2010年1月10日 12:00開演
『 ファニー・ガール

於 赤坂ACTシアター


「ファニー・フェイス」という言葉を知ったのは、
中学校に上がるくらいの頃、
たぶん当時大好きだった新井素子の小説の中だったのではないかと思う。

でもその言葉の由来をそれから20年以上(…! いま数えて愕然とした!)
知らないままだった。
そしてこの『ファニー・ガール』を観て、初めて知った。
「ファニー・フェイス」とは
ファニー・ブライス、1910〜30年代に活躍したアメリカの喜劇女優、
決して美人ではない、けれど個性的で魅力的な彼女から来ていたことを。
そうかあ。

そんなわけで、『ファニー・ガール』。
とても、とても面白い舞台だった。
ツイッターでもつぶやいたけど、
オサちゃん(春野寿美礼)もだけど、
正塚(晴彦)先生もいい仕事してるなあ、と思った。
正塚先生には、たぶんこのくらいの枠組みのお芝居の方が
人物を生き生き描けるんだろうな。
原作があるとはいえ、きっとそれだけではないと思われる、
正塚先生による演出や台詞の妙がそこかしこに活きていた。
また、宝塚の座付演出家らしい、
いい意味でのショーのオーソドックスさと。

まずは、キャストごとの感想を辿りながら、
この作品を振り返ってみようか。

■ファニー・ブライス:春野寿美礼

絶妙のキャスティング。
オサちゃんの、宝塚時代のひととなりを
(いや、ファン目線でだけど)知っている者からしたら、
もう、オサちゃん以外考えられなくなるほどのはまりっぷり。
宛書きじゃないかと思うほど。
実在の人だったわけだからオリジナルではないし、
実際オサちゃんをよく知っている正塚先生だから
オサちゃんに似合うように
ある程度は創ったのだろうとも思うけれど。

「ファニー・フェイス」というよりは綺麗だったけど(*>_<*)、
なんていうか、褒め言葉だと分かってほしいんだけど、
オサちゃんの、
びっくりするほどの素朴さとひたすらな自信、が、
まさしくファニーってこうだったんだろうと思わせる。

ていうか、正直、
オープニングの大スターさんが帽子をコート掛けにかけようとしたら
その帽子がお部屋の外に転がって行っちゃったところから、
「さすがオサちゃん…!」(爆)
その後も、コートのボタンをかけきれなくてずっともぞもぞしてたり、
愛らしさいっぱい。
その素朴さ加減に人は手を差し伸べずにいられない。

そして、オーディションに落ちても自分の才能を信じる自信!
あれほど自分を信じられるのは、それこそが才能だと思う。
そしてそれこそが花開くべきものなのだろうと、思ったりもした。
スターって、というか、才能って、
そうやって世に現れてくるものなのだろうと改めて思った。
その思いの強さが、瀬奈じゅんさんしかり(ごめんね、そこに行って)、
形になって世に現れるのだろうと思った。

■エディ・ライアン:橋本じゅん

恥ずかしいことに(?)、初めて拝見した。
いろんな舞台のチラシにお名前を拝見しながらも、
観る機会のないまま(たぶん)。
初めて、舞台上で認識した。

…すごいね、この人は。
本当に上手いね。
とても笑わせられながら、とても共感させられた。

けっして2枚目ではない役だけれど、
とてもいい人。
よく「彼はいい人ね」で終わるタイプ(爆)。
ファニーはきっと彼と結婚した方が幸せだったんだろうけれど、
でも「落ち着き」を結婚に求めていたのではないだろうファニーに
選べなかったのも、仕方のないことなんだろうな。

「じゅんさんのお好きに」のシーンもあったとのことだけど、
やっぱりそれって
「ひよこ! ひよこ! 像が叩いてばーん!」のシーン?
あの春野寿美礼サマが一生懸命真似して踊ってるのを観て
もう大爆笑! 最高!
あのアドリブを観るためにもう一度行きたいくらい。
(今週末、2回連続カサブランカでなかったら…(^ ^;;)

あと、観客の乗せ方も、本当に上手かった。
こういうのを任せられるのも、きっと彼だからだろうね。
あの、宝塚では決してアドリブを許さない正塚先生が、
そんなふうに1シーンまるまる自由にさせるなんて、
なんて信頼感!!

ワタシ的に今回一番のヒットかも。

■ブライス夫人:剣幸

「ME & MY GIRL前夜祭」の中継でお見かけして以来。
でも、こんなに素敵な役者さんだったんだね(失礼)。

あんなに破天荒な娘に、全幅の信頼を置いて愛している母親。
ファニーは彼女の愛があったからこそ、
自分を信じて突き進めたのだろうと思う。
ニックと初めて会ったときだったかな、
あ、ジークフェルドとの会話だったかな、
「ご自慢の娘さんですね」と言われて、
「ええそうよ、息子も、嫁に行ったもう一人の娘も」と
普通に言ってのけたところに、
彼女の強さと本物の愛情を感じた。
アメリカ流の考えなのかもしれないけれど、
それだけ言い放てるというのはやっぱりすごいことなのではないかと思う。

あと、ファニーが立派なスターになったあと、
エディと二人「♪もう役目は終わり」と歌うシーンも素敵だった。
やっぱりそこで未練なく、
子離れして後は見守ることのできる母親、というのも
実はすごいことなのではないかなあ。

■ニック・アーンスタイン:綱島剛太郎

なににびっくりしたって、彼の年齢。
オサちゃんより半年ほど年下なのね。…!
あの物腰と落ち着き(役だとはいえ)から、
少なくとも5つくらいは年上だと思ってた。

「♪ニック・アーンスタイン ニック・アーンスタイン」と
ファニーが口ずさみ始めたときには、
一瞬『Maria』(『WEST SIDE STORY』)を思い浮かべたけど、
恋は盲目、を分かりやすく表していてよかったね。

でも私も、ファニーのお母さんやエディのように、
あの「フリル男」はやめといた方がいいと思ったよ(爆)。
観賞用にはいいけど。
そしてちゃんと彼自身、ファニーを愛したから良かったけど。

でも、ストーリーの後半、
結局は「男の沽券」問題になってしまったのは
1930年代も2010年代(まだ始まったばかりだけど)も
一緒なんだなあと思ったね。
奥さんのほうが稼ぐお家は、やっぱりなかなか難しいね。
これだけ平等な世の中になったのに、なんでだろうね。
まあ、難しいテーマ!

でもだからこそ、かな、
そういう環境の中では、
ラスト、(あ、ネタバレしちゃうけど)二人が別れたのは、
切ないけれど決してアンハッピーエンドじゃないんじゃないかと思う。
お互いその方が、気負わずに素敵な生き方ができるんじゃないかと。
…この後、草食系男子が普通になったら、
そんなこともなくなってくるのかな?

あとのキャストの皆さんも、それぞれ個性的に素敵だったけど、
とりあえずここまでにしようかな。

あと、音楽。
これも素敵なナンバーがいっぱい。
なかでも1幕、2幕のそれぞれラストにかかる
「Don't Rain On My Parade」。
私はこの曲を、『ハウ・トゥー・サクシード』の曲だと思ってた。
…ら、こっちのほうが先だったのね。

テーマについてあとで書こうと思ってたのに、
気づいたらニックの項で書いてしまってた(^ ^;;。

私は基本的にフェミニズムの洗礼を受けている人なので、
たとえばファニーとニックのようなカップルに対しては
二人ともが、そして子どもや周りの人たちが幸せであればいいなと思うけれど、
それなりに年を重ねてくると
そんな理想論のとおりにはいかない理由も
なんとなしに見えてきていて、
それが歯がゆくも、残念だなあと思う。
60年以上経っていてもあんまり変わらないのだものね。
いつか変わる日が来るかしら。
それともその前に、別の考え方が主流に取って代わるかしら。

fin