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音楽展望
吉田ヒレカツ

2002年1月1日

2002/1/2記)

 8年以上前のこと、私がはじめてこのネット向けの「音楽展望」をしたためた時、このように書いたことを、読者諸氏は憶えておられるだろうか。
「これで、もし私が生きている間にウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも振ってくれれば、最早(もはや)この世に思い残すことは何も無い。心おきなく黄泉(よみ)の国へ旅立てるというものだ。 」
 そう、この文は、小澤征爾が日本人としては初めてベルリン・フィルのサマーコンサートを指揮したということに感激して書いたものであった。あの時は、このように晴れがましいものを見てしまって、これ以上望むものはないが、さらに欲を言わせてもらえればということで、殆ど実現不可能な希望を述べたのであった。ところがなんということであろう、その時には予想だに出来なかったことが、いとも簡単に実現してしまったのである。長生きはするものだ。
 そのような重大な出来事である。本当のことを言えば、ウィーンまで出向いて、じかにこの目で小澤の晴れ舞台に接したいところだが、今年のこのニューイヤーコンサートの人気はすごいものがあるらしく、いかに私が高名な音楽評論家であっても、入場券を確保することはかなわない状況であった。仕方なく、家で衛星中継の生放送をみて、遠い空の下のマエストロに、声援を送ることにしたのである。

 会場のウィーン楽友協会ホールの中は、原色の花で飾りたてられており、少々嫌悪感を抱かずに入られない。しかも、真正面の上の方には、今年から採用されることになったヨーロッパの共通通貨「ユーロ」のマークがでかでかと掲げられているではないか。世界中の人が同時にこの放送を見るのだから、宣伝効果は抜群であり、そこまでしてこの新しい通貨の発足を知らしめたい気持ちはわからないでもないが、いささか場違いな感は否めない。私にとっての主役はあくまで小澤であって、このような物に邪魔はされたくはないのである。
 会場内には、例年になく日本人の姿が多いことは、テレビの画面からも容易に窺い知れる。和服姿のご婦人の多かったこと。さらに、ホールのいちばん真中に小澤ファミリーが席を占めていたのは、始終カメラがアップで捕らえていたので、よく分かった。と言うよりは、いかにも場違いで見るからに軽薄そうな若者がしばしば大写しになるので注目していたら、それが、あろうことか小沢の息子だったというわけである。

 記念すべき、ニューイヤーコンサートの第1曲目は、ヨハン・シュトラウスの「乾杯!」行進曲。いかにも、このお祭にふさわしい元気の良い曲を、しかし、小澤はとても丁寧に、隅々まで配慮の行き届いた演奏を聴かせてくれた。オーケストラも、各パートが思い切り力をこめて弾いていることが伝わってくる。続く、「謝肉祭の使者」というワルツでは、導入部から、とても舞踊音楽とは思えないような深い表現でもって迫ってくる。ワルツ本体は、あくまでウィーン風の独特なリズムではあるが、一点一画すらおろそかにしない小澤の棒(ただ、小澤は終始指揮棒を持たず、素手で指揮をしたのであるが)によって、とてつもない深みのあるものに変貌していたのである。
 ポルカのような、一歩間違えると運動会のバックグラウンドミュージックと化してしまう軽い曲でも、小澤はいたるところで思いがけないシンコペーションや合いの手を強調して、見違えるほど聴きばえのする曲を提供してくれていた。休憩をはさんでの後半の第1曲目は、オペレッタ「こうもり」の序曲。まるで全身全霊を注いでいるかのような集中力に満ちた音楽は、とても満足のいくものであった。

 ここで、私が昨年の1月にパリのオペラ座(バスティーユ)で見る機会があった、同じ「こうもり」の舞台について述べさせてもらっても構わないだろうか。指揮をしたのはアルミン・ジョルダン、ここで彼は、徹底的に「フランス的」な「こうもり」を見せてくれたのであった。序曲のワルツは、ウィーン訛りなど一切ない機械的な「ズン・チャッ・チャ」、その間にステージ上ではこうもりの扮装をしてパントマイムが行われる。オルロフスキー公爵邸でのガラ・コンサートも、主体はバレエであり、殆どグランドオペラと言っても構わないような演出である。さらに、牢番フロッシュという、唯一歌を歌わない台詞だけの配役が、なんと、このジンクシュピールの最中にフランス語でしゃべりだすのである。もちろん、他の役はドイツ語であるのに。
 言ってみれば、フランスで上演しているのであるから、フランスの流儀で押し通してなんの不都合があろうかという、開き直りに近いものを堂々とやっていたのであった。

 ひるがえって小澤を見てみよう。この日本人は、自らの国籍を決して前面に押し出すことはせず、ひたすら西洋音楽の真髄を学び取り、それを自らのものとして打ち出すことに成功したのである。勤勉さのみを最大の武器とした涙ぐましい努力の結果、驚くべきことにその国の人よりもさらにその国らしい、このニューイヤーコンサートにおいてはウィーンの人よりももっとウィーンらしい音楽を作り出すということを見事に成し遂げたのだ。かくして、私達は、ウィーンの香りが満載な上に、さらによりダイナミックで、よりドラマティックな「美しく青きドナウ」が演奏される瞬間を、全世界の人と共有することが出来たのである。

 しかし、しょせんは舞踏会のための音楽に、これほどまでの激情を注ぐこともないのでは、との声が心の中で囁くのを無視することも出来ない。もっと力を抜いて、そう、カルロス・クライバーのような「粋」なウィンナ・ワルツを、本当は心が欲しているというのが、偽らざるところなのかも知れない。小澤がそのような余裕のある音楽を身につけた時こそが、あるいは私の命が尽きる時なのであろうか。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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