「第二のベトナム」寸前の米国
今、私達は転換する時代の大きな節目に立っているのではないでしょうか。米軍はイラクの人々の猛り狂った反抗によって、「第二のベトナム」の寸前にあります。
冷戦終結後13年。この13年間は、社会主義体制の崩壊、一極主義の出現によって、市場経済が世界化し、「資本主義体制の勝利」と謳歌され、「グローバリズムの出現」ともてはやされました。アメリカン・スタンダードが世界標準とされ、西側世界の覇者、米国は勝利の美酒に酔いしれました。
世界で並ぶもののない軍事大国となったこの国は、先ず石油資源確保のため、中東支配に乗り出します。その手始めが91年の湾岸戦争でした。91年、湾岸戦争に備えて、米国はサウジアラビア国内に軍事基地を建設しますが、これがイスラムの聖地メッカの目の前だったことから、「異教徒による聖地の冒涜だ」として、イスラム教徒の怒りを招きます。イスラム教徒数人が、爆弾を積んだトラックを米軍基地に突入させます。これが、オサマ・ビン・ラディンを首謀者とするアルカイダによるテロの、米国に対する第一撃でした。この警告を無視した米国に対して、ナイジェリアの米大使館など、次々に彼らによる爆弾テロが繰り返されました。
80年代の終わり、アフガニスタン西部地下に巨大な天然ガス田の存在が明らかとなります。現アフガニスタン大統領カルザイは、この天然ガス田の探索をしていた米石油企業ユノカルに雇われていました。彼が何故大統領に指名されたのか、その理由は自ずと明らかです。
クリントン政権はこの天然ガスをパイプラインでインド洋まで運ぶため、英・仏・パキスタンの仲介の下にアフガニスタン政府と秘密交渉を始めます。この秘密交渉の議事録は公開されていないので、推測に頼るしかありませんが、この途中、米国でクリントンからブッシュへ政権が交代します。これは私の推測ですが、クリントンはこれまでのアルカイダのテロを不問にし、金を支払うからガスパイプラインの通過を認めるよう求めます。これに対してブッシュは、手の平を返したように強面に出ます。「アルカイダの首領オサマ・ビン・ラディンの身柄を引き渡さなければ戦争だ」と。
これに激怒したオサマ・ビン・ラディンが指令したのが「9.11テロ」でした。9.11テロに動転したブッシュは、彼をあたかも「殺人狂」であるかのように言い立てていますが、冷静沈着で正常な判断力の持ち主だ、と私は見ています。
9.11テロの仇を討とうと、ブッシュはアフガン戦争を始めますが、結果は御覧の通りです。彼は単に玩具箱をひっくり返したに過ぎませんでした。アルカイダの戦士達は各部族社会に匿われ、米軍が撤退するや、表に出てきたではありませんか。カルザイ政権が支配している地域は、首都周辺に限られています。生活に苦しむ農民はケシの栽培に逆戻りし、周辺国への阿片輸出が再開されています。
この失敗を恐れて、中東における米国の石油利権が揺らぐのを恐れたブッシュは、中東第二の産油国イラクの民族主義政権を排除しようとして、今回の戦争を起こしました。 しかも、この戦争は大義のない戦争であったばかりか、国連憲章を無視して国際的な合意を欠いた米国の単独行動でした。
新たな時代はイラク人が流したおびただしい血によって切り開かれた
米国がグローバリズムの旗の下にアラブ・イスラムとの亀裂を深めていく中で、EUはこれとは対照的な道を歩んできました。
EUは各国間で様々な軋轢を抱えながらも、アラブ・イスラムの移民を受け入れています。市場経済に転換したロシア・東欧諸国に接近し、EU市場の東方への拡大を進めます。EUはエネルギーの供給源を多角化させ、ロシアと石油・天然ガス・パイプラインで繋がっています。伝統的に強いロシアの重工業は、EUにとって大切なお得意さんとなっています。
こうして、戦争の根源である人種間の対立、各民族国家市場間の軋轢を克服しようと、米国とは対照的に多元主義の世界を目指して、意識的に各国間の対立を克服し、ヨーロッパ地域を変革していったのが、EUの歩みです。日本は米国流でいくのか、それともEU流でいくのか、今岐路に立たされています。
グローバリズムの崩壊は、何よりも民族自決権を踏みにじった米国に対して抵抗する、イラク人のおびただしい流血によってあがなわれました。従って、ここから現れる世界は、各民族固有の価値を尊重する多元主義の世界です。
米国にとってイラクは、まさに「第二のベトナム」にほかなりません。中国の南への進出を恐れて、米国は南ベトナムにおける民族解放運動に介入しましたが、米軍はベトナム人によって追い出されました。イラクでも、彼らの運命は今や風前のともしびです。イラク人のおびただしい血によってあがなわれた新たな世界は、各民族の固有の権利である民族自決権を尊重する、多元主義的な空間となるでしょう。
私たち日本人は、イスラム原理主義戦士・アルカイダを恐れる必要はありません。アルカイダは狼ではありません。彼らは私たちと同じ人間です。人は相手次第です。今でこそ日本人は従順で温和な人たちと思われていますが、半世紀前の私たちは、投降を迫られたら死を選ぶ野蛮人として、欧米の人たちから今のアルカイダのように恐れられていたではありませんか。彼らの固有の価値を尊重すれば、話は自ずと違ってきます。
アラブ人は日本人に近親感を持っていることを、私は何度も経験しました。Wさんとパリでセーヌ川に沿って歩いているとき、後ろから「シヌア、シヌア」と声をかけてきました。 「シヌア」とは、フランス語で中国人のことです。振り返ると、2人連れのアラブ人でした。私が「ノン、ジャポネ(いや、日本人だ)」と答えると、彼らの1人が自慢そうに、ポケットから名刺のようなものを取り出しました。見ると、それはアルジェリア政府が発行した身分証明書で、そこにはフランス語で「アルジェリア解放戦士であることを証明する」と書かれていました。そのことをWさんに言うと、彼は「サラ、ジャラー(革命万歳)」と叫んだので、彼らは大喜びで、歓声をあげて去っていきました。
アラブ人は、白人よりも私たちの方に近親感を持っています。日常、床の上に敷物を敷き、その上に座って暮らしているところなど、彼らの生活習慣は私たちと良く似ています。
だが、日本人はアラブ・イスラムの人たちとの付き合いが少ないので、彼らの親日的な感情に気付かないだけです。世界で10億人以上いるアラブ・イスラムの人たちは、欧米製品よりも品質の良い日本製品のいいお得意さんです。私たち日本人は、彼らの親日的な感情を一方的な思い込みに終わらせてはなリません。
(渡邉)
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