ことば遊び | 5月31日(木) |
「土瓶、茶瓶、ハゲ茶瓶」は、いわゆる三段オチをねらっているのだと思う。最後に「ハゲ」をもってくることで、笑いをとる、もしくはホッとさせたいのだと思う。うまくできてないけど。 皆様には関係ありませんが、ぼくの中では幼少の頃より、「土人、茶人、ハゲ茶ジン」が繰り返されているのです。そういう、個人的なコトバ遊びってありますよね。この場合、「土人」ですでにウッという感じなので、「ハゲ茶人」のオチとしての影がますます薄いのです。飽くまでぼくの中ではですが…。(酔っ払い記す。ごめん。でも、酔ってるわりにはマトモじゃない? しつこい!) |
節約 | 5月30日(水) |
「奥の細道」を読んでいて思う。原文を現代語訳にすると、倍くらいの長さになるのだな。それは、注釈的意味を付加しなければならないせいもあるけど、原文は省略まみれでポンポン飛ぶのだった。古典はどれもこれもそうなっているけど、昔の人は言葉少なにポンポン飛んで話していたのだろうか。それとも、書くときだけ、紙と墨とついでに言葉も節約したのだろうか。どっちにしても、それで伝わったのだとしたら、テレパシーで通じ合えるくらいに文化を共有しきった人々の中で書いたり読んだりしていたのだろう。そもそも、読み書きできる人が限られていたわけだし。 古典のページでは、そんなことばかり考えて前に進まない。でも、短文だからいずれ終わる。 |
更けゆく | 5月29日(火) |
肌寒いのに汗をかく。そういう季節なのか、それとも更年期…? 更年期は、「♪ 更けゆく 秋の夜」の更ける、と書きますが、老けると同じ源なのかもしれません。 そして、今日わかった。 こないだKさんがみんなに、「暑いわよね? ねえ、暑いわよね、暑いわよね?」と、死に物狂いで同意を求めようとしていたけど、それも似たような動機にちがいない。道連れがいてほしかったのだ。ひとりぼっちで更けゆくのがこわかったんだね。 |
行列 | 5月28日(月) |
ホームに到着した電車に乗り込もうとするとき、はたちくらいの、頭のゆるい男の子が、列をつくって待つ人を無視して、開くドアのまん前に立つ。降りる人の邪魔になるだろうに。でも結局、降りる人はいなくて、よかった。 そのとき、はっと気づいた。ぼくは、彼の背中の真後ろに立っており、つまり、頭のゆるいふたりが、列をつくっている人と、マナーを無視しつつ、開くドアのまん前に、そのくせきちんと行列していたのだった。 |
笑える | 5月27日(日) |
「ドクダミ酒のロック」と注文したユキちゃんに、出てきたのはクコ酒だった。しかたなくそれを飲み干してもう一度、「ドクダミ酒のロック」と注文したユキちゃんに、もう一度クコ酒が出てきた。かわいそうなユキちゃん。 こういうときに使うのだろうか、あの若者ことば…「笑える」。 |
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年金と詩人 | 5月26日(土) |
「どうして株をやらないの?」とたずねられ、「顔つきが下品になるから」と先輩たちから聞いていたフレーズを真似てみた。 そして、ゴ、ゴ、5千万件って…不明な年金が…。 年金の心配をしている詩人。 |
失われた金曜日 | 5月25日(金) |
ぬぼ〜っとした、タレ目のヨシヒロのことを知らなければ、つまんない話かもしれないけど…。 ヨシヒロは恋人の部屋に居候していた。ある日、その恋人が帰ってきてベランダを見るとプランターに植え込んであった球根が表に転がっていた。ヨシヒロがやったのだろう、でも何のために、と思いつつ、彼は出かけていたので問いただすこともできず、プランターに埋め直そうと土を掘り起こしていたら、「ぎょっ!」(と、古く驚いた)。何と中から鳩の死骸が出てきたのだ。 恋人は、それをどうしていいかわからず、その上に球根を置いて土をかぶせた。「その年は、きれいな花が咲いたのよ!」 って…、似たものカップルだ。 その話を聞いた五十嵐さんは、「何でまたヨシヒロは、球根を外に転がしておいたのかねえ。元通りに埋めときゃいいのに」って、それってズレてない? (何でまた鳩の死骸があるんだろう)が先じゃない? 客も客なら、マスターもマスターだ。金曜の夜なのに、あんな店であんな話を聞いてる場合じゃない。 |
ナチュラル | 5月24日(木) |
園芸ブログ風になるけど、水に挿しておいたローズマリーの数本から、根が出てきた(写真)。切り口から出るものと勝手に思い込んでいたけど、途中の節から出るのだと知る。肉眼ではナチュラルに見えた根は、写真に撮ると回虫のよう。写真は妙な視点を持っている。 |
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回虫もナチュラル界の一員なのに、ナチュラルの敵のように言ってゴメン。でも、そう見えるから…。ナチュラルという言葉自体の懐が小さいのだろう。 これらは、プランターに植えた。発育具合は、ブログ風にご報告した方がいいかしら。どうでもいい…? |
死語 | 5月23日(水) |
若者たちと話してて、「ナウイ」「ヤング」「フィーバー」「バッチグー」「トンチ」「ゲロゲロ」などなど連発してやった。ギャグのつもりだったのに、マジと思われたフシあり…。チョベリバ…。 |
端唄 | 5月22日(火) |
雑誌で、玉川スミ(漫談家)の波乱万丈な人生の記事を読みつつ(3歳で身売りされ、さらに転売されつづけ、そのうち戸籍も失った)、彼女が言った一節に、泥臭さとともに詩を感じる。現代詩は意味を失うことに懸命なプチブル趣味な産物だったけど、ぼくにとっての詩は意味があって当たり前なのです。だから、格言の緊張感は詩なのです。そして、それを誰が発言したかという前置きもまた、すでに作品に組み込むべきだと思います。 流す泪と トイレの水は 静かなるほど 品がある 金の切れ目が 浮世の切れ目 無欲でいれば 切れ目なし どろんどろんに泥臭くて、焼けたアスファルトに降り始めた雨みたいな匂いがする端唄です。 |
1周年 | 5月21日(月) |
このサイトを立ち上げて、丸1年か…。1日たりともサボることなく、遅れることなくこのページを更新する生真面目なぼく。 大体、誰が見ているのか把握できてしまうほどの人しか見ていないようだけど、それでもたまに赤の他人の方からメールをいただいて、投げた石の波紋がぼく自身の中にも広がることがある。 初期の頃は、ネット「キ印」系の人や、文学ごっこ好きな方からのメールも来たりして、ちょっとてこずった。 とにかく去年はぼくにとって最悪の年で、コレを立ち上げたのもよく思い出せないほど、実はぼく自身が「キ印」の頃だったなあ。 |
待つわ | 5月20日(日) |
バーで、30代後半の悲しい女の会話を聞く。 片思いの男にアプローチをかけるものの、イマイチ色好い反応が返ってこないと嘆くA子。 「今度、カラオケいっしょに言って、『待つわ』でも熱唱すっか…!」 すかさずB子が切り返す。 「あんた、逆に、彼に『待つわ』の替え歌でも熱唱されたらどうすんのよ!」 「そんなのあんの? どんな歌?」 「『待つな』」 |
お祭り | 5月19日(土) |
国立新美術館から、西麻布に回ってA氏をお見舞いして、バーへ。 土曜日に夜遊びするのは久々だ。見舞ったA氏の細まりゆく体と裏腹に、土曜の夜には今でもお祭りが満ちている。A氏とよくいっしょに行ったバーに寄ると、お客の顔ぶれは代替わりをしつつ、晴れの日が生きつづけている。 |
ゴーストタウン | 5月18日(金) |
久々に国際展示場・ビッグサイトに行く。会場に向かうときいつも、ゴーストタウンと感じる。巨大スケールの建物に殺伐を感じる。割と嫌いな場所だ。そして、いつも池の見えるセルフサービスの食堂に立ち寄るけど、今回は最終日で閉会時間ギリギリだったので、食堂のメニューも終了しているものが多く、腹が減っているのに食べたいものもなく、やめといた。 駅まで歩くとき、会場をバラしに行くらしき若きアルバイター集団といくつかすれ違う。祭りの後が、ひたひたと押し寄せる。確か今日くらいが三社祭りだったと思うけど、展示会というのもお祭りに似ていて、でもゴーストタウンなので、あのお祭り独特の熱い興奮はない。 歩き過ぎで足の裏が痛くなり、金曜にも関わらずおとなしく帰る。 |
カンバン詩 | 5月17日(木) |
このお店の正体は…… ハンコ屋さんです! |
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日暮し | 5月16日(水) |
ローズマリーの挿し木に挑戦。ネットで調べたら、きちんとやる派と、テキトー派と分かれるようだが、ローズマリーが強いことは実感済みなので、テキトー派に従ってみる。つまり、チョン切って水に挿しておく。根が出てきたら土に突き刺す。 |
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盆栽に「日暮し」と呼ばれる松の傑作があるとか。眺めていると時間を忘れ、日が暮れるからだという。植物の姿が日ごとに変わる今は、缶ビールを持ってベランダに出てしまうと、確かに時間がぐんぐん過ぎて、真っ暗になる。 |
黒船 | 5月15日(火) |
国民投票って、憲法改正にしか使えないの? 郵政民営化の時にこそ、選挙じゃなくて国民投票でたずねてほしかった。 そして、作りかけの弁当。これほどまでに平和な風景を、これからは捻出しなければならないのか。戦争のことだけじゃない。外資もわんさわんさ押しかけていて、黒船来航だ。(酔っ払い記す) |
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buy insurance | 5月14日(月) |
英語系のテキストを読んでいて、「保険に加入する」の英語は「buy insurance」であると学ぶ。日本人は少しでも元金が戻ってくる貯蓄タイプを好み、掛け捨てはソンしたような気になるというけど、保険とは安心を買うことなのだと、英語の方がキッパリしている。 保険専門家の誰に聞いても、「保険は掛け捨てに限る!」と断言する。それを言い換えると「Buy insurance!」 だ。 日本の「講」は共同出資の貯蓄だったけど、個人的には掛け捨てと言えるだろう。日本人も貧困や病気に切羽詰まっておびえていた頃は、そういう知恵も働いたようだ。 |
カット | 5月13日(日) |
友人宅で、杉村春子の「ビッグショー」を観る。 「女の一生」のセリフで、戦中バージョンにはあったけど、戦後バージョンではエピローグからカットされたというものが紹介されて、そう聞かされるとことさら興味をそそる。人の興味はミーハーで、周辺的で、本質からそれがちだ。そして、そのセリフとは… 「人の生涯は、思いもかけない方に進んで行くように見えて、案外そこに自然な道があるもんです」 なにゆえにカットする必要があったのでしょうか。 |
目垢 | 5月12日(土) |
高松塚古墳の壁画をはがしたニュースの関連で、発見当初に模写をした平山郁夫がインタビューに応えて、当時の壁画の美しさを支える要素に、「目ざらしにされていない」だか、「目垢がついていない」だか、つまり誰にも見られてこなかったゆえの美について述べていた。肝心の表現があやふやなのは、二日酔いで聞き流していたせいです。 「お前の本、読んだよ」と言われれば、「ありがとう」と返します。本を出した以上、どんな人にどう読まれどんな感想を持たれようが、すべて有り様にと思うものの、すっごくイヤ〜なやつに「買ったよ」と言われ、「お金返すから読むな。本が穢れるから」と言ったことがあります。もちろん、冗談半分です。でも、半分は本気です。 平山郁夫の言葉から、そんなことを思い出しました。 |
冬季うつ病 | 5月11日(金) |
誰かのお土産のカワハギがおすそ分けされ、おすそ分けされた人がさらにその場に居合わせたぼくにもおすそ分けしてくれる。ひ孫すそ分けだ。もともと、誰がどこで誰を喜ばせるために買ったものなのか、透き通ったシート状になっていて、うつくしい肴だ。 きのうの「秋季うつ病」は「冬季うつ病」の間違いだ。酔っ払って書いてるから、思い込みばかりが激しく、プチ知識をひけらかそうとするから恥ずかしいことになるのだ。 夢日記みたいに、酔っ払い日記というのをつけてみるのも発見があるかも。 ということで、今後はここもなるべく酔っ払って書くようにしてみます。と、わざわざ宣言しなくとも、そうなっているフシはあるのですが…。 |
秋季うつ病 | 5月10日(木) |
今日って、暴風雨になるんじゃなかったの? 風は強いけど、見物できるほどの現象は何もなく、つまんない。 バーというのは、外部世界と遮断するために、窓も時計もないのが常識だけど、嵐予報のあった晩などには、渋谷の2階の大きな窓のあるバーにむしょうに行きたくなる。行かなかったけど。 オフィスも、日の高さが心理に影響しないよう、ブランドが一日中閉じられているのが常識だ。天候は人の心に影響するものだ。 時期は全然違うけど、「秋季うつ病」というのがある。日が短くなると、気分がふさいぐ現象だ。世界中、誰しも秋季うつ病の根はあるのだろう。秋はそういう位置づけにある。 |
世間をお騒がせして | 5月9日(水) |
「世間を騒がせたことに対して、何かひとこと」と求められた人が、「世間をお騒がせしまして申し訳ありません」と言うことがありますね。でも、言っている人は、本当は申し訳ないなどと思っていないし、思う必要もない。いつか何かでぼくがあの立場になったらこう言おう。「騒ぎたくないなら騒がないでください。世間に騒がれて困っています。むしろ世間には騒ぎ立てたことを謝ってもらいたい」。 |
酒のペース | 5月8日(火) |
中国の人と、韓国の人と、日本の人と、6人で飲む。 初めてご一緒するメンバーだったのに、酒を飲むペースがぴったしだったので、気さくに楽しかった。近頃の日本人はあまり飲まなくなってきたので、懐かしさすら感じた一夜であった。 恋人の条件に「酒が飲めること」を入れる向きもあるが、ぼくもそっちかな。もし、条件をつける権利がまだ残っているのなら…。 |
6月7日 | 5月7日(月) |
あ、予告しておきます。誕生日、ひと月前。 |
天下の回り物 | 5月6日(日) |
「天下の回り物」というと、傘、と思います。急な雨が多い山陰育ちなので、学校の傘置き場のやつなど、ちょっと拝借という感じでもらい受け、それが当たり前のように生きてきました。 タッパーも回り物だなと、今日、食器棚を片付けていて思いました。パーティをやるたびに増殖していくのです。手作り惣菜を持ってきてくれた人のやつが、じょじょに増えていくのでした。そのうち、よそに呼ばれたとき、手作りタコキムチでも入れて持っていき、置き去りにしてこようと思っています。 |
自ら育て! | 5月5日(土) |
ここ2、3日、夏日がつづいたせいか、朝顔の芽が15コ出ていた。目標は17コ。こんな風に物事を数えるのは、すがすがしい。などと、俳人みたいな、しおらしいことを書きつつ…。 きのうのパーティに、五十嵐さんが丹精込めて育んだ蘭を持ってきてくれた。水やりを怠り、「育つ気のある者だけ、自ら育て!」方式で植物と接しているぼくに、果たしてうまく育てられるかしらん。 |
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空瓶の数 | 5月4日(金) |
「ゴールデンウィークのパーティいつやるの?」とたずねられ、「いつがいいの?」とたずね返したら、「金曜日」ということになったけど、そもそもゴールデンウィークにパーティをやると言った覚えがぼくにはないのですが…。 それはともかく、ヒガちゃんが沖縄から来てたこともあって、思い描いていたのよりぞくぞくと人が増えて、15人くらいになっただろうか。久々にランチキめいた楽しい盛り上がりだった。20代から60代まで幅広い層になり、国籍も不確かで、病み上がりの元恋人からSMカップルまでバリエーション豊かであったのも一興だった。いつもはテーブルに収まりきる8人ほどでやることが多く、今回はその2倍の人数なわけだけど、ワインやビールの空瓶はいつもの3倍くらい出た。結局、人が人を興奮させ、盛り立て、活性化していき、人生にスピード感を出すのだなあ。と、空瓶を片付けながらぼんやりと思う。 |
クリスマスツリー式 | 5月3日(木) |
ベランダ仕事に明け暮れる。腕が日焼けし、足腰がガタガタし、鼻クソが溜まりまくる。だから、今年いちばん気持ちのいいシャワーを浴びることができた。 ベランダの植木鉢のレイアウトを、クリスマスツリー方式に変更した。クリスマスツリーに飾るピカピカの珠、あれは大小いろいろありますよね。そのサイズを、ツリーの手前と奥の方にどう配置します? バラバラ? それとも小さいのを手前に? 正解は、大を手前、小を奥の方らしいです。そうすると目の錯覚で遠近感が強調され、ツリー全体にボリュームが出るとのことです。 話を植木鉢に戻しますが、部屋から見たときに大鉢を手前、小鉢を遠方にと舞台装置風にしたのです。するとたしかに、ベランダ全体に厚みが出るし、緑がぐっと部屋に近づいてきたのもうれしい。写真に撮ろうと思ったけど、文章で書いてるほどのスゴ味でもないので、やめときます。 |
KOBAN | 5月2日(水) |
インドでも交番を導入するという。「KOBAN」が、英語にもなっているというのはよく知られているけど、日本人が発明した世界に誇れるシステムだ。 しかし、その日本人が、「KOBAN」ではなくわざわざ「POLICE BOX」と言ってみたり、ショップまでの簡単な地図にもそう表記したりしている。日本語でなくす方がオシャレになってしまうのは、日本語の風習だ。 |
土の文化 | 5月1日(火)) |
たかだか、ベランダの手入れをしているだけで、ああ、日本の文化はお百姓さん出身なのだなあとつくづく思う。 まず、日がある内にしかできない時間限定の作業だから、朝日が昇りそうになったら、すぐにとりかかる。日を大切に使おうとするのは、お百姓さんと同じ気構えだ。 つぎに土をいじってると、手がカサカサ荒れてくるけど、(きちんと洗ってから)ヌカ床をかき混ぜると、手がしっとりしてくる。 発見は多い。 |