イラク国民に民族国家形成の精神的基盤を提供した米国のイラク戦争

組織された目的意識的な反米闘争
 昨年11月29日、イラク北部のティクリートの近くで、国道を走行中の奥・井上、2人の日本大使館員が乗った車が銃撃され、殺害されました。これはテロ事件として報道され、私もそう思いましたが、単純なテロではなく、極めて高度な政治的目的を持った殺人事件でした。
 「文芸春秋」04年2月号に、歳川隆雄さん(「インサイダー」編集長)のリポートが掲載されていますが、それによると、現場から奥さんが持っていた電子手帳がなくなっており、大使館で彼が使っていたパソコンのハードディスクに入っていたデータが全て消去されていただけでなく、ハードディスクそのものが壊されていた、と伝えています。この事件が単なるテロではなく、イラク・反米レジスタンス勢力による極めて高度な政治的攻撃であったことを、この文章は示しています。私はこの事件が起こった当初、2人の行動スケジュールが事前に外部に漏れていたことから、日本大使館からイラク・レジスタンス勢力側に何らかの情報漏洩があったのではないか、と疑っていましたが、こんな深刻な事態だったとは想像できませんでした。
 奥さんは日本政府からCPA(連合国暫定施政当局)へ派遣された人物でした。CPAとは日本占領時におけるGHQ(連合軍総司令部)と同じで、連合軍とは名ばかりの、米国防総省直轄の組織です。彼の任務は、米国防総省の対イラク政策に関する情報の詳細をいち早く入手し、それを日本政府に伝えることでした。それ故、彼の電子手帳、パソコンには米国の対イラク政策に関する最新の極秘情報が詰まっていました。イラク・レジスタンス勢力が喉から手が出るほど欲しかったのは、彼の命そのものではなく、彼が持っていた米国防総省の極秘情報でした。
 イラクで起こっている米軍に対する攻撃を、米国は一まとめにして「テロ」と片付けていますが、そんな単純な「犯罪」でなく、政治的に高度に組織された集団による目的意識的な反米闘争にほかなりません。では、イラクにおけるこの反米レジスタンス運動の形成は、今後のイラクに何をもたらすのでしょうか。
 イラク人を頭から馬鹿にし軽蔑して始めた米国のイラク戦争、その尻馬に乗って自衛隊を派遣した日本。自衛隊が無傷で日本に帰って来れるとは、私にはとても思えません。
 クルド人、イスラム・スンニ派及びシーア派からなるイラクは、フセイン体制のような強権的支配がなければ治まらないと言われてきましたが、米国の侵略は、反米抵抗闘争を通じて彼らの垣根を取り払い、むしろ国民国家としての精神的基盤を提供した、との皮肉な結果をこの国にもたらしました。こうして、米国の戦争は皮肉にもイラク国民に、国民国家形成の精神的基盤を提供してしまいました。その結果、米軍がイラクから手を引かざるをえない事態となれば、この国はイラクに持っている石油利権を失います。
 イラクは中東地域における中核国家ですから、イラクに起こった事態は、遅かれ早かれ中東全域へと波及します。中東地域で米国が石油利権を失えば、この国は翼をもぎ取られた鳥のようなもので、米大陸の1国、普通の国に過ぎなくなります。
 今、金価格が急騰しています。これは、投資家が資産を紙幣から金に移しているからです。昨年4月、金価格は1オンス=329$でしたが、昨年末には409$をつけました。金価格が上がっているのは、彼らがイラク戦争の推移に不安を感じ、米国がイラクの石油利権を失うのではないか、と恐れているているからです。この投資家を襲っている悪夢が今、現実化しようとしています。
 このイラク戦争の推移によって、ブッシュ政権内部でネオコンの力が低下していますが、これに乗じて仏独はイラクに対する国連の関与を強めようと、新たな安保理決議案を準備しています。この戦争の敗北を認めることになる新決議案にブッシュ政権は抵抗していますが、それは、もしこの決議案が国連安保理で可決されれば、ブッシュの再選にとってますます不利になるからです。イラク・反米レジスタンス勢力の流血の闘いは、今まさにブッシュの喉元に匕首を突きつけています。

国民に国家との一体感はなかった
 イラク国民には元々国民としての国家に対する一体感、忠誠心などありませんでした。これは中東地域の国家いずれにも当てはまる共通した現象です。
 中東地域は第一次世界大戦前、トルコ帝国の支配下にありました。この大戦でトルコはドイツに味方したため、領土分割の対象となります。講和会議で各国代表が世界地図を囲んで、定規とコンパスを使って、トルコ帝国領土を面積比で分割します。中東地域の国境線に直線が多いのは、そのためです。こうして中東地域には、そこに住んでいる住民の血統や感情、歴史的経験など顧慮されることなく、植民地主義者の思惑のみで国家が作られました。これが、イラクをはじめとして、中東地域における国家と民族の不幸の始まりでした。
 イラクをはじめとして中東地域の諸国家は、部族社会の上に国家が乗っているようなもので、国民はそれぞれ部族に属し、国家に対してでなく、自分が所属する部族長に忠誠を誓っています。フセインの独裁体制が非難されましたが、これは個人が社会から独立し、直接国家と繋がっている欧米を基準にして見ているからで、中東地域の人々には受け入れられません。
 このような国家と一体感を持てない国民、部族を通して国家と間接的に繋がっている国民を一変させてしまったのが、米国のイラク侵略でした。米国が戦争によってフセイン体制を粉砕してしまったために、彼らが自らの国家を取り戻し、侵略と戦うためには、自ら団結する以外にありませんでした。その接着剤としての役割を果たしたのが、イラク国民としての一体感への目覚めでした。北部のクルド族は別にして、同じアラブ人であるイスラムのシーア派とスンニ派は、米軍の分裂策動に乗ぜられることなく、反米闘争に立ち上がっています。
 ブッシュの戦争は、イラク国民にとんでもない贈り物をしてしまいました。分裂していたイラク国民に国民としての一体感を覚醒させ、彼らの民族としての誇りを覚醒させました。これは米国にとって、中東支配の終わりの始まりを意味しています。                     (渡邉)

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