映画化 9月30日(日)
このページには、本や映画や芝居のことをあまり書かないつもりですが…。
友達が録画してくれた、ディートリヒの「情婦」を観る。アガサ・クリスティの原作「検察側の証人」は高校のときに読んで、いつか映画も観たいとは思っていた。原作に出てくる、顔の前に髪を垂らした女の、その赤毛がぼくの中に深く残っているので、暗く閉ざされた映画かと思っていた。でも、最初のタイトルバックで監督がビリー・ワイルダーだと知り、実際に彼らしいユーモアある開かれた世界だったので、ワクワクしてしまった。原作からほどよく離れ、映画化に成功した好例だろう。まだ最初しか観ていないくせに結論づけてしまえるほど、ステキな映画です。きっと。

 レトロ 9月29日(土)
電車の中で、レトロな情景を見かける。あんなことが、平成の今なお健在だったとは…。
25歳くらいの男が、サイトでも見ているのか携帯電話に熱中しながら、あまりに熱中しすぎてついクセが出たらしく、鼻クソをほじっては食べ、ほじっては食べ…。

 めざめ 9月28日(金)
バーで、「性のめざめ」について体験談を語り合っていた。マスターベーションやセックスについて、いつ、どうやって知ったか、ということから話は始まる。人間は、何をするにも、知識から始まると思いがちだけど、本来、動物や植物のように、教えられることなくきちんとたどり着くようにできている。まさに、「めざめ」だ。
実際、早熟な人は、「いつの間にかやってた」「なんとなくわかってた」と言う。

 ハゲ 9月27日(木)
ハゲてきた。ペンキとかじゃなくて、毛が。頭が。ひたいの方からM字型に。
むかし、サントリーのCMを見ながら、白い夏着物を着た神山繁のひたいの広さにあこがれたけど、ステキなハゲになるのは難関だなぁ。
ハゲの人々が気になり、審美眼も着々とやしなわれ、渡辺謙とかうまくこなしてるなぁと思う。

 孤独 9月26日(水)
「百年の孤独」を読んだ方なら、アルカディオとかアウレリャーノとかアマランタとか何人も出てきて、誰が誰だかわからなくなる迷路をさまよわれたことでしょう。こないだ久々に読み返したけどやっぱり迷いさすらって、そのさすらいの中に孤独が迫りくる。
ゆうべ、十五夜なのに、月のことなど頭をよぎりもしなかった。あわただしく過ごしていると、空を見上げてるスキもないのです。
座禅は、宇宙にポツンと存在するための手段だけど、たまには空を見上げて、ポツネンと孤独にひたることも大切なのでしょう。
って、なんでこういう理屈になるのだろう。ふだんからじゅうぶん孤独だっつーの…!

 ケチ 9月25日(火)
原則、ぼくはケチだけど、特にケチだなぁと思うのは月末。携帯電話の無料使用分がどんだけ余ってるかをチェックし、ぎりぎりまで使い切ろうとする。つまり、ふだんは携帯をかけることがないわけで…同じくらいに、かかってくることもないわけで…。
今月もたっぷり余っていて、ちょっと前の写真をPCにメールしたわけです。色とりどりに乱れ咲くオシロイバナ。
わずかながらも、メール分だけトクした気になって、ほっとするなんて、さもしい。人にソンさせることで、トクした気になるプログラムは、人間の中に組み込まれているけど…。

 湾 9月24日(月)
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」が国立美術館に来てる。よく知らないのですが、ああいうのを運ぶときは、飛行機が墜落しても燃えずに沈まずにちゃんと残るように梱包されているのでしょうね。ヴォイスレコーダーみたいに。
前に、仕事でカトランの絵をフランスから送ってもらったとき、それは普通よりちょっと念入りな梱包だけだったので、運搬中に梱包材の木屑が散らばって、まだ乾いてない絵の具にくっついて台無しになってたことがあった。カトランと聞くと、木屑を連想します。
「湾」と聞くと、戦争を連想する。湾岸戦争や真珠湾から。本当の「湾」は、おっとりとした、平和な風景なのに、歴史の汚れがくっついてしまった。

 ソフトSM 9月23日(日)
やっと涼しくなったので朝食をベランダでとる。といっても、トーストとコーヒーだけなんだが…。鼻先で夾竹桃の葉っぱがひらひらしている。夾竹桃の葉っぱには毒があります。焚き火に入れるとその煙で死ぬとか。それが風でこっちにしなるたびに、びくびくします。夾竹桃とぼくの、ソフトSMな朝…。

 十二夜? 9月22日(土)
腰をいたわりつつ、静かに過ごす週末。
ぼくの部屋は畳でゴロンとしていると、ちょうど飛行機が見える仕組みになっています。そのゆっくり流れる星を見るのは好きですが、今夜は明るい月の下を2機のヘリコプターが並んでやって来て、グルングルンと新宿〜池袋上空を飛んでいました。電車の事故でもあったのかと思ったけど、しばらくしたらいなくなった。
25日は十五夜なのに、月はまだラグビーボールのよう。


 今日は予告 9月21日(金)
「かもめ食堂」を観る。白夜の清らかに霞んだ空気にオランダを思い出す。恋愛が完璧に登場しないのに、むしろ女性をくすぐる世界になっているところに、女の新しい気分を見つける。片桐はいりが描くという設定のカモメの絵は、11月にコラボする牧野さんが描いていたので、そこもチェックポイントだった。
そう、7月にやるはずだった「詩と音楽と絵と芝居」のコラボを、11月10日(土)の午後、武蔵小金井でやることになりました。その前に、10月19日(金)にその兆しのようなものを阿佐ヶ谷でやります。詳しくはそのうちに…。

 声色 9月20日(木)
人に何かを伝えるとき、言葉の意味の影響力は20%ほどで、そのときの表情と声色が80%だと聞いたことがある。つまり、何を言うかよりも、どんな感じで言うかがコミュニケーションの要になる。
(腰がイテ〜)と噛みしめながら満員の電車で立ってて、席が空いたのですかさず座ろうとしたら、中年の女の人と席取り合戦になってしまい、結局、最後の瞬間でぼくは負けてしまった。あきらめて態勢を立て直そうとしたとき腰がツーンときて、「ううっ…」と体をよじったりするのに気づいて、その女が「どうぞ!」と席をゆずってくれた。でも、その「どうぞ!」に親切さはみじんもなく、(あんた、そこまでして座りたいの?)という、色で言えば掃除機に溜まった埃みたいな灰色の声色。ぼくが、「すみません、ありがとうございます」と言っても、ジロリと睨むだけでシカト…!
座ったら急に楽になって本でも読もうかと思ったけど、気の弱い美中年は、その女が降りるまでずーっと痛いふりをしていなければならなかったのです。

 カンタンな幸せ 9月19日(水)
中野のおいしくてリーズナブルなイタリアン・レストランでご馳走になる。
すぐ帰れる距離にいい店を教えてもらい、宝物を見つけた幸福感がある。気の置けないおふたりと、少し仕事の打ち合わせをし、深刻なテーマと、馬鹿ばなしを織り交ぜながら過ごす秋の感じも、幸福感と呼んでよいだろう。
むかし、おいしいものを食べて「しあわせ〜!」と叫んだ人に、「あなたの幸せはなんてカンタンなの…」と発したことがある。ぼくも、人と絡み合う複雑な幸せはとんと寄りついてくれないので、カンタンな幸せにばかり気が向くようになった。

 迂闊 9月18日(火)
迂闊(うかつ)や、粗忽(そこつ)と、言い始めた人々は、迂闊な人だったのではないだろうか。その確固たる字面からは、ドジさ加減が意識的に消されている。せめて字面だけでもまともでありたいという、そんな願いを感じる。
むかし、酔って財布を失くした体験について話していたとき、五十嵐さんが、「何がくやしいって、失くしたお金よりも、自分の迂闊さがくやしい」と言ったことがあったけど、ぼくも財布を失くしたとき同じ気持ちだった。
今日、夕方帰ってきたら、冷房が点けっぱなしになっていた。こんなとき「迂闊にも…」と嘆くとそれなりに締まるけど、もし「ほにょろりんにも…」と表現しなければならなかったら、情けなさ百倍だ。

 危険な香り 9月17日(月)
スパイスは人をトリップさせる。防腐パワーを持つわけだから、肉でできてる人間はすぐに影響をうける。かつて、香料を求めて大航海へと旅立った人々の気持ちも何となくわかる。
島忠の植木売り場にあった月桂樹の葉っぱをこっそりちぎって嗅いだら、甘くて爽やかな匂いにやられ、買ってしまう。木だから大鉢に植えたわけだけど、移動するときに、なんと腰が…! 香料って、まさに危険。

 カレライスー 9月16日(日)
朝帰りの駅でどーしても蕎麦が食いたくなり、富士そばに。いつも通る場所なのに、いつの間にか改装されていて、壁には写真入りの新しいメニューが貼られている。→がソレです。気づきました? 校正ミスに。横書きの赤い文字はちゃんと「カレーライス」になってるから、やっぱりミスだろう。どんな操作ミスで「ー」があんなとこにズレてしまうのだろう…。
かわいいミスって、朝帰りの中年男の心をなごませるなぁ。


 超 9月15日(土)
「超」という表現がテレビのバラエティ番組のサブタイトルに乱発され、その根拠の無さゆえにテレビ業界が自粛し、テレビ欄からも締め出されたのをご記憶の方も多いのでは。あれ以来、お目にかかることがなかったのに久々に再会。NHKの「ためしてガッテン」のタイトルで、「シメジうまみ超アップ作戦」とありました。こまかいアラをほじくり出し、こんなふうに告げ口するのって、味わい深い。

 美しい首相 9月14日(金)
法律より、倫理より、美意識が大切だと思う。人間として美しいことが大切だ。「美しい国」は、美意識のある人々で成り立つ国だと思う。
そして、日本人の美意識が何事にも優先してきた価値観が「責任感」だ。「美しい国」を掲げた人が、いちばん美しくない辞め方をするとは、皮肉だ。

 昭和は遠くなりにけり 9月13日(木)
酔いどれの町を横切るとき、タイムスリップしてやってきた昭和のサラリーマンを見かける。
仲間とじゃれ合いながら、彼は…
「ヘンターイ、止まれ!」(と、立ち止まって敬礼)。

 長いわよ 9月12日(水)
今日は怒ってる上に酔っ払ってるから、長く書くわよ!
東中野の駅にくっついた立ち飲み焼きトン屋は、いつも混んでて、でも今日は、はじき出されるのを覚悟でズイズイ入っていくと、ぼくも店のおじさんも何も言わないのに、お客さんたちが勝手にモーゼの十戒(たとえの古さが新鮮!)みたいに、すーっとひとり分のスペースを開けてくれた。なんとジェントルメン!
その店のおじさんは(といっても、ぼくと同じ歳くらい、つまり40代半ば)、いつもすーっっっごく忙しいのにオーダーも金額も間違えず、誰ひとりお客を不愉快にもさせない究極のサービスマンなのです。まだ前置きです、本題はこっから…。
今日も、目が回るほどの忙しさで、客の中にひとり女がいて(ぼくと同じ歳くらい、つまり40代半ば、しつこい)、彼女は帰り際、「お土産で、シロ2本、レバー2本、カシラ2本、ナンコツ2本、タレで、あ、ナンコツは塩で、それと、えーっと、タン2本塩で、あ、ナンコツはやっぱりタレで…」みたいなことを言い続けるもんだから、ぼくはもうイライラ、イライラして、帰ってお前の内臓焼いとけ! みたいな気持ちでいたら、イヤな顔など見せたことのないおじさんもさすがに苦笑いしながら「ワルイね、最初から言ってくれる?」って、やさしくて、周りのジェントルマンたちも笑ってあげている。(ぼくひとりが、キーッて睨んでる)。
その女の要領を得ない注文は1分ほど続いて、でも彼女はいちいち「ごめんなさい」と言ったり、「いっぱいだから、私の分はもう片付けてください、脇に寄ってますから」とか、本人は気を利かしてるつもりだけど、ウゼーんだよっ! 黙って脇に寄って、三歩下がって、土下座しとけ!
男の客はみんな、無言に、無愛想に、気を遣い合っている。その女は言葉では気を遣っているけど、本心は甘えてて、ダレてて、口で謝ってるほどには迷惑をかけてるとは感じてなくて、すべて言葉で解決がつくと勘違いしている。
男や、粋なお姐さんは、「ナンコツ2本、塩で」と言ってから、やっぱりタレが良かったと思っても、あきらめて塩のまま買うだろう。めちゃくちゃ忙しい、1本60円の立ち飲み焼きトン屋さんは、店もお客も、思いやりで成り立ってるんだっちゅーの!(古さ、沁みる〜)

 経かたびら 9月11日(火)
打ち合わせをしながらメモをとっていて、相手が「キョウカタビラ」と言ったのを、「京かたびら」と書く。帰りの電車で本を読んでいて、偶然「経かたびら」と出てきて、ああ、こういう字だったのかと気づく。こういう偶然ってあるよね。
もっと漢字で書くと「経帷子」で、死体に着せる死装束のことです。って、どんな打ち合わせだよ…!

 男性専用車両 9月10日(月)
電車の中で、潔癖症の女子高生を見る。人のカバンや体が触れると、その人を睨みつけながら、ぶつぶつ言いながら触れた部分を手で5回はらう。それでも気が治まらないようで、わざわざ体をよじって、その人に傘が当たるようにする。そのくせ、自分のカバンはふたつとも床に転がしてあるので、潔癖症とはまた違うのかもしれない。でも、こんな頭のおかしい女に、「この人チカンです!」などと騒がれたら、一生を棒に振ることになるだろう。女性専用車両があるのなら、チカン誤解を避けたい人のための男性専用車両も作ってほしい。そっちはそっちで、チカンが発生するかもしれないけど…。
あと、携帯電話使い放題車両も作るべきだろう。親が死にそうとか、移動中でも、どうしても電話をかけ続けなければならないときもあるだろうに。

 タカシさん 9月9日(日)
このページをご愛読いただいてるタカシさんが、名前を出してほしいという。ここに出てくる人々のことを、よく書くことはほとんどないのに。コーイチなどは、みんながイヤがるのにチンコを振り回しておきながら、「成りそこないのゴーヤみたいなチンコ」と書いただけで訴えると言っているのに。
でもまあ、ご本人の希望なのだから。「タカシさん」。

 知識の泉 9月8日(土)
ゆうべ、バーで、ワラジとワラゾウリの違いを話したりした。ゾウリは草履と書くけど、ワラジはどう書くかというハナシになって、「藁足」と誰かが言ったけど、ぼくにはどうも違うように思え、「カエルみたいな字が付いてなかったっけ?」と発言。するとマスターが、スッと広辞林をカウンターの上に出して、あの巨大辞書を片手だけでスッと出せる60過ぎのおじいさんに驚いた。ワラジは「草鞋」とわかり、ぼくは「ほら、当たった! やっぱり蛙みたいな字じゃん!」と意気揚々。ワラジも後ろにストラップが付くタイプだと判明し、キョーちゃんの直感が当たっていたことがわかった。
知識が乏しい人々の知識は、「当たり」「はずれ」で結論づけられる。正しかったとしてもそれはたまたま「当たった」だけ。当てた本人がいちばんうれしくて、周りはなぜかくやしがる。クイズじゃないのに…、もうみんな中高年なのに…。

 中折れ 9月7日(金)
きのうの台風で、公園の植え込みの枝が折れていた。あたりに小枝も散乱している。見えるでしょうか。折れたところの白木色。なまなましい。生木を折るという感じ。樹は民族・文化を超越して男根の象徴だけど、なんかエロチック。
近頃聞いた言葉が「中折れ」。中高年になって硬さが失われた男根が、中で折れ曲がってしまうことを言うそうです。

外折れ、むざん…

 デカダンス 9月6日(木)
夜半から台風がすごいというので、もくもくと帰ってきたのに、駅から出るとすでにすごい降りで、ぎりぎりだった。照明を落としてカーテンというカーテンを開け、オペラを流しつつロックグラスを傾けながら雨風を見物する。犯罪ドラマに出てくるお金持ちの変態オジサンに限りなく近いけど、お金持ちではないという点で、デカダンスになりきれていない。デカダンスの背後には富や余裕が必要なのだった。ガラスに映った我が身をながめつつ、貧乏人がデカダンスをやると、ただのしみったれなのだと知る。

 スワンレイク 9月5日(水)
「氷上のスワンレイク」にご招待いただく。舞台の上にリンクを作って、アイススケートで白鳥の湖を演じるもの。
すごかった。サーカスみたいなものだとタカをくくっていたけど、バレエでは表現できない美しい場面がいっぱいあったし、驚きと詩情がうまくちりばめられた、エンターテイメントだった。歌もセリフもない、いわばバレエみたいなもんだけど、演者の演技力、表現力もきちんとしていたので、感情移入もできて最後は切なくさえなった。
感動はいろんなカタチであるなあ。

 偽悪者 9月4日(火)
本を読んでいてちょっと気に入った表現が「偽悪者」。偽善者の逆バージョンで、ワルを装う人です。いるいる。必要以上に男っぽい男とか。

 好感度は共感度 9月3日(月)
今日聞いて、印象に残っている言葉。
「お金、ほしいわあ」

共感度が高すぎて、めまいすら感じる。
好感度は、共感度だという。企業や有名人が、たとえ犯罪をおかそうが、そして裁判で有罪になろうが、市民の共感を得られればそれは善しなのだ。裁判で勝っても、市民から石を投げられては意味がないのだという。

 般若心経 9月2日(日)
「般若心経」とキーボードで打つとき、一度では出てこないので、「般若」「心」「経」で打ちながら、もしかして読み方が間違っているのでは、と気づいたのです。そして調べたら、最後の字は、「きょう」ではなく「ぎょう」なのでした。「ぎょう」にして打つと一発で出てきた。やった! と叫びたい感じ。バカだけが味わえる達成感だ。

 シンパシー 9月1日(土)
どういうわけで六本木にいたのか、なんとなくは思い出せるけど、ここには書けない。
そして、朝の大江戸線でうちに帰る。六本木の駅で、ベンチから滑り落ちてもなお眠っている若者にシンパシーを感じ、起こして電車に乗せてあげる。やたらに感謝される。しかし、またすぐに眠っていたから、永遠に往復したことだろう。
この歳にして、この青春ぶり。酒ってすばらしい…。