酒井啓子著
「イラク 戦争と占領」 を読む
占領の目的が「イスラム」阻止に
イラク問題専門家・酒井啓子さんの「イラク 戦争と占領」(岩波新書)を手がかりに、イラクにおける反米闘争について議論します。酒井さんは、イラク戦争開始直後のイラクの人々の対米感情について、次のように指摘しています。
「イラク人の多くは、アメリカはフセイン政権を助け続けてきたと信じている。実際、湾岸戦争直後にフセイン政権が生き延び続けることが出来たのは、アメリカが最後の一歩でフセインに対する追及を止めてしまったからだ。湾岸戦争直後に人々は反旗を翻して蜂起したのに、アメリカはあっさりこれを見捨ててしまった。そのような裏切り行為をしておきながら、何をいまさら『解放に来ました』と言ったところで、易々と信用できるものではないではないか。」(23頁)
「途方に暮れている米軍を見ていると、『解放』に来た彼らこそが、まさにフセイン政権の呪縛に取り込まれてしまっているかのようだ。フセイン政権下のイラクでは、国民のそれぞれがお互いに敵か味方か不明な状態で、冷徹に『個化』された社会を生きてきた。どこかに『内なる敵』が潜んでいるのではないかと疑心暗鬼になりながら、平静な生活を送っている、というのがイラク人の『日常』だった。その不条理な日常をこそ米軍は解放しに来たはずなのに、逆にそれに呑み込まれようとしているのだ。」(37頁)
「開戦直後、無邪気にイラク解放に手を差し伸べたアメリカは、直ぐ後に『自爆攻撃』という形での報復を受けた。(中略)最初は駐留米兵とデモ隊の間にも言葉があって、会話が交わされていた。だが、米軍がイラク人のデモを恐れ、群集を恐れ、『他者』を理解不能と疑心暗鬼に囚われていくにつれて、会話の前に銃が先に出るようになる。力で抑えつけるのが手っ取り早い、というやり方自体が、『解放軍』であった米英を日々『占領軍』にしているのだ。」(38頁)
「一言で言えば、戦後のアメリカの対イラク統治政策は、常に行き当たりばったり的な色彩を払拭できない。失敗したと思えば、また正反対の政策を取る。その揺れ、長期的展望のなさがさらにイラク人の信用を失わせる。」(146頁)
「戦後のイラクにおいては、『民主化』を進めるためにイラクに進軍したと主張するアメリカが、実際には『民主化』の動きに歯止めをかける一方で、反対にイラク国内で台頭しつつあるイスラーム勢力がより早い『民主化』を求めてアメリカに対立している、という矛盾した様相が現れているのだ。(中略)この矛盾がどこから来たのかといえば、アメリカの考える『民主化』というものが最初からイスラーム勢力の政治的台頭を前提にしていなかったからにほかならない。ネオコンや亡命イラク人は、フセイン政権を打倒すれば政治的社会的空白が生じ、そこに新たな西欧的市民社会を一から構築することが可能だ、と考えた。その意味でイラクという土壌は『民主主義移植』のための壮大な実験場に見えたのである。だが実際には、イラク社会においてイスラームに基づく社会秩序概念やネットワークが厳然と存在していることにアメリカは気がつかなかった。(中略)その結果、アメリカは戦後のイスラーム勢力の台頭を見た瞬間に、即座の民主化がもたらす『イラクのイスラーム政権化』の危険を察知し、『イラク国民の政治参加』を閉ざしてしまったのである。そのことが、いつまでもイラク人に主権を譲渡できず、アメリカが中途半端に軍事占領を続けるしかない環境を生んでしまった。」(206-7頁)
世界の発展は単一ではない
イラクは未だに部族社会です。日本で部族社会は戦国時代、応仁の乱まででした。近世の江戸時代には家族社会になり、それは1945年、敗戦まで続きました。
江戸時代、農民に対する年貢は、各戸に耕作面積に比例して課せられていました。戦国時代(1467〜1568年)、武士が領土の争奪戦に明け暮れている間に、農民は営々と農業と農村社会の建設に励み、水利施設の建設整備、鎮守の森と神社、読み書き算盤を教える寺子屋と、三点セットを備えた農村社会が生まれます。この戦乱を通じて古代国家が崩壊し、寺社所有の荘園制度も崩壊するとともに、農民の自立化も進みます。彼らを基盤にして親鸞の浄土真宗や一遍の念仏宗など、個人の安心立命を求める新しい宗派が誕生し、日本の宗教革命の時代でした。その基礎の上に徳川時代の繁栄と安定が生まれました。
しかし、丁度この頃、イラクは日本と対照的な道を歩みます。イラクの首都バグダッドは、世界文明の最先端地域であったアジアと暗黒のヨーロッパとを繋ぐ交易都市として、繁栄を極めていました。だが、ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰迂回航路の発見によって、東西貿易の中継地としてのバグダッドの役割は終わり、その後衰退の一途をたどります。
世界の発展は単一ではありません。それぞれの諸民族・諸国家にはそれぞれ固有の特質があり、異なった発展の道を歩んでいます。発展の速度も違えば、発展の順序も異なります。この違いを捨象して、唯一の道を唱えるのは空想の世界に他なりません。それゆえ、世界を単一の尺度で仕切ろうというグローバリズムは、今や敗北の運命にあります。EUは多元的価値観の下に、多元的世界の構築を目指して歩んでいます。日本も米国の方ばかり向いていると、アジア、中東、アフリカから見捨てられます。 (渡邉)
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