今度、メル友。.... 渋谷塔一

(04/12/18-04/12/31)


12月31日

Récital Montpellier, 1993
Friedrich Gulda(Pf)
ACCORD/476 189-4
さて、2004年も今日で終り、毎年のことですが、「別に年が変わったからといって何か変化があるわけでもあるまい・・・・」と思うのは、私が大してメリハリのある生活を送っているわけでもないからでしょう。とは言え、今年もいろいろな音を聴いたものです。「おやぢ」の原稿に書いたのはその一部だけで、多くの音を仕事しながら聞き流したり、若しくは夜中に一人で静かに聴いたり。そんなたくさんの音の中から、「私のお気に入りの1枚」を選んでみました。それは、グルダの1993年モンペリエ・リサイタルです。発売されたのは4月なのですが、思い入れが強すぎて原稿に出来なかった1枚です。
CD1にはドビュッシー、ベートーヴェン、モーツァルト。そしてCD2は、グルダお気に入りの小品がたっぷりというもの。夏の野外ライブの完全収録ということで、曲間のグルダの語りまできちんと収録された、まさに完全版。グルダの人懐っこい声、聴衆の煩わしい咳の音や足音とおぼしき音、ちょっと調律が狂い気味のピアノの音など、まさに目の前で音楽祭が執り行われているかのような錯覚を覚えます。そして、いろいろなところで既に話題になっている通り、ベートーヴェンのソナタ第31番の第1楽章の展開部で、大きなノイズ(!)が入ります。これは上空を横切る飛行機の音です。本当にリアルな音で、思わず天上を眺めてしまったものです。さすがのグルダも、「その飛行機を止めろ!」とは言えなかったのでしょうね。
そのベートーヴェン。まずこれが本当にスゴイ。とにかく力強い音、そして一切感傷的になることなくきっぱりと進む音楽。第3楽章のアダージョを経て、フーガが始まる時の緊張感。最初は密やかに・・・・そして少しずつ音が増えて頂点に達した時、堰を切ったように迸る音の一つ一つの煌き。高らかに打ち鳴らされる主題。何度聴いても「ああ、これこそグルダだなぁ」と感激する一瞬です。次のモーツァルトも、いかにもグルダらしい変幻自在なもの。もともとこのハ短調幻想曲は、あとからあとから目まぐるしくテーマが出て来る曲ですが、グルダの演奏は、まるで映画をみているかのように聴き手の耳を翻弄するのです。
そして、白眉はCD2。これこそグルダの面目躍如といった1枚で、自作を交え、さまざまな音が飛び出してくる、まるで“おもちゃ箱”のような構成。全てがアンコール?と言った感じの楽しいものです。モーツァルトとグルダの愛の結晶?フィガロの「スザンナのアリア」は、まさにその場で即興演奏をしているかのような驚きに満ちたもの。叩きつけるかのように激しさを孕んだシューマンの「夕べに」。こちらも激情にまかせたショパンの夜想曲、舟歌。捉えどころのないドビュッシーなど、彼の語りを交えプログラムが進んでいきます。そして、ビゼーのカルメンより「お前の投げたこの花を」の鮮やかさ!ちなみに、このCDのコメントで良く「ハバネラ」と表記されているのを見かけますが、それは「恋は野の花」、しかも、この曲は辛くありませんし(それは「ハバネロ」)。
真面目な曲(?)はそこまでで、あとはグルダの世界へご招待!自作の「プレリュードとフーガ」は全ての音楽好きに聴いてもらいたい逸品。そして彼のにやにや笑いが目に浮かぶ「こうもり」や、ちょっとしたドイツ民謡。極上のブラームスの子守歌で聴衆を寝かしつけ、最後はお約束の「アリア」でしめくくり。いつしか自分も、熱狂した聴衆に混じって手を叩いています。
で、全て聴き終えて、「ああ、こんなステキなグルダはもういないんだ・・・・」と一抹の寂しさを覚えるたのでした。この不思議な感覚は、彼が亡くなった直後には覚えなかったもの。後でじわじわ効くカウンターパンチのような衝撃・・・これは最初に聴いた半年前からずっと変わることがありません。

12月29日

You Gotta Quintet
Songs
宮川彬良、斎藤晴彦、大澄賢也
茂森あゆみ、玄田哲章
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCL-10146
私の知り合いには、幼稚園に通う娘さんを持つ人がいます。休みの日には、「上野動物園に行ってカバを見た」とか、「としまえんに行ったら暑かった」とか、よく微笑ましいメールを送ってくるのです。
さて先日のこと。私にしては、滅多に取らない有休を取ってマスターにオススメされた映画を見てきました。その感動にふけっていたときのこと、その友人からメールが入ったのです。「今日会社お休みだよね。夕方5時50分から教育テレビ見てみたら。すごく面白いよ」ですって。その時間て、確か幼児番組ですよね。おじゃる丸だっけ・・・と思い、番組表を見てみたら「クインテット」とありました。
私も昔は教育テレビマニア(?)でして、「さわやか3組」から始まって、「がんこちゃん」やら「おはなしの国」「笛は歌う」など、片端から見ていたものでした。しかし、この10年くらいはすっかり遠ざかっていたのです。そう、のっぽさんが引退した頃から見ていないかな・・・・。確かに、周囲に幼児がいないと見ませんものね。しかしながら、この手の番組を軽視してはいけません。10分くらいの短い時間に、それこそ後から後から歌やらお話やら。とにかく飽きっぽい幼児の興味をそらさないように番組が作られているのです。
この「ゆうがたクインテット」は、あのグッチ裕三さんがいい味出していた「ハッチポッチステーション」と同傾向の番組。(後番組?)ちょっととぼけた人形たちが、古今東西の名曲を歌い、踊り、演じながら絶妙の駆け引きを繰り広げるというもの。まあ、日本版セサミストリートといったところでしょうか。「ゆうがたクインテット」という題名も、実は「You Gotta Quintet」に引っかけてあるわけですから、この番組の目指すところが何となくわかろうというものです。これが実に芸がこまかくてとにかく面白い。1度みたら確実にはまります。確かに大人が見ても、と言うか大人が見た方がためになるかも。そのくらい出来が良いのです。ネットで検索しても、ざくざくブログがフクロから出てくるし・・・と、その静かな人気には驚いてしまいました。
で、その番組のCDが発売されていると聞き、とりあえず「ソング」の方を購入してみました。登場人物は、アキラ(この人だけ人形でもあり、人間としても登場します)、スコア、シャープ、アリア、フラットの全部で5人。4人の人形たちは歌も歌うし、楽器も演奏するというもの。演じている人たちの顔ぶれも実にスゴイものです。例えばアリアさんは、あの「だんご」でおなじみ茂森あゆみさん。あいかわらずのアニメ声が好感度高しです。この歌が実に楽しいものでして、それこそクラシックから童謡まで何でもござれ。あの「愛の挨拶」が単なる「おはようございます」の歌になったり、切々と歌われるはずの「りんごのひとりごと」が、実に軽快な歌であったり。「鉄道唱歌山手線」などは、ただ駅の名前の羅列なのになぜこんなに楽しいのでしょう?
ちなみにスコアさんは、あの「日本語クラシック」のさきがけ、斎藤晴彦さん。これはうまいわけです。この人の歌をきくだけでもこの1枚は買う価値大。そして、アキラ役は、あの宮川彬良氏。「恋のバカンス」を作った宮川泰氏のご子息、というよりは、「マツケンサンバ」の作曲者として有名な音楽家ですね。「マツケンサンバ」と「ゆうがたクインテット」、今年のNHKはこれで決まりでしょう。

12月27日

CAGE
Sonatas and Interludes for Prepared Piano
高橋悠治(Pr.Pf)
コロムビアミュージックエンタテインメント/COCO-70757
先日、「高橋悠治のDENON時代のゴルトベルクを再発して欲しい」と書いたところ、それに呼応したわけでは全くないのですが、同時期に録音されたこのケージが「クレスト」シリーズとして、なんと1枚1000円で出直りました。正確には「ゴルトベルク」の1年前、1975年に録音されたもので、86年にCD化、90年にも再発されていますが、その時の価格は3000円以上、一気に三分の一以下の値段になってしまいました。
「プリペアド・ピアノ」というのは、前もってお金を払っておくといつでも好きなだけ弾くことが出来るピアノ(それは「プリペイド・ピアノ」)のことではありません。本当は、ピアノの弦の間にボルトや消しゴムなどの異物をはさんで(つまりプリペア(準備)して)、全くピアノ本来の音とは似ても似つかない音を出す、というもの。元々は、ジョン・ケージが、限られたスペースで多くの打楽器が必要とされるコンサートで、ピアノにそういう細工をすることで打楽器の代わりを果たさせた、というのが、起源とされています。それが1935年のこと、彼はその半世紀後に実用化されるサンプリング・キーボードのプロトタイプを、この時に「発明」していたことになるのです。
もちろん、高価なグランドピアノの中にドライバーなどを持ち込んで「細工」をするという、普通の調律師が見たら卒倒してしまうようなことをやるわけですから、コンサートでホールに備え付けのピアノを「プリペア」するには、人知れぬ苦労が伴うはずです。私は悠治が実際にピアノに「プリペア」するところから公開するというコンサートに行ったことがありますが、「貸してくれるのは限られたホールなの。しかも、一番悪いピアノしか貸してもらえないのね」と言っていました。「必要なものは、ネジなどの他にインチの物差しね」。つまり、楽譜には細かい指定があるのですが、弦の端から異物を装着する場所までの距離が「インチ表示」になっているというのです。そんな手間暇をかけても「演奏は一瞬で終わっちゃうのね」というオチが付きました。
事実、ここに収録されている曲も「ソナタ」と名前はついていますが、それぞれ2分程度のほんの短いものばかりです。しかし、その多彩な音色というか、美しいピアノの音を期待している人にとっては、あるいは我慢ならない「安っぽい」音が繰り広げる世界は、ひょっとしたら今までの価値観をひっくり返すほどの力をもって迫ってくるかもしれません。そう、西洋音楽のある意味「発展」の象徴であったグランドピアノ、そこから敢えてチープな音を引き出したというところにこそ、ケージのアイロニカルな視点を感じるべきなのでしょう。
この録音に使われているのは、スタインウェイのコンサートグランドという、まさに「超ブランド物」、悠治がこの楽器から、まるでおもちゃのピアノのような音を引き出した意図は、明白でしょう。

12月25日

BACH
Cantatas
Thomas Quasthoff(Bar)
Reiner Kussmaul/
Berliner Barock Solisten
DG/477 5326
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1219(国内盤)
さて、今回はクヴァストホフのカンタータです。実は輸入盤がリリースされたのはかなり前の話。ちょうどその少し前、56番のカンタータが使われた映画を観たせいもあり、ゲルネで聴きなおそうと思ったところ、手持ちの棚にも見当たらず、新品もなぜか入手不可能。で、少ししてから思い出したように購入したのでした。「ま、私が聴かなくてもバッハの好きな人にあげてもいいや」と言う位の軽い気持ちでしたから、手元に置いただけで満足してしまったのかもしれません。今度国内盤がリリースされると聞き、「やはり聴いてみよう」と思いなおしたのです。
この演奏、改めてジャケを見たら、オーボエがかのアルブレヒト・マイヤーではないですか!先日、彼の演奏に「うまいやぁ」と感心したばかりです。(そういえば、ゲルネのアルバムでも彼がオーボエ・ソロを務めています)ここでも、あのなめらかな音色が楽しめるに違いありません。
最初の第56番です。御存知の方も多いでしょうが、クヴァストホフは身体的なハンディを乗り越えて、素晴らしい歌手として大成した人です。昨年は「フィデリオ」の舞台に立ったというだけで大きな話題になりました。そんなことが話題になること自体、恐らく彼にとっては迷惑な話でしょう。しかし現代社会では、まだまだ悲しいことですが、「人と違うこと」はハンディにもなると同時に、武器にもなりうるのが現実なのです。これも想像ですが、彼こそ「喜びて十字架を担って」いるのかもしれません。
正直、そんなことをうじうじ考えながら聴き始めました。もしかしたら、これが聴きたくない一つの理由だったのかもしれません。彼を特別視する自分自身の罪悪感。これを無意識のうちに感じていたのでしょうか。しかし、聴き始めたら、あまりの美しさに言葉を失いました。そんな「つまらない考え」は雲散霧消。ただただ音楽に浸るのみ。クヴァストホフの柔らかく夢みるような声、マイヤーの生き生きしたオーボエ。全てが「もういいよ」と語りかけてくれるかのようでした。そして何より心を奪われたのが、第158番のアリアとコラール。「世よ、さらば!我は何時に倦みたり」の言葉が示すとおり、まさに天国的な音楽です。クスマウルの奏でる美しいヴァイオリン・ソロ。そしてクヴァストホフの歌、それにまとわりつくかのような合唱。何度も聴いたことがあるはずの音楽なのに、知らず知らずに涙が出るほど心にしみました。
本当に軽い気持ち、いや、どちらかというと重い気持ちで聴き始めたこの1枚は何かと疲れた私の心もしっかり癒してくれました。まさに「われは満ちたれり」といえるすばらしい音楽が、そこにはあったのです。

12月23日

XMAS! THE BEATMAS
Rubber Band
コロムビアミュージックエンタテインメント/COCB-53123
最初にリリースされたのは1994年、そして、それが再発になったのは実は去年のことなのですが、さも「新譜」という顔をしてCD店に大々的にディスプレイされていたので、つい取り上げてしまいました。クリスマスものとしては格別の楽しさを持つこのアルバム、おそらくこれから先も「定番」として毎年この時期の店先を賑わすことでしょう。
ご覧になっておわかりのように、これはあの「ザ・ビートルズ」のパロディ。ジャケットは第5作「ヘルプ!」が元ネタなのは、すぐおわかりでしょう。ロゴのレイアウトまでオリジナルをそっくりパクっています。なぜか、左端のジョージと右から2番目のポールが入れ替わっているというのが、意味不明ですが。ここで演奏しているアーティストは、デンマークの「ラバー・バンド」(「ラバー・ソウル」が元ネタでしょうね)というグループ。この20世紀を代表するロックバンドのコピーバンドは山ほどありますが、クリスマスチューンを「ビートルズ風」に仕上げるという点で、彼らはそのユニークさを誇示しています。
「プリーズ・プリーズ・ミー」のイントロで始まった「ジングルベル・ロック」で、もはや聴くものは「ビートルズのクリスマス」の世界へ入り込んでしまうことでしょう。アレンジはそれは見事に、ビートルズのサウンドを再現、しかし、歌っているのは確かにその有名なクリスマス曲なのですから。アレンジとともに、ヴォーカルがジョンそっくり、ほんのちょっとした特徴までも見事にとらえているのは驚異的ですらあります。
ただ、曲順に聴いていくと出足のあたりは単にイントロがそれ風というぐらいであまり驚くことはないのですが、4曲目の「ワム!」がヒットさせた「ラスト・クリスマス」で、いきなりショック状態に陥ることは間違いないでしょう。それは紛れもない「プリーズ・ミスター・ポストマン」。これからこの曲を聴くときには、オリジナルではなくこちらのバージョンが真っ先に頭に浮かびそうな、クセになるアレンジです。アルバムの方は後半になって更に盛り上がります。例の「赤鼻のトナカイ」という女の敵の歌(それは「セクハラのトナカイ」)は、イントロのささやき声からしてまさに「タックスマン」。ヴォーカルもジョージそっくりという凝りようになっていますし、その後に続く3曲では、本当に涙が出るほどのおかしさを誘うだけの見事な仕掛けが待っています。中でも「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」仕立ての「サイレント・ナイト」は、このアルバムの白眉でしょう。ぜひ、実際に聴いて笑い転げて下さいな。最後の曲も、「サージェント・ペッパー〜」の最後の「オーケストラ・ヒット」や、他のアルバムの「小物」をコラージュ風に構成した、ファンなら思わずにんまりというすぐれものです。
聴き終えてつい連想したのが、お馴染み「PDQバッハ」です。モーツァルトの「ジュピター」を聴くと、必ず「錨を上げて」が連想されるようにすべてのクラシックファンを洗脳してしまったこのピーター・シックリーのプロジェクトと非常に良く似たテイストを、ここには感じないわけにはいきません。メリー・クリスマス。

12月22日

BEETHOVEN
Complete Works for Piano & Cello
Adrian Brendel(Vc)
Alfred Brendel(Pf)
PHILIPS/475 379-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCP-1101(国内盤)
NHKの朝の連続ドラマ、私は、あのドラマが始まる時間に家を出ることが多いので、見たり見なかったりですが、毎日楽しみにしている人も多いそう。人によっては時計がわりに使ったり、1週間分をまとめて録画して週末に見てHPネタにするなど、なかなか使える番組でもありますね。
さてそのドラマ、前作は一部の人の間では大好評だったそうですが、今作はどうでしょう?何でも震災体験を乗り越えて逞しく成長する女性がテーマ。どうも、サブテーマが「家族の絆」のようでして、先週あたりは、これがちょっとうざったくも感じました。意思の強そうな顔立ちの主人公、彼女は若さ故か、思い込みが強く、「何が何でも・・・」押し通そうとしますが、しかし、周囲がやんわりと宥めているあたりが、「この脚本良くかけている」と思えたりもします。
さて、前振りが長くなりました。今回のアルバムはベートーヴェンのチェロとピアノの作品全集です。全集といっても、ちょうどCD2枚に収まる分量なので、結構気楽に楽しむことができるものです。演奏しているのは、ブレンデル父子。最近、他のレーベルからペレーニの耽美的演奏のものも出ていまして、そちらとの聞き比べもなかなか面白いものでした。これを聴いて「家族の絆」について考えてみるのも面白いかもしれません。
このブレンデルたちの演奏、とにかくアットホームな雰囲気にアブレデル(溢れてる)ものでしたす。一番有名な第3番から聴いて見ましたが、他の演奏にありがちな、息詰まるような緊張感や、激しい音のぶつかり合いなどは、全くどこにもありません。とても穏やかで、静かな音楽です。良く伸びるしなやかな息子エイドリアンのチェロの音。それを優しく包みこむような父アルフレードのピアノ。本当にまろやかでしみじみとした音楽です。特に第3楽章、アダージョからアレグロに移る部分が見事です。大抵の演奏は、アレグロに入る前一瞬に、無言の奏者同士の戦いが行われているように思います。「ため」と言うか、「気合」というか。相手の出方をじりじりと待ち、音を溢れ出させる・・・・のが普通ですが、ブレンデル親子の演奏は、まさに息の通い合ったもの。至極自然に音楽が流れていきました。
父アルフレードの演奏については、もう何もいうことはありません。継続中の、一連のモーツァルト作品集でもそうですが、細部にまできめ細かく目が行き届いたベートーヴェンで、全くムダな力の入った音はありません。そして時々はっとするような驚きが随所にあります。「マカベウスのユダ」による12の変奏曲は、どちらかというとピアノパートの方に重点が置かれた作品ですが、この曲の美しさに改めて気が付いたのも、嬉しいところでした。
エイドリアンの演奏については、正直、可もなく不可もなくと言ったところ。もちろん、音色は艶やかで良く歌います。テクニックも申し分ないのでしょう。ただ、若いのだからもう少し冒険するなり、攻撃的になってもよいか。とも思えます。あまりにもおっとりしているのが少々物足りない部分とでも言いましょうか。しかし、偉大なる父親を持ってしまった息子としては、無理してでも乗り越えるか、それとも一生尊敬して生きていくか。いずれかはどちらに決めていくことになるのでしょうね。

12月21日

HAYDN
Die Jahreszeiten
Marlis Petersen(Sop)
Werner Güra(Ten)
Dietrich Henschel(bar)
René Jacobs/
RIAS-Kammerchor
Freiburger Barockorchester
HARMONIA MUNDI/HMC 801829.30(hybrid SACD)
ハイドンの「四季」は、同じ時期に作られた「天地創造」に比べると、演奏される機会が少ないのではないかと思っているのは、私だけでしょうか。確かに「オラトリオ」の中で、農夫や村娘が登場してアリアを歌うというのは、ちょっと間抜け、何か格調というものに欠けるのでは、と言う先入観が、「クラシック」関係者の間には蔓延しているのではないでしょうか。私が聴いたことのある唯一の録音はベームのものでしたが、それこそ田舎臭い、なんとも緊張感に欠ける演奏だったことも、そんな思いを助長するものだったのかもしれません。
久しぶりにこの曲をヤーコブスの演奏で聴いてみて、そのベームのものとは全く異なる世界が広がっているのには、正直驚いてしまいました。「春」の前奏からして、異様とも言える緊張感がみなぎっていて、ついこの先の成り行きを見守りたいという好奇心に駆られずにはいられません。有名な「Komm, holder Lenz!」(「来よや、春」という訳詞でしたっけ)という合唱が始まると、RIAS室内合唱団の、まるで言葉を噛みしめるような歌い方に惹きつけられてしまいます。ひょっとしたら、ドイツ語など全く分からない人でもなんだか意味が分かるような気にさせられてしまう程の、しっかり意味を持った言葉がそこからは発せられていたのです。この合唱団、声自体はかなりくたびれていて、それほどの魅力はないのですが、表現の幅という点では光っています。
そして、その「表現」を更に盛り上げるのがヤーコブスの指揮。「フィガロ」で見せてくれた、あたかも役者であるかのような各パートのキャラの立て方は、このオーケストラでもしっかり徹底されていて、聴くものを飽きさせるということはありません。「夏」での嵐の描写の、なんとドラマティックなことでしょう。「秋」では、ちょっととぼけた音程のナチュラルホルンが活躍する狩りの場面が秀逸です。ただ、ホルンは仕方がありませんが、オーボエの音程の悪さにはちょっとがっかりさせられます。音程という点ではもっと不自由なはずのフルートに比べると、その差は歴然としています。このあたりが、ドイツのオリジナル楽器の限界なのでしょうか。
3人のソリストは、それぞれの持ち味を存分に発揮してくれています。ハンネ役のペーターゼンは、「冬」の最後の合唱付のアリア「Ein Mädchen, das auf Ehre hielt」で芝居っ気たっぷりのところを披露してくれますし、ルーカス役のギュラが歌う、「夏」の中のカヴァティーナ「Dem Druck erlieget die Natur」に込められた細やかでいて力強い情感の、なんと魅力的なことでしょう。シモン役のヘンシェルもあの「びっくり交響曲」の引用がある「春」の中のアリア「Schon eilet froh der Ackersmann」で、まるで往年のフィッシャー・ディースカウのような柔らかな声を聴かせてくれます。もちろん、褌一丁で指揮をしたりはしません(それは「シモノ」)。

12月20日

XENAKIS
Orchestral Works Vol.IV
大井浩明(Pf)
Arturo Tamayo/
Orchestre Philharmonique du Luxembourg
TIMPANI/1C1084
好調に製作が続いているクセナキスのオーケストラ作品集、前作の第3集が、ワイドショーにまで取り上げられ、この種のものとしては異例とも言える知名度を獲得したことはまだ記憶に新しいことでしょう。あの時に「シナファイ」という、クセナキスの最初のピアノとオーケストラの作品を見事なまでに弾ききっていた大井さんを再びフィーチャーしてのこの第4集では、2番目の「ピアノ協奏曲」である「エリフソン」を聴くことが出来ます。この曲が作られたのは1974年、私事に渡り恐縮ですが、1976年の11月に、クセナキスが来日した際に、その講演を聴きにいったことがあります。それは、もちろん彼の特異な作曲技法を自ら解説するというもの、初期のクラスターを多用した作風から説き起こして、最後の方ではその頃彼がハマっていた「木の枝」の形を作曲に応用する手法を、出来たばかりのこの「エリフソン(広大な大地)」を例にとって熱く語っていたものでした。ステージの上の黒板に、先の方が枝分かれした木の枝を描いて、「縦軸はピッチ、横軸は時間」などと言っていたのですが、正直その当時は、その発想が実際の音とどのように結びつくのかが、余りよく分かりませんでした。中には逆戻りをしていた枝もあったので、それが時間の中ではどのように扱われるのか、とか、いまいちイメージが湧かなかったのです。
それから幾星霜、今回初めて「音」になった「エリフソン」を聴いて、やっと当時の疑問が晴れた思いです。執拗に単音のオクターブにこだわるピアノソロがひとしきり続いたあと、弦楽器のフラジオレットのクラスターが高音域を埋め尽くし、その雲が晴れたとたん、そこには金管楽器や弦楽器によって、まさに「枝」を思わせるような光景が広がっていたのです。グリッサンドによって描かれたカーブを持った小枝たちが、それぞれの声部が複雑にからみつくポリフォニーとなってそこには浮遊していました。その間を、信じられないようなスピードで踊りまくるピアノの粒々は、木の中に集まった小鳥たちでしょうか、あるいは細かくはためく木の葉でしょうか。しかし、こんな聴き方をしていたら、大井さんには確実にあざ笑われてしまうことでしょう。
カップリングは、初期(1965年)の管楽器のための作品「アクラタ」と、後期の大オーケストラのための「アタ」(1989)、及び「クリノイディ」(1991)です。この間に横たわる時間の長さが、はっきり作風の違いとして表れているのが興味深いところです。「エオンタ」を思わせる鋭角的な「アクラタ」を作った人が、20年以上を経るとまるで「壊れたメシアン」といった趣の色彩豊かな曲を作るようになるのですから。これは、噛むほどに味が出てくるまるでタクアンのような感じ。ちなみに、当初予定されていた「シルモス」(1959)は、今回は収録されず、トータルで53分という、この手のものを聴き通すには手頃な時間となっています。

12月19日

R.STRAUSS
Eine Alpensinfonie in Bildern
Tobias Melle(Photo)
David Zinman/
Tonhalle-Orchester Zürich
RCA/82876 55446 9(DVD)
以前、ティーレマンの“アルプス”を聴いていた時でしたっけ・・・。「ああ、この曲は映像がついていれば、さぞかし面白いだろうな」と思ったものでした。そんな思いがある意味実現したのがこのDVDです。レーベルこそRCAとなっていますが、内容は、あのジンマン&トーンハレ管(ARTE NOVA)の演奏による“アルプス交響曲”にあわせて、美しい写真を300枚ほど映し出していくというもの。価格も1700円前後という、極めてお手頃。もともとPAL仕様で欧米で販売されていた商品ですが、この度日本のために、NTSC盤を限定生産してくれたそうで、新らし物好きの私としては、どうしても手にとりたくなってしまったというわけです。
さて、この写真を撮影したのは、ヨーロッパでは著名な写真家、トバイアス・メッレ。このDVDにも、おまけとして彼の撮影風景が収録されていますが、あの険しいアルプスの山並みに、重い機材を担いで撮影に出かけるのは、やはり並大抵のことではないはずです。そんな貴重な写真を、家でぬくぬくとしながらぼ〜っと眺めることが出来るとは、何てステキなのでしょう。
早速掛けて見ました。私の家のテレビは、大きくもなく小さくもなく・・・・と言ったところ。(25インチです)お店で見た時は大きな映像だったので、迫力が足りないかな?と思いましたが、実際見てみればあまり気になりません。なにより映像の鮮明さに驚いてしまいました。
荘厳な音楽が開始されると、画面に映し出されたのは、真っ暗な夜空にぽっかり浮かぶ美しい月。この時点で「おお!」と思ってしまいます。あくまでも映画ではなく、スライド方式です。1枚の写真を眺めているのは1〜2秒でしょうか。しかし、その一瞬の静止している時間こそが贅沢なんですね。定点カメラで撮影した星の軌跡の写真、そして、夜明けとともに浮かび上がるアルプスの山並み。幾重にも重なった青い稜線・・・・。まさに息を飲む美しさです。最初の5分で、こんなに感激してしまいましたが、これからまだまだ続きます。何しろ曲の進行にあわせて、300枚の写真ですよ。
快活な山歩きの場面では、まるで自分が歩いているかのようですし、もちろん牛やら山羊も、風景に溶け込むかのようにすっくと立ってます。お花畑で揺れる色とりどりの花、朝露をが光る織物のような蜘蛛の巣。虫たちの営み、そしてしぶきを上げる滝。そして、曲の中間ほどで現れる360°のパノラマ風景!見渡す限りの山、山。
もちろん美しい場面ばかりではありません。山で犠牲となった人を悼む墓標らしきものも静かに佇んでますし、後半の雷鳴の凄まじさも(編集の仕方もあるでしょうが)特筆物。切り立った岸壁の恐ろしさも、じわじわと心に迫ります。そしてアルプスの1日が終わるとともに、映像も静かに暗くなり、最後はまた天空にかかる丸い月で消えていくのです。
さて、この50分くらいの間、あまりにも映像に集中していたので、ジンマンの演奏については少し痒くなったぐらい(それは、「ジンマシン」)で、全く細かいところを聞く余地はありませんでした。以前音だけで聴いた時には、いろいろなところが気になったものですが、今回は、純粋に映像への付随音楽として楽しんでしまったというわけです。本末転倒です。しかし、こういう企画もいいですよね。
あまりにも気に入ったので、知人にも勧めてしまいました。そうしたら、「家庭交響曲の実写版もいいねぇ」と言われて、年甲斐もなく赤面してしまったのでした。

12月18日

ONDES MARTENOT
Thomas Bloch(OM)
NAXOS/8.555779
モーリス・マルトノが1928年に公式モデルを発表した電子楽器「オンド・マルトノ」、共鳴弦の付いたスピーカーなどいかにも幻想的な音を奏でそうな独特のフォルムを持つこの楽器は、マルトノの死後も彼のアシスタントのマルセル・マニエールの手によって製造が続けられ、彼が引退する1988年までに370台前後の製品が世に出ました。そのマニエールによって1985年に作られた製造番号343番という楽器を演奏しているのが、このアルバムのソリスト(マルトニスト?)トマ・ブロシュです。この楽器を偏愛したオリヴィエ・メシアンが、最も「目立つ」形でフィーチャーした「トゥーランガリラ交響曲」の、このレーベルでの録音にも、ソリストとして参加している人です。
そのメシアンのいくつかの作品によって、この楽器のイメージはある程度特定されたものとなって、私たちには認識されているはずです。ですから、独特の「ヒュ〜」というグリッサンド音が、この楽器の持つ殆どすべての音だと思っている人は、かなりの数なのではないでしょうか。そんな人たちは、このアルバムを聴いて、この楽器がいかに多彩な音色と表現力を持っているか、そして、あらゆるジャンルの音楽といかにマッチすることが出来るかを知ることになるでしょう。
まず、ブロシュ自身の作品、「Formule」。おそらく、これを聴くだけで、今まで抱いていたオンド・マルトノのイメージを拭い去ることは可能なはずです。まるで、クイーンのブライアン・メイの「早弾き」のような刺激的で躍動的な超絶技巧、何も知らないで聴いたら、ディストーションのかかったギターソロだと思ってしまうかもしれません。そして、その後には、楽器の演奏家でもある作曲家の作品が並びます。ピアニストであるベルナール・ウィッソンの、オーケストラまで伴う「Kyriade」という曲は、紛れもない「ジャズ」、リズミカルなバックに乗って、ブロシュのマルトノと、ウィッソン自身のピアノのインタープレイが、スリリングに展開されます。かと思うと、ファゴット奏者(ここではシンセサイザーも演奏)のリンゼイ・クーパーの「悪夢」という曲は、まるでピンク・フロイドかイエスのような、殆どプログレの世界です。もちろん、リック・ウェイクマンのパートはブロシュによって奏でられます。
「電子音響」とクレジットされているミシェル・レドルフィと、オリヴィエ・トゥシャールの作品は、どちらもまごうかたなき「ヒーリング」。ここでは柔らかなマルトノが心にしみます。もちろん、「ゲンダイオンガク」だってありますよ。マルチリードのエツィエンヌ・ロリンは、アルトフルートやソプラノサックスを駆使して、ジョン・ケージのような即興演奏を繰り広げています。
これだけ、20世紀後半生まれの活きのいい音楽家の曲を聴いてしまうと、メシアン御大やマルティヌーの曲がなんだか生彩のないものに聞こえてしまうのは致し方のないことなのでしょう。まるで塩をかけられたように(それは「青菜」)。というより、これらの過去の「作曲家」から決別する道を歩み始めたとき、オンド・マルトノの可能性はさらに広がっていくのでは、と思えてしまうのが、このアルバムが抱える最大の罪なのです。

きのうのおやぢに会える、か。


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