季節はずれの台風接近で11月末に大雨が降り、和歌山のミカン園の収穫に出かけていたが、25人の若者と終日、食事の用意と食べるだけで過ごしてきた。25年間続けている農薬を省いたミカン園での最大の祭りである収穫作業は遅れてしまった。ミカン山の小屋ではテレビもラジオもないから、3日間は世界の情報から隔離された生活である。
山から降りてきてイラクでの日本人外交官襲撃・死亡のニュースを初めて知った。起こるべくして起こった事件である。小泉内閣・自民党とそれを支える公明党が彼らを殺したのである。とくに、庶民の党、平和の党と喧伝してやまない公明党が自衛隊派遣を善とする現内閣を支えていることの罪は大きい。
筆者は中央アジアで15年間ほど環境・農業調査をしてきた。ソ連邦崩壊後の中央アジア諸国独立の混乱期を体験してきた。この間に、元筑波大学の先生で、中央アジア政治に精髄していた秋野氏が国連政務官として赴任していたタジキスタンで反政府勢力に射殺されたのは、1998年7月のことである。
行動派国際政治学者としての氏の功績は大きく、日本には情報がなかった中央アジア現地を歩き、体験から発言していた唯一の研究者であった。その功績を記念して、秋野ユーラシア基金が設立された。現地に入り、困難な生活環境下でもがんばっている若者への活動資金援助が毎年少数ながら継続されている。
我が研究グループの若手研究者2人も、この基金で酷暑の沙漠でそれぞれの研究活動に従事している。彼らの活動は人道支援とは呼ばれないが、人道支援のための基礎を築くものである。幸いにも、我々のグループは秋野氏や今回の外交官のような事件に遭遇せずに過ごしてきた。もちろん、活動する地域社会が比較的安定していることもあるが、対象地域を地道に理解するための作業継続の重要さを認識して行動しているからでもある。
それに反して、アフガン復興支援東京会議(2002年1月)後、日本からの拠出金による支援事業に群がる「にわかアフガン通や中央アジア通」が派出している。人道支援にしても、その基礎を作る地道な調査活動にしても多くの資金を必要とするから、資金確保にあくせくせざるを得ないことは身にしみて分かる。しかし、資金があるからと言って、そこに突然群がる輩を排除していかないと、支援対象地域を混乱させ、日本への信用を低下させるだけである。紛争が発生し、何かをしなければならないからと付け焼き刃的に人と金を送り込むだけの日本ではなく、地道な活動を継続する国際交流にどれだけの支援をしていくかが今問われているのだろう。
現在の日本政府が打ち出しているイラク政策には、そのような「地面を這い蹲って集められた情報」が生かされているとは思えない。そうであるならば、「人道支援」と言えども行うべきではなく、まして憲法違反である自衛隊派遣などもっての外である。
(石田紀郎)
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