《 歪んだ日本人の心情が露骨に出たイラク人不在の「自己責任」論議 》

  イラク人質事件の3人の被害者に対して、「自己責任」がマスコミを通して噴出しました。女性の高園さんは、未だにその精神的な痛手から立ち直れないでいます。私は彼女を映したテレビの画面を、今でも忘れられません。バグダッドの路上だったと思いますが、一人のストリート・チルドレンが彼女と眼が合った途端、母親に抱きつくように、彼女の胸の中に飛び込んでいきました。あんなにイラクで慕われている一人の日本人女性、その彼女を立ち直れないほどバッシングしたこの国の世論、その狭間に何があるのでしょうか。
 イラク人は日本人のことを良く知っているし、私たちが好きです。だが、日本人はイラク人のことを良く知らないし、無関心です。両者の意志疎通は一方通行なのです。このことを無自覚なまま、日本人がイラクで起こったことをいくら論議したとしても、不毛な結果に終わるだけです。
 イラク人を含めてアラブ人は、家庭電化製品、繊維製品など、日本製品に囲まれて暮らしています。それで、彼らは日本のことを知っており、私たちについてある種のイメージを心の中に作り上げています。「俺達の中で一番出来のいい兄貴だ」と。この尊敬していた兄貴が突然銃を向けてきたのですから、彼らの私たちに対する不信と怒りは当然のことです。このことを日本人が自覚していたら、いくら米国の同盟国とはいえ、イラク派兵はなかったでしょうし、自己責任論も噴出しなかったでしょう。
 日本人とアラブ人とは生活習慣がよく似ています。彼らは床の上に絨毯を敷き、その上に座って暮らしています。男性はあぐらをかき、女性は長いスカートをつけ、立て膝をついて座っています。日常生活で椅子や机は使いません。十数年前、私とWさんとがインタビューのため、エジプト人のサミール・アミンをパリのマンションに訪ねたとき、彼はテーブルと椅子を寄せて空間を作ってくれ、そこで絨毯の上で車座になり、話を聞きました。コーヒーをすすりながら日本から持ってきたお菓子をつまんでインタビューしたのですが、妙に気分が落ち着いたことを覚えています。彼は東京・渋谷の国連大学で教鞭をとっており、頻繁に訪日しているので、日本の生活習慣を良く知っていたからですが、そんな彼の心遣いが私たちの気持ちを和やかにさせてくれました。
 日本人は外国に日本製品の良いお得意さんを持ちながら、彼らの私たちに対する思いには無関心。同じ非西欧人でありながら、心情的に欧米に向きがちな日本人。こんな歪んだ日本人の心情が露骨に出て、日本人が欧米からさえも強い反発を招いたのが、イラク人質事件を巡る「自己責任」論議でした。    (渡辺)

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