん、ボリングとこの作品に惚れ込んでいるようですね。全体は8つの曲に分かれていて、それぞれに特徴を持った音楽になっています。6曲目の、イントロが「Over the Rainbow」そっくりの「Affectueuse」では、アルトフルートに持ち替えてメロディアスに歌います。ただ、全体としては、ピアノ・トリオはあくまでジャズのスタンスを守っている中で、彼女がクラシックをベースにした演奏を行うということで、ちょっとちぐはぐなところがないわけではありません。
結局、ジャズ・ミュージシャンがクラシックに寄り添うのは簡単なのに、クラシック奏者がジャズに挑むのは大変なのだなあ、というのが、正直な感想です。

Album Artwork © Disques Atma Inc.


5月24日

ベルリン・フィル
栄光と苦闘の150年史
柴崎祐典著
中央公論新社刊(中公新書 2856)
ISBN978-4-12-102856-3


おそらく、現時点ではあらゆる意味で世界最高と言えるオーケストラ、ベルリン・フィルは、公式には1882年に発足したのだそうです。ですから、今年はそれから143年ということで、少しサバを読んでこんなサブタイトル(150年史)の本が出ました。ただ、ニューヨーク・フィルなどは1842年生まれですし、もっと古いのではライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が1743年生まれですから、「年齢」では負けてますけどね。
いずれにしても、知名度的にはなんたって他のオーケストラを完全に抑えているオーケストラですね。
この本では、そんなオーケストラの歴史が詳細に語られているのですが、それだけにとどまらず、それぞれの時代の社会、つまり世界情勢に対して、このオーケストラがどのような関わり合いを見せていたか、ということがつぶさに描かれています。
それらは、断片的には折に触れて知る機会があったものなのですが、それらをその時間軸に沿って克明に語るという手法はかなりエキサイティングなものですから、もう、一息で読み切ってしまいましたよ。それほどに、このオーケストラはドラマティックな歴史を持っていたのですね。
なんと言っても、圧倒的な「ドラマ」は、第二次世界大戦中の権力との関わりに関する記述でしょう。それに関しては、だいぶ前にこんなDVDを見ていました。この「帝国オーケストラ」という映像は、当事者たちのインタビューを集めた素晴らしいものでしたが、ここでの筆者は、あくまで膨大な資料を基にした客観的な視点で語っています。おそらく、このパートは本書の中ではもっとも多くのページが費やされているはずです。その時の首席指揮者だったフルトヴェングラーのスタンスについても、筆者の視点は冷静です。
そんな、歴代の首席指揮者についても、それぞれの思惑などが詳細に語られています。このあたりの事実関係は、漠然としか知らなかったのですが、ビューローからニキシュ、さらにフルトヴェングラーへと続く流れには、それぞれに様々な思いが渦巻いていたことをとても分かりやすく知ることが出来ました。
戦後のベルリン、つまり「東」と「西」とに分断された経緯ももはや忘れてしまっていましたが、改めて認識させられました。それだけでなく、「東ドイツ」の中にあったベルリン市も、「西ベルリン」が壁で覆われてまさに陸の孤島となってしまっていたことも。この時期、首席フルート奏者だったゴールウェイがベルリン・フィルを辞めたのも、カラヤンとの確執だけでなく、それが一因だったと言いますからね。なにしろ、「職場」のフィルハーモニーのすぐそばに、その「壁」が立っていたのですから。
そして、最も長くそのポストにあったそのカラヤンへの交代劇も、なかなか興味深いものでした。特に、その任期の最後のあたりのスキャンダルなどは、かなり具体的なことまで知ることが出来ました。余談ですが、そのカラヤンなど、世界中のビッグネーム(小澤征爾なども)のマネージメントを牛耳っていた「CAMI」という音楽事務所は、2020年に倒産していたことを、これを読んで初めて知りました。一つの歴史が終わった、という感じですね。
カラヤンの後は、アバド、ラトル、ペトレンコと首席指揮者が代わるのですが、筆者はそれぞれの歩みはあえて淡々と語っているようです。その評価が確定するには、まだまだ時間が必要なのでしょう。ただ、これらの指揮者がベルリン・フィルの「ドイツ的」な音を変えてしまったという評価には、異論を唱えているようですね。すでにカラヤンの時代で、そんなものは終わっているのだ、と。
アバドからラトルに代わった2002年にベルリン・フィルは、それまでのベルリン市文化局に属する市営のオーケストラから財団法人に変わっていたのだそうですね。つまり、それ以前は公務員としては「Berliner Philharmonisches Orchester」、それ以外の活動では「Berliner Philharmoniker」と使い分けていた団体名も、後者に一本化されたのですね。そんなことも、ここで知りました。

Book Artwork © Chuokoron-Shinsha. Inc.


5月22日

DE FALLA
Harpsichord Concerto
Rafael Puyana(Cem)
Heather Harper(Sop)
David Sandeman(Fl), David Munrow(Rec)
Thea King(Cl), Neil Black(Ob), Deirdre Dundas-Grant(Fg)
Raymond Cohen, Nona Liddell (Vn),
Patrick Ireland(Va), Oliver Brookes(Violone)
Terence Weil(Vc), Stephen Whittaker(Perc)
Charles Mackerras, Antal Doráti/
London Symphony Orchestra
PHILIPS/6505 001(00028948471645)


1970年にリリースされたLPが、ストリーミングで登場しました。アルバムのロゴで分かるように、オリジナルのレーベルはPHILIPSですが、サブスクのアートワークではその右上のロゴは消えています。これは、最近出たCDボックス「アンタル・ドラティ・イン・ロンドン Vol.2」の中に含まれていたレア・アイテムです。
タイトルは、ファリャの「ハープシコード協奏曲」となっています。それは、A面の1曲目が、マヌエル・デ・ファリャの結構有名な作品「チェンバロ、フルート、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」だからです。
そこでチェンバロを演奏しているラファエル・プヤーナが、このアルバムのメイン・アーティストです。プヤーナと言えば、以前こちらで聴いていた、「モダン・チェンバロ」の演奏家ですね。それは、MERCURYレーベルのアルバムでしたが、今回も、録音スタッフはMERCURYで、リリースはその親会社となったPHILIPSなのでした。
リリースされたのは1970年頃なのですが、録音は1964年7月10日と1966年12月7日の2回に分けて行われたようです。
アルバムの構成は、A面がそのファリャの作品と、1925年生まれのキューバ出身の作曲家、フリアン・オルボーンの作品という、いわば、当時の「現代音楽」、そしてB面は、デイヴィッド・マンロウのリコーダーがフィーチャーされた、ルネサンスからバロックにかけての音楽ということになっています。
さらに、先ほどのボックスセットで加えられた、LPには入っていないアントニオ・デ・カベソンのチェンバロ・ソロの曲も、最後に入っています。
まずは、何度か聴いたことのあるファリャの「協奏曲」です。これは、それまでの歴史の中には存在してはいなかった「モダン・チェンバロ」という楽器を「発明」し、当時は絶滅していた楽器、チェンバロの復権に貢献した、あのワンダ・ランドフスカのために作られています。「協奏曲」と言っていますが、実際は6つの楽器だけのための小さなアンサンブルです。ただ、指揮者は付くようで、ここではマッケラスが行っていますね。以前、ブーレーズが指揮したものもありました。
これは、なんと言ってもモダン・チェンバロが主役ですから、例えば3つある楽章の真ん中などは、そのどソロで始まります。今の人がこれを聴いたら、それがチェンバロだとは分からないほどの、なんとも壮大な響きには、いつもながら驚かされます。
ランドフスカの思いとは裏腹に、今ではその「モダン・チェンバロ」という楽器が、ほとんど絶滅危惧種となっていますから、もはや博物館以外にお目にかかる場所はありません。ですから、この曲を今演奏しようとする時には、一般的な「ヒストリカル・チェンバロ」にアンプをつなぐのでしょうか。もちろん、ソリストは暗譜
オルボーンの作品は、まず、ヘザー・ハーパーという、懐かしい名前のソプラノが、チェンバロと弦楽四重奏をバックに歌います。その指揮をしているのがドラティなんですね。いずれも、ルネサンスあたりのマドリガルのような軽やかな曲で楽しめます。3曲あるうちの2曲目でのイントロでは、チェンバロが、やはりものすごい低音を披露して、驚かせてくれますね。音が減衰しないで伸びていくのがよく分かります。
そして、もう1曲、チェンバロ・ソロの「パルティータ」です。これも、装飾音をたくさん使った古風な外観とは裏腹に、なかなかの重厚な作品で、骨太なモダン・チェンバロの魅力が満喫できます。
B面では、主役はマンロウのリコーダーに変わります。この、早世した天才の妙技が思い切り堪能できます。バックの弦楽器は、ごく普通にビブラートをかけているのが、「時代」ですね。チェンバロも、A面とはバランスが全く異なってオフ気味になっていますから、ひょっとしたらヒストリカル? などと思ってしまうほどです。
でも、たまに前面に出てくると、やはりそれは紛れもないモダン、1931年生まれのプヤーナは、2013年には鬼籍に入られましたが、モダン・チェンバロが絶滅したその晩年にはどのようにチェンバロとかかわっておられたのでしょう。

Album Artwork © Universal Classics


5月20日

HALLELUJAH JUNCTION
Lukas Genuišas(Pf)
Anna Geniushene(Pf)
ALPHA/ALPHA1122


タイトルの「ハレルヤ・ジャンクション」というのは、アメリカを代表する作曲家、ジョン・アダムスが2台のピアノのために作った作品の名前です。ここでは、同じようなアメリカの作曲家の作品や、アメリカに移住した作曲家がアメリカで委嘱されて作られた作品などが集められています。オリジナルはオーケストラ曲のものも、すべて2台のピアノのために辺境されたバージョンになっています。
演奏しているのは、ルーカス・ゲニューシャスとアンナ・ゲニューシェネという夫婦によるデュオ・チームです。いずれもロシアで生まれていますが、現在はリトアニアを本拠地として活躍しているのだそうです。それぞれに、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン・コンクールなど、世界的なピアノのコンクールで上位入賞をしているという、素晴らしい経歴の持ち主たちです。
まず、彼らが録音会場に選んだのが、旧東ベルリンにある「フンクハウス」だというのに注目です。ここで録音されたアルバムをたくさん聴いていますが、それらは間違いなくとても素晴らしい音に仕上がっていましたからね。特に、ピアノに関しては、楽器の性能を余るところなく引き出してくれる場所のような気がします。
そして、そこで使われていたのが、普通のスタインウェイではなく、「ベヒシュタイン」というピアノなのです。ほとんど聴いたことのない楽器なので、その音色を味わうのも楽しみです。
まずは、ガーシュウィンの「キューバ序曲」、もちろんオーケストラのための作品ですが、それを2台ピアノで演奏していると、この曲の特徴的なキューバのリズムが、とても軽やかに感じられます。なにしろ、この二人の息はぴったり合っているので、そのウキウキするようなグルーヴはとことん楽しめます。
その後に続くのが、ストラヴィンスキーの「ダンバートン・オークス」です。これも編曲ものですが、この時代のストラヴィンスキーの、ちょっと斜に構えたスタンスがより際立って聴こえます。
そして、コープランドの「エル・サロン・メヒコ」という、やはり軽やかなリズムが特徴的な曲では、そのリズミカルな部分も存分に楽しめるうえに、中間部のとても繊細な音楽も、この二人の神経の行き届いた演奏で際立ってきます。
そして、なんと言っても「不屈の民」が突出して有名なジェフスキの「ウィンスボロ綿工場のブルース」です。これはピアノ・ソロのための曲ですが、ここでは作曲家によって台ピアノのために編曲されたバージョンが演奏されています。なんと言っても、この作曲家ならではの厚ぼったい響きが、2人で演奏されることでさらにとてつもないヴォリュームになって迫ってくるのは圧巻です。そして彼らは、それをさらに厚ぼったいタッチで演奏していますから、もう信じられないほどの音圧には、押しつぶされそうになります。
それに続いて、なんとも脱力感のある「ブルース」が披露されるのですから、たまりません。それまでの疲労も、すっかりなくなって、ダラダラと楽しめます。
その次は、コリン・マクフィーという全く知らない名前、1900年に生まれたカナダ人なのだそうですが、彼はバリ島の音楽を研究していたそうなのです。少し前にはかなり流行した「ガムラン」とか「ケチャ」というやつですね。オムレツにかけます(それは「ケチャップ」)。ここでは「バリ島の儀式音楽」というのが3曲演奏されています。その時のピアノの音色が、なにか独特のものに変わりました。もしかしたら、プリペアを行ったのではないか、と思えるほどの変化でしたが、どうなのでしょう。
いずれにしても、この音楽には魅せられます。あのスティーヴ・ライヒもこれに触発されて、あの「ミニマル・ミュージック」を始めたのですからね。
そのライヒの進化形のようなスタンスのジョン・アダムズが、最後に登場です。「ハレルヤ・ジャンクション」という3つの部分から成る曲ですが、様々なモティーフの断片を、ピアニストたちはしっかり音色を変えて登場させていますから、退屈とは無縁です。

CD Artwork © ALPHA CLASSICS / OUTHERE MUSIC


5月18日

RAVEL
Daphnis et Chloé
Sandrine François(Fl)
Aziz Shokhakimov/
Chœur de l'Opéra national du Rhin(by Hendrik Haas)
Orchestre philharmonique de Strasbourg
WARNER/2173262823


アジス・ショハキモフという名前の指揮者がいるということを、最近知りました。彼は、1988年にウズベキスタンのタシケントに生まれているそうです。なんでも、13歳の時に、ウズベキスタン国立交響楽団で指揮者デビューを果たしたのだとか。「神童」ですね。その5年後には、このオーケストラの常任指揮者にもなっていますし。日本にも縁が深く、2015年の「ラ・フォル・ジュルネ」に、デュッセルドルフ交響楽団を率いて来日しているようですね。彼はこの年から2021年まで、このオーケストラがピットに入っているライン・ドイツ・オペラのカペルマイスターでした。さらに、2018年と2022年には、単独で来日して読売日本交響楽団の指揮をしていました。
そんなショハキモフの現在のポストは、フランスのストラスブール・フィルの音楽監督です。それは、2021年に就任したのですが、それ以前、2014年にこのオーケストラにマーラーとショスタコーヴィチのプログラムで客演した時に、その演奏が非常に好評だったので、それがこの契約となったのでしょう。しかも、それは最初は3年間というものだったのですが、後にさらに2年間延長されています。
このオーケストラは、ストラスブールにあるラン国立オペラで、ミュルーズ国立管弦楽団と持ち回りでピットに入っています。「ラン」というのはキャンディーズではなく(それは「ランちゃん」)、この市内を流れるライン川のフランス語読みですね。ですから、今回の「ダフニスとクロエ」全曲の演奏にあたって必要な合唱は、このオペラハウスの合唱団が務めています。同じ「ライン」でも、ショハキモフの前任地のデュッセルドルフの歌劇場とは、なんの関係もありません。ややこしいですね。
そう、この曲は、3つの部分の最後だけを演奏する「第2組曲」が、なんと言っても演奏頻度が高くなっていて、本来ならそこにも合唱が入っているのですが、普通のオーケストラのコンサートではこの部分は合唱があるに越したことはない、という程度の出番しかないので、多くの場合は合唱なしで演奏されているようなのですが、全曲を演奏する時には、これを外すことは絶対に出来ないのですよ。なんたって、第1部と第2部の間には、合唱だけで演奏されるかなり長い部分がありますからね。一応、ここはスコアの最後に「おまけ」として、合唱の代わりに管楽器で演奏するバージョンの楽譜も入っていますが、今ではそんなことをしたら笑われてしまいます。
このアルバムでは、その「ラン国立歌劇場合唱団」というのが、とても素晴らしいのですよ。それは、これまでに何度も聴いてきた合唱とは、根本的に違っていました。これまでの合唱では、確かにきれいな合唱が聴こえては来るのですが、その合唱自体の存在感が殆どないのですよ。ですから、まあ、ラヴェルだしフランス音楽ですから、そもそもそのようなふわふわしたものなのだろうなあ、と思っていたのです。
ところが、今回は、最初に出てくるところからすでに、その存在感というか、意志の力というようなものがビシビシ感じられたのです。
ですから、先ほどの長大なア・カペラの部分なども、全てのフレーズに命が宿っている、という、信じがたいほどの合唱になっていましたね。まず、おそらく人数がかなり多くなっているのではないか、という感じがします。それと、この合唱団がオペラハウスの専属ですから、普通に歌っても「劇的」な表現が出てきているのかもしれませんね。
でも、この曲は、本来はきちんとした物語のバックを務める役目を持つバレエ音楽なのですから、本当はそのような表現は必要だったはずです。確かに、これを聴いていると、自然に何か情景のようなものが眼前に広がってくるような錯覚に陥ってしまうことが頻繁にありましたね。
それは、オーケストラ全く同じ方向で音楽を作っているようにも感じられました。それは、やはりオペラの経験がある指揮者の的確な指示のせいなのでしょう。
ただ、名前までクレジットされているソロ・フルートが、ちょっと冴えなかったのが、残念です。ピッコロやアルトフルートは素晴らしかったのに。

CD Artwork © Parlophone Records Limited


5月16日

NIGHTFALL
Voces 8
DECCA/487 0458


イギリスのヴォーカル・グループ、「ヴォーチェス・エイト」の最新アルバムです。このグループが結成されたのが2005年(2003年という説もありますが)ですから、今年は結成20周年ということになるのですね。
その間に、彼らの所属レーベルも、SIGNUMからDECCAに変わりましたし、さらに彼ら自身のレーベルVCMまで立ち上げて、他のアーティストのプロデュースなどでも幅広く活動しているようですね。
もちろん、その間に、メンバーも変わって行ったことでしょう。SIGNUM時代の初期のアルバムと今回のメンバーを比較してみると、同じ人はソプラノのアンドレア・ヘインズと、カウンターテナーのバーナビー・スミスの2人だけでした。ソリストとしても活躍しているスミスの方は、いつの間にか「芸術監督」という肩書がついていましたね。
メンバーは、名前の通り8人、ソプラノ、アルト、テナー、ベースがそれぞれ2人ずつというダブルカルテットなのですが、今回はソプラノのパートだけ3人の名前がクレジットされています。そのうちの、ヘインズ以外の2人はそれぞれ別の曲を歌っているので、このアルバムが録音されていた2023年6月から2024年3月までの間にメンバーが交代していたのでしょうね。
そのような、頻繁なメンバーチェンジが行われていたせいでしょうか、彼らのライブ録音のCDを聴いた時には、それ以前に聴いたものからは考えられないような低次元の演奏だったので、とてもがっかりしたことがありました。でも、しばらくしてこちらを聴いたら、とても高水準で見違えるようだったので驚いたことがあります。ですから、メンバーの入れ替わりで、かなり演奏のクオリティが変わるというのが、このグループなのでしょう。
そんな感じなので、正直このアルバムを聴くにあたっては、ちょっと心配でしたが、どうやら今回は、演奏面に関してはとりあえず「あたり」のようでした。なんと言っても、ソプラノがきっちりノン・ビブラートで歌ってくれているので、ハーモニーが決して崩れないところが、聴いていて安心していられます。ベースなども安定感がありましたね。
ですから、コーラスとしての魅力には何の問題もないのですが、残念なことに録音があまり良くないのですね。ここでのエンジニアは合唱に関しては定評のあるデイヴィッド・ヒニットなのですが、皮肉にも録音会場の響きを計算できなかったのか、とても歪の多い音に仕上がっているのですよ。
そうなってくると、ここで演奏されている曲が、ほとんどは、まずはとても美しい響きを要求されるものなのでしょうが、そのあるべき魅力が半減してしまっています。というより、もしかしたら、これはエンジニアがこのようなサウンドが、これらの、言ってみれば「ヒーリング・ピース」にはふさわしい音だと、勘違いしてしまった結果なのかもしれない、などという邪推まで湧いてきます。
そうなってくると、ここでは、名前を知らないような作曲家たちの、ほとんど毒にも薬にもならないような曲が並んでいるのではないか、という気持ちになってきました。ですから、そんな中では、例えばマックス・レーガーとかフーゴー・アルヴェーンといった「シリアス」な作曲家の曲は、なにか肩身の狭い思いをしているような気がしてしまいます。
そんな、「使い捨て」の音楽をもっぱら作っているマックス・リヒターの名前を見た時に、そのことに気づくべきでした。日本発の「ゼルダの子守唄」などは、笑うしかありません。
とは言っても、確かに手ごたえが感じられる曲がなかったわけではありません。アルバムの最初と最後に歌われているチョン・ジェイルという人の詩編をテキストにした作品などは、間違いなくすぐれた情感を与えてくれましたし、フランク・ティケリという人の「There Will Be Rest」でも、伝わってくるものが感じられました。あとはルドヴィコ・エイナウディという人が作った、合唱以外に弦楽器やハープが入っている「Experience」という曲は、4つの音をモティーフにしたパッサカリア風の楽しいものでした。

CD Artwork © Universal Music Operations Limited, A Decca Classics Release


5月14日

Ins Nichts mit ihm
Music against Despots for Mixturtrautonium and Voice
Peter Pichler(Mixturtrautonium)
Melanie Dreher(Sop)
NEOS/12507


今放送中の朝ドラでは、BGMでオンド・マルトノが使われていますね。その不思議な音色は、朝のドラマにふさわしい新鮮な雰囲気を提供しているのではないでしょうか。1928年にモーリス・マルトノによってフランスで作られたこの楽器は、そもそもはかなりレアなもので、演奏する人もほとんどいなかったのですが、現在では新しい楽器も製造されていて、かなり知られるようになっていますね。
それとほぼ同じころにドイツで作られた、同じようなコンセプトの電子楽器が、こちらはフリードリヒ・トラウトヴァインという人が発明した「トラウトニウム」です。それについては、以前こちらでご紹介していました。
そこで使われていたのは、トラウトニウムの進化形の「ミクストゥーアトラウトニウム」という、鍵盤に相当するものが2つ付いていて、同時に2つの声部を演奏できるだけでなく、倍音を加えてハーモニーも演奏できるという優れものでした。
そこで演奏していた、この楽器の唯一のプレーヤー、ペーター・ピヒラーが、今回新しいアルバムを作りました。前作はPALADINOレーベルだったのですが、今回はNEOSレーベルに変わっていましたね。NMLにはPALADINOは参加していないので、これがこのサブスクでのトラウトニウムの初登場ということになります。
前作では、この楽器のために多くの曲を作ったハラルド・ゲンツマーの作品が取り上げられていましたが、今回は、その楽器とソプラノ歌手が共演しているものがあります。さらに、今回は、ゲンツマーの曲とともに、彼の師であるヒンデミットと、そのヒンデミットともにこの楽器を愛したパウル・デッサウ、そしてピヒラー自身の作品も演奏されています。
まずは、アルバムタイトルがちょっと気になりました。「彼とともに『無』の中へ」という意味でしょうか。さらにサブタイトルには「ミクストゥーアトラウトニウムと声のための独裁者に対する音楽」とあります。これは、おそらくデッサウの「ルクルスの審問」のことを指しているのでしょう。その曲は、かなりアヴァン・ギャルドなテイストを持っていました。この楽器のハーモニー機能もフルに使って、なんともおどろおどろしい音楽が聴こえます。そこでのソプラノ歌手は、ほとんどメロディのない「シュプレッヒゲザンク」を「語って」います。最後の曲などは、彼女と一緒に、おそらくピヒラー自身も歌手として参加して、不気味なコーラスを披露しています。
その前に演奏されている、ゲンツマーの「ソプラノと電子音のためのカンタータ」では、最初からソプラノをダビングさせて、2声部、あるいは3声部のコーラスまで聴こえてきます。これなどは、結構キャッチーなメロディも登場しますね。
そして、最後には、ピヒラー自身の作品が演奏されています。それは、「7つ大罪」という、あのクルト・ヴァイルのオペラに触発されて作られた7つの曲と、もうあと7つ、こちらは「7つの美徳」という、ちょっとパロディっぽい曲がセットになったものです。ここでも、ピヒラーはトラウトニウムだけではなく、声を変調させたものとか、オルガンの音などを加えて、不思議な世界を出現させています。「大罪」はかなり過激ですが、「美徳」はダンサブル。この2曲の間には、かなりの段差があります。
このアルバムのブックレットには、興味深い写真が満載でした。まずはこれ、
この楽器を改良し、多くの映画音楽でそれを使ったオスカル・ザラとピヒラーとのツーショットです。前のアルバムのレビューではでは、「オスカル・ザラは、弟子を育てるということは全く行わなかったため、彼の死後はこの楽器を弾ける人は誰もいなくなってしまった。そんな時に、全くの独学で、この楽器の奏法をマスターしていたのが、このアルバムの演奏家、ペーター・ピヒラーだ」と書きました。でも、実際は、この二人は会っていたのですね。
それともう1枚、ピヒラーのスタジオの写真ですが、
これを拡大してみたら、
こんなヴァイナル盤が見つかりました。クラフトワークの「ヨーロッパ特急(Trans-Europe Express)」ですね。
このアルバムでトラウトニウムが使われていたわけではないのですが、ピヒラーはこのバンドのファンだったのでしょうね。なにか、和みます。

CD Artwork © NEOS Music GmbH


5月12日

WAGNER
Der fliegende Holländer
Gerald Finley(Holländer)
Lise Davidsen(Senta)
Stanislas de Barbeyrac(Eric)
Brindley Sherratt(Daland)
Eirik Grøtvedt(Steuermann)
Anna Kissjudit(Mary)
Edward Gardner/
Chorus of Norwegian National Opera(by Stephen Harris)
Orchestra of Norwegian National Opera
DECCA/487 0952


今や、世界中のオペラハウスから引っ張りだこのノルウェーのソプラノ、リーゼ・ダヴィドセンは、DECCAレーベルとのアーティスト契約を結んでいます。これまでは、そのDECCAからはアリア集のようなものしか出してはいなかったようですが、今回はワーグナーの「さまよえるオランダ人」の全曲を録音してくれました。彼女が歌うのは、もちろんゼンタです。それは、彼女の故郷、ノルウェーの国立歌劇場で、「コンサート形式」で行われたコンサートでのライブ録音でした。
それが開催されたのは2024年の8月22日と24日。その時は、お客さんを入れてのコンサートでしたが、その前と後の20日と25日にも、同じ場所でお客さんを入れないで録音が行われています。最初のセッションはゲネラル・プローベ、そして最後のセッションは、「念のため」のものだったのでしょう。その4回の録音を編集して、このアルバムは作られています。
指揮をしているのは、この時がこのオペラハウスの音楽監督としての初めてのコンサートとなるエドワード・ガードナーです。彼は、現在は2021年にユロフスキの後任として就任したロンドン・フィルの首席指揮者のポストにもあります。彼の録音は、合唱の入った大規模な作品をよく聴いていましたが、それぞれに素晴らしいものが多かったので、ここでも期待は高まります。
その期待は、序曲を聴いた時に現実のものとなりました。まずは、録音がとびきり素晴らしいので、このオペラハウスのオーケストラの渋めの音色なのになにか華やかさもあるというサウンドが、きっちりと伝わってきます。そしてガードナーは、そんなオーケストラをごく自然にドライブして、とても爽やかがグルーヴを持たせています。言い換えれば、「現代的」なサウンドでしょうか。
その後に出てきた男声合唱も、とてもキャラの立った存在感満載の合唱でした。まさに北欧のヴァイキングのような荒々しささえも聴こえる中で、ハーモニーは完璧というありえないようなことを実現させているのですからね。
それは、「第2幕」の部分での女声合唱でも同じような印象を与えてくれました。こちらも、都会的な洗練さなどは全くない漁村のおばちゃんという風情なのに、音楽的には完璧、という不思議な魅力です。
ただ、このオペラの主人公であるオランダ人役のジェラルド・フィンリーには、ちょっとした失望感が残ります。確かに、この役にはふさわしい厳かさには満ちた声ではあるのですが、モノローグでの音程があまりにもアバウトなのですよ。ワーグナーがここで求めたとても繊細な音程によるメロディは、完璧なピッチで歌わない限り、その深い味は決して出ることはありません。
そのような歌い方が許されるのは、ノーテンキなキャラのダーラントだけです。その意味で、ここでのブリンドリー・シェラットは、完璧でした。
そして、セールス的な主人公のダヴィドセンは、その役のゼンタを超えた、まさにダヴィドセンそのものとして君臨していました。先ほどのシェラットなどは、明らかにガードナーの速めのテンポに乗り遅れていましたが、彼女は「バラード」では堂々たる彼女自身のテンポで歌いきっていましたからね。何よりも、その声は別格です。
エリック役のスタニスラス・ド・バルベイラクは、とても芯のある声で聴きごたえがありました。ただ、「ヘルデン」としては、ちょっと甘すぎるような気はします。
同じくテノールのロール、かじ取り役のアイリーク・グリュートヴェットは、このオペラハウスの専属テノール。澄み切った声が魅力的ですね。サラッとしたアイスクリームみたい。
そして、マリー役のアンナ・キスユディットも、将来が楽しみな素晴らしいアルトでした。
「第3幕」の部分での水夫の合唱などは、あまりにテンポが速すぎるのでちょっと驚きますが、それはこのオペラ全体でガードナーが設定したものなのでしょう。それが、幕間を入れず一気に最後まで続けて演奏されますから、まるで、ちょっと長めの交響曲を聴いているような気がしましたね。

CD Artwork © Universal Music Operations Limited. A Decca Classics Release.


おとといのおやぢに会える、か。



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