FATE


14.現在(side:天蓬)


貴方に首を絞められたとき、このまま死ねたらどんなに幸せかと思った。
けれど、その手が僕が見たものと違っていたことも解っていて。

……僕は貴方を苦しめている。

隣で寝ている貴方をそっと見詰める。以前より痩せた気がする頬、色濃く残った隈。捲簾は結局最後まではしなかった。嫌、出来なかったのだろう。僕を抱くのを止めた捲簾は、僕の首に絡めた手も、最終的には離してしまった。貴方が何故途中で止めたのかは解らない。けれど、きっとこれで良かったのだろう。僕のことなんかで貴方が犯罪者になる必要なんて無い。貴方の手で終われたら確かに僕は幸せだろうが、遺された貴方は……。どうせ終わる僕なんかどうでもいいんです。貴方が、遺されて生きていく貴方が、幸せであるように、ただそれだけを願う―――。だから。

暗闇の中、そっと身体を起こす。深く眠り込んでいる貴方を起こさないよう、ゆっくりと身体を離していく。疲れているんでしょうね。普段なら気付くであろう事にも気付けない程に。最後に貴方に触れたいけれど、そうしたら流石に気付かれてしまうだろうから、貴方の姿を目蓋の裏に焼き付けるだけにとどめておこう。
ベッドに転がっていた眼鏡を取り、耳に当てる部分のカバーを外す。非常事態用では無く、単に壊れているだけだったのだが、どうせもう使わなくなるのだからと修理していなかったのだ。まさかこんな風に役に立つなんて思わなかったけど。繋がれているのが利き手じゃなくて良かった。音を立てないよう注意して鎖を外す。貴方と、僕とを繋ぐ最期の繋がりを、自ら、外す。
ベッドから降りて、鎖をベッドの上へ静かに置き、部屋の鍵も外して部屋を出た。暗い部屋を出たにもかかわらず廊下は暗くて、今が夜であることに気付く。今の時刻なんて気にしていられないけど。捲簾の部屋には何度か来たことがあったので、勝手にクローゼットから服を拝借した。僕の服の在処までは解らないし探す余裕も無い。それに、そこまでサイズも変わらない。ピッタリでは無くても、着れればそれでいい。今は。
玄関で今度はサンダルを拝借して、僕は静かに部屋を出た。
多分、これきりだ。もう二度と、貴方に逢うことは、無い。
「ありがとうございました」
閉じた扉に、思わず呟いていた。
絶望していた僕に、感情を与えてくれた貴方に、感謝と―――そして。
「ごめんなさい」
踵を返して非常階段を駆け降り、マンションから離れる。
貴方が好きです。だけど、僕には貴方と生きる事を選べなかった。誰だっていつか終わる。けれど、僕は終わりを知って尚、貴方と生きる強さなんて持っていなかった。弱いんです。無くすくらいなら、最初から望まない選択をする程に、弱い。
貴方に好きになって欲しい訳じゃ無かった。好きだと貴方に言ったのはただの自己満足だった。そんな風に、自分の為だけにに動いてしまうくらい弱くて、そのせいで貴方を苦しめてしまうなんて思いもしないくらい、甘くて。
貴方に好きだなんて言うべきじゃ無かった。いや、そもそも貴方と出逢うべきじゃ無かった。変わらない未来を変えようと、占いなんて中途半端な事をするべきじゃなかったんだ。僕が足掻いたせいで、貴方は僕と出逢ってしまったのだから。好きだと言わないようにするから時間を戻して欲しいなんて言いませんよ。だからいっそ、あの出逢いを全て無かったことにしてください。僕が貴方と出逢えなくてもかまわない。そんな事なんかより、貴方が幸せに生きられるなら、貴方が笑えるのなら、それだけで僕は良いんです。僕なんかと出逢ったせいで、貴方が苦しむなんて、嫌なんです。
出来ることならあの図書館で貴方から僕の記憶を全て消してしまいたい。僕の事なんてほんの僅かも残らないくらいズタズタに破り捨ててしまいたい。
けれど、そんなこと出来はしないんだ。あそこにあるのはただの事実だけ。変えることの出来ない未来。―――それはこんなにも残酷だ。

ざわつく街。けれど、今はそれに飲み込まれたく無い。
人を避けるように裏路地を走る。目的地なんて無い。ただ、ここから離れなければと走る。誰の所へも行けない。もう、誰も苦しめたくは無いから―――。
適当に曲がり角を曲がって走って。薄暗い路地裏は物の識別も上手く出来ないくらい暗くて。と、不意に路地を月明かりが照らし出した。
今まで、雲が月を隠していたのかなんて、ぼんやり思った。だから気付かなかったのかと。
―――見覚えのある風景。
いや、きっとキノセイだ。似てるだけだ。裏路地なんてどこも似たり寄ったりだから。
思わず逃げるように角を曲がる。
―――ここを、前にも通った事がある。
人混みを避けるために裏路地は良く通っていた。だからだ。この路地じゃ無い。きっと似た場所だ。
僕は速度を上げた。捲簾から逃げるためじゃない。この場所から逃れる為に。
―――知ってる。この場所、この光景。いつも僕はここを走って、走って、そして。
どれだけ走っても、何度角を曲がっても、それさえも組み込まれていたかの様に、その場所へ誘い込まれて行く。抗っているつもりなのに、僕は正確にソレをトレースしていて、ソコから外れることすら出来ない。
「ッ!!?」
いきなり脚に何かがぶつかって、僕は勢い良く転がった。速度が出ていただけに、派手な音を立てて地面を転がり壁際のビールケースにぶち当たって、崩れたケースからビンが飛び散って割れ、破片が月の光にキラキラと舞い上がる。その真ん中を切り裂く様に、人の腕が突き出された。
目を見開く僕へと、伸ばされた一対の腕。それが、転がった僕の首へ絡み付いた。
「ッぐ」
ギリギリと、首をへし折らんばかりの力で指が食い込む。見上げた僕の目に、男の姿が映った。僕の上に馬乗りになり、体重をかけて僕の首を絞めている男の姿が。飛び散った破片で細かい傷が出来ている腕には赤い線が幾つも浮かび、月の光に照らされ逆光になっている顔は影になっていて見えない。眩しいくらいの月。満月の、光。
ああ、これだ。
何度も見た、そして何度も確認した、僕の死の映像。寸分も違わず、いつもの確認作業中かと思ってしまう程に、見た、光景。
首を絞める腕に浮かぶ筋や血管が、何故か妙にハッキリと映る。
「……ッ」
息苦しさに視界が滲んでいく。ドクドクと耳元で鼓動が五月蝿いくらいに響く。何度も体験した、死の間際。現実だなんて思えないくらい、馴染んでしまったソレ。
……そうか、僕は死ぬのか。
ずっと、見ていた死の瞬間が、今、か。

だからと言って大人しく殺されてやるなんて真っ平だ。

重い腕を持ち上げて僕の首を絞める手を跳ね退けようとするが、上手くいかない。
視界が霞む。
蹴りつけようとしても力が入らない。届かない。
身体が硬直する。意識が遠ざかる。
意図的な行動なんて出来ない。もう何も解らない。
それでも。
動かない腕を精一杯振り回す。当たっているのかも解らない。
それでも、例え、抗えない未来だったとしても、僕は胸を張りたいから。
最後まで未来に抗い続ける。
それが無駄な事だとしても。
貴方に、恥じたく無いから。

意識が闇に飲まれていく。
手が、落ちる。
苦しくて、苦しくて。
悔しい。



捲簾。
僕は貴方の笑ってる顔が好きでした。
だから。

どうか、貴方が、幸せになりますように。





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