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音楽展望
吉田ヒレカツ

200311月2日  宮城県民会館

2003/11/3記)

 ほんの2週間前、アマチュアのオーケストラをバックに、ここでたびたび紹介してきたフルーティスト瀬尾和紀が、ハチャトゥリアンのフルート協奏曲という、おそらく私の生涯でこれから生で聴くことはないだろうと思われる珍しい曲を堪能したこの宮城県民会館で、やはり、もしかしたらこれを逃すと2度と聴くことが出来ないかも知れない、10月で80歳を迎えた指揮者、スクロヴァチェフスキの演奏を聴くというのも、何かの因縁なのかも知れない。

 会場に入ってみると、人だかりがしている一角があったので、おそらくプログラムを売っているところであろうと思っていってみたら、そこはCDの販売を行っている場所であった。見てみると、評判の最近のブルックナーの交響曲などに混じって、もはや販売されてはいない中古のLPレコードなども展示してあるではないか。この、長いキャリアを誇る長老指揮者の、まさに多岐にわたる経歴の一片をかいま見た思いがしたものだ。ところが、肝心のプログラムは、どこを探しても見あたらない。思いあまって近くの係員に問いただしたところ、そのようなものは取り扱ってないという、俄には信じがたいような答えが返ってきたのには驚いてしまった。入場の際に手渡された配布物の中には、この演奏会のチラシのコピーが入っており、曲目などはそれを見て欲しいということなのだろうが、このような理不尽きわまりない主催者の対応には、怒りを通り越して、ただただあきれかえる他はない。いったい、プログラムをなんだと思っているのだろう。曲目に関する解説などは、今回のような有名な曲ばかりであればどこでも手に入るものであるから、格段必要とは思えないが、このオーケストラの公演日程であるとか、団員のメンバー表などは、会場で提供されるプログラム以外からは知りようがないのである。若者たちが、お気に入りの演奏家(「アーティスト」と言うのであろうか)たちの、まさに会場以外では入手できない各種小物(「グッズ」と言うのであろうか)を手に入れる(「ゲットする」と言うのであろうか)ために演奏会(「コンサート」と言うのであろうか)に足を運んでみたら、その小物が売り切れ(「ソールド・アウト」と言うのであろうか)だと知って落胆する(「へこむ」と言うのであろうか)気持ちに、これほど共感を覚えた時はない。

 ステージ上には、珍しいことに、録音用のマイクロフォンが設置されていた。メインの釣りマイクだけではなく、ティンパニや管楽器、第1ヴァイオリンとチェロのあたりには、補助のマイクスタンドなどもあり、かなり本格的な設置方法であることが分かる。もしかしたら、CDのための生録音でもするのかしらん。しかし、このマイクスタンドが、思いもかけない障害物であることが判明した。オーケストラの団員が入場し終わり、チューニングも完了して、指揮者の登場となったところ、当の指揮者は舞台の一番前を歩いてきたものだから、そのマイクスタンドが進路を遮る形になって、その場所で何とも年寄り臭い危なげな足取りになってしまったのである。袖から出てきた瞬間は、とても80歳とは思えないような堂々たる歩調だっただけに、この、ほんのちょっとした配慮の不足が、せっかくの指揮者のポーズを打ち砕いてしまったことは、本当に残念でならない。もっとも、スクロヴァチェフスキ自身は、そのあたりを気遣ったコンサートマスターにさもなんでもなかったかのような笑顔を振りまいていたのだから、実際はそんな深刻なものではなかったかも知れないが、そのような他人の好意に甘えることは、本来あってはならないことなのだ。

 最初のモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲は、耳をつんざくようなティンパニの響きで始まった。そんな張り切りすぎのティンパニに加えて、木管と弦楽器の音色がやや異質で、なにやらバランスの悪い居心地の悪さにしばしさいなまれたものだが、しばらく経つうちにそのようなことはあまり気にならなくなってきた。なんと言っても、弦楽器のアンサンブルが完璧で、例えばオーボエあたりのちょっと危なげなところも十分補っていたのだから。ところで、この序曲、本来オペラで演奏される時には、切れ目なくレポレロのモノローグにつながるために、演奏会で単独で使う場合には、何らかの終止形を付け加えるのが恒例になっている。通常は楽譜に併記されているありきたりのものを使うのだが、ここでスクロヴァチェフスキが取った方策は、そのような単純なものではなかった。曲の最後になって、突然冒頭の激しい和音が鳴り響く。しかし、それは決して最初に戻ったのではなく、第2幕の騎士長の石像が登場する場面の音楽だったのだ。ひとしきりその厳しい響きが続いたあと、曲はそのまま第2幕の最後、すなわちこのオペラの最後の部分へと流れ込み、まるでオペラ全曲が終わったかのような、鮮やかな終わり方を見せたのである。

 2曲目の、やはりモーツァルトの交響曲第35番は、このオーケストラと指揮者との生真面目なと言うよりは無骨な一面が表に出てしまって、必ずしも心地よいものとは感じられなかった。実にしっかりとした音楽ではあるのだが、あまりに隙がなさ過ぎて、少々息苦しさを感じてしまったのである。これには、最近のいわゆるオリジナル楽器の演奏から味わうことが出来るいささか軽めのモーツァルトに慣れてしまっていたことも、ある程度は関係しているのかも知れない。先ほどの元気の良いティンパニが、何回か暴走して早めに出ていたのも、いささか気にはなったところだ。

 しかし、最後の曲目、ブラームスの交響曲第1番では、そのような不満な点はことごとく良い方に作用し、絶えて聴くことのなかった重厚であり、激しさすらも秘めた名演を聴くことが出来た。最初の、おそらくスクロヴァチェフスキがスコアに手を入れたのであろう、ティンパニにオクターブ下のドの音を加えるという、今まで聴いたことのなかったような衝撃的な一打によって、われわれは瞬時にドイツの深い森の中へと、引き込まれたのである。聴き進むうちに、スクロヴァチェフスキの音楽の作り方のあまりの精緻さに圧倒されることになる。それは、緻密に設計されたテンポの変化である。細かい部分のテンポがあらかじめきちんと設定されていて、常にその場にもっともふさわしいテンポというものに、いつの間にかなっているのである。この指揮者は、感情にまかせてのルバートというものはほとんど行なわず、逆に、その場面の変更点におけるさりげないテンポの変化が、とてつもなく大きな表現として伝わってくるのである。
 もちろん、そのような理想的なテンポに設定された第4楽章の序奏は、まさに神々しいほどの力を持って迫ってきた。暗雲の中から射し出す一条の光のようなホルンのソロは、まさにそれまでの情景を一変させる輝きを持っていた。それに続くフルート・ソロ(池田さんという日本人)も、飛び抜けて美しい音、そして、そのあとのトロンボーンによるコラールも、まさに絶品だった。

 実は、第2楽章には、ちょっとした「事故」があった。モーツァルトではいささか不安なところもあったオーボエ奏者は、ブラームスになったら実によい演奏を聴かせてくれていた。特に、その深みのある音色は、このオーケストラの暗めの弦楽器の響きと、実は非常によく合致していたのだと思い始めた矢先、この楽章の長大なソロの部分で、ちょっとした勘違いから全体とずれてしまったのである。しかし、そこでスクロヴァチェフスキが取った行動というものは、見事としか言い様のないものだった。彼は、正しいオーボエのパートを「歌って」見事にオーケストラを混乱から救ったのである。この演奏会で、指揮者の前には譜面台は置かれてはいなかった。つまり、彼は全曲を暗譜で指揮をしたのみならず、間違えたパートを歌えるほどの余裕を持っていたのである。いったい、どうしたら80歳にもなってこれほどの集中力を維持することが出来るのであろう。考えてみたら、この演奏会のどの曲も、およそ「老成」などという言葉とは無縁の、活き活きとした、緊張感満ちあふれたものであった。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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