マザー・テレサについて知ってること。
キリスト教の人で、ノーベル平和賞を受賞したこと。
日本に来た時のニュースを見た記憶。
けっこう最近(といっても8年前だった)に亡くなったこと。
実はそれだけしか知りませんでした。
日比谷を歩くたびに通りかかるシャンテシネの看板に
「拡大上映決定」とあったので、
目立たないけどいい作品なんだろうと思ったのでした。
で、観ました。
きっとこれがすべてではないだろうと思いました。
時間的な制約もあって略されているとはいえ、
それだけでなくかなり柔らかくほぐされているだろうと思いました。
そうでないと観た人が耐えられなくなるのだろうと思いました。
本当はもっと大変な苦労があったろうと思います。
だってカルカッタ(コルカタ)の街、
映画じゃ分からないけど、きっとすごいニオイですよ。
子どもの頃、北海道に4年住んだあと東京にやってきた時に
あまりの臭さに弟と二人、息を止めていた記憶があるのですが、
そんなんよりもっと恐ろしいニオイ。
街だけでなくきっとヒト自身も大変なことになっているだろうとは
想像がつきます。
修道院の綺麗な世界から
そんな中に入って一人一人の顔を見て行動する凄さ。
周りの反発だってあんなものじゃなかったろうし。
でもそれらをまっすぐな信念と行動力と愛だけで乗り越えていく。
現代資本主義社会で日々効率化や戦略立てや
はたまた目の前の快楽ばかりを追求している私たちには、
そんな彼女の生き方は痛すぎる。
だってこの映画を観て感動したと言って、
彼女のような生き方ができますか? できないでしょう。
映画の中で
「ペリエ1本分の3ドルで一人の子どもが一年間勉強できる」
と言われたって、
それを観ながらコーラ飲んでるんですよ。
エセですよ。エセです。私たちみんな。
それを目の当たりにさせられるわけです。
厳しいです。
生半可な同情や感動や感情移入なんてさせてもらえない。
もうねえ、涙さえ湧いてきませんでした。
冒頭に書いた私の認識「マザー・テレサはキリスト教の人で(後略)」。
確かにキリスト教の人だし、
映画の中でも「私は神が手に持つペンにすぎません」などと
信仰厚く語っていたりして、
そのバックグラウンドにキリスト教という
彼女にとっての信仰があるからこそという部分もあるけれど、
実際のところ、
彼女の凄さはキリスト教の人だからという類のものではないと思いました。
実際、宗教にかかわらず人々を救っているような人だし。
彼女自身の持つまっすぐな信念、矜恃、行動力、人々に対するよどみない愛。
一人の人間としての強さ。
そういうものを表しているドキュメントなのだろうと思ったのです。
そういう意味では、映画全体の作りとして
まあ仕方ないのだろうけど
キリスト教礼賛な雰囲気が拭えなかったのはなんとなく残念。
窮地に追い込まれたマザー・テレサが
イギリスに戻ったボランティアの女の子に電話を掛けて
「祈って」と言って、それだけだったりとか。
マザー・テレサが亡くなったあとの活動の広がりには
私は『メサイア』の「その声は全ての地に響き渡り」を思い出しましたね。
もちろん彼女の活動を引き継いでいらっしゃる皆さまは
本当に素晴らしいのですが。
でも何だろう、
彼女が求めているのはそれ(そういうキリスト教広報活動)
じゃないだろうなという気がしました。
とりあえず、自分の矛盾をときどきこうやって思い出すのは
人として悪いことじゃないと思います。
おすすめの映画です。
fin
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