実に3年ぶりのJSKCYの演奏会
(しかも3年前にはステージの上に立っていた(^ ^;;)。
いつも質の高い室内合唱(カンマーコーア)を聴かせてくれる
JSの演奏会に、
自分の団の演奏会翌日で二日酔いながら(爆)、
行って参りました(*^ ^*)。
今回のプログラムはバッハのカンタータ4曲。
演奏順に104番「Du Hirt Israel, H殲e(聴け、汝イスラエルの牧者よ)」、
86番「Wahrlich, wahrlich, ich sage euch
(まことに、まことに、われ汝らに告ぐ)」、
42番「Am Abend aber desselbigen Sabbats
(されど同じ安息日の夕べに)」、
そして144番「Nimm, was dein ist, und gehe hin
(汝のものを取りて去りゆけ)」。
この合唱団のいいところとして、
いつも演奏会前にその作品の解説をして下さるところもその一つ。
今回も、
作品の初演年や場所(ライプチヒの聖トーマス教会ばかりでしたね)のほか、聖書によるそれらの話の意味などを解説してくれました。
なるほどなるほど〜しかしいったい一年に何曲作ってるんだ、
バッハさんてば(だってどれとどれだったか、
初演の時期が1ヶ月ほどしか違わなかったのよ)、
と思いながら聴いておりましたが、
最後、144番に関するお話をしてくださったときのこと。
それは、
ある農場主が労働者が欲しくて広場に行き、
9時と12時と3時と5時とに
それぞれ広場でぼーっとしている人に声をかけては
1デナリで葡萄園に働きに来ないかとナンパした
(いや、実際はそんな言い方はしてないけど(笑))
という話だったのですが。
6時になって1日の労働が終わってお金を渡して帰すときに、
その農場主は5時に来た人から順にお金を渡して帰すように言ったのね。
で、5時に来て働いた人に1デナリ渡し、
3時に来て働いた人に1デナリ渡し、
…とやっていったら、9時から来た人は
自分はもっともらえるだろうと思ったのだけど、
やっぱり1デナリしかもらえなくて、文句を言ったそうなのです。
「オレは9時から働いているのに、
どうして5時から1時間だけ働いた奴と同じしかもらえないんだ」と。
そりゃそうだ(笑)。
だけど、そこで農場主は「最初から1デナリで働く約束だった。
それで満足しろ。己が取り分を取って、そして去れ」と言ったのです。
そしてそれが、このカンタータの主題でもあるわけですね。
確かにそういう契約だし、
解説のおばさまがおっしゃっていたように、
5時まで働き口が見つからずに不安を抱えているより、
9時から働き口を見つけて安心していられた分幸せだ、というのも
ああ、確かにな、と思いましたわ。
でもさあ、やっぱり農場主、いじわるじゃない?
わざわざ5時から来た人から賃金を払うのではなくて、
9時から来た人から順に払えば、それでいらない諍いはなくて済むじゃん。
わざわざそんな不満を持つようにし向けなくたっていいのになあ。
――と思う時点で、私はキリスト教徒にはなれそうにないですな(^ ^;;。
スミマセン。
いやでも実際のところ、音楽は素晴らしいものでした(*^ ^*)。
その144番の合唱だったかで、
テノールが高いGから入るときに柔らかい実声が出ていたところにふるえ、
42番のアルトの「Amen」という旋律の美しさ、
大国和子先生のふくいくとした音色ににふるえ、
その直後のソプラノとテノールのアリア二重唱で、
ソプラノの阿部ゆう子先生とテノールの五郎部俊朗先生の
まるで戦いのようなぶつかりあいにドキドキし、
オケの柔らかいながらも明確な和声に感服し、
気づいたら二日酔いによるふらつき(^ ^;;もなくなっておりました。
浜離宮朝日ホールも、初めて入ったホールだったのですが、
柔らかい響きを作っていて良かったです。
ちょっと頭より上に飛んでるかな〜という気がしなくもなかったけれど。
いつか歌ってみたいホールの一つになりました☆
ああ、次回のJS演奏会は、ロ短調ミサなのか〜。
臨時団員も募集してるみたいだし、
いいな〜(ステージに)乗りたいな〜と思ったけど、
9月5日というと、ちょうど月組東京公演が始まったばかりか〜(^ ^;;。
聴きに行くのがぎりぎりかな〜(爆・そんな理由か!)。
fin
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