マニフェスト選挙は功罪相半ば
10月9日に行われた総選挙は、日本の政治が二大政党制の時代に入ったことを鮮明にしました。自民党の議席数は247を10減らして237に、民主党は137を40増やして177に、公明党は31を3増やして34に、共産党は20を11減らして9となり、社民党は18を12減らして6となりました。世界の先進国は日本を除いていずれも既に二大政党制になっていましたが、これで日本も彼らの仲間入りを果たしたことになります。
この理由は、それぞれの国の経済が成長期から衰退期に入るにつれ、国家の収入が減るので、その分捕り合戦である政治に魅力を感じなくなったからです。それで、政策選択の巾も自ずと狭くなり、それぞれの政党の違いも薄まってきます。その結果起こったことが、自民党の対抗軸としての社民・共産両党の凋落でした。
総選挙を前にして、都市の無党派層を主な支持基盤としている民主党は、農村を支持基盤としている自由党と合同し、農村における民主党に対するアレルギーを薄めることに成功します。農村における自民党の凋落には、不況による地方経済の壊滅が深く関っています。これに手を拱いてきた自民党の責任が、この選挙で問われました。
次に民主党が仕掛けたのはマニフェスト(政権公約)選挙でした。これは英国からの輸入品でしたが、自民党も引きずり込まれます。各党が出したマニフェストを巡ってマスコミでも議論となり、各政党の政策の違いに関して国民の間でこれだけ議論になった選挙というのは、しばらくぶりでした。これは有権者の投票基準を候補者個人から政策へと転換させたことを意味し、日本の政治風土を変えるうえで画期的なことでした。
テレビでマニフェストに関連して年金問題が議論になりましたが、各党の違いが議論のテーマになると、素人にはさっぱり分からなくなってしまいました。こんなことになったのは、年金問題に答を出そうとすれば、消費税に手を付ける以外にないのですが、これを言うと有権者離れを起こすことを恐れて、各党が言いそびれたことにあります。各政党は有権者に「ええ格好」することを優先させる余り、真実を隠すことになったという点で、マニフェスト選挙は功罪相半ばしている、と私は見ています。
日本は少子化・高齢化社会の到来を迎え、次世代への負担増が避けられなくなっています。これを彼らに納得してもらおうとすれば、政治家が自分の身を削って誠意を示す外ありません。だが、肝心の政治家にその覚悟がないものだから、ずるずると引き延ばされているに過ぎません。共産党のように、馬鹿の一つ覚えで選挙になると「消費税反対」を各候補が絶叫していますが、これは政権取りの意欲がないことを自ら告白しているようなものです。
700兆円という巨額の国家債務、年金の財源不足を見れば、消費税に頼るほかありません。国民にアレルギーの強いこの問題をクリアしようとすれば、政治家が自分の身を自ら削り、率先垂範することです。それは、政治資金の透明性を政治家自身が保証することです。今、日本の政治の将来は、この政治家の責任ある行動如何にかかっています。
EU流か米国流か
それでは、二大政党制の時代に入れば、政治の争点が無くなるかと言えば、現実が示すように、そんなことはありません。米国とEU、いずれも二大政党制ですが、これらの国と地域の目指す方向は逆です。
米国もEUも外国人に扉を開いていますが、米国は黒人を始めとして人種差別が依然として厳しく、労資の階級対立の厳しさも変わっていません。これに比べて、EUでは加盟各国間の不信や対立を意識的に薄めてきただけでなく、職場における労資の階級対立を弱め、受け入れた移民に対する差別と偏見をも克服しようとしています。
これは外交にも表れています。米国は国連無視の単独主義でイラク攻撃に突っ走りましたが、EUはイラクに石油利権を持っているフランスを抱えながらも、国連尊重の路線を崩そうとしていません。米国とEU、両者共に二大政党制ですが、目指している方向は対照的です。一方は世界一の強大な軍事力を背景にした単独主義、他方は多元的な価値観を背景に国家・民族間の経済格差を薄め、ヨーロッパ地域の緩やかな経済的・政治的統合を実現していこうとしています。
それゆえに、日本にも米国流かEU流か、二つの道が存在しています。これから、その選択を巡って闘いが待ち構えています。日本は、国土こそ狭いものの包容力に富んだ、奥行きの深い国です。この国には元々シベリアから渡ってきた先住民がいましたが、その後次々と朝鮮半島から先進文化を持った人々が渡って来て、日本という一つの国を作り上げました。
少数政党の存在意義は
資本主義の発展と共に、欧米では階級社会が形成されましたが、日本では、トヨタの看板方式が示すように、欧米とは異質の協調社会が形成されてきました。この方式は欧米にも輸出されましたが、定着しませんでした。その理由は社会の仕組みが違うからです。
テレビでスペイン人やイタリア人が、東京・大田区で世界的に名の通った製品を作っている町工場を視察するところが映し出されていましたが、それらの製品の中の肝心の部品は殆ど手作業で作られていました。これを見た彼らは、「日本はハイテク企業ばかりかと思っていたが、こんな零細企業もあったのか」と驚いていました。こんな懐の深い社会に、日本の秘密があるのです。日本が欧米の後を追う時代は、既に過去の遺物と化しています。今こそ日本人は自らの固有の歴史的伝統と価値観に自信を持ち、いたずらに米国に追随しないことです。
それでは、二大政党制の下で全ての国民が救われるのかというと、そうではありません。資本主義経済である限り、そこからこぼれ落ちる人達は必ず出てきます。それらの人達を救っていくことが、少数派政党の課題となります。二大政党制の時代といえども、この体制に意義申し立てをする少数派政党の存在意義は、厳然として存在しています。 (渡邊)
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