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音楽展望
吉田ヒレカツ

2001/1/1


 年末年始になると、テレビのクラシック音楽番組は俄に活気付いてくるようだ。「第九」あたりはいささか食傷気味と言えなくもないが、恒例のベルリン・フィルの「ズィルヴェスター・コンツェルト」や、ヴィーン・フィルの「ノイヤールス・コンツェルト」はやはり見逃すわけにはいかないであろう。FMラヂオでは、その年のバイロイト音楽祭を放送してくれるのだから、テレビでもやってくれたらと願うのは、いささか虫が良すぎるだろうか。

 昨年はヨハン・ゼバスチャン・バッハが亡くなって250年ということであったが、大晦日の、なんと「紅白歌合戦」の裏番組として、NHKの教育テレビで小澤征爾が指揮をした「ロ短調ミサ」が放送されたのには驚いてしまった。さらに、年が明けてというか、世紀が変わって2001年の元旦には、WOWOWという民間の衛星放送会社から、ヘルムート・リリンクが指揮をしたバッハが放送されているではないか。何でも、この会社は、今年から社名を今までの愛称であったWOWOWに変更し、話題の衛星デジタル放送にも参入したとあって、その景気付けにヴィーン・フィルの定期演奏会を放送することになったのだそうであるが、その第1回目が、このリリンクだったのである。
 はからずも、2日続けて異なる演奏家のバッハをテレビで見るという稀有な体験をしたところで、気付いたことを記してみようか。

 まずは、わが小澤である。長野県の松本市で毎年開催されている「サイトウ・キネン・フェスティバル」でバッハの宗教曲が演奏されたのはこれが2回目ではなかったかしら。この前には「マタイ受難曲」が取り上げられはずだが、このときには、小澤は最先端のバッハ演奏を取り入れるために大変な勉強をしたのだと聞いている。具体的には、オリジナル楽器の演奏家や、バッハ研究者からの指導を受けるとか、実際にオリジナル楽器の奏法を取り入れるなどのことを実践していたようである。
 今回も、その路線を推し進めていたようで、確かに弦楽器はバロック時代に使われていたものとよく似た弓を使っていたし、ティンパニあたりも小ぶりでシンプルなものであった。フルートも木製の楽器だった。ただし、これはメカニズム自体は近代の楽器と何ら変わらないものだから、オリジナル楽器との関連性は殆ど考える必要はないのかもしれないが。さらに、合唱団も、指揮者に外人を迎えて、特に言葉の発音について徹底的に指導されたとも聞いている。

 曲が始まって最初に合唱が聞こえてきたとき、確かにこの点に関しては成果が上がったのではとの感を抱くことは出来た。言葉自体は非常にはっきり発音されていたし、その言葉に込められた意味さえも的確に伝えることに成功しているかに見えたものである。しかし、なぜか、音楽としては必ずしも心地よいものではないのである。いたずらに深刻ぶるばかりで、聞いているのがいささか辛く感じられてしまう。
 声楽のソリストが入ってくると、オーケストラとの間の様式感というか、求めているものの違いがはっきりしてしまう。特にソプラノ歌手(バーバラ・ボニー)の朗々たる歌い方に、ある種禁欲的な響きを追及しているかに見える小澤との間の齟齬を見たと感じたのは、私だけだろうか。
 そのオーケストラも、普段使い慣れていない楽器や奏法に不自由を感じている気配は、多くの場所で散見出来た。独奏ヴァイオリンのオブリガートなど、普通の楽器であればあれほど不安定なものにはならなかったであろうことは、容易に想像できる。

 ただ、小澤が作る音楽は、始まりこそ重苦しかったものの、次第に華やかさを増してゆき、最後は壮大に終わるという、もしかしたらこれは小澤が最初から計算していたものかもしれないが、一応の論理性は見出せるものであった。しかし、オーケストラの音色にしても、合唱団の発音にしても、いかにも一生懸命努力をしているという感を最後まで拭い去ることが出来なかったのは、極めて残念なことである。
 外面的なものを整えることにばかり腐心して、自分たちがやりたいものが最後まで見えてこないという気がしてならないのである。音楽という本来享楽のためのものに対して、「勉強する」対象と捉えるという、この国独自のまるで求道者のような接触の仕方が、いまだにこういう形で残っているとは。

 こんなことを考えているうちに、同じような例をほかで見たこともあったことに行き当たった。それは、外国のレコード会社にバッハの作品を連続して録音している「バッハ・コレギウム・ジャパン」という団体である。この合唱団のドイツ語の発音は、もしかしたら本物のドイツ人よりうまいかもしれない。そのくらい良く訓練されているのだが、やはり内面的な自発性といったものに乏しいのである。

 さて、続く21世紀の元旦に放送されたのは、ヴィーン・フィルの定期演奏会。指揮をしたのが、先頃バッハの全作品のCDを完成したばかりという、いわばバッハの権威ヘルムート・リリンクである。この宗教音楽のオーソリティが、いかなる経緯でもってこのような大舞台に起用されたかは興味深いものであるが、ここではあえて触れないでおこう。そんなことよりも、手兵の合唱団ゲヒンガー・カントライと、主宰するバッハアカデミーから巣立ったユリアーネ・バンゼ、インゲボルク・ダンツという歌手を引き連れて、自家薬篭中のバッハを演奏してくれたということが重要なのだから。
 演奏されたのは、そのバッハのカンタータ69番と、モテット第1番、そして、例のヴェーベルン編曲の「6声のリチェルカーレ」。それから、メンデルスゾーンの殆どカンタータと言っても差し支えない交響曲の第2番「賛歌」。

 ここでのリリンクは、ヴィーン・フィルというとびきり美しい音をもつオーケストラを与えられて、実に伸び伸びとした音楽を聞かせてくれていた。合唱は技術的にはやや未熟なものの、その豊かな音楽性たるやさきほどの小澤のものの比ではない。なんといっても、頭で考えたものではなく、自然に心のうちから湧き出てくる音楽する喜びが、どんなフレーズの端端にも満ち溢れているのである。
 これは、もしかしたら、日本人とドイツ人との、生活における宗教の占める位置というものも関係しているのかもしれない。それに加えて、音楽が生活に占める位置。いずれにしても、この2つのバッハの演奏会から得たもののあまりの違いを思う時、バッハの持つとてつもない奥深さに気付かざるを得ないのである。
 それにしても、松本とヴィーンという遠く隔てられた場所でのコンサートを連日居ながらにして楽しめるなんて、なんと素晴らしい時代になったことであろうか。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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