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水の七夕(ラヴェル)....渋谷塔一

(01/7/18-01/8/8)


8月8日

R.STRAUSS Metamorphoses
HONEGGER Symphony No.2
Erich Bergel/Camerata Transsylvanica
BMC CD012
仙台は七夕祭でにぎわってますね。私も幼少のみぎりは、短冊にほのかな夢を託して、笹竹に結びつけたものでした。
夢といえば、一度でいいからCD屋さんの店頭に並んでいる新譜を全部買い占めて、にこにこしながら帰宅してみたいものですね。現実的には、費用の面でも、時間の面でもとても無理なことなのですが。そうなると、私が新譜を手に取るときは、まず、「聴いてみたいアーティストである事」。それと、「聴いてみたい曲である事」が条件でしょうか。アーティストなら、例えばジンマンや、アーノンクールなら迷わず手にしますし、曲だったらR・シュトラウスは文句なし。
でも、こういう聴き方だと、どうしてもレパートリーが偏ってしまうのは否めませんね。そんな時お世話になるのが、Cカップリング曲でしょうか。今までも、全くの未知の世界への入り口へ誘ってくれた事は数知れず、というわけです。(今日のおやぢは技巧的)
で、今回の一枚です。もちろんお目当てはシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。この曲については、とにかく手に入れるという事が大前提。演奏は可も無く不可も無くといったところでしょうか。エリック・ベルゲル指揮のトランシルヴァニア室内合奏団という、あまり聞いた事のない団体の演奏で、20世紀の室内楽曲を得意にしているようです。
ところが、面白かったのが、もう1曲入ってたオネゲルの交響曲第2番の方。オネゲルについては、今までに「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を演奏会で観た事があるくらいで、認識の薄い作曲家でした。しかし、今回聴いてみたら、独特の味があって面白いのです。特に、終楽章で高らかに奏される、トランペットのコラールが印象的。それまで、ずっと暗く悲しい曲想だったのに、突然勝利を宣言するかのような、明るいメロディは嫌でも耳に残ってしまいました。
で、別の日、ミュンシュのラヴェルがリマスタリングされたと言うので、買ったところ、ここにもオネゲルの2番が。おやおや。その上、ロペス=コボスのシュトラウスの「町人貴族」組曲が再発されたので買ってみたら、ここにも。よほど縁があるのでしょうか。
結局、あと2種類の「2番」の演奏を入手して、にわかオネゲルマニアになってしまっ塩レも。ここでは、その中からベッリーニの「清教徒」をご紹介します。これは1986年録音ですから、このレーベルにしては新しい音源ですね。ナポリ版による演奏ということですが、通常版との大きな違いは、バリトン役であるリッカルドをテノール(カルモーナ)が受け持っている事でしょうか。
この曲には、伝説的な名演、45年のカラス/セラフィン盤がありますが、確かにあの、声のアンサンブルを超える物はないかもしれません。しかし、さまざまな要素を楽しむのがオペラの醍醐味。音は、ライヴのせいもあってか、残響も少なく、ふくらみにかける響きが少し物足りないですが、各々の歌手は、とりあえず合格点。なかでもアルトゥーロ役のクリス・メリットは、こんなに輝かしい声の持ち主だったのか、と改めて認識しました。(先日実演を聴いたときはイマイチでしたから。)他にも、リッチャレッリの狂乱の場など、聴き所はたくさんあります。
最高の1枚とはいえないかもしれませんが、何より貴重な録音ということで、ファンにとっては、存在価値は充分にあるのではないでしょうか。

7月28日

CLASS
Aurora
Cantamus
WARNER 8573-87312-2
(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン
WPCS-11023(国内盤8月8日発売予定)
何事もなければ、パメラ・クックという優れた指導者によって1968年に設立された女声合唱団「カンタムス」は、他の多くの合唱団同様、ごく平凡な道を歩んでいるところでした。パメラの熱心な指導によって徐々に実力をつけた、13歳から19歳までの少女によって構成されたこの合唱団は、1973年には、マイケル・ニュームという、編曲の才能も持つ伴奏者を得て、音楽的なバックボーンが堅固たるものになるのです。それからは、世界各地の合唱コンクールや音楽祭で、数多くの賞を受賞したり、全世界を演奏旅行でまわるという、「成功した」合唱団となったのです。LPの時代から録音も行い、ニュームの編曲による愛唱曲の数々は、ごく限られた合唱ファンを魅了したものです。
そんな彼女たちが、このアルバムによって一躍全世界の注目を集めることになってしまったのは、運命のいたずらというか、人間、一歩先のことはわからないということなのでしょうか。
もっとも、聴いてすぐ分かるように、このアルバムが発信しているのは、サラ・クラスという作曲家の音楽、カンタムスは、単なる演奏者に過ぎません。
写真をお見せできないのがとても残念なのですが、このサラ・クラスというのは、ブロンドのとてもキュートな女の子。おそらく、まだ20代でしょう。ファッション界に転向しても、トップクラスのモデルになれるに違いありません。小さい頃から幅広い音楽とともに育った彼女は、その才能をあのジョージ・マーティンに認められることになります。先日、引退を表明した、大物プロデューサー、というよりは、例のザ・ビートルズのプロデューサーとして有名な人ですね。今回のアルバムも、ジョージ・マーティンのスタジオである「エア・スタジオ」で録音されてますし。
そのサラの音楽、タイトル曲の「オーロラ」を聴けば分かるように、もろ「癒し系」。それも、以前書いたラッターやタヴナーとは明らかに次元の異なる、癒すことしか念頭にないという、ある種の実用音楽です。こういう曲での合唱というのは、ひたすら包み込むような柔らかなハーモニーで盛り立てるという役割以外は求められません。だから、べつに演奏するのはカンタムスでなくてもいいということにもなりかねません。その辺の配慮からなのか、3曲目の「ステイ・ア・ホワイル」ではきちんとした「合唱曲」を歌わせてもらっているのですが、皮肉なことに、今度は、高い音が非常に聴きずらいという演奏上の問題が露呈してしまっています。
30年以上手塩にかけて育ててきた合唱団が、メジャーレーベルの思惑でこのような心外な扱いをされたことを、パメラはどんな思いで受け取ったことでしょう。もっとも、他人の心中など分かりっこありませんがね。案外、それなりに楽しんでいるのかもしれませんし。

7月26日

SYRINX
Musique Moderne Française pour Flûte
瀬尾 和紀(Fl)
Laurent Wagschal(Pf)
ワーナーミュージック・ジャパン WPCS-10970
以前、ホフマンのフルート協奏曲をご紹介した若手フルーティスト、瀬尾和紀さんの新しいアルバムです。レーベルが、なんとあの「エラート」、かつては、フランスを代表するマイナーレーベルとして、超一流のこだわりをもってフランス音楽を録音していたものでした。もちろん、ここに登場できるのは、並外れた才能をもつ、選ばれた演奏家だけ(エリートってやつですね)。いまでこそ、ワーナーグループに吸収されてしまい、昔ほどのローカリティはなくなってしまいましたが、なんといっても、あのジャン・ピエール・ランパルが数多くの録音を残したレーベルですから、フルーティストにとってはなかなか思い入れは強いのではないでしょうか。事実、日本人でこのレーベルに登場したフルーティストというのは、今までは工藤重典しかいなかったはずですし。
瀬尾さんが、ここで選んだレパートリーは、ドビュッシー、プーランク、フランセ、ピエルネといった、フランス近代の作品です。17歳のときからフランスに留学されて、研鑚を積んでこられた瀬尾さんならではの選曲です。ところで、曲を聴く前に、瀬尾さん自身がお書きになったライナーノーツに目を通してみませんか?彼の公式ホームページをご覧になっている方は先刻ご承知のとおり、瀬尾さんは言葉を通して表現されるのがとても上手な方で、ここでも、ご自分の音楽に対する考えを、的確な表現で見事に伝えています。特に、フランス音楽の持つ構成感や形式美に対する言及には、まさに目から鱗が落ちる思いがしました。
私が思うに、瀬尾さんにとっては、フルートというのは、自分の音楽を表現する1つの手段にすぎないのでは。したがって、非常に高い次元での完成度は感じつつも、このアルバムから単にフルートが持つ繊細さとか、音色の美しさだけを聴き取ろうとすると、軽い失望感を味わうのかも知れません。それよりも、フルートという枠には収まりきらない程の、スケールの大きさこそを、感じ取るべきなのではないでしょうか。その意味で、元々はヴァイオリンのための曲だったピエルネのソナタあたりには、もっとも聴き応えを感じたものです。同じような観点から、ワックスマンの「カルメン・ファンタジー」もおすすめです。ピアノのワグシャルの、並外れたサポートのセンスも、忘れることはできません。そういえば、リサイタルの時に演奏していたグリーグのヴァイオリンソナタも、テンションとしてはその夜の白眉だったことを思い出しました。
実は、瀬尾さんは、8月に開催される「第5回神戸国際フルートコンクール」に出場なさいます。なんといっても、第2回のときの1位として、エマニュエル・パユと、ペトリ・アランコの2人を送り出したことで、世界的な権威を持つことになったコンクールです。第1回のときに2位を獲得した佐久間由美子さん以来、日本人入賞者が一人もいないということで、瀬尾さんにかけられた期待には、とても大きなものがあります(しっかりプレッシャーかけてますね)。

7月25日

ALKAN in 1837
Michael Nanasakov(Pf)
NA JNCD-1009
先日ご紹介したアムランのアルカン。やはり、あの方面の好きな方には絶大なる支持を受けてます。私の友人の、自称「ヘンタイピアノマニア」のNさんも鼻息荒く「聴きました?」だって。それから10分ほど、その話で盛り上ったのですが、それは置いといて。今回は、そのアムランとも晴れて友人となったという例のヴァーチャルピアニスト、ナナサコフ氏の最新録音です。
まさか「アムランとお友達になった記念」ではないでしょうが、今回の録音の中には、先日のアルバムでアムランが世界初録音した曲、「悲劇的な3つの小品 Op.15」が含まれているのが、なんとも遊び心に満ち溢れた選曲ですね。あ、もしかしたら遊び心などではなく、強烈なライバル意識から、この曲を選択したのかもしれませんが、とにかく、聴き手にとっては、とても楽しく、スリリングなリリースである、と言うわけです。
ナナサコフ氏については、やはりこの「おやぢ」では、新しいアルバムが出るたびに取り上げているので、今更説明の必要もないですね。孤高のピアニストである彼は、完璧な楽譜の再現をめざし、彼を崇拝する協力者と共に、日夜トライ&エラーを繰り返しているとの事。アルカン、ゴドフスキー好きのおやぢにとっては、まさに神のような存在といえましょう。
さて、その苦労を充分頭に叩き込んだ上で、今回の労作を聴いて見ましょう。何と言っても、まずはOp.15の聞き比べから。
いつものことですが、楽譜は完璧に音になっているのでしょう。それは疑うべくもありません。ただ、完璧のあまり、例えば三連符の連なりなどがあまりにも機械的になってしまってるように思うのは、贅沢な聴き方でしょうか?多分アルカン自身は、このくらい機械的な音の連なりを想定して書いたのでしょうが、やはり微妙なテンポの揺らぎは、聴き手に安心感を与えるものなのでしょう。
それが顕著なのは、第2曲目の「風」。ひたすら吹き続ける風の音を模した、半音階の上下動。これが寸分の狂いもなく奏されるのを聴くと、ひたすら寒い気分になること請け合いです。
アムランの演奏する同じ曲は、もう少しニュアンスに富んでいたのに。そう思わせること自体が、ナナサコフの思惑なのでしょうか。だとしたら、かなりの高等戦術にはまってしまった事になるのでしょう。なにしろ、これを自分に納得させるためだけに、両CDを各5回ずつは聴かざるを得なかったのですから。
このアルバム、1837年のアルカンと題されていて、他に収録されているの曲は全てその年に出版されたもの。こうしてまとめて聴いてみると、同世代のショパン、シューマン、若しくはリストといった人たちとは、明らかに作風が違うのが良くわかります。
どんな時代にも「オタク系」の人はいるもんだ。そう思ったおやぢでした。

7月20日

JURASSIC PARK III
Original Soundtrack
Original Theme by John Williams
New Music Composed and Conducted by Don Davis
DECCA 440 014 325 2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
UCCL-1018(国内盤8月8日発売予定)
この間、某民間衛星放送で、「刑事コロンボ」の新作を放送していました。弟子の作曲家に書かせた曲を、自作として使っていた映画音楽の大家が、事実が発覚するのを恐れて、その弟子を殺してしまうという、いかにもありがちな話。同じ場面に付けた曲が、先生のはくどくてドンくさいのが、弟子が手を入れたものはすっきりしてスマートというわかり易い実例なども出てきたりして、なかなか楽しめました。
もっとも、現実のハリウッドあたりの事情はそんな単純なものではないというのは、周知の事実。ドラマにあったように、一人の作曲家が曲を作ってから録音するまで面倒を見るなどということはありえません。映画音楽というのは完全に分業化が進んでいて、メインの「作曲家」が作ったアイディアは、複数の「オーケストレーター」たちの手によって、スコアに仕上げられているのです。
このサイトのマスコットと化している「ジュラシック・パーク」も、ついに3作目が完成、アメリカではもう公開されていますが、日本での公開は8月にずれ込んでしまいました。大作が目白押しの今年の夏ですから、配給会社の思惑が複雑にからんだ結果なのでしょうが、一足お先に音だけでも、というわけで、「ジュラシック・パーク3」のサントラ盤を聴いてみることにしましょう。
前2作の監督だったスピルバーグが降りたことから、コンビを組んでいたジョン・ウィリアムズも「A.I.」に持っていかれてしまい、代わって音楽を担当したのは、ジェームズ・ホーナーのオーケストレーターだったドン・デイヴィスという人。最近では、「マトリックス」で「作曲家」としても認知されていますが、今回の仕事では、ジョン・ウィリアムズの世界をそのまま継承することに力点を置いて、ほとんど「オーケストレーター」に徹しているようです。
映画も見ていないのに、サントラだけ聴くというのは、普通に考えればとても間抜けなもの。あくまで映像あっての音楽なのですから、音楽の担当者が変わろうが、例の聴きなれたテーマさえ出てくれば、条件反射で心はイスラ・ソルナへ旅立とうというものです。その点で、自分を出すことを抑えて、前作の世界を崩さないでくれたデイヴィスの功績は、「続編もの」の音楽としてのあるべき姿を示してくれたものといえるのではないでしょうか。
したがって、このサントラ盤での収穫は、ディズニー映画でお馴染みのランディ・ニューマンが歌っている、およそ恐竜映画とは似つかわしくないカントリー調の脳天気なエンディングテーマと、予告編などが見られるエンハンスト仕様ということになりましょうか。くせもの役者、ウィリアム・H・メイシーがどのような役どころなのか、公開が待ち遠しいですね。

7月18日

NIGHT SONGS
Renée Fleming(Sop)
Jean-Yves Thibaudet(Pf)
DECCA 467 697-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
UCCD-1038(国内盤 8月22日発売予定)
日本各地で梅雨明けの報を聞き、「ああ、また暑い夏がやって来た」と、ちょっと嬉しいおやぢです。蒸し暑い夜には、の音のように清々しい歌声でも楽しもうではありませんか。
そこで、先ごろ来日した名ソプラノ、ルネ・フレミングの新しいアルバム、「NIGHT SONGS」などはいかがでしょう。(このアルバム、実は、特別にアメリカ盤を取り寄せてもらったので、普通のお店で見かけるのは、来月の初めくらいとの話ですが。)
伴奏は、これまた名ピアニスト、ジャン=イヴ・ティボーデ。フレミングとティボーデ。この2人の共演は、ちょっと意外でした。今まで、各々の演奏をたくさん聴いてきましたが、この2人の音楽性はかなりかけ離れたところにある、と思うのは私だけではありますまい。確かに「音に対する繊細な感性」というのは、共通しているでしょうけど、フレミングの、どちらかというとウェットな表現に対して、ティボーデの洒落た現代的な音。彼だったら、アップショウやボニーと共演したほうがいいんじゃないかな、なんて思ったくらいですから。
ここで選ばれている作曲家も、見て判るとおり、フォーレ、ドビュッシー、ラフマニノフはティボーデっぽいし、シュトラウス、マルクスはフレミングっぽいですね。
最初のフォーレから、ちょっと驚きです。例えば「ネル」。ねっとりと絡みつくような妖艶な演奏で、確かに夜の歌。これは彼女のフランス語の発音にも寄るのでしょうか?アメリンクの清純な歌で聴き慣れている耳にはなんとも異質で、まったく違う歌に聴こえたくらいです。今まで、こんなに感情込めてフォーレを歌った人がいるのでしょうか?
そんな彼女、やはりドビュッシーが素晴らしい出来です。「ビリティスの3つの歌」での心の襞に分け入るような歌いまわしは、さすが現在最高のドラマティックソプラノ。その上、ティボーデのピアノがまた巧い事。思わず聞惚れてしまいました。
ここで、マルクスの歌曲が聴けたのも嬉しい限りです。シュトラウスの後の世代のリート作曲家として、徐々に名前が知られてきていますが、まだまだ録音は非常に少ないのが残念な人。このアルバムがきっかけで多くの人に聴いてもらえるのは、以前からのマルクスファンのおやぢには、感激の極みです。使われる和声の進行には、ちょっとジャズっぽいところもあって、まさにフレミングにぴったりの歌といえましょう。
1つの要素に対し、相対するもう1つの要素が付き合わされるとき、反発し合い、結びつきながらも、相互に深い影響を及ぼす。そして、相互が混然一体となったとき、素晴らしいものが出現する。と言ったのは、かのヘーゲルでしたっけ。そんな言葉をふと思い浮かべた、夏の夜でした。

さきおとといのおやぢに会える、か。


(since 03/4/25)

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