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音楽展望
吉田ヒレカツ

200112月5日  電力ホール(仙台市)

2001/12/6記)

 モーツァルトのフルート四重奏曲といえば、昨年、やはり仙台市近郊の町で聴いたペーター・ルーカス・グラーフの演奏が忘れられないものになっている。モーツァルトの音楽からさえも、何か深遠な思想を汲み取らなければいられないようなひたむきな演奏で、思わず衿を正したくなるような気分にさせられたものである。同じ曲を、グラーフとは全く異なる音楽性の持ち主の、エマニュエル・パユが演奏するというので、おそらくはもっと爽やかなモーツァルトが聴けるのではないかという期待を持って、聴きにきた。パユといえば、かのベルリン・フィルの首席奏者として、いまや、その名を知らぬ人はいないといえるほどのフルーティストである(この日のプログラムに掲載されたプロフィールには「ベルリン・フィルを退団」とあったが、現在では同じポストに復帰したと聞いている)。時折耳にするこのオーケストラの中での彼の音は、なんとも柔らかく魅力的なものであったから、おそらくこの期待は裏切られる事はないであろう。

 会場の電力ホールという施設は、大きなビルジングの7階だかにあるのだが、エレベーターを降りてみたら人が充満しているのには驚いてしまった。もう開場はされていて客は中に入り始めているのだが、いかんせんエレベーターから出てくる人のほうが多いために、入り口前の狭い空間には収まりきれなくなっているのであった。演奏が始まる前に、このようなことで不快な気分になるのはやりきれない思いである。聞けば、この建物は仙台では最も古いホールなのだそうだ。
 観客の入りは、満員ではないがほどほどに客席が埋まっているといった按配であったろうか。ただ、中には高校生の一団のような客もいたのだが、離れ離れに座っている仲間との間を行き来していた。この演奏会の切符の売れ行きはあまり芳しくないような事を聞いていたが、察するに、直前になって学校関係者にでもばら撒いたのではないかしら。パユを聴くためにわざわざフランスまで出かけていく子女もいるという華やかな世界は、この地方都市とは無縁のもののようだ。

 ステージの上には、譜面台が4本とチェロ用の椅子だけが用意されているところを見ると、パユたちのアンサンブルはどうやら立って演奏するようだ。最近は、このようなスタイルも流行しているのであろうか。客席の明かりが落ちて、演奏者たちが下手から入場してくる。先頭がフルートを持ったパユ、そのまま、向かって右端、上手の譜面台の前に立ってしまった。なんということだろう。私がこの日のために購入した切符は、舞台に向かって右側、このようなアンサンブルでは主役のフルートが左端に来るのはあたりまえと思い込んでいたから、正面からパユを見てみたいという願望があってのことだった。したがって、この日の並び方は、誤算以外の何者でもなかった。私の席からは、ついにパユの後姿しか見る事が出来なかったのである。
 しかし、この並び方には、きちんとした意味があったことには、演奏を聴くうちに気づく事になる。このアンサンブルの主導権を握っているのは、ヴァイオリンのクリストフ・ポッペンであったのだ。実は、私などは、この人の名前はヴァイオリニストとしてよりは指揮者として馴染みがあるぐらいであるから、これは、ある意味では当然の成り行きなのだろう。そうは言っても、立ったままで演奏しているヴァイオリニスト、ヴィオリスト、フルーティストは、ある時は歩きまわりながら、ポッペンの采配の元、かなりの自由度を持って合奏に参加していたのであった。

 最初に演奏されたのは、ハ長調の四重奏曲。聴こえてきたのは、やはり、グラーフとは全く異なる音楽であった。いつ始まったのかも分からないぐらいのさりげなさ、パユのフルートは、特に強調される事もなくアンサンブルの中に溶け込んでいる。聴き進んでいくうちに、パユにしても他の弦楽器奏者にしても、かなりモーツァルトの時代の楽器、いわゆるオリジナル楽器を意識していることが明らかになってくる。最初の拍の強いテヌートアクセント、控えめなヴィブラート、さらに、フルートではトラヴェルソのような音色。もちろん、彼らはモダン楽器を使用しているのであるから、あくまでもオリジナル風に、ということではあるが。楽譜はベーレンライター版を使用しているようであったが、いくつか、パユ自身の判断で別の音に変えられているところはあった。
 2曲目は、ロッシーニの若いときの作品である4つの弦楽器のためのソナタを、この編成に編曲したもの。ここでのパユは、モーツァルトのときのようなある意味で不自由を強いられるような吹き方はせず、彼の持ち味であるヴィルトゥオージティを遺憾なく発揮してくれていた。それにしても、この曲をフルートで演奏するときのスリリングな事と言ったら。ヴァイオリンのポッペンが同じフレーズを弾いても、なぜか華を感じられなかったのは気のせいだろうか。
 前半は、モーツァルトのイ長調の四重奏曲で幕が閉じられた。しかし、この、つくづくギャラントな曲は、パユたちのバロック的なアプローチで演奏されると、なんとも居心地の悪いものになってしまっていた。メヌエット楽章のロンドであれほどリズムを強調させたり、ロンドをあれほど生気なく吹かれたりすると、このようなスタイルに慣れていない私などは、正直言って戸惑ってしまったものだ。変奏曲の最後にもう1度テーマを繰り返すというアイディアは確かに意味のない事ではないが、やはり違和感を感じないではいられない。

 後半の最初のト長調の四重奏曲も、本来あまり演奏される機会は多くない地味なものだが、彼らの演奏からもやはり喜びを得る事は出来なかった。これは、必ずしも曲のせいばかりではないような気がするのだが。しかし、次に演奏されたロッシーニには、感服させられた。原曲は第6番に相当するのであろうか、終楽章に「テンペスタ」という副題を持つ曲。これを、パユはとてつもないテクニックでもって吹ききったのである。最初に出てくるおとなしいテーマを、今までどのフルーティストからも聴いたことのないような弱音で(しかも表情豊かに)吹いたかと思ったら、続く細かい音符のスケールでは目くるめく名人芸を披露してくれていた。
 実を言えば、この曲を聴いただけで、この演奏会は満足をしてしまったため、最後の、最も有名なニ長調の四重奏曲からはほとんど心に訴えかけてくるものを感じる事は出来なかった。確かに先ほどのロッシーニで見せたような誰にも真似の出来ないテクニックを持っているパユであるが、このモーツァルトのように音楽の方向があまりに作為的であると、身を任せて没頭するという気にはなれないのである。弱音も、時として死ぬ一歩手前、あるいはすでに死んでしまっていると感じられた瞬間は、確かにあったのではないか。
 無限の可能性を秘めた卓越したフルーティストを目の当たりにはしたものの、グラーフのときとは違った意味での、軽い失望感を味わった演奏会であった。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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