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音楽展望
吉田ヒレカツ

20041229・30日  キャッツシアター(東京/五反田)

2005/1/4記)

 劇団四季の「キャッツ」については、仙台でロングラン公演を行ったときの感想のようなものを、すでに世に問うてある。それを再度取り上げようという気になったのは、ひとえに今回新たに作られたという専用の劇場にいたく感心させられたからに他ならない。仙台で上演したときには、従来からある公共の劇場を完膚無きまでに改造して、この演目のために必要とされる劇場空間を創り出していたということであった。もちろん、その作業は細部にわたって配慮の行き届いた見事なものではあったのだが、いかんせん既存の施設としての制約から来る不十分な点も、なくはなかったのである。一例を挙げれば、大詰めでのグリザベラの昇天の場面など、3階席あたりではプロセニアムに隠れてしまって、はっきり見ることは不可能な状態になっていたのである。それが、このたびの新劇場では、すべての客席が舞台を丸く囲むように配置されていて、どの席から見ても満足のいく眺望が得られるという画期的な設計がなされているという。さらには、2階席の一部は舞台の後側まで達していて、そこからでは普通の劇場では体験できないような視界が開けているというではないか。そこで、何事にも好奇心を持って接することを旨としている私としては、この劇場でしか味わえないような座席を確保して、実際に体験してみようと思い立ったのである。

 しかしながら、なにせ評判の演目であるから、入場券を入手するだけでも途方もない苦労を強いられることになる。発売開始と同時に電話を掛けて予約するという手順を取るのであるが、もちろんすぐに繋がろうはずもなく、空しくダイアルを回すことを延々小一時間も続けたであろうか。そこで運良く手にすることが出来たのが、1階の前から2番目の席と、2階席の舞台を真上から見下ろすという「ジェリクル・ギャラリー」とかいう、共に最も取るのが難しいと言われている2種類の席種であった。

 劇場があるのは、省線の五反田駅から歩いて10分ほどのところである。駅の構内からしてこの演目のポスターなどが大々的に掲載してあり、駅を出てすぐのビルヂングにも大きな矢印が掲げられてあり、それに従って歩いていけばどんな土地不案内の輩でも容易にたどり着けるようになっている。駅前の賑やかな商店街がふと途切れたあたり、ちょっとした裏道のような目立たないところに、その劇場は建っていた。それは、いわゆる「ホール」などと言う、あたりを睥睨するような威圧的な佇まいなどさらさら見られない、あたかも倉庫か何かであるような質素なものであった。事実、その建物の外装はといえば、ただの鉄板を打ち付けただけのもの、「CATS」という文字と電球による装飾がなければ、誰も劇場だなどとは思わないことだろう。

 入り口を入ったところが、すぐロビーとなっているが、そこは開場直後というのに人の波でごった返していた。あまり広くないその空間には、外套を預けるところやら、飲み物を供するところ、さらには土産品を売りさばくところなどが、人垣で身動きが出来ないほどになっていたのである。中でも土産品店では、この劇場に行ったという証左とするのであろうか、ひょっとしたら開演時間までには捌ききれないのではないかと思われるほどの長蛇の列が出来ていたものだ。

 そのロビーから劇場の内部へ入った途端、まるで別の空間に入り込んでしまうような錯覚に陥ってしまった。壁面に設置された夥しい数のゴミの山、もちろん、仙台でも同じような仕掛けは施してはあったのだが、この専用劇場でのそのこだわりようは、とてもここの比ではない。なにしろ、入り口の扉からして、まるで中世の牢獄のような閂が設えてあったのだから。しかも、床面までもがなにやら石畳のような意匠をとっていて、その非日常の演出ぶりには改めて感じ入ってしまったものだ。そして舞台も、仙台と同様、真後ろが客席を向いて配置されていた。つまり、本来の舞台の後にある古タイヤやら車のトランクなどが、あたかも緞帳のように舞台と客席を隔てているという、何度も見慣れた開演前の状態になっており、これが開演と同時に半周だけ回転して、舞台が正面を向くという演出なのであったろうか。ただ、この舞台は仙台とは異なり、客席のすぐ前、高さも1メートルにも満たないものであるから、恐ろしく近くに感じられる。観客たちは、思い思いにその装置、終幕近くには夜行列車の部品になるのであろう古薬缶や熊手などを、ほんの手の届く距離で眺め回っていたものだ。
 ところが、その舞台のすぐ前にある座席には、「5列目」という表示があるではないか。私が求めた切符は2列目である。それは、いったいどこにあるのであろう。その疑問は、舞台の端まで行ってみたところで氷解した。その、前から4列分の座席は、なんと舞台の真後ろにあったのである。そういえば、切符を購入する際に、このあたりの席種を「S回転」と言ってはいなかったかしらん。そう、これらの座席は、開幕とともにまさに舞台と一緒に「回転」するものだったのである。そんな珍しい席では、この席種が1年先まですべて売り切れ状態になっているというのも納得出来ようというものだ。なによりも、この席に座るためには、場合によっては舞台の上を歩いて行かなければならないこともある。もちろん、それは切符を見せた上で案内係の女子によってしっかり管理下に置かれた行動ではあるのだが、実際に舞台の上に立てる経験まで味わえるとは、なんとも贅沢な趣向ではないか。それだけにはとどまらない。まだ劇場内が明るいうちから、この近辺には出演者たちが現れてきて、舞台のまわりのゴミの匂いを嗅ぐといったような芝居を始めているのだが、この模様は2階席ならともかく、1階席では全く見ることが出来ないのである。
 いよいよ場内が暗くなり、序曲が鳴り響くとともに、ゴーゴーという音を立てて舞台と座席が回転を始めた。これは、そう、よく遊園地などにある茶碗を模した遊具のような感じであろうか。まさか観劇に来てこのような体験ができるとは夢にも思ってはいなかったのであるから、この衝撃はいかばかりのものであるか、想像がつくであろうか。それからは、ほんの目の前、まさに出演者たちの唾液が飛びかかってもおかしくないほどの距離で、仙台でさんざん経験した出し物を堪能することになる。激しい踊りの時などは、舞台の震動がそのまま座席に伝わってくるに及んで、まさに今座っているところは舞台の中と言っても過言ではない場所であることを再確認するのであった。

 次の日に座ったのは、舞台の後方、こちらは殆ど背景と一体化しているあたりにある座席である。そこは、もはや出演者たちは入れ替わり立ち替わり出入りを繰り返している場所であり、座っている方も観客でありながら、まるで出演者のような視線で客席を見渡せるという、極めて特異な眺望の得られるところでもある。ここから見下ろす舞台では、従って、後で演技している出演者たちの行動までもが、つぶさに観察できるのである。その結果分かったのは、すべての役者が、すべての場所で常に意味のある演技を行っているということであった。裏返せば、それだけの密度の濃い演技をしている自信があるからこそ、このような場所に客席を設けることも厭わないのであろう。そのような自信に裏打ちされたこの演目、そこには、ラム・タム・タガーのように余裕さえ感じさせられるものもうかがえて、仙台の時以上の充実した時間を満喫することが出来たのである。
 ただ、どうしても機構的にこの位置から見られてはまずいという部分もなくはなかった。バストファー・ジョーンズが演説をするときに登るシルクハットには、客席からは見えない位置に引き出し状の踏み台が仕込んであるなどということは、別にそんな重大なことではないかもしれないが、最大の誤算はオールド・デュトロノミーが上に乗る古タイヤが宙に舞うというシーンであろうか。白い煙を噴きながら空中に浮かんでいるという設定なのだが、もちろん実際には下にパンタグラフが仕組んであって、そのまわりをドライアイスで巧みに隠しているものである。普通の客席からの視線では、これはほぼ浮かび上がっているように見えるものが、この位置から見るとその内部の機構がはっきり見えてしまって、興ざめなことは極まりないのである。もっとも、これはドライアイスを送り込んでいる太いホースなども見えてしまっているのだから、敢えて開き直っていたのかもしれないのだが。

 このように、その演目が要求される舞台空間を実現させるために新しい劇場を作ってしまうという発想は、かのワーグナーが建設したバイロイトの歌劇場を思い起こさせるのには充分なものがあろう。理想的な環境で自作を体験して欲しいというあの絶倫作曲家の思いと、観客を楽しませるためなら最大の努力を払おうとしている劇団四季のサービス精神とは、何処か根元的なところで繋がっているのではと言う気がしてならないのである。
 それだけの気概が結集した劇場内部に比べて、そこから一歩出た空間のお粗末なことも、両者の間では驚くほどの相似を見せている。なにしろ、バイロイトにはロビーそのものがないのであるから。舞台を成立させることにこそお金をかけ、付随の部分は思い切り手を抜くという発想は、ある意味潔いものではあり、この五反田の劇場で休憩時に見られた、まるで修羅場と化した女子便所への行列も、芸術への奉仕への見返りだと思えば、それほど気にはならなくなってくるのではないか。そういえば、バイロイトでの便所事情はどうだったのであろうか、いささか昔のことで記憶の彼方に消えているのが、残念でならない。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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