農家の種は将来の希望の種、小規模農家は社会の希望の種
             バンダナ・シバさんインタビューA
          
         インタビュアー:谷口葉子(神戸大学大学院自然科学研究科)

Q.昨年9月、メキシコのカンクンで行われたWTO閣僚会議では、インド政府やブラジル政府、発展途上国政府の抵抗により、米国やEUなどの「先進国」の目論見が頓挫に追い込まれました。あなたは、今回のWTOカンクン会議をどう評価されているのでしょうか。

WTO閣僚会議の中断は運動の「勝利」 
A.カンクンでは、企業のために市場を開放するということが失敗したのであり、企業の貪欲さにとって、力を持つ国々にとっての敗北でした。しかし運動にとっては、失敗ではありませんでした。カンクンでの結果は、運動体にとっては「勝利」でした。私たちは、カンクンでシアトルで持っていたのと同じ目的、即ち交渉を中断させるという目的を持って、交渉を中断させることに成功したのです。交渉の進展は人間に損害を与えるものですから、交渉の中断は望ましいことであり、私たちにとっては「成功」といえます。
 しかし交渉を中断させることは、決して最終ゴールではありません。私たちは次のステップとして、オールタナティブ(代替的な方策)をつくりだしていく必要があります。中断は必要です。私たちが農業を持続させることができれば、種を保存していくことができます。しかしグローバリゼーションのもとでは、アメリカは日本に米をダンピング輸出しています。インドには、小麦で同じことをしています。鳥インフルエンザが世界中に拡大していくのを許しています。こうして一国の農業が成り立たなくなってしまう前に、グローバリゼーションを阻止することが必要なのです。そして次にオールタナティブを構築し、地球、農家、人々の健康を守るという行動にでなければなりません。

Q.デラ・ドゥーンの町にあるナブダーニャの農場とそこでの教育プログラム「ビジャ・ビディヤピース」ができた理由とその経緯を教えてもらえませんか?

アイデアを体験する場としての農場 
A.実は私の母は農家でした。しかし私は、1991年に母から相続した土地を売却し、私の活動の拠点となるこの事務所を開設しました。GATTやWTOについて政府にしっかり認識させるような活動が必要だと考えたからです。それよりも以前、1987年に私は種子に対する特許や食料貿易について初めて知ることになるのですが、代替的な農業のやり方のモデルをつくらなければ農家の生計は成り立たなくなってしまうことに気づき、それで種の保存活動を始め、「ナブダーニャ」の活動を開始しました。
 最初、私は農家を通して全国的に種の保存を行いました。しかしそのような活動は、分散的で非常に目に見えにくいものでした。そこで私たちは、自分たちのアイデアが体験できるような場所が必要であることに気づいたのです。農場は、農家自身が採種した種が劣等ではないこと、有機農業が世界を養うことができるということを実証するためにあります。さらに、有機農業なら土地との信頼関係のもとに農業が行いうること、化学薬品に依存した農業のやり方に固執する必要はないことを教えるためでもあります。農場はまた、農家が交流し、共に作物を選び、学びあう場です。農場は自然と農家の知恵に対する贈り物だと考えています。

Q.あなた方の活動はインド社会にどのような影響を与えたとお考えですか?たとえば種の保存運動はどの程度人々の間に浸透したのでしょうか?

拡がる生命系民主主義運動の実践 
A.インドの60〜70%の農家はまだ自家採種をしています。しかし一部の作物については、多くの農家は自家採種をあきらめてしまいました。ひとつは綿花で、遺伝子組み換えされたモンサントの綿花が市場に現れたことが影響しています。もうひとつは、モンサントの多収量品種が市場にもたらされたトウモロコシです。他の作物については、農家がほとんど自家採種をしているといえます。私がちょうど最近訪れていた地域では、菜種やマスタード、ヒヨコ豆、キマメの優れた品種の種を農家が自家採種していました。
 私たちの15〜16年の活動を通して、私たちは人々の考え方を変えることに大いに貢献したと思います。以前は、農家が自家採種した種や小規模農家というものはなくすべきものだ、という考え方が支配的でした。しかし私たちが種を保存し、農家と共に採種を行ってきたことで、今日の社会において私たちの考えを許容する余地が生まれたことには確信を抱いています。従来の見方―農家によって保存された種や小規模農家というものは廃れゆくものであり、原始的なものであるというもの―を否定し、農家の種は将来の希望の種であること、小規模農家は社会の希望の種であるということ、どのような社会も小規模農家が社会の中心に据えられるべきであるという考え方を、私たちは広めてきました。そうでなければ、私たちの健康は損なわれ、民主主義も成り立ちません。自分たちが食べる食料に何が入っているかを知らないような状態で成り立つような民主主義なんて、民主主義と呼べるでしょうか?
 私たちの普及活動を通して、20万戸の農家が化学物質の使用をやめました。少なくとも2000の農村では生命系民主主義運動を実践しています。つまり、自家採種を行い、種苗会社が村に入ってくるのを防ぐ、という運動に参画しているのです。先日私が訪れた地域でも、2日間で50もの農村が生命系民主主義運動を実践すると約束してくれました。農業大学の人々にも話をしてきました。すると彼らは、化学物質を使うのをやめた、といってきました。
 私は農家個人レベルから、政策レベル、全国的・国際的なネットワークまで、多様な活動に関わってきています。新しい社会をつくりだすという目的を共有した人々との強固なネットワークを通して、お互いの力をもっと強化できれば、と願っています。

インタビューを終えて

§バンダナ・シバさんの魅力§
 
 シバさんは、遠目で見た時よりも小柄で柔らかな印象がありました。しかし話し始めると、飲み込まれるような迫力があります。しどろもどろの質問に、的を外すことなく、的確に、関心の余すところなく、決して飽きさせることのない語り口で答えてくれました。わずか30分のインタビューでしたが、その内容は数倍の濃さをもっていました。
 今回のインタビューで最も印象に残ったのは、日本語では「生命系民主主義運動」と翻訳されている「リビング・デモクラシー運動」についてです。シバさんは、グローバリズムに反対しそれを終わらせるだけの運動ではいけない、と考えていて、そのオールタナティブ(代替的な方策)をつくりだしていくことが必要だと訴えています。また、代替的な方策を地域の草の根レベルで活動していくだけでは不十分だと考えています。もっと大きな、世界観としてのオールタナティブを設けることで、より大きな連帯を可能とし、より大きな力を得ることができる、と考えているのです。

§バンダナ・シバさんから学ぶこと§
 シバさんの言葉を聞いて感じるのは、主張に一貫性があるということです。シバさんが指摘するあらゆる事象は独立した出来事ではなく、互いに何らかの形で関連しあっていて、そこには共通の問題がいつも潜んでいる。シバさん自身も、反戦運動も反グローバリズムも同じ運動だ、と述べていますが、それは私達が直面する大きくて根本的なもの―科学や宗教や、民主主義に対する考え方そのもの―が更新される必要のあることを示唆しています。大企業や政治家などの非常に偏った利益が反映される民主主義や、資源の無限性・好みの不飽和性を前提とした「進化」に対する考え方など、今の世の中を支配する価値観の枠内で運動していくのではなく、価値観そのものを変更し、新しい世界観のもとに真の民主主義を構築する必要がある、と説いているのです。
 そのためには、膨大な量の文献を読んだり、人々と情報交換したり、頭を突き合わせて考え方の整理と体系化を行っていく、というとてつもない労力のかかることが予想されます。しかし独自のネットワークを駆使して、ナブダーニャは生命系民主主義運動を世に送り出すことに成功しました。工業化・分業化社会の中で分断された人と人、人と自然をうまくつなぎ合わせ、抜け落ちていた部分を発見し、問題を克服する手段をつくりだしていくという作業は、NGOだからこそできる技なのでしょう。
 シバさんは、自分のインドでの活動を輸入するのではなく、日本の活動家同士が顔を突き合わせ、独自の運動をつくってはどうか、と暗に促しているようにも見えました。確かに、論理的思考の苦手な日本人にとって、体系立てるというのは至難の作業かと思います。でも、長い目で見ると、国際社会の中で日本が経済以外の部分で軽んじられないようにするためには、そういう地道な作業こそが必要なのかもしれない、と思いました。                  (谷口葉子)

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