今日の禁断 ヘンデル


 仙台七夕が始まりましたね。初日に大雨が降ったりして大変だったようですが、最近は屋根付きのアーケードが多くなっているので、まあ何とかなるのでしょうね。それよりも、この暑さがさらに大変なことになっています。それこそ、アーケードなどは密閉空間になってしまいますから、巨大なサウナと化しているのかもしれません。
 その七夕が終わると、私の職場では1年のうちで最も忙しいイベントが開催されますから、そんな準備もあって最近は街中で七夕を見ることはなくなっていますね。もちろん、その前夜祭として夕べ開催された花火大会にも、行くことはなくなりました。数年前までは、自宅のマンションから、まあ全部とは言えませんが上の部分ぐらいは見えてましたから、それで楽しむことも出来たのですが、その視野の中に新しいマンションが建ってしまったので、もう花火は完全に見えなくなってしまいました。音だけは聴こえてきますし、何やら煙のようなものも見えますから、確かに花火が上がっていることは分るのですが、その実物を見ることは出来ません。虚しいですね。
 でも、最近ではテレビでそれを生中継しているようで、きのうもそんな映像が放送されていましたね。でも、なんだか、プロとは思えないようなアナウンサーが、原稿を棒読みしているだけだったのですから、せっかくの花火も興ざめです。
 そして、最近の花火では、どうやら「音楽」が、花火とシンクロして聴こえるようになっているようなのですね。私が実際に川内まで見に行っていた頃には、そんなことは絶対にやっていなかったはずですから、いつの間にかそんな「BGM」が流されるようになっていたのですね。
 確かに、今では、どんなところでも音楽が鳴っているようになっていますが、花火にそんなものが必要なのかと問われれば、私は断固「必要ない!」と答えるでしょうね。真っ暗な夜空の中に響き渡るのは、そこで爆発する火薬の光にほんの少しだけ遅れて聴こえて来る爆発音だけで十分だ、と思うのですよ。それが「風情」というものなのではないでしょうか。というか、花火師さんたちは、その花火の中には、きれいに夜空に広がる火花とともに、その瞬間に発する爆音のことも考えて、花火を作っているのではないか、という気もするのですが、どうでしょうか?
 まあ、百歩譲って、そのような花火自体の発する音響をサポートする意味での、まさにバックグラウンドでほのかに聴こえて来る音楽のようなものだったら、許すことはあるかもしれません。でも、昨日のテレビで見る限り、そこで使われている「音楽」は、そんなしおらしいものではないようですね。そこから聴こえてきたのは、紛れもない「楽曲」だったのですよ。つまり、最近では「アーティスト」と呼ばれる「歌手」、あるいは「バンド」が歌い、演奏している商業的な音源で、もっぱらその売れ具合で価値が判断されるというものたちです。
 具体的に言えば、きのう聴こえてきた「AI」(「エイアイ」ではなく、「アイ」)の「ハピネス」みたいな「楽曲」です。なんで、こんなしょうもないものを、花火のバックで聴かされなければいけないのか、私には全く理解できません。花火を見に来た人の中には、この曲が嫌いな人だっているはずです。そんな人でも強制的に聴かせられるなんて、暴力以外の何物でもありません。歌詞を通してメッセージを強制的に伝達するというのは、「洗脳」と同じことです。それは「犯罪」です。
 花火の時に聴かされても害がないのは、やはりインストものでしょうかね。「王宮の花火の音楽」とか。
Aventure Number : 4103 date : 2025/8/6


今日の禁断 カラヤン


 市長選挙、終わりましたね。まあ、予想通り現職が当選していました。ということは、対戦候補が掲げていた「音楽ホール建設の見送り」という公約が果たされることはなくなったわけですね。あの、理想的な音楽ホールとは程遠い建造物の建設が、このまま進められていくのでしょうか。
 仙台には、れっきとしたプロのオーケストラがあります。そこが定期演奏会に使っているホールは、座席数800という「中ホール」です。まあ、大きさはどうでもいいのですが、そこの音響は、フルサイズのオーケストラを聴くにはかなりつらいものがあります。音が飽和してしまって、木管楽器などがよく聴こえてこないんですよね。そんなところではオーケストラを聴きたくはないので、私は仙台フィルの定期会員にはなっていません。
 ですから、まっとうな音でこのオーケストラが聴けるようになるためには、どうしてももっとまっとうな音響設計がなされているホールが必要だ、ということは、ずっと思っていました。東京はもちろんですが、仙台と同じぐらいの規模の街でも、そういうまっとうはホールはたくさん作られていますからね。
 ですから、いつの間にか、この街では外国からオーケストラがやってきてコンサートを行うということが、全くなくなってしまっていました。かつてはベルリン・フィルが来たこともあったのに。まあ、それは様々な要因があるのでしょうが、やはり全国にこれだけのまっとうなコンサートホールが出来ているのだから、そういうものがない仙台は、もう外国のオーケストラには避けられているのではないか、という気がするのですね。あるいは、国内での演奏会場を決めるのはプロモーターでしょうから、もはや仙台で外国のメジャーなオーケストラのコンサートを開くのは、あまりにリスクがありすぎる、と判断されているのかもしれませんね。彼らは、ミューザ川崎やキタラ程度のホールでないと、もはや外国の指揮者やオーケストラを満足させることは出来ないのだ、と考えているのかもしれません。
 そこで、新しいホールの建設計画が始まっているという噂を聞いた時には、これでやっと、外国のオーケストラも、わざわざ東京まで行かなくても聴けるようになるかもしれないな、という希望を持ったものでした。
 しかし、その設計のコンペが終わって、採用になったプランを見たら、そんな希望は吹っ飛んでしまいましたね。その図面にあったものは、期待していた音楽「専用」ホールとは似て非なるものでした。私が以前から抱いている音楽専用ホールのイメージは、「1000人以上の収容人数」、「音楽を聴くのに適しているホール内部の形状、つまり、『シューボックス』や『ヴィニャード』という、プロセニアムを持たない形」、そして「パイプオルガンの設置」です。
 その中で、かなえられているのは収容人数だけでした。しかも、あろうことか、「ホールの壁を開放すれば5000人は収容できる」という、ありえないプランです。そんなことをしたら、理想的な音響など全く期待できませんよ。
 さらに、そのホールは、「劇場」としても使えるように、バックステージを広く取っていて、コンサートの時はそこに可動式の客席をはめ込むんですって。もう、開いた口が開きませんよ。そもそも、そのような、まさに劇場芸術、オペラやバレエとして使える、4面ステージを持ったホールは、すでに宮城県が建設を進めているのですよ。そんなたいそうなステージを持つホールは市内に1つあれば十分です。
 そして、「オルガン」は、図面のどこを見てもありません。理想的なのはステージの後ろでしょうが、そこが可動式になっているのであれば、オルガンの設置は不可能です。
 今回の市長選挙で、対立候補が主張したのは、あくまでこの施設そのものの建設の差し止めでした。それでも、その点にかなりの同意が得られていれば、おのずと、このホールにはこれだけの欠陥があることがはっきりすることもあったかもしれません。しかし、選挙の結果は、圧倒的な現職の勝利でした。その時点で、ホールの問題にはかたがついた、と、現職は判断するのでしょうね。仙台で外国のオーケストラを聴くことはおろか、地元のオーケストラを適切なホールで聴くことすらも、もはやかなわなくなってしまったのです。そんな街が「楽都」ですって? 恥ずかしすぎます。
Aventure Number : 4102 date : 2025/8/4


禁断ばっくなんばあ