11月8日、「よつ葉連続講座」の第4回目として、安全食品事業協同組合理事長の吉田登志夫さんに『生協運動とよつ葉』というテーマで講演していただきました。吉田さんは30年間、生協運動に関わってこられ、個人としての関わりを交えながら、生協運動の理念、歴史、今日的課題についてとてもわかりやすくお話してくださいました。編集部で講演を要約し、2回に分けて連載します。今回は主に、吉田さんの個人的関わりと生協運動の歴史の概略を紹介します。次回は主に、生協運動の理念や「よつ葉」について紹介します。なお、詳細は後日、報告集が出ますのでそちらをお読みください。(要約:片岡)
父親の手伝いから生協運動へ
父親が福岡の米軍基地に勤務していて、労働組合で反軍・反基地闘争をやっていた。基地に勤めながら基地を否定する運動をするのだから、自分たちの存在を否定するようなもの。そこで、基地を首になった人たちの仕事作りをする中から、生協をつくっていった。初めは曳き売りから始めて、店舗になっていった。そういうのを見たり手伝ったりしていたので、生協というのは身近な存在だった。
中・高時代は卓球一筋で国体にも出たが、卓球選手としての限界が見えたのできっぱりやめ、高校を出てからは東京に出て、当時盛り上がっていた反戦運動に関わっていった。九州に戻り、運動をするために大学に入学したが、入学した頃には大学闘争も終わりかけていて、生協に関わり始めた。
大学生協から地域生協へ
当時、1972年頃は、大学生協が地域展開して地域生協をつくり始める頃。例えば、関西大学生協が千里山生協をつくり、神戸大学生協が都市生活生協をつくったように。日本共産党系の大学生協でも、地域生協をこの頃つくり始める。例えば、北海道大学系の札幌市民生協や、淀川生協、いずみ市民生協、京都生協、都民生協など。
西南大学生協の理事会室に一つ電話を置いて、「福岡西部生協準備会」を立ち上げて、団地をまわり、牛乳の共同購入を始めた。みんなで購入したら安くなるということと、成分を調整した牛乳が主流という当時の流通事情に対抗して、成分無調整の本物の牛乳をということを売りにして、予約共同購入を開始した。趣旨に賛同してもらって、予約購入の代金は全部前払いにしてもらった。
組織戦略としては、10万〜20万人の地域を対象に、5%を組織することを目標にした。福岡市のように100万人都市なら、地域を分割して大きくなりすぎないようにした。福岡市では、東部生協から始まり、西部生協や南部生協、北部生協がそれぞれの地域毎に主権をもった生協ができていった。
生協運動の二つの潮流
当時の生協運動には大きく分けて二つの政治潮流があった。一つは日本共産党系で、もう一つはアンチ共産党系。日本共産党系の生協の場合は、大型生協の展開を目指すという方針。例えば、都民生協の場合は現在組合員数100万人規模。それに対して、アンチ共産党系の生協の場合は、5000〜8000人規模の生協を地域からつくっていくという方針。
共産党は当時、「民主連合政府樹立」という戦略をとっていた。民主的な多くの国民と統一戦線を組んで、国政選挙を通して政権をとろうという戦略である。また、流通については当事の共産党系は「流通民主化論」、流通が大資本に牛耳られていて非民主的なので、生協が大資本に負けないような力をつけて、流通を民主化しようという戦略である。だから、共産党系の生協が大規模化を目指すというのは、根拠があった。戦略をもった拡大方針であったので、これはこれとして私は評価している。
大規模化を目指すために、役員も落下傘で中央から決められていった。例えば、札幌市民生協でも東京から役員が派遣された。方針に従って生協はどんどん大きくなっていったが、一方共産党は、伸び悩んだ。1970年代の一時期には、大阪や京都でも革新府政といって、共産党系の府知事が誕生したりしたが、80年代になって停滞していく。そして80年代になると、生協トップは生協の発展ということのみを考えていくようになり、生協の発展にとってはむしろ共産党が足かせになってきたので、生協トップは共産党を離党し、むしろ自民党と政策協定を結んだりした。生協運動を通じた社会変革ということよりも、生協という組織体の経営に軸足を移していったわけである。何年か前に、いずみ市民生協のトップがゴルフ場会員券を不正購入するというような腐敗した事件も起こってくる。一方、地域戦略を堅持しようとした共産党系の生協の中でも、淀川生協がパルコープ生協に吸収合併されていったように、「地域に根ざして」と言っていた生協も、経営的に悪化して、大規模経営化した生協に吸収合併されていった。
アンチ共産党系の生協は1980年頃、「商品矛盾論」といって、一般に流通している商品には危険で粗悪なものがたくさんあるので、それに対抗して商品の優位性で勝負しようという方針をとっていた。例えば、「安全、安心」にとことんこだわるとか。その後、商品を基軸にした運動から、環境保全や福祉を基軸にした運動へという「社会矛盾論」に組織方針の軸足を移していく生協も現れてくる。
今の生協の大きな流れは、生協同士が各都道府県単位で合併、大規模化し、さらに都道府県を越えて事業統合(生協法の関係で県を超えて合併できないので)していくという流れである。昨日、生協流通新聞に東北地方の事業統合の記事が出ていたが、これで全国の生協の事業統合は一通り済んだのではないか。九州も事業統合は済んだし、関西でも7生協(京都生協・大阪いずみ市民生協・おおさかパルコープ・ならコープ・コープしが・わかやま市民生協・大阪よどがわ市民生協)が事業統合し、会員数約150万人となった。これは、生協運動の初期の目的を見失い、経営に引きずられていっている姿ではないか。 (つづく) |