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音楽展望
吉田ヒレカツ

2000/4/14

 エリアフ・インバルがN響を指揮して、マーラーの2番を演奏するというので、久しぶりに渋谷のNHKホールに出掛けてみることにした(47日、定期演奏会の2日目)。むかしはなんともだだっ広いホールという印象があったが、ちかごろはあちこちに大きなホールが出来ているので、あまり広くは感じない。席は1階のC18列5番。まあまあのところであろう。
 合唱は最初から着席している。N響の弦楽器の配置はいつもと違ってチェロが前に出てくる普通の形。これはインバルの意向なのだろうか。確か、以前に9番や6番をやった時はヴィオラが前になっていた記憶があるのだが。

 1楽章はかなりゆっくりとしたテンポで始まった。しかし、出だしの「ドシドレミ」という低弦には驚いてしまった。普段のN響には見られない緊張感あふれる音。一瞬「弦がばらばらになるのでは」と心配したが、それは杞憂に過ぎなかった。1歩1歩踏み締めるように音は運ばれていく。こんなに思い切り歌っているN響など、果して今まで聴いたことがあっただろうか。
 こういう演奏で聴くと、この曲は、編成は大きいが実は鳴ってる音は少ないということが実感できる。特に木管楽器。フルートなどは全員が木製の楽器を使って、柔らかいデリケートな響きを出していた。オーボエがちょっと浮き上がっているのが気にはなったが、決して耳障りではない。
 ただ、金管楽器はどうも感心できない。N響だけの問題なのか、あるいは日本のオーケストラ全体がそのような傾向にあるのかはよくは分からないが、これだけは外国のオーケストラには引け目を感じてしまう。特に、今夜吹いていたトランペットの首席は、これでよくトップオーケストラの首席がつとまるものだと思ってしまうほど、お粗末だった。この男一人で金管全体をぶち壊していたのでは。
 老人の小言はこれぐらいにしておこう。インバルはとにかくN響のメンバーにのびのび演奏させていた。ちょっとテンポ設定が大げさで、まるで旧時代の遺物・ひびの入った骨董品と思わせる所もないわけではなかったが、それはそれで自然な呼吸と言い換える事だって可能なのではないかしら。

 2楽章も弦をたっぷり歌わせて、いかにもツボをおさえた演奏である。インバルの演出だろうが、最初のテーマが戻ってくる度に幾分テンポを速めるのが心憎い。これだから3回目が盛りあがって、思い切りこの曲の魅力に浸ることが出来るのだ。
 3楽章はちょっと長すぎる感じがしてしまった。こればかりはインバルのせいではなく、マーラーに責任があるのだから、どうする訳にもいかない。いささか金管に疲れがみえてきたような気がする。最後まで頑張ってほしいものだ。
 
4楽章のアルトソロ。これがなかなか良い。この曲は、最初の「O〜」で決まってしまうといっても過言ではない。そういう点からは、まず合格と言えよう。ただ、もっと深い声で、音程がもっと良ければとは思うが。しかし、続く金管のコラールでは、見事に失敗していた。やはり、最初の印象は間違ってなかったことが証明されてしまったようなものだ。さもありなんという感じではある。しかし、「Da kam ich auf einen〜」という歌詞の部分からの管との絡みは絶品。歌よりも管楽器の方がはるかに雄弁だった。
 終楽章になると、全員の緊迫感、先へ進む力がかなり高くなってくるのがひしひし感じられてくる。これはかなり盛りあがるのではないかという予感すらしてこようというものだ。
 最初の大音響が鎮まっても何となく興奮した状態が残っている。特に金管と打楽器。ここぞとばかりに鳴らしまくるから、うるさくてたまらないくらいだ。合唱が入ってくる前のところなどは、もう収拾がつかなくなるのではないかというぐらいのすさまじさ。しかし、ここで合唱を立たせたのは、なかなか自然で良いタイミングだったのではないか。
 合唱は、出だしの
ppはなかなかのものだった。インバルは自由自在に音を引き出し、それに皆よく応えていた。ただ、ffになるとちょっと歌い方が雑にはなってきたが。
 ソプラノソロは、私の願望としては雲の切れ間から一筋の光が射してくるという感じが欲しいのだが、そうではなかった。何よりも音程が全然ないのは問題外だ。最後の頃になると例のトランペットの首席奏者は完全に疲れはててくるから、全体の音が汚くなってくる。しかし、演奏自体は緊張が途切れることはなく、興奮のうちに全曲が終わったのだった。
 特筆すべきは、N響の弦楽器のすばらしさ。最後まで心地良い緊張を残しながら、けっして大げさにならないで指揮者の要求にこたえていた。どんなに指揮者が煽っても、絶対アンサンブルが乱れることはないというのがすごいところだ。普段はこれで醒めたよそよそしい感じしかしないのだが、今回はしっかり情熱が伝わってきた。
 本当にメリハリのある良い演奏であった。聴きながら、インバルという人は誰かに似ていると考え続けていた。そして、最後になってはたと思い当たった。それは亡き山田一雄だ。見た目も音楽も。熱いマーラーがたまらなく良かった。

 やや興奮気味の昂った精神状態を鎮めるために、帰りはのんびり国電の渋谷駅まで歩いてみることにした。公園坂にさしかかったあたりで、前を歩いているとても美しい小柄な女性に気が付いた。手にプログラムを持っていたから、きっと彼女も今の演奏を聴いてきたのであろう。このような女性と同じ体験を共有出来たのは、何という幸せなことだったのだろう。あわよくば、お茶などに誘って、今日のインバルについて語り合いたいなどという老人らしからぬ欲望に駆られたのも、マーラーの魔力の成せる技だったのかしら。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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