ソ連崩壊後の模索-経済自立・平等と自由の両立
-講演会『キューバ 歴史と現状』(講師:太田昌国さん)報告C-
ソ連崩壊で始まる試行錯誤
キューバにはずっと関心を持ち続けていましたが、キューバに行ってしまうと当時は軍事政権が多い時代なので、パスポートにキューバの入国印があると他の国に入れなくなるということもあって、できたら最後に行こうということで、70年代の旅行のときにはキューバには行きませんでした。11年前、92年の暮れから93年にかけて約2週間、初めて行ってきました。それはソ連崩壊からちょうど1年目のときですから、経済的には最悪の時代です。
石油は一切入りませんでした。ハバナでもバスは2、3時間待ちが普通という時代で、来ても超満員でした。街はほとんど自動車が通っていなくて、中国から大量の自転車が入っていましたから、みんな自転車で通っていました。店はすべて閉まっていて、個人営業の食堂なんかもいっさい認められていない時代で、僕等は団体観光客だったのでホテルのレストランに行くか、観光客向けのレストランに行くかしかありませんでした。そういう意味では、非常に選択肢が狭かった。一般家庭にもなかなか簡単には行けなかったし、宿も決められていた。非常に不自由な時代で、いったいこの人たちはどうやって生きているのだろうと思わざるを得ないような状況でした。ドルもまだ解禁されていない時代で、物質的な苦しさのひずみが日常生活にもろに出ていた。そういう時期だったと思います。
ソ連が崩壊して物がまったく入らなくなり、いろんなことがどん底になる。で、カストロ自身が「危機の時代」「危機の期間」という言葉を使ってこれを乗り切ろうという中で、ツアーに行った皆さんがご覧になった有機農業が始まったり、いろんな新しい試行錯誤が行われたり、そういう時期に至っていると思います。
ソ連崩壊で始まる試行錯誤
少し大まかに歴史を見てきたので、最後にまとめ的な話をして終わりたいと思います。
一つには、米国というすぐ隣の大国から制裁を受けながら、キューバのように小さな国がどのように経済的に自立できるかという問題です。キューバは人口にしても千数百万人で、面積的にもあのような小ささだし、しかも島国です。そういう国が自立的な経済建設をしていくのは非常に困難な課題です。21世紀の今になっても相変わらず大国が傲慢に振るっている中で、キューバのソ連のような後ろ盾を失ってから11年間の実践は、他の小さな国々にとって大きな教訓になると思います。
この間米国では、キューバの経済的自立を妨げる法律がいろんな形で作られました。例えば、キューバに一旦寄港して積荷をしたり、荷を降ろしたりした貿易船は、以後6ヵ月間、アメリカの港に立ち寄ることはできない、という法律を作るわけです。キューバと貿易を行う貿易船は、必ず途中でいろんな国々に寄って、そこで積荷をしたり荷を降ろしたりして、それでようやく商売が成り立っているわけです。キューバだけを相手にして商売するということはあり得ない。そうすると、その船はキューバ貿易をあきらめるか、アメリカの港に立ち寄るのをあきらめるか、どっちかを選択しなければならないということになる。取引高からいったらキューバごときがアメリカという大国に勝てるはずがないわけですから、実質的に貿易を阻害する法律ということになるわけです。そういう中でいったいどのような経済建設が可能なのか、という問題です。
キューバの人はほとんど野菜を食べないのだと誰かが言っていました。そういう国で有機農業がここまで盛んになり、人々が野菜を食べるようになった。そいうふうに、一つずつ変化しながら自立をめざす。そこが興味を惹かれるところです。
経済的平等と表現の自由・民主主義
それから、20世紀の様々な社会主義が試行錯誤しつつもついに解決できなかった問題、経済的な平等と表現の自由や民主主義というのはどのように両立しうるのかという問題です。キューバの医療水準や社会福祉の水準は、日本や欧米的な先進国に勝るとも劣らない水準に至っています。第3世界のどこに行っても見られる貧富の差を放置しないで、医療や教育などを無料化し、経済的な平等の達成にかなり成功しています。これはキューバ社会主義に反対の人も認めざるを得ない現実だと思います。一方、民主主義とか表現の自由の問題、人権の問題はどうなっているかということを同時に見なければならないということです。
例えば僕等が数年前に出した『ハバナへの旅』という小説があります。レイナルド・アレナスという作家が書いた本です。彼は『夜になる前に』という作品を書いています。これは映画化されて、数年前に日本でも公開されました。彼は1959年の革命の頃は高校生だったと思いますが、初期の頃は割合熱狂的に革命プロセスに参加した人です。彼は文学が好きで、文学を書くつもりだった。彼は性的にはホモ・セクシュアルの人でした。革命の過程の中で何かにつけて、ある種の強さ、いわば男性的なものを尊ぶ傾向がいろんなところで強まります。アレナスはそういうのがだんだん嫌になっていきます。決定的だったのは、革命後3年目の1962年、ホモ・セクシュアルの人たちに対する一斉検挙と投獄が行われたことです。監獄での処遇も非常に劣悪で、彼の気持ちは決定的に革命から離れていきます。『夜になる前に』というのは、大部分その監獄の様子を描いています。そういうものを見ると、なかなか辛いものがあるなと思います。
10年程前に『苺とチョコレート』という映画をご覧になった方がいるかも知れませんが、これはキューバ革命の中におけるホモ・セクシュアルの人たちに対する一つの新しい考え方を示そうとの思いで製作者たちが作った映画だと思います。あるホモ・セクシュアルの芸術家と共産主義青年同盟のガチガチの若者との出会いから、衝突を通して、なんとかお互いを分かり合おうという交流を描いた、なかなか優れた映画です。こういう映画が96、7年に出てきたということは、革命的ではないとか正常ではないと決め付けて弾圧するようなあり方から、もしかしてキューバ革命は抜け出そうとしているのか、もう少し価値を相対化しようとしているのか、という視点で『苺とチョコレート』を観ました。
最初の頃はソ連に比べれば随分自由だと思っていましたが、それでも当時から発表が禁じられた作品はあったのだということが、後でもう少しキューバの文化状況や小説、詩集などの刊行状況を見る中でわかってきます。資本主義国でも本質的な表現の自由があるとは思いませんが、僕は出版活動をやりながら、社会主義が抱えている表現の自由の問題について、キューバも問題を抱えたままであるということが言えると思います。
あとは選挙制度など、民主主義の制度に関る問題です。カストロが44年間、最高権力者であり続けているという事態をどういうふうに見るか。キューバの民衆にとってこういうあり方がいったいどのように見えているのか。これはやはり一つの大きな問題だと思います。
ニカラグアのサンディニスタはキューバ革命から20年後に、やはり武装闘争によって革命を成就しましたが、彼等は複数政党制を採用します。そして複数政党制の中で10年後に、大統領選挙においてサンディニスタが破れて、ニカラグア革命の試行錯誤は10年で終わりました。その評価にもかかわりますが、社会主義革命というのは、憲法でこれは普遍であるとか決めて防衛するような性質のものなのか、それも社会主義論の一つの大きな問題にはなるだろうと思います。昨年だったと思いますが、カストロは憲法を改正して社会主義革命の普遍性を謳いました。
僕は資本主義社会にも基本的な言論の自由や表現の自由があるとは思っていません。議会制民主主義が最高の民主主義の形態だとも思っていません。また、経済的平等か自由かという二者択一の問題でもないと思います。しかし、バルガス・リョサという作家は二者択一の問題として提起しました。彼は若い頃はキューバ革命の熱烈な共鳴者で、ペルーでキューバ革命に続けと言って、ゲリラ闘争についても言葉の上での支持を惜しまない作家でした。ところが1968年のカストロのソ連チェコ侵略支持演説を境にして、彼はキューバ革命に対する厳しい批判を始めました。そのとき彼は、経済的な平等と言論の自由・民主主義の確立というのはついには両立し得ない、と言った。キューバや社会主義圏のように経済的平等を重んじても、民主主義の不徹底的や表現の自由の欠如を代償にした社会では、自分は作家として生きられない。そういう言葉でバルガス・リョサは立場を変えたわけです。
これはそのように立てられるべき問題なのかどうかというのは、これからの討論の一つのテーマだと思います。
かつてキューバ革命に共感を抱いていろんな知識人たちがキューバに行って紀行を書いたりしましたが、キューバ革命のことを思って少しでもキューバ革命に疑問を呈したり、批判をしたりすると、カストロはある時期から「あんたたちは、安逸なヨーロッパの社会の中で安楽椅子に座って、そんな身勝手なキューバ批判をやっている。しかし、我々第3世界はそんな条件をまず持たないところで日々生きているのだ」という言い方で、外部からのキューバ革命批判者に対するようになりました。僕はカストロがこういう形で批判を始めたとき、がっかりした思いをしました。それは、初期の8、9年間のキューバ革命のおおらかさが失われて、だんだんとソ連的な官僚的社会主義の相貌がはっきりしてくる段階と時期を同じくしていると思います。
大きなテーマですけれども、いろいろ疑問とか、批判とかを出していただいて、全体的な話にしたいと思います。(終わり 要約・文責:片岡)
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