悪党国家
大量破壊兵器を開発・配備する「悪党国家」イラクの政権交替が目的と言うが、米の目的はそれだけではない。中東全土に米支配を行き渡らせ、米の力の強さをグローバルに投影することだ。つまり、我々が今直面しているのは、帝国主義の歴史的な新展開である。
◆近代帝国主義第一段階:19世紀末から20世紀初め。大英帝国のヘゲモニー及び新興勢力―独、日、米―の台頭。アフリカ分割をめぐる欧州列強間争い、欧州市場でのシェア争い、植民地と市場をめぐる争い、英の国際金融センターとしての地位への独の挑戦、米の欧州市場への参入・アジアと南米への植民地支配及び影響力拡大、等々の特徴。列強間の植民地と市場の分捕り競争と、英の国際金融市場・商品市場独占に対する独の挑戦が、第一次世界大戦の主要原因。
◆近代帝国主義第二段階:第一次世界大戦後の期間。ベルサイユ条約は、獲物の分配とソ連に成立した共産主義打倒の陰謀過程。ところが大不況と、世界システム内での取り分を拡大しようとした独、伊、日枢軸国との争いが第二次世界大戦に発展、ソ連打倒陰謀は中断。
◆近代帝国主義第三段階:第二次世界大戦後。戦時中に米が新覇権国として膨張、世界経済支配上戦略的中核と思われる場所を支配しようとしたが、ソ連とその影響下にある国々の存在が邪魔。
この間の事情はノーム・チョムスキーが次のように述べている。(『マンスリー・レビュー』1981/11)
戦後の米対外政策を決定づけてきた思考枠組みは、戦時中に作られたある計画書に基づいている。それは国務省と対外関係委員会が6年間かけて検討・作成した「戦争と平和研究プログラム」である。彼らは、1941年、42年頃には、米が戦争に勝ち、その後巨大なグローバル・パワーになることを知っていた。問題は、「世界をどのように組織するか」であった。
彼らは「重要地域計画」(Grand Area Planning)と称する概念を練った。重要地域とは、彼らの言葉で説明すると、「世界管理のために戦略的に必要な」地域である。どの地域を「オープン化」―投資に関してオープン、利益の本国還元に関してオープン、つまり米国の支配に対してオープン―するかを、地政学的分析によって検討した。
彼らは、米経済を、内部変革なしに(これはプログラム研究会のすべての議論の大前提であった)、所得配分や権力構造の変革とか政治体制の修正なしに、繁栄させるためには、最低限西半球、解体中の大英帝国圏、そして中東の支配が必要である、と結論を出した。もちろんそれは最低限であって、最大限は世界全土の支配である。
この最低限と最大限の中間あたりに「重要地域」があった―そしてそこを金融制度や事業計画の視点から組織化する仕事があった。これが戦後世界を通じて働いた枠組みである。
欧州植民地の解放、太平洋での日本の野望が敗れたことで、米資本はそれまでできなかった市場への参加ができるようになった。ブレトンウッズ体制で帝国主義の新たな経済的枠組みを組み立てるかたわら、直接・間接的な軍事力行使を世界的規模で展開した―朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン政権転覆、チリ政権転覆、キューバ政権転覆未遂、中央アメリカやアフリカでの数限りない内戦介入等々。
「重要地域」中、特に重要なのは中東で、経済的・軍事的・政治的グローバル支配にとって不可欠な地域―特に世界第一の原油埋蔵地域でもあった。同地域への米の介入は1950年代から始まり、そのうち最大のものは、1953年民主主義選挙で選ばれ、外国石油会社を国有化したイランのモサデク政権を転覆させたことだった。1940年から1967年の間に米会社の中東石油支配は10%から60%に上昇、一方英国のそれは72%(1940)から30%(1967)に減少。西欧統合は米の権益膨張への防波堤にならなかった。弱い欧州、アジア地域でも日本は米の権益拡大への有効な挑戦になりえず、現存社会主義国が1990年崩壊、いよいよ米の新覇権時代への道が用意された(もっとも70年代と80年代に一時的にかげりがあったが)。
以上のような帝国主義の歴史に照らして見れば、予想される米のイラク攻撃は、彼らが口にするイラクの軍事的脅威などではなく、要するに米の帝国としての威厳をかけた力のデモンストレーションである。そのことは、『アトランタ・ジャーナル・コンスティチューション』副編集長ジェイ・ブックマンが同誌に書いた論文でも明らかだ。(「イラク攻撃の真の目的」2002/9/29)
イラクに関する公式説明はまったく意味をなさない・・・それ(イラク攻撃)は、大量破壊兵器でも、テロでも、サダム・フセインでも、国連決議でもない。この戦争は、もし起きれば、米合衆国が、地球を監視する警察としての権威と責任をもつ完全発達したグローバル帝国であることを、世界に知らしめるためのものだ。それは、10年以上もかけて練り上げてきた計画の集大成である。たとえそのためにわが国の敵がいつも言ってきたように「米帝国主義」になることになっても、わが国はグローバル支配の機会を逃すべきでないと考える人々が練り上げてきた計画である。ローマは、持てる力を抑えて対立者を封じ込める政策をとらなかった。武力で征服したのだ。わが国もそうすべきだ、と言うのである。
帝国の防衛
帝国拡張にはそれなりの正当化が必要だ。たいてい防衛のための戦争という口実が使われる。1919年、ヨセフ・シュムペーターは、ローマ帝国拡大について次のように書いた。(『帝国主義の社会学』)
世界のどこであろうと、ローマ帝国の利益が危機または攻撃にさらされているとこじつけることができた。ローマの利益が見つからなければ、同盟国の利益を持ち出すことができた。同盟国がなければ、作り出せばよかった。どうしても何の利害関係も見つからなければ、帝国の面目を持ち出せばよい。戦争というものは、いつも何らかの正当性のオーラで包まねばならない。だから、ローマ帝国はいつも性悪な隣人の攻撃にさらされており、いつも戦争をしていた。この世はローマへの侵略意図をもった敵の群れでいっぱいで、帝国防衛の戦争はローマの義務であった。
この口実はローマ帝国で終わったわけでない。19世紀の大英帝国も、20世紀の米帝国も使ってきた。大統領が議会に出した「新国家安全保障戦略」にうたわれている戦略3本柱(『ニューヨーク・タイムズ』2002/9/20)は、@他国が米国の敵対的脅威とならないように、たえずグローバル規模の軍事的コントロールを維持する、A米国及び海外の米軍施設、米国の友好国や同盟国にとって脅威になると判断される国家や勢力に対し、地球上のどこであろうと、即刻単独先制攻撃ができる準備をしておくこと、B米国人は国際犯罪裁判所の訴追に対し免除されていること。
エドワード・M・ケネディはこの「新国家安全保障戦略」を、「21世紀米帝国宣言ともいうべきもので、いかなる国も認めることはできないし、また認めるべきではない」と評した。(2002/10/7)
この野心と見合ってあるのが、世界中は米国の敵でいっぱいだというパラノイアである。パラノイアが軍事力拡大を呼ぶ。現在、その敵は第三世界にいることになっているが、第三世界が米の帝国主義的拡大の可能性が一番大きいところである。サダム・フセイン政権のイラクが第一の敵である。
イラクはまだ大量破壊兵器―核兵器―を保有していない。しかしブッシュ大統領は、イラクは今にもすぐ核武装すると言う。何しろ伝聞によると常識外れの狂気者が指導者だから、米の核抑止戦略も理屈どおりの効果を発揮しない。だから、核武装する前に叩かねばならない。それも即刻。フセインは武器や軍事計画を必ずどこかへ隠すから、国連査察なんか無駄だ。力の行使―軍事クーデターを指導して起こすか、直接侵攻して破壊するか―によって、「政権交替」させるしかない、と言う。
こういう論法で、9・11の傷がまだ癒えぬ米国民の心に恐怖を注入し、国と世界を戦争へ巻き込もうとしているのだ。核装備もしていない国から大量破壊攻撃が今にもある、と毎日繰り返し、マスメディアがそれをさらに大きく共鳴させると、ヒットラーの「大きな嘘」の論理で、米国民は乗せられていくのだ。
乗せられない人々もいる。それも、こともあろうにCIA長官ジョージ・テネットが、大統領の緊急イラク核脅威論を否定した。彼によると、イラクが1個の核爆弾を製造するために必要な量の核分裂性物質を生産できるようになるには、少なくともあと5年か6年はかかる。大統領たちはこの弱点を回避して、次に、生物化学兵器の脅威を強調した。大統領は10月7日、シンシナチで演説し、「イラクは、全世界に張り巡らされたテロ組織を使って、生物化学兵器を米国内に持ち込む恐れがある」と述べた。同日のうちにテネットは議会に書簡を送り、「イラクが抑止的目的以外の目的で生物化学兵器を開発している兆候はない。また米が先に攻撃しなければ、イラクが米に攻撃を仕掛けてくる可能性は今のところ考えられない」と、大統領発言を否定した。「イラクは、今のところ、通常兵器にしろ生物化学兵器にしろ、合衆国にテロ攻撃するのを控えている。ただし、サダム・フセインが、米の攻撃を抑止できないと判断すると、テロ攻撃を使うかもしれない(『ニューヨーク・タイムズ』2002/10/10)
事実は、イラクに使用可能な生物化学兵器はないと見るのが妥当。1991〜98年の国連査察時に解体されてしまったからだ。使用可能な状態にあったのは、80年代、サダムが米国の手先であった頃だ。1985年から1989年の間(イラン・イラク戦争は1980〜88)、イラクがイランに対して化学兵器を使った(1984)後でも、米企業は、レーガン大統領・ブッシュ大統領の承認のもとで、炭疽菌を含む危険な培養細菌をイラクへ送っていた。商務省が対イラク発送を許可した培養細菌は、後になって疫病管理センターから「細菌戦争使用可能」と分類されるものだった。クローン、ばい菌、生物化学兵器に使用できる薬品類など、合計少なくとも72回、米国からイラクへの輸送が行われた。しかも1988年、イラク北部でクルド人に対して化学兵器が使われたという報道があった後も続いたのだった。
大量破壊兵器やそれに関する先端技術という点では、米国が独占的に世界一であることは世界中が知っている。だから、米がイラクを大量破壊兵器で非難するとき、誰もが米の二重基準(ダブル・スタンダード)を感じるのは、不思議ではない。国連査察団長を勤めたリチャード・バトラーは、「私は米国人に二重基準について話したが、まったく通じなかった―それも非常に教育がある人でもダメだった。何か自分が火星語を話しているような気がしたほどだ。彼らのこの問題に対する理解度はゼロと言ってよい」と言っている。善い大量破壊兵器・悪い大量破壊兵器という言い方は、欺瞞そのものである。バトラーは査察活動をしているとき、毎日この問題で悩んだと言う。
イラクでの査察任務中でつらかったことは、イラク人から、イスラエルが約200発の核爆弾を所有していると言われているのに査察の対象とならず、イラクだけがそうなる理由を説明してくれと求められたときだ・・・それに、米国人や仏人や英人がイラクの大量破壊兵器を非難するのを耳にすると、ついシラけた気持ちになったのは事実だ。だって彼らの国も同様に恐ろしい大量破壊兵器を所有していることを誇り、国家安全保障上絶対必要、将来もそうだと言っているのに、それをまったく無視して他国を批判するからだ・・・そんな不公平を真に受ける人間なんていないでしょう。(『シドニー・モーニング・ヘラルド』2002/10/3)
大量破壊兵器拡散を防止する国連の目的と米の目的とは必ずしも一致しなかったばかりでなく、米は国際社会の武器廃絶への試みの足を引っ張ることが度々あった。たとえば、9・11事件の2ヵ月後の2001年12月、ブッシュ大統領は、生物・毒物兵器に関する協議会に検査機構を設置する提案を拒否して、世界を唖然とさせた。理由は、米国内で生物兵器査察が行われると、バイオ企業の企業秘密テクノロジーや利潤が脅かされる、というものだった。
湾岸戦争後、国連はイラクの大量破壊兵器査察・解体を目的とした活動を行ったが、米の対イラク目的はそれと一致しなかった。1991年〜98年の間、国連査察官を務めたスコット・リッターによれば、米は国連の査察活動を一方的に壊したことがあるという。 98年には、問題とされたイラクの戦争道具関係の90%〜95%が査察され、解体されていた。残るは、フセイン大統領の身辺警護やバース党の機密や安全警護に関係する広大な建物の中の査察であった。イラクとの間で「慎重を要する場所の査察に関する取り決め」が取り交わされ、4人の国連査察官が入れることになった。ところが12月、バース党本部への査察の段になると、米は、自国の諜報局員も入れると主張した。目的がフセイン大統領の身辺警護に関する情報を得ることであるのは明白で、それは大量破壊兵器査察目的とは異なっていた。しかも、査察を全部米国家安全保障委員会の管轄下におき、新たに査察団長となったリチャード・バトラーに直接指示が下る仕組みになった、とリッターは言う。
当然、イラクは取り決め違反に反発した。米はこの反発を口実にし、リッターの言葉を借りると「危機を捏造」して、査察官引き上げを命じ、2日後「砂漠の狐作戦」と呼ばれる72時間連続空爆を、フセイン大統領身辺警護関係の建物に対して行った。その際、取り決めを無視したスパイ活動で得た情報が役立ったことは言うまでもない。この後イラクは査察官はス
事実は、イラクに使用可能な生物化学兵器はないと見るのが妥当。1991〜98年の国連査察時に解体されてしまったからだ。使用可能な状態にあったのは、80年代、サダムが米国の手先であった頃だ。1985年から1989年の間(イラン・イラク戦争は1980〜88)、イラクがイランに対して化学兵器を使った(1984)後でも、米企業は、レーガン大統領・ブッシュ大統領の承認のもとで、炭疽菌を含む危険な培養細菌をイラクへ送っていた。商務省が対イラク発送を許可した培養細菌は、後になって疫病管理センターから「細菌戦争使用可能」と分類されるものだった。クローン、ばい菌、生物化学兵器に使用できる薬品類など、合計少なくとも72回、米国からイラクへの輸送が行われた。しかも1988年、イラク北部でクルド人に対して化学兵器が使われたという報道があった後も続いたのだった。
大量破壊兵器やそれに関する先端技術という点では、米国が独占的に世界一であることは世界中が知っている。だから、米がイラクを大量破壊兵器で非難するとき、誰もが米の二重基準(ダブル・スタンダード)を感じるのは、不思議ではない。国連査察団長を勤めたリチャード・バトラーは、「私は米国人に二重基準について話したが、まったく通じなかった―それも非常に教育がある人でもダメだった。何か自分が火星語を話しているような気がしたほどだ。彼らのこの問題に対する理解度はゼロと言ってよい」と言っている。善い大量破壊兵器・悪い大量破壊兵器という言い方は、欺瞞そのものである。バトラーは査察活動をしているとき、毎日この問題で悩んだと言う。
イラクでの査察任務中でつらかったことは、イラク人から、イスラエルが約200発の核爆弾を所有していると言われているのに査察の対象とならず、イラクだけがそうなる理由を説明してくれと求められたときだ・・・それに、米国人や仏人や英人がイラクの大量破壊兵器を非難するのを耳にすると、ついシラけた気持ちになったのは事実だ。だって彼らの国も同様に恐ろしい大量破壊兵器を所有していることを誇り、国家安全保障上絶対必要、将来もそうだと言っているのに、それをまったく無視して他国を批判するからだ・・・そんな不公平を真に受ける人間なんていないでしょう。(『シドニー・モーニング・ヘラルド』2002/10/3)
大量破壊兵器拡散を防止する国連の目的と米の目的とは必ずしも一致しなかったばかりでなく、米は国際社会の武器廃絶への試みの足を引っ張ることが度々あった。たとえば、9・11事件の2ヵ月後の2001年12月、ブッシュ大統領は、生物・毒物兵器に関する協議会に検査機構を設置する提案を拒否して、世界を唖然とさせた。理由は、米国内で生物兵器査察が行われると、バイオ企業の企業秘密テクノロジーや利潤が脅かされる、というものだった。
湾岸戦争後、国連はイラクの大量破壊兵器査察・解体を目的とした活動を行ったが、米の対イラク目的はそれと一致しなかった。1991年〜98年の間、国連査察官を務めたスコット・リッターによれば、米は国連の査察活動を一方的に壊したことがあるという。 98年には、問題とされたイラクの戦争道具関係の90%〜95%が査察され、解体されていた。残るは、フセイン大統領の身辺警護やバース党の機密や安全警護に関係する広大な建物の中の査察であった。イラクとの間で「慎重を要する場所の査察に関する取り決め」が取り交わされ、4人の国連査察官が入れることになった。ところが12月、バース党本部への査察の段になると、米は、自国の諜報局員も入れると主張した。目的がフセイン大統領の身辺警護に関する情報を得ることであるのは明白で、それは大量破壊兵器査察目的とは異なっていた。しかも、査察を全部米国家安全保障委員会の管轄下におき、新たに査察団長となったリチャード・バトラーに直接指示が下る仕組みになった、とリッターは言う。
当然、イラクは取り決め違反に反発した。米はこの反発を口実にし、リッターの言葉を借りると「危機を捏造」して、査察官引き上げを命じ、2日後「砂漠の狐作戦」と呼ばれる72時間連続空爆を、フセイン大統領身辺警護関係の建物に対して行った。その際、取り決めを無視したスパイ活動で得た情報が役立ったことは言うまでもない。この後イラクは査察官はスこの戦略を「ブレイクアウト」と表現する。つまり、米国の高度テクノロジー開発(ロボット工学、レーザー工学、人工衛星、精密武器等々)の速度があまりにも速いので、いかなる国家または国家連合体も、米のグローバル指導者、グローバル保護者、グローバル法執行者としての地位に挑戦できないのだ。(「米の帝国主義的野心」『フォリン・アフェアーズ』2002/10)
このような天井知らずの帝国主義的野心は、必ず失敗する。資本主義のもとでの帝国主義は、求心的であると同時に遠心的でもある。軍事支配は経済支配の維持なくしては続かないものだが、資本主義経済は本来的に不安定なものである。目下の現実は、米は潜在的競争相手や「南」全般を犠牲にして、どんどん支配力を強めている。世界的規模の搾取とそれへの抵抗が予測される。また、再度帝国主義諸国間の争いの復活も予測される―米以外の資本主義国が、米の「ブレイクアウト」を阻止しようとするのは当然である。
米政府は、帝国主義的膨張を、単に米国のグローバル覇権を永久化する戦略としてだけではなく、現在陥っている経済危機を脱出する戦略とも位置づけている。軍事支出と武器輸出が経済を刺激することを期待しているのだ。しかし、戦争のための軍事支出増加は、国民のための社会諸政策、企業にとって死活問題である国民の消費財需要を産みだす契機となる社会諸政策予算の削減を伴うから、かえって経済的苦境を作り出すことになる。歴史的に見ても、国内の経済的・社会的問題を解決する手段として帝国主義的膨張を試みた場合、たいてい失敗している。
最後に、我々として認識しなければならないことは、米の世界支配ドクトリンはある特定の政権(またはその政権内の一部閣僚)の野心の産物と見るのではなく、帝国主義の最新発展段階の必然的産物と見ることだ。だから、帝国主義的膨張のダイナモを逆転させることは、容易なことではない。しかし、人民の意志はそこでも重要な役割を果たしている。人民の意志が帝国主義的膨張政策へ向かうか、戦争と帝国主義反対へ向かうかが、人類の未来を大きく決定づける。我々としては、米国内と世界の人民の意志を反戦・反帝へいかに動員できるかが課題である。
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