◆日本の民度の低さがまた証明された―日本人人質事件で見えてきたこと
ファルージャでの米軍の虐殺が進行する中で、武装勢力による外国人誘拐人質事件が頻発している。4月14日付の日経新聞によると、人質の数は17ヵ国
56人にのぼるという。傾向としては、軍隊を派遣している国かどうか、人質になっている人が占領軍に加担しているか否かが、早期解放されるか否かの分かれ目になっているようである。日本人も8日に3名が、14日に2名が誘拐されたが、3名は15日に、2名は17日に無事解放された。
この間政府は、武装グループの要求に応じて自衛隊を撤退することの是非はともかく、武装勢力を挑発するような発言を行い、とても人質の生命への配慮を行っているとは思えないことがしばしばあった。一方、NGOや市民運動の側の対応は早く、政府への署名活動はもとより、これまで独自に作り上げた現地の人脈を活用し、また現地マスメディアへ直接訴えかけるなどして人質解放のために有効な働きを行った。今回の事件で見えてきたことは、多くのイラク人が自衛隊を占領軍の一部と考えていること、自衛隊の撤退を望んでいること、NGOや市民運動が政府に勝るとも劣らない情報収集能力・危機対応能力をもっていること、である。また、人質になった人達のNGOとしての活動が現地の人に評価されていたということが、解放において決定的に重要であった、ということである。
日本人5人はいずれも、「イラク・イスラム聖職者協会」幹部のアブドルサラム・クバイシ師によって身柄を保護された。同師は、他の外国人人質事件でも仲介役を務め、存在感を増した。イスラム教宗教者が影響力を発揮する一方、イラク統治評議会の存在感のなさが浮き彫りになった。
人質が解放された後、政府・与党の間から「自己責任論」が急浮上し、右翼マスコミでもこれに組する論調が展開された。これに乗じて外務省は17日、救出経費の一部について自己負担を求める方針を決めた。これらの現象は外国から見ると異様に見えるようで、多くの国のマスコミがこの問題を取り上げ、外圧によって「自己責任論」はやや下火になった。日本の民度の低さがまた証明された感がある。今回の事件で、NGOを通じたイラク民衆との直接の人道・復興支援の重要性、あるいは命の危険を犯してでも現場から真実を伝えようとするフリージャーナリストらの活動の重要性を否定してはならない。
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