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音楽展望
吉田ヒレカツ

2000/12/6

 東北はこの冬一番の冷え込みとか。わざわざこんな日に好き好んで仙台までやってきたのには、訳がある。海外の大きなコンクールで数々の賞を獲得している瀬尾和紀という若いフルーティストの初めての本格的なリサイタルが全国各地で開催されるというので、曲目を調べたところ、仙台のプログラムにフェルーの「3つの小品」を発見したのである。かつて、マルセル・モイーズのSP盤で繰り返し聞いた懐かしい曲だが、この歳になるまで生では聴いたことがなかった。生憎、東京ではこの曲は聴くことが出来ないので、またまた仙台行きとなったのである。

 会場は400人程度の収容人員であろうか、開演前にはほぼ満席になっていた。この若者に対する期待は、この地方都市でも大きなものがあるのであろう。
 最初の曲は、ドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」。経歴から推測して、目の醒めるようなテクニックを全面に押し出した演奏を予想していたのだが、それは見事に裏切られてしまった。朴訥とさえ思えるほどのさりげなさで曲が始まったのである。しかし、どの音もじつにていねいに吹かれている。他の演奏家がこの曲を吹くときによく見られる「吹き飛ばし」のようなことはいっさい行わない、とても誠実な演奏であった。ピアノの蓋が前開だったせいなのか、フルートの音もさほど強いという感じはなかった。

 ところが、次に無伴奏で演奏された、お目当ての「3つの小品」では、一変して華麗な音楽が展開されたのである。芯のしっかりした力強い音色。特に第3曲で見られたような、目の醒めるようなテクニック。先ほども述べたように、これを生で聴いたのは初めてのことだが、こんなにも強烈な印象を与えられたのだから、これだけで、聴きに来た甲斐があったというものである。

 次に演奏されたのが、なんとグリーグのヴァイオリン・ソナタの第3番。この曲をフルートで演奏したものなど、CDでもいまだかつて聴いたことがない。しかし、オリジナルの形を知っていても、まるで最初からフルートのために書かれた曲であるかのように見事に吹き切ってしまう瀬尾の感覚には、恐れ入るばかりである。ピアノともども、熱の入ったヴァイタリティ溢れる演奏に、客席の方も熱気で暑いぐらいになってくる。これだけの大曲をあれだけ力を入れて吹くのだから、曲の後半に多少疲れが見えてきたのも。やむをえないことではあろう。

 休憩後は、フルーティストもピアニストも、上着を脱いでベスト姿で登場した。やはり、演奏している方も暑くなってきたのであろうか。
 プーランクのソナタが始まったときは、最初のドップラーのときに感じたような、とても誠実だがなにか少し物足りない印象だった。2楽章の冒頭も、この曲が作られた数年前の「クリスマスのためのモテット」から引用されたメロディーは、まるで聖歌のように淡々と歌われる。しかし、3楽章のテクニカルなパッセージが終わって、例の「サロメ」のヨカナーンのテーマが現われたあとの音楽は、一瞬はっとするものだった。あの、深い闇のような感触は、いったいなんだったのだろうか。普段何気なく聞き逃してしまっていたこの部分に、瀬尾はとてつもない仕掛けを施していたのではあるまいか。ここに来てはたと気付いたのだが、考えてみれば、ここまで聴いてきた間に、どの音、どのパッセージも、きちんと考え抜かれていないものなど、なにもなかったのだ。

 そのことに気付いてしまうと、続くピアソラの「タンゴ・エチュード第3番」は、譜面づらからは想像できない、多様な表情付けが為されているのを十分に楽しむことができる。ピアソラもまだまだ棄てたものではないのである。

 そして、圧巻はワックスマンの「カルメン・ファンタジー」。ここに来て、瀬尾のテクニックは全開となった。今までおさえていたものを解き放つかのように、ありったけの技を披露して、フルートの魅力を存分に楽しませてくれたのだった。次から次へと繰り出される超絶技巧。これが瀬尾のバックボーンだったのだ。これだけのテクニックの下地があるからこそ、あれだけ自由自在に表現を行うことができるのであろう。また、さりげなく原曲にはない「間奏曲」を盛り込むあたりも、心憎い演出である。

 これを聴いてしまえば、あとはもう殆ど何もいらないようなものなのだが、最後に瀬尾が植松伸夫という、いわば畑違いの作曲家に委嘱した作品が演奏された。曲はとてもロマンティックな3つの小品で、ちょっと忘れかけていたような懐かしさを喚起させられるような趣がある。3曲目の最後などは、いくぶん大げさな盛り上がりをもって終わるものだが、あるいはこのような感触の音楽が、これからの世代にとっては馴染み深くなるのであろうか。この曲を聴いて、未来というものは、直線的に進むものではなく、場合によっては歴史の針が戻るかのような様相を呈するものなのかも知れないという感慨にしばし浸ったものである。

 アンコールは、サンサーンスの「アスカニオ変奏曲」が、ダブルタンギングの限界に挑むようなとてつもなく速いテンポで演奏されたあと、ゴダールの「ジョスランの子守歌」という、懐かしくも穏やかな曲。派手に終わるのではなく、しみじみと余韻を残して終わるあたりに、瀬尾の音楽性の真髄を垣間見る思いがした。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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