パイプはそこにあるのが当然のように安っぽく光っていた    

      ――第2回「釜ヶ崎フィールドワーク」(2.7)に参加して――

 空が曇り、風が冷たかった…人が少ない…整備された大通りに降り、寒さに体を震わせながらそう思った…「日本最大の日雇い労働者の街」。もっと人があふれてると思った。喧噪があって、賑わっていて…何処か苦虫を軽く潰した気がした。
大通りにいなかったから、裏道に入ってすぐに日雇い労働者に会えたわけでもなかった。人通りのない街はずれ、というのが感想だった。ただ、ニオイを強く感じた。豚の干物のようなニオイ。それだけの気がしていた。
 「日雇い労働者がテントを張れないようにするためですね」
男性の説明で初めて気づく。全ての植え込み、芝にフェンスが建てられていた。人の身長以上のものだ。目立たぬよう、つや消しの銀や淡い青緑色をしたフェンスは、僕の視界に何の違和感もなく飛び込んできていた。気がつかない、しかし一度気がつくと確実にこちらを押しやる圧迫感を持っていた。
僕を含めた一行は奥へと進んでゆく。5〜20歩間隔で目につく不景気そうな安宿、ひび割れ黒ずんだビル…裏道に入って最初に感じたニオイは、いつの間にか焼き鳥を焦がしたようなニオイと混ざりながら「廃墟」を構成していた。日雇い労働者のテントがちらちら見えはじめても別段驚くことはなく、ただ、眼前に、あった。灰色と掠れたテントの青、それから幾重にも折り込まれた煤けた肌が。
 「これが人権無視の撒水装置です」
大通りから入って10分程だろうか?テントがあちらこちらにある路地に、そこだけが浮いてるみたいに小学校が存在していた。正門から壁づたいに道の角で見えなくなるまで、金属のパイプが続いている。一帯の地面は冷たく湿っている。
 「子どもたちの登校時間の前に撒水するわけです、毎日ですね。日雇い労働者が寝泊まりできないようにするためです」
解説する男性は怒りをこらえたように続ける。
 「PTAの要請でできたものですね。子どもの教育に悪い、と。勿論私たちは撤去を求めていますよ、こんなことは教育にもよくありませんしね。子どもたちが思い込んでしまいますよ、日雇い労働者には何をしてもいいってね」
話を続ける彼の後ろ、パイプはそこにあるのが当然のように安っぽく光っていた。
炊き出し場には既に人が列をなしていた。少なく見積もっても180人、それでも大声でわめき散らすでもなく、じっと待っている。
「こいつらぁ、ゴミや」…競馬新聞を片手に握りしめた男が話しかけてきた。
「なんで俺らがこんなゴミ共と一緒やねん」
「こいつらん中には気違いもおるんや、所構わずくそするんや」
すっかり酒に酔いロレツも回らない男は、ひとしきり話した後ふらふらと去ってゆく。目の前の男性の前には整然と食器が積み上げられてゆく。
陽が差しはじめた。陰で肌寒かった僕は日なたに移ると、目の前を洒落たコートを着た老人が通りすぎる。
「飯がないっちゅーのは、どういうこっちゃろなー」
鼻歌気味につぶやく彼に、やっとこの街の人間らしさを感じた気がした。ただし、その頭上には監視カメラがあった。今日だけは虚を見つめていたが…。
露店に足をのばしてみた。高架下の道の両脇いっぱいに店が軒を連ねていた。腕時計、バッグ、AVソフトに工事用具まで陳列している。ラジカセの音がにぎわいに加わり、昼過ぎのガレージセールを思い出させた。大通りや商店街よりも人通りの多いこの通りに、僕はやっと僕自身の想像の欠片を見つけた気がした…しかし余りに小さなその欠片は、いつか消えてゆくのかも知れない。それがどのようにしたのかはわからないけれども。
「あいりん職業安定所」とそこは呼ばれていた。床には所々ワンカップの酒瓶や新聞紙が散らばっている。風が強く、上着がはだけてしまいそうなぐらいだ。説明を聞きながら、案内されるままに二階に向かう。照明の落ちたような暗い階段。天井はずっと高く、体が冷える。
 「ここが日本で唯一、職業案内をしない職安です」
二階の奥、殺風景な窓口前で説明がはじまる。ブース毎にふられた1からの数字。“順序よく並びましょう”と書かれた立て看の前はおろか、広いフロア全体を見渡しても誰一人として並んではいない。天井は高く、明かりがついているのかさえわからない。だだっ広い空間の無駄に多いガラス戸から陽の光が強くもれるのみで、冷たいコンクリートの床に毛布一枚にくるまった人々が所々に寝ころんでいる。
 「仲介をしないんです。労働者の登録と業者の登録、それとあぶれ賃の支払いをするだけですね」
 「業者は朝早くに、さっき私たちが通った一階の駐車場に車を出します。契約が決まったら車に乗って現場に行くんです」
 「2ヵ月28日仕事をしてその後失職した場合、1ヵ月14日分のあぶれ賃が支払われるわけです」
 「日雇い労働ですから、その日に現場でハンコを押されるわけです」
 「職安の隣には民間の案内所がありますよ、基準が国のものに達してないものばかりですがね」
 「問題が起きたときの責任を取るのが嫌なんでしょう。だから仲介をしない」
職安を出る手前、ワンカップ瓶を軽く蹴った。カランカラン、とフロア中に響いた気がした。
                                         (大阪経済大学・N.Die)

 

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