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音楽展望
吉田ヒレカツ

2000/4/24

 末廣誠指揮の都民響がスメタナの「わが祖国」を全曲演奏するというので、上野の文化会館まで来てみた(423日)。じつは、この団体を聴くのは、2回目のこと。前回ブラームスの第1交響曲を演奏した時も楽しませて貰った。この時は、このページのマスターも聴きにきていたようで、その模様は彼のレポートに詳しく述べられている。
 このオーケストラは、毎回多数の聴衆が訪れるそうで、良い席を確保するためには、大分長い時間並んでいなければいけないらしい。その弊害を避けるために、今年からは前もって座席券を配付するという方法に改めたようだ。不公平感をなくすため、私のような高名な評論家にも特別な配慮はしないということらしい。訳の分からぬ輩に招待券をばらまくよりは、聴きに来たい人を優先させるというその方式自体は、私も賛成である。もっとも、そのおかげで、3階左翼という、舞台下手側が完全に見えなくなってしまうひどい席を指定されてしまったのには、いささか腹が立ったものだが。
 しかし、この席だと5階席まで隙間なく人が入っているのがよくわかる。向かい側の右翼席が正面に見えるのも面白い。と、見るとはなしに向かいの
4階席を眺めていると、ふと、気品のあるご婦人の姿が目に入った。確かにどこかでお会いしたことのあるご婦人なのだが、どうしても思い出せない。ここに来て、また物忘れがひどくなったようだ。
 開演間近になる頃には、なんと、座席がないために通路に座らされている人も出てきた。見込み違いで、招待状を多く発送し過ぎたためらしい。うれしい誤算と言うべきか。

 スメタナの「わが祖国」といえば、プロが演奏してもなかなか大変な曲である。と言うより、過剰と思われるほど書き込まれたスコアから整った響きを導き出すのは、アマチュアには至難の業なのではないか。あえて、そのような難曲をとりあげた末廣は、この曲に対してよほどの自信があったのだろう。
 都民響の演奏は、総体的にはこの難関をほぼ克服していたようである。しかし、細かく見ていくと、いくつかの不満な点がなかった訳ではない。まず、1曲目の「ヴィシェフラド」が始まると、どうも様子がおかしい。出だしのハープが繊細さに欠けるし、続くホルンや木管のテーマもなにか音程、音色とも不安定である。弦楽器が出てくると、やや安定はしてくるが、前回聴かれたような艶やかさは影をひそめてしまっている。これは、あるいは私の席が第1ヴァイオリンが聞こえにくいためなのかしら。
 2曲目の「ヴァルタヴァ」いわゆる「モルダウ」も、出だしのフルートがひどく元気がよくて面食らってしまう。総じて管楽器は弦楽器ほどの繊細な表現ができていないようだ。しかし、ここまで聴いてきてもっと面食らったのは、シンバル担当の若い女性打楽器奏者の動作だ。何と言ったらよいのだろう、ちょうど平泳ぎの水泳選手のように、叩く直前に腰を落として足をがに股にする屈伸運動を正確に2回、リズミカルに繰り返したのち、勢いをつけて楽器を叩く(シンバルの場合は「叩く」ではなく「合わせる」とでも言うのだろうか)。この動作に気がついてしまってからというものは、ひたすらこのシンバル奏者のパフォーマンスに笑いをこらえるのに精一杯で、とても音楽を集中して聴くことなど出来なくなってしまっていた。

 でも、そんなことを言ってはいられない。気をとり直して聴き続けなければ。
 3曲目の「シャールカ」のように、弦楽器が主導権をにぎる曲では、この団体の良さがいかんなく発揮され、大いに楽しむことができる。数えてみたら、チェロ奏者などは
13人もいた。この大人数によってもたらされる、特に内声と低音の充実ぶりは素晴らしいものであった。
 休憩をはさんで、
4曲目の「ボヘミヤの牧場と森から」あたりからは、相変わらず管楽器の音程の悪さは耳につく(ホルンなどはそれに加えて表現の稚拙さも気にはなった)ものの、よく訓練された弦楽器の雄弁さもあって、末廣が目指しているものの形が次第に明らかになってくる。いってみれば、この曲の持つ民族性というものをいたずらに強調することなく、部分部分をきちんとメリハリをつけて演奏することによって、だれにでも納得できるような盛り上がりを構築するというものであろうか。
 最後の2曲「ターボル」と「ブラニーク」に至って、この手法が一層明らかになってくる。ちょっと捉えどころのないこれらの曲を、末廣は見事なまでの性格描写によって、最後までその求心力を弱めることなく、聴衆に緊張感を持たせ続けることに成功したのである。ただ、何度も言うように、管楽器にこれにきちんと追随できる能力が欠けていたことが惜しまれる。「ブラニーク」の最後、トランペットの聞かせ所で見事に失敗したのは、本当に残念なことである。

 というわけで、今回の演奏会にはやや小言が多くなってしまったが、アンコールを聴くにおよんで、それらの不満は霧散してしまった。前回のバーバーのアダージョを引き合いに出すまでもなく、この団体のアンコールには、メインプログラムを越えたものが期待できる。実は、この選曲は私が内心予想していたものだった。スメタナの曲を取り上げた演奏会で、ご自慢の弦楽器の腕前を披露できる曲といったら、これしかないのでは。そう、「売られた花嫁」序曲が聞こえてきた時、私は内心「やった」とほくそえんでいた。トゥッティが終わって、第2ヴァイオリンから始まる「ペルペトゥム・モヴィレ」は、とてもアマチュアの弾いているものとは信じられない、完璧なものだった。これが聴けただけでも、この演奏会にやって来た甲斐があったとさえ思えるような小気味の良いものだった。
 次の演奏会では、リヒャルト・シュトラウスとマーラーを取り上げるそうだ。どちらも、この指揮者とオーケストラにとっては、スメタナより取り組みやすいものではなかろうか。ある意味では不満が残ってしまった今回の演奏会の雪辱をはたすためにも、大いに頑張ってもらいたいものである。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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