地域・世界の両面から国民国家の縛りを脱していく道筋を

            ―花崎皋平さん講演会「地域から政治と文化を考える」―

 去る2月28日(土)、「さっぽろ自由学校『遊』」共同代表の花崎皋平さんをお招きし「地域から政治・文化を考える」をテーマに講演していただいた。講演内容について詳しいレジメを用意していただいたので、報告としてそのレジメを紹介します。

1)歴史的見取り図
 1968〜69年が、世界的にも日本に関しても思想と社会的実践の質的転換期であった。社会変革運動の目標と担い手の転換をもたらした。
 それまでのセットは、国家権力を握って社会主義の政府を作るという目標、それにむけて労働組合を支えに社会主義政党が国民運動を仕切るというものであった。この枠組みでは、無党派の市民・農民・地域住民は同伴者、支援者として位置づけられていた。このセットが疑われ弱まる。前衛としての共産党への反逆、権威への挑戦が始まる。
 1968年、チェコ事件、ベトナム反戦運動高揚と大学闘争、学生革命、文化大革命の波及(ヨーロッパ)。
 人権、思想信条の自由、個人の自立に基礎を置く民主主義的な社会への熱望がわきおこる。
 公害の激発による重化学工業中心の大規模開発への批判が始まる。
 日本の戦後平和運動でも被害者運動から被害―加害の重層性の自覚への転化が起こり、国境の外との関係への自覚が生まれる。
1970年代前半(70年安保闘争後)、革命を志向する活動家の間に2つの方向への分岐が生じた。武装闘争を強化し、世界革命の戦士となることをめざす方向と、人民性、民衆性への徹底をめざす方向(下層人民、被差別民衆との連帯を求めていく)。後者は地域のなかに活動の根拠地、拠点を作ろうとした。しかし、課題そのものが、社会総体の変革=革命から、より個別具体的になっていったのにともなって、課題別のネットワークへと変化した。社会運動ではウーマンリブ、水俣、三里塚が時代の課題を凝縮した。
 とくにウーマンリブは、社会思想、社会理論へ根源的な視座転換をうながした。それは闇夜に閃いた閃光であり、革命思想であった。
 水俣、三里塚は公害、地域破壊をもたらす開発を告発する地域に根ざした実力闘争として闘われた。思想的には足尾鉱毒事件と田中正造の思想が顧みられ、全国の火力原子力発電所建設反対の運動からは、環境権の思想、暗闇の思想(松下竜一)などが生まれた。
 1979年のスリーマイル島原発事故が引き金になり、高木仁三郎が反原発運動を牽引した。環境の危機の意識化が進み、エコロジーと環境問題が新しい焦点となった。
 1980年代になると、公害輸出、企業移転、資源収奪問題などを通じてアジアとの民衆レベルでの連帯が始まる。宇井純が公害自主講座運動を始める。
1986年のチェルノブイリ原発事故で、世界的に反原発運動が盛り上がる。原発立地個所での反対運動の重要性、地域が闘争の前線になる。
 「地域をひらくシンポジウム」運動の10年(1980年〜90年)。札幌から提唱して、主に日本海側の地域の運動の拠点がつながり、住民・市民運動の経験と課題の共有が図られた。札幌、川崎、富山、名古屋、金沢、米子、静岡、熊本など、各地に1年に1回集まって、その地の運動から学び合い、顔の見える関係を作った。課題では、原発立地阻止、環境権の制度化、各地のダム反対運動のつながり、愛知の万博反対と内容の改革、長良川流域自治体構想などが議論され、進められた。
 1984年からアイヌ民族の組織である北海道ウタリ協会が、国連経済社会理事会のなかの人権小委員会付属先住民作業部会に代表を送り、世界先住民族権利宣言策定作業に参加する。世界の先住民族運動が発展する。
 ウーマンリブからフェミニズムへ。国連世界女性会議の開催(5年ごと)が女性運動を活気づけ、女性解放の理論と運動の内容と担い手が幅広くなった。例として黒人女性、先住民女性などマイノリティとジェンダーの関係が現れてくる。世界的には家父長制と植民地支配との統一的認識が深まる。民衆運動がジェンダー・イッシューに敏感になる。

2)現在に至る画期としての1989年と1990年代
 1989年、天安門事件、ソ連東欧圏の崩壊。ここで20世紀は実質的に終わったといえる。
 ピープルズプラン21世紀国際民衆行事開催、「水俣宣言」発表(越境する参加民主主義の権利を宣言)。世界社会との民衆運動レベルでのつながりが発展する。
 1990年、「さっぽろ自由学校『遊』」設立(「福岡PP21自由学校」とともに)。
 1991年、湾岸戦争。世界の単一自由市場化としてのグローバリゼーションによって貧富の差が拡大する。米国の軍事力による世界一国支配体制、アメリカ帝国の支配という21世紀初頭の世界像出現。
 NGO(NPO)という新しい運動体が国際社会に登場し、NGO政治が一定の力を持ち始める。
 1992年、コロンブスのアメリカ大陸到達から500年記念を、アメリカ3大陸(北米・中米・南米)の先住民族が連携して「侵略と抑圧の500年」として位置づけ、先住民族の権利回復を要求する運動を始める。
 90年代末からは、グローバルな新しい民衆運動の発展(反WTO=アタック、世界社会フォーラムなど)が生ずる。
 地域通貨、オルタナティブな社会イメージ(農、育児、食、介護などを重視する)の模索、インターネット・ネットワークによる連帯・社会運動が拡大。
 国民国家に運命を託さない人と人、地域内の民衆の協同、連帯の在り方についての問題意識が初期的に現れてきた。「人間の安全保障」から「民衆の安全保障」へ、という思想と理論が提唱される。
 2000年、女性国際戦犯法廷開催。従軍慰安婦という名の戦時性奴隷化を作り運営した責任を問い、天皇ヒロヒトの有罪を宣告する。これは国際法の国家中心主義を越える象徴的な営みであった。

3)ネオリベラリズムと新国家主義
 2004年、日本国家が、軍事的な強力国家として国際社会で発言力を強め、「先進」大国による世界の政治、経済の管理支配の仲間入りをめざす方向へ急激に傾く。
 ネオリベラリズムと新国家主義とが手を取り合って進む。現在のグローバル化は相互互恵関係ではなく、弱肉強食、優勝劣敗を当然のこととした秩序の世界化であり、古典的な市場メカニズムとはまったく異なる。国家は、強者の自由な行動を保証し、その要求に応えるための強国化をはかる。それがネオナショナリズムとして現れてきている。また、ネオリベラリズムの効率主義は、民主主義的な合意形成と決定の手法を、非効率とし、上から下へリーダーシップを発揮しての決定の強制と服従の秩序をよしとし、それを受け入れやすくするために大衆迎合、大衆煽動の政治手法を動員する。
 国際関係では、日本政府の未来への構想は不在、行き当たりばったりであるが、今後、北朝鮮関係、台頭する中国との関係、東アジア地域経済圏問題、外国人労働力の導入などで大きな変化を強いられるだろう。

4)今後に向かって
 地域に根ざし、文化と政治の変革をめざす―「さっぽろ自由学校『遊』」の経験から。
 「さっぽろ自由学校『遊』」は、最初「私が変わる、世界が変わる」という合い言葉で、自分たちの学習の場として設立し運営してきた。現在は、年間を通じてプログラムがつくられ、講座が行われているが、それだけでなく、イラク戦争反対の北海道ピースネットワークつくり、札幌でのピースウォークの事務局的な役割を演じている。
 そのほか他のNGOとネットワークを組み、自治体行政への提言と改革にも接近し、次第に学習組織であるだけではなく、下からの社会形成を推進する運動体となりつつある。政治的意味づけでは、国民国家の支配を弱めそのくびきを脱する方向での、地域的ネットワーク、そして国境を越える民際的なネットワークを推し進めようとしている。
 反戦反基地のネットワークが国際的に広がりつつあること、アジア平和連合が形成されたこと、世界社会フォーラムが発展していること、イラク反戦の世界同時行動がくり返されていること、これらは希望の芽であり、地域から積極的に参加し、推進していきたい。
 今年の具体的課題では、一昨年に行った台湾コミュニティ大学との交流を契機として、台湾、香港、韓国などの民衆教育グループとの国際シンポジウムを企画している。また、反戦平和、憲法など当面の政治課題を取り上げる講座、コアメンバーの力量を強化するための「学び=学習」についての実践と理論についての研究会を企画している。  
 次の時代の担い手が「遊」への参加によって経験を積み、力量をつけることができるためには、それを可能にする経済的な基盤(専従体制の充実)が必要であり、依託事業など行政、企業とのタイアップという問題が出てくる。それに伴い、「遊」としての判断と行動の基準を、経験の反省を通じて生みだすことが大事になっている。
 多能的で、多様な課題を担う力量を身につけた人材を生みだすことが、将来の社会変革への基盤つくりになるのではないかと思う。

5)総括のための覚え書き
○社会運動の経験則として、原因と結果が線形に一対一対応で結びつくとは限らない。闘争や運動がいったん敗北して終息したとしても、地域のなかに既成事実に屈服しない志を持つ人が残れば、運動の影響が地下水となって流れ、時間を隔ててわき水として地表に現れる可能性が蓄積される。経験の蓄積と伝統化。
○地域の民衆運動が持続的に継続する所には、男性中心の指示服従型の組織ではなく、女性が独立した存在として認められ、自由に発言できる雰囲気と、運動者が自分の生き方として生活の場で運動を続けるスタイルがある。自己解放と社会変革との連動。
○在地の知識人(小・中・高教員、医師、僧侶、牧師など宗教者、自営業者)が、職住一致の条件を利用しつつ、情報の発信と受信を通じて外部の諸組織や運動との連携を図ることが地域運動の活力を更新する。市民派の自治体の議員を生みだすことも力になる。
○運動と結びついた理論のキーポイントとして、地域からと世界からの両面から、国民国家の縛りを脱していく道筋を探ることを重視したい。

[←back]